会場風景より、鄭梨愛《Island_drawing 11》 撮影:著者
鄭梨愛「私へ座礁する」が、 東京・小平の朝鮮大学校美術棟で6月26日より開幕した。
日本で生まれ育ち、朝鮮学校を卒業した後に、朝鮮大学校で美術を学んだ鄭梨愛(チョン・リエ)。2011年頃から、それまで疎遠だった祖父をたずねて肖像画を描くようになった。
作品が大きく変化するのは2015年。祖父の死をきっかけに、祖父の個人史や自らのルーツを見据えた作品を制作するようになる。本展では、2015年から制作した絵画、映像、インスタレーション作品が展示されている。
朝鮮大学校の校門から本展の経験は始まっている。朝鮮大学校は、普段は関係者しか入ることができない。そのため、展覧会は日時予約制、校門で作家・関係者と待ち合わせて会場へ入る。塀ひとつ隔てた隣の敷地には、武蔵野美術大学。学生時代の2015年、友人たちとともに、武蔵野美術大学と朝鮮大学校の有志の企画展「突然、目の前がひらけて」を開催し、両校を隔てる塀に「橋」をかけるプロジェクトを行った。
会場である美術棟に入り、最初に飛び込んでくるのは《ある土地の詩(うた)》(2019)。風に揺れる半透明の薄い布に、鄭の母から聞いた韓国にある祖父の生まれ故郷の話や、その故郷で歌われた民謡や詩などが綴られ、それぞれの物語がリンクしている。鄭は「権力者が語る『歴史』ではない様々な物語を、虚構と真実とが混在する曖昧な風景として並べてみたかった」という。
奥に上映されているのは、《ある所のある時におけるある一人の話と語り聞かせ》(2015)、《沈睛歌》(2018)、《Island_drawing 10》(2023)。
祖父がはじめて両親の墓参りをするために、韓国へ行ったときの映像を編集した《ある所のある時におけるある一人の話と語り聞かせ》。撮影者は、鄭の母。鄭は朝鮮籍(*1)であるため、朝鮮半島の情勢や韓国政府の裁量で取得が左右される「臨時パスポート」でしか韓国入国ができず、渡韓を諦めた経緯もあるのだという。
*1——祖父含む母方は韓国籍、父方は朝鮮籍であり、鄭は父方の朝鮮籍を継いでいる。1945年の敗戦後、日本はGHQの方針のもと「旧植民地出身者は講和条約発効まで日本国籍をもつものとする」とした。1947年に外国人登録令が施行されたとき日本政府は「当分の間、外国人とみなす」とした。こうして在日朝鮮人は日本国籍を持ちながら「外国人」となった。当時朝鮮半島に主権国家がなかったことから(大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国は1948年に樹立される)、朝鮮半島出身者とその子孫は、外国人登録証の国籍欄に出身地あるいは民族を示すものとして、「朝鮮」と記した。これが現在に至る朝鮮籍である。朝鮮籍はいまだに事実上の無国籍状態に置かれている。
韓国へ行くことができないのであれば、日本から韓国へいちばん近いところへ行こうと思い制作した《チェサ(祭祀)》(2017)。海を隔てて、韓国を肉眼で望むことのできる長崎・対馬の「韓国展望所」で、海の向こうの亡くなった祖先を敬う、伝統的儀礼の「チェサ」を行い撮影している。
本展は、在日朝鮮人四世である鄭が制作を通してルーツを辿る10年を振り返る展示である。しかし、船が暗礁に乗り上げることを意味する「座礁」をなぜタイトルに選んだのだろうか。
「アイデアの元はいくつかあります。済州島生まれの李静和さんが書かれた『あなたへ 島』という自らを島に見立てたような詩があります。クレオールの詩人であるエメ・セゼールの『帰郷ノート』には座礁という言葉が出てくる。このような作品たちに接してから、制作を通して過去にふれる行為を、座礁と言い表そうと考えました。
座礁は、出くわす感覚の強い言葉です。たとえば、対馬では日本と朝鮮半島は海で隔てられているけれど、日本に暮らす自分を島に見立てれば、韓国に行けずとも、海から漂着物がやってくる。そんなイメージがひとつあります。
でも、受動だけで生きるわけではありません。島に見立てた自分が、死者の記憶や個人史など様々な漂着物を拾っていく。偶然、座礁に出くわした者として、残された不確かなものを、生者がどう現在に組み替えていくか、その可能性と不可能性を考えていきたいと思います」(鄭)
最後に紹介したいのは、鄭の現在を象徴する《Island_drawing 11》(2025)。山口県・宇部の長生炭鉱をモチーフに描かれた。長生炭鉱は、戦時中の1942年に187名が亡くなる痛ましい水没事故が起きた場所。犠牲者のうち138名が朝鮮人労働者だという。
「海底炭鉱の遺構で海から排気・排水筒が飛び出る『ピーヤ』は『海に浮かぶ墓標』と呼ばれます。海は、人がたどり着けない場所、死者のいる場所、生者が立てない場所と語られますが、とても象徴的な風景でした。
そして、上下反転させ海が空になった《Island_drawing 11》を制作しました。反転させることは、死者と生者の境界を壊すこと、また生者によって作られた物語や価値を転覆させることのように思えました。こうして断絶や境界を問うことが、座礁の気づきへとつながるとも考えました」(鄭)
鄭の現在地は、作品だけではなく、長生炭鉱の遺骨発掘と収容を目指す市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」の活動に関わるようになったことにも表れている。
「10年間の制作を通して、日本という島国に住み、国籍上出ることが難しいのであれば、この島でどう生きていくかを改めて考えたいと思うようになりました。遺骨発掘と収容に向けての運動に加わることは、私のルーツと関わる植民地主義と対峙すること、そして参政権のない私がこの島でどんな社会に生きていきたいか、実践しながら問い続けるきっかけにもなっています」(鄭)
「座礁」という言葉に表れているのは、揺らぎを手放さずに、境界で生きていこうとする鄭の覚悟だ。鄭の作品を鑑賞するとき著者は「私はどう生きていくのか」という、自分自身が照らされる感覚を覚える。ぜひ朝鮮大学校へ訪れて、漂着したものに耳を澄ませてほしい。
また、鄭が関わる「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」の遺骨収容プロジェクトでは、7月21日までクラウドファンディングを実施している。