小山登美夫ギャラリー六本木会場風景よりオノ・ヨーコ《Fly Piece》(1963 / 1998)
オノ・ヨーコの個展「A statue was here 一つの像がここにあった」が小山登美夫ギャラリー六本木と天王洲で同時開催されている。2024年にはテート・モダンで大規模個展が開かれ、現在もベルリンの新ナショナルギャラリー(Neue Nationalgalerie)、New Berlin Art Society、マルティン・グロピウス・バウといった複数会場で個展が開催されているなど、70年以上のキャリアを経てなお国際的に活躍するオノ。小山登美夫ギャラリーでは9年ぶりとなる個展に際し、キュレーションを行ったオノ・ヨーコ スタジオ・ディレクターのコナー・モナハンが来日。キュレーションの意図や、時を超えてオノ作品が人々にもたらす力などについて、中島良平が話を聞いた。【Tokyo Art Beat】
——まずはじめに、モナハンさんとオノ・ヨーコさんとの関わりについて伺えますでしょうか。
面白い話があります。私が高校生だった17歳のとき、ヨーコがミネアポリスのウォーカー・アート・センターで展覧会を行いました。彼女のレコードをすべて持っている友人がいて、展覧会のオープニングに行こうと誘われたんです。私はヨーコのことをよく知っていたわけではありませんが、行ってみました。その友人はLPにサインしてもらい、一緒に作品を見ました。彼女の作品を見るのは初めてでしたが、アートについて初めて考える機会となり、発想とは何かということについても考えるようになりました。作品には、たくさんのユーモアも込められていました。その経験にインスパイアされ、この世界で新たな言語を得られるのではないかと考え、ニューヨークのアートスクールへの進学を決めたのです。
卒業後にギャラリーに勤めていたのですが、アーティスト個人のもとで働くことに興味を持ち、ヨーコのスタジオで働き始めました。それから17年以上という長い時間が経ちましたが、彼女のもとで働くのは本当に素晴らしいことです。いまでも毎日のように発見と学びがありますし、彼女の創作についてさらに知りたいと思います。彼女の作品についてだけでなく、世界をどのようにとらえ、どのような価値を見出すか、新しい視点と日々出会い続けています。そうしたことを考えるうえで、ヨーコほどふさわしい存在はいないでしょう。彼女の作品にある「時代を超える力」のようなものが、そう思わせてくれるのです。
——今回の展覧会について聞かせてください。いまお話を伺っている六本木の会場では、《Three Lives》という作品が最初の部屋でインパクトを放っています。
この作品を紹介できるのはとても貴重な機会だと思っています。2019年の作品ですが、発表する展覧会を想定して制作した作品ではないので、今回が初めての公開となります。
ヨーコに代わってこの作品の意図を話すのは難しいですが、私はこの作品の形態とタイトルから、過去・現在・未来のことを思い浮かべました。シンプルな鏡と、明滅するライトが埋め込まれた鏡、割れた鏡で構成される作品です。割れた鏡には、ネガティブなイメージもあるかもしれませんが、ヨーコがそれまでもテーマとしていた「Mending(修復すること)」も連想させます。直すことで、そこから新たなイメージを生み出す、あるいはそこに自身の新たな姿を映し出す。そんな可能性もあるかもしれません。この作品を入口に展示することで、これからヨーコの作品を見る前に来場者が自分自身を見つめることができる。それは、エキサイティングな機会になると考えました。
——《Three Lives》が初公開されるのは、たしかにとても貴重な機会ですね。今回の個展は、小山登美夫ギャラリー六本木と天王洲の2会場で同時開催されていますが、どのようにふたつのスペースのキュレーションを行ったのでしょうか。
ふたつのスペースで展示を行えることを知った際、ヨーコの表現におけるふたつの軸がアイデアの核となりました。いずれも作品への参加を促すもので、もっとも有名なものは、作品集『Grapefruits』(1964年刊行)を通して知られているインストラクションによる表現でしょう。そのインストラクションによって、読んだ人の思考を空想の行為に誘い込む。興味深いのは、そこに人々の世界の見方を変えるために重要な「精神的な関与」があることです。そうした作品への精神的な「参加」と関連する作品を集めたのが、六本木のスペースです。
そしてもうひとつの軸が、フィジカルな参加を促す表現です。こちらも彼女の活動初期から重要な要素のひとつで、そのような来場者の作品への物理的な参加を促す2点を天王洲で紹介しています。来場者が包帯を球体状に巻くことで立体が大きくなっていく《Wrapping Piece》と、白いキャンバスに丸を描くことで絵が変化していく《Draw Circle Painting》です。
——「A statue was here 一つの像がここにあった」という展覧会タイトルはどのように決められたのでしょうか。
先ほど、《Three Lives》と関連して過去と現在と未来について話しましたが、その考えは、今回の展覧会で紹介するすべての作品の核にあるものだと思います。そしてそれは、展覧会タイトルを起点にしています。「A statue was here 一つの像がここにあった」というタイトルは、彼女の1967年の作品から引用したもので、その作品はのちに1970年版の『Grapefruits』に収録されました。このフレーズは、私がヨーコの作品に一貫したテーマであると考える、「存在と不在」、「可視性と不可視性」といった、二項対立のものをひとつの空間に同居させる作風を言い表しています。このタイトルが、展覧会を通して感じられる存在と不在の詩的な交錯を想起させると考えたのです。
また、彫像や銅像というのは、歴史とも関わってきます。像は何かを歴史に固定するような役割を果たします。それが永遠であり、変わることはないということを証明するような役割です。そして、そうした銅像によって歴史を固定することと、絵画や彫刻の歴史を作り、評価を定めることとはとてもよく似ています。しかし、ヨーコが60年代にペインティングや彫刻を通して行ったのは、そうしたメディウムのあり方そのものへの挑戦や転覆、評価の革新のようなことに思えます。
今回展示されている作品を見てもわかると思いますが、作品がどのようにかたちをなしているかを見ると、彼女の絵画にも彫刻にも、決して終わりがありません。作品が時間に固定されることがないのです。天王洲で紹介している《Draw Circle Painting》は象徴的で、終わることがない作品です。六本木会場に展示されたインストラクションの作品にしても、鑑賞者の想像力と結びついて変化をし続けるものであり、決してどこかで完結する作品ではありません。彼女は永遠に残るものとして作品を完成させる代わりに、「変化」を作品のなかに取り込もうとしてきたのです。
——作品を通して世界のとらえ方について新たな考えを得るなど、作品鑑賞体験がまた、鑑賞者の日常にフィードバックされ、続いていくのですね。
私は彼女の作品を見て、ヨガのことをよく思い浮かべます。ヨガというのは伝統的に、瞑想の準備のようなものだと考えられていますよね。ヨーコの作品はそれとよく似ていて、彼女の作品を見ることは、アートそのものを、あるいは世界などさらに大きなものをどのようにとらえたらよいのかを考え、準備するための役割を果たしてくれると考えています。
そして突き詰めて考えると、それはヨーコの人生における最大の作品──平和活動に通じていると思います。人々の意識を変え、平和を想像させ、平和について考えさせ、平和を広げることができたら、平和を作り出すことができる。そのような波紋が広がれば、社会を変えることにつながります。ヨーコはアートを通して文化的な連携を生み出し、現実を変える力をシェアしようとしてきた。
彼女の作品にはつねに、詩が宿っています。それはたとえば《Mend Piece》のような作品に付随するインストラクションにも表れています。修復することや改善することを意味する「mend」という単語は、とても美しく胸に迫ってくる言葉です。誰かが人生を修復すること、愛する人を癒すこと、世界を直すこと。「mend」の対象はなんでもいい。ヨーコが生涯を通して表現しようとしてきたことをこの展覧会を通して感じていただけるのではないかと思います。
とくに今日において私たちが生きている世界を見渡したとき、アートが何かを考えるための「言語」を与えてくれるということ——それがたとえば抽象的であったり、詩的であったり、自分たちの外側にある何かであっても——は、とても新鮮で貴重なことだと思います。いまの世界はしばしば本当に困難で、そんなときにアートは、人々に希望やアイデア、可能性を与えてくれるのです。そして私は、ヨーコの作品がまさに「希望」と「可能性」、そして「夢見ること」や「願うこと」についてのものだと感じているのです。
コナー・モナハン
ニューヨークを拠点に、2008年よりオノ・ヨーコ のスタジオ・ディレクターおよび近しいコラボレーターとして活動。これまでに数多くの展覧会、イベント、プロジェクトの企画を手がけ、幅広いパフォーマンスや作品、出版物に携わる。最近では、東京・小山登美夫ギャラリーで開催されたオノ・ヨーコ 「A statue was here 一つの像がここにあった」をキュレーションし、カタログエッセイも執筆。展覧会「Yoko Ono — Dream Together」(ベルリン、ノイエ・ナショナルギャラリー、2025)、「Yoko Ono — Unfinished」(モンテネグロ、ポドゴリツァ現代美術館、2025)では共同キュレーターを務める。さらに、2025年11月にスペイン・レオンのMUSACで開幕予定のオノ・ヨーコ巡回展の共同キュレーションも進行中。また、『Yoko Ono: Music of the Mind』(2024、テート・モダン刊)をはじめ、数多くの出版物の編集・共同編集も手がけている。