公開日:2024年7月29日

保坂健二朗さんが選ぶ極私的「20年間のベスト展覧会」。2004〜24年のなかで記憶に残る展覧会は?【Tokyo Art Beat 20周年特集】

Tokyo Art Beat設立20周年を記念する特集シリーズ。保坂健二朗(滋賀県立美術館ディレクター)さんが選ぶ3展は?

保坂健二朗

2024年、Tokyo Art Beatは設立20周年を迎えます。この記念すべき年と、これまで/これからのアートシーンを祝福すべく、ユーザーの皆さんから「ベスト展覧会」を募るアワード企画とオンラインイベント、そして特集記事が進行中。

シリーズ「20年間のベスト展覧会」では、アートやカルチャーシーンで活躍する方々にTABがスタートした2004年から24年6月までに開幕した展覧会のなかで、記憶に残るものを1〜3点教えてもらいます。極私的な思い出から、現在の仕事につながる経験まで……展覧会にまつわるエピソードとともにお届けします。【Tokyo Art Beat】

*特集「TABの20年、アートシーンの20年」ほかの記事はこちらから

阿部幸子「Cut Papers」(京都芸術センター、2006)

白いドレスを着た女性が、A4サイズのコピー用紙を、はさみでただひたすらに切っていく。ただそれだけのパフォーマンス・インスタレーションなのだけれど、切った膨大な紙の山の中に埋もれているその様と、はさみが紙を切るその音とがただただ美しく、しばし脳裏から離れなかった。私はちょうどこの頃、『すばる』(集英社刊)で、月一の連載で展覧会評を書くことを始めていて、文芸誌というフィールドで、どう展評を書くかを悩んでいた。そして、このパフォーマンスから受けた(静かな)衝撃を素直に書くことで、自分なりのスタイルを得たと、これからも書き続けていけるだろうと、確信したのである。そういう意味で、極私的セレクトのひとつに選んだ次第。ちなみに、その連載は、月1から3ヶ月に1回と頻度は変わったものの、いまなお担当している。

なお、阿部幸子氏のパフォーマンスは、その後、2010年のリバプール・ビエンナーレ、2012年のシドニー・ビエンナーレ、2013年ポンピドゥー・メッスでのパフォーマンスをテーマにした展覧会でも「出品」されたことを付言しておこう。また、パフォーマンスと展覧会の関係について言うと、日本の文脈では、2008年の、水沢勉氏がディレクターを務めた横浜トリエンナーレが、ティノ・セーガルや勅使川原三郎などのパフォーマンスを、イベントとしてではなく本体に組み込んだ嚆矢として歴史に名を刻んでいる。でももちろん、たとえば私が2006年に京都で見た阿部のパフォーマンス=展覧会のように、ささやかであれ先行事例は、あるはずなのである。

「ATTITUDE2007 人間の家 真に歓喜に値するもの」(熊本市現代美術館、2007)

2002年に開館した熊本市現代美術館(CAMK)は、なんだかまぶしかった。「くまもん」が2010年にデビューするよりも先に、「きゃんくま」なるキャラクターを立ち上げ、それをホームページ上でも展開させた(当時の美術館のホームページとしては極めて異質であった)。その輝きの原点にあったのは、開館当初は学芸課長であり、2004年には館長となった、南嶌宏さんと言って間違いはないだろう。いわき市立美術館、広島市現代美術館など、複数の美術館の立ち上げに関わった南嶌さんが、展示室の設計も含む初期段階から関わったのが、CAMKであった。展示室内に木製の扉を据えて家らしさを帯びるようにするとか、妙なこだわりには疑問を持つところもあったけれども、無料で入れる心地よいライブラリ的スペースを会場入口前に設置するなど、明快なコンセプトに基づく配置はさすがであった。

名称はうろおぼえだけれども、CAMKは、ほとんど南嶌さんの人脈によってつくれらたインターナショナル・キュレーター・コミッティーのような組織を持っていた。だからだろう、展覧会の出品作家には、東欧の作家が含まれるなど、CAMKでしか見られない内容になっていた。2007年のこの展覧会にも、ブルガリア生まれでソフィア在住のルチェザール・ボヤジェフ、セルビア生まれでベオグラード在住のラーシャ・トドシェヴィッチ、ロシア生まれでニューヨーク在住のレオニード・ソコフ、ウクライナ出身でベルリン在住のボリス・ミハイロフ、ポーランド生まれでワルシャワ在住のズビグニエフ・リベラなどが含まれていた。日本人のアーティストの選出も極めて個性的で、舞踏の土方巽なんてのはまだ序の口。東大の全共闘のオルガナイザーであり、劇団を主宰する芥正彦、フリージャズミュージシャンの阿部薫、ロックミュージシャンの鮎川誠など、いったい何を展示するのだという人たちも選ばれていた。もちろん、荒木経惟ややなぎみわなど、いわゆる現代美術の文脈で紹介されるアーティストも展示していたけれども、「ハイヤ節」や、公募した一般市民が南嶌さんと(飛行機ではなく)はやぶさで18時間かけて東京に行くその行為を作品化した「はやぶさプロジェクト」など、「グループ」とも呼びがたいものを出品作家のひとつとして組み込んでしまうのは、南嶌さんにしか(少なくとも当時は)できないことだったように思う。

そして彼はこの展覧会で、ハンセン病療養所の入所者も出品作家に入れて、彼らの描いた絵画を展示した。実際にそれを会場で見た私は、作品それ自体としては、いわゆる同時代性や批評性を感じ取れないものが大半を占めることに戸惑いを覚えたのも事実である。それを、「極限の美 日本・台湾・韓国のハンセン病療養所の入所者の作品」という言葉のもとに括ることで展覧会に組み込んだ南嶌さんの強引とも言える手法に、些か疑問を感じたのも事実である。しかし確かにいくつかの作品には、美への渇望に基づき描いたのだという真実味が強く感じられたし、そうした渇望を読み取った南嶌さんの心の揺れ動きも確かに伝わってきた。そうでもなければ、熊本市にある美術館が、韓国や台湾にリサーチを行い、そして作品を借用するなんてことは、そうそうできることでもない。そして、それは、簡単にできることではないが、アートに携わるものであれば、しなければならないことでもある。そのことを、実際に展覧会というかたちで若い世代のキュレーターに教えてくださったのが、南嶌さんであった。その南嶌さんは、惜しくも2016年に急逝された。けれども、私は、いまも、たとえば東村山の国立ハンセン病資料館で、入所者の作品を見る時などに、南嶌さんのことを感謝の念とともに思い出す。

「Sukurappu ando Birudoプロジェクト 道が拓ける」(キタコレビル、2017)

「お騒がせ集団」とも日本では呼ばれることもあるChim↑Pom(当時)。私が当時勤務していた東京国立近代美術館は極めて保守的なところもあり(それは時々よい方向に作用することもあるから一概には否定できないのだが)、彼らに全く関心を示さない諸先輩方も多かったけれども、私はたまたま、当時は多摩美術大学の教授でもあった長谷川祐子さんのゼミが企画した「感情の強盗」展(企画監修:長谷川祐子、BankART Studio NYK、2007)で、彼らの《スーパーラット》だかを見る好機に恵まれて、以来、機会があれば展示を見るようにしていた。

しかし、それでも、「にんげんレストラン」と題した2週間限定の展覧会(というかレストラン)を歌舞伎町のビルをまるごと使ってオープンさせ、派手なオープニングイベントで盛り上げるというような彼らの活動が、自分の趣味や関心と少しずれていると思っていたことは否めない。美術館に務めるキュレーターとして、優れた作品があれば収集に尽力するし(実際、《気合い100連発》と《BLACK OF DEATH 2013》の購入を事実上担当した)、日本の現代美術展を海外で企画する機会があれば、彼らの作品を入れることは当然したが、作品に真っ正面から取り組むことはないとも感じていた。

「Sukurappu ando Birudoプロジェクト 道が拓ける」(キタコレビル、2017)展示風景 撮影:編集部

そんななか、彼らが当時オルタナティブスペースとして運営していた高円寺のキタコレビルで、私有地に道路を通すという、言葉にすると派手なようでいて見た目は結構地味、しかしそれが孕む意味はあまりにも大きいプロジェクト=展覧会を見た時、自分の考えの狭量さを反省した。彼らはお騒がせ集団でなんかではなく、都市のことを極めて真面目に考えているのだと今更ながらにわかったのである。そうして自分なりの分析を、(Tokyo Art Beatではないけれども)あるメディアの場を借りて、かなりの長さで書いみた。それはいまなお読めるようなので、ご興味ある方は検索して読んでいただきたい。

「Sukurappu ando Birudoプロジェクト 道が拓ける」(キタコレビル、2017)展示風景 撮影:編集部

彼らの考える「道」、ひいては都市論は、その後も様々な場所で展開した。その集大成とも言えるのが、森美術館で開催された《Chim↑Pom展:ハッピースプリング》展であり、その会場内につくられた《道》である。協賛・協力をめぐるあれこれから、会期途中で作家名を「Chim↑Pom from Smappa! Group」に変更するなど、内容とは別のところで話題になってしまった感は否めない展覧会である。だが、六本木ヒルズの53階の中にある森美術館の中にある展示室の中にある「中空」(その道は、展示室の床ではなくて、展示室内につくられた人工地盤の上に設置された)という、入れ子構造を洗練させた果てにできた、極めて人工的な空間につくられた道では、そこここでパフォーマンスが日々繰り広げられていて、道なる場が、人間にとって原初的であり、それゆえにアナーキーたりえること、それはこうした非現実的な美術館の内部でも作りあげることができるのだということを、説得力をもって証明していた。彼らがつくりあげた場を、ヨーロッパ的な広場ではなくてアジア的な道と呼ぶのは短絡的に過ぎるかもしれないが、とにかく、そうした批評力あるマスターピースが生みだされた根底には、高円寺でのスタディ的なプロジェクトがあったことを考える時、Chim↑Pom from Smappa! Groupがいかにアーティストとして真摯であるかがわかるに違いない。

「Sukurappu ando Birudoプロジェクト 道が拓ける」(キタコレビル、2017)展示風景 撮影:編集部

*「Tokyo Art Beat」20周年を記念するアワード企画と特集を実施! ユーザーみんなで20年間の「ベスト展覧会」を選ぼう。

詳細は以下をご覧ください。読者の皆さんの投票をお待ちしています!

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保坂健二朗

ほさか・けんじろう

保坂健二朗

ほさか・けんじろう

滋賀県立美術館ディレクター。2000年慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。東京国立近代美術館主任研究員を経て、2021年1月から滋賀県立美術館ディレクター。これまで東京国立近代美術館では「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」(2017)、「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」(2016)、「フランシス・ベーコン展」(2013)など多数の展覧会を企画。また「Logical Emotion」(チューリッヒ、クラクフ、ハレ、2014)、「Double Vision」(モスクワ、ハイファ、2012)など国外の美術館の企画にも携わる。滋賀県立美術館では「人間の才能 生みだすことと生きること」展を企画。おもな著書に『アール・ブリュット アート 日本』(監修、2013、平凡社)など。