公開日:2024年3月30日

ブランクーシを読み解く7つのキーワードとは? アーティゾン美術館「ブランクーシ 本質を象(かたど)る」展学芸員インタビュー

東京のアーティゾン美術館で「ブランクーシ 本質を象(かたど)る」展が3月30日~7月7日に開催。20世紀彫刻の先駆者コンスタンティン・ブランクーシと、その創作活動を日本の美術館で初めて包括的に紹介する本展について担当学芸員のインタビューをお届け

コンスタンティン・ブランクーシ 接吻 1907-10年 石膏 高さ28.0cm 石橋財団アーティゾン美術館

現代彫刻の先駆者とされるルーマニア出身の彫刻家、コンスタンティン・ブランクーシ(1876~1957)。その創作活動の全体を日本の美術館で初めて紹介する展覧会「ブランクーシ 本質を象る」が東京・京橋のアーティゾン美術館で3月30日に開幕した。会期は7月7日まで。

ブランクーシはルーマニア南西部の町ホビツァ生まれ。ブカレスト国立美術学校で学んだ後、1904年にパリに出て制作を行い、対象の本質を抽出する純粋なフォルムの探求を通じロダン以降の彫刻表現を大きく更新した。本展は、ブランクーシ・エステートと国内外の美術館が所蔵する彼の彫刻23点と平面・写真作品に加え、関連作家の作品の合計89点を展示し、その歩みを包括的に紹介する。

開催に先立ち、本展の企画を担当したアーティゾン美術館の島本英明学芸員に見どころやブランクーシの魅力について聞いた。まとまったかたちで作品を鑑賞できる貴重な機会となる本展。訪れる際はぜひ参考にしてほしい。

国内外の彫刻作品23点が一堂に

──ブランクーシは非常に著名な彫刻家にも関わらず、日本の美術館での包括的な展覧会は今回が初めてとなります。これまで国内で開催できなかったのは理由があるのでしょうか?

島本英明(以下、島本):恐らく作品の集まりづらさが大きな理由だと思います。日本では、1982年に旧高輪美術館(現セゾン現代美術館)が「彫刻家のカメラ・アイ : ブランクーシ写真展」を開催しましたが、これはブランクーシが撮影した写真作品に特化した内容で彫刻が中心の展覧会ではありませんでした。

世界的に見ても、これまでにブランクーシの回顧的な展覧会は少なく、開きづらさがうかがえます。まとまった数の作品を所蔵しているのは、パリのポンピドゥー・センターとアメリカのフィラデルフィア美術館に限られているためでしょう。近年では、ニューヨーク近代美術館(MoMA)とソロモン・R・グッゲンハイム美術館が特集展示を行い、グッゲンハイムは10点前後の所蔵作品を展示して話題になりました。また彼の彫刻は、繊細な木や石膏が使われたり、比較的扱いやすいブロンズもケアが必要な鏡面仕上げだったりと、全般的に作品輸送に美術館がセンシティブにならざるを得ないことも理由に挙げられるかもしれません。

今回は著作権管理団体のブランクーシ・エステートや国内外の美術館、個人コレクションのご協力が得られて、当館が所蔵する2点を含む計23点の彫刻作品をご覧いただけます。

コンスタンティン・ブランクーシ 撮影:キャサリン・ドライヤー(1924)  石橋財団アーティゾン美術館

──国際的にも希少な展覧会になるわけですね。ブランクーシはどのような彫刻家で、20世紀美術においてどう位置づけられるのでしょうか?

島本:改めて考えると、不思議な立ち位置と相矛盾する部分を持つ作家ですね。結論から言いますと、ほかに並ぶ人をちょっと思いつかない、唯一無二というべき美術家だと思います。たとえば、MoMA初代館長のアルフレッド・H・バーJr.が1936年に開催した「キュビスムと抽象美術」展に際し作成した有名なチャート図があります。モダンアートの様々な派や動向が示されていますが、その中に存命中の作家として唯ひとり、ブランクーシだけが単独で名前が入っています。つまり、どこかの派に帰属させがたい、異質な存在だったのでしょう。

アルフレッド・H・バーJr.監修 展覧会図録『キュビスムと抽象芸術』(1936・ニューヨーク近代美術館) 26.0×19.6cm 石橋財団アーティゾン美術館
島本英明アーティゾン美術館学芸員

近代彫刻へのアンチテーゼ? 直彫りを追求

島本:先ほど相矛盾する部分があると言いましたが、ブランクーシの創作のコアは木や石を直彫りする手仕事で、自分ひとりで作品を作り上げることに非常にこだわりました。いっぽう、彼が身を置いた近代彫刻の世界は、制作の分業化が進み、作家の原型を再現する下彫り工や型取り工は欠かせない存在でした。分業による大型モニュメント像を多数手がけ成功した代表格が、塑造による彫刻表現を行ったオーギュスト・ロダンです。

ブランクーシは、知人のルーマニア人にロダンを紹介され、1907年3月に彼のアトリエで下彫り工として働き始めますが、1か月ほどで辞去しました。具体的なタイミングはわかりませんが、その1907年に直彫りの実践を始め、創作の中心にしていきます。それまでの塑造からスタイルを転換したんですね。ロダンに背を向けるように辞去した時期と、自身が新たな手法を始めた時期がほぼ同じなのは気になるところです。

当時、ロダンが推し進めた分業システムに反発して、アンチテーゼとして直彫りに取り組んだ若手はブランクーシだけではありませんでした。ただ、彼はパリに来る前にウィーンで家具職人の見習いとして働いた経験があり、木の扱いに慣れていました。手仕事からものづくりを始めたので、制度化された西洋の近代彫刻に染まらない部分があったのではないでしょうか。

──それはブランクーシがルーマニアという、西欧文化のいわば非中心的な国の出身だからでしょうか。

島本:それもあるかもしれません。ブランクーシはルーマニアで美術学校に通い彫刻を学びましたが、その前は小学校に行かずに樽職人の見習いをしています。なので、すでに確立された近代彫刻の制度や表現に染まらない、こだわらない部分があったと推察します。

とはいえ、1904年にパリに出て翌年に国立美術学校に入学し、アカデミスムの彫刻家アントナン・メルシエの教室で学んでいますから、教わることに価値を置かなかったわけでもないと思いますね。

2年後に国立美術学校を離れて、ロダンの許でごく短期間働いた後は、誰にも師事せず独自の制作に取り組むようになります。

会場風景

短期間に大きく転換した作風

──当時ブランクーシに影響を与えた彫刻家はいますか?

島本:ひとり年長者を挙げるなら、イタリア人のメダルド・ロッソ。パリで活動したロッソは、明瞭にフォルムを決めずに人物の輪郭を素材の材質感に溶け込ませた、解釈の可能性を開くような彫刻を作りました。作品人物のポーズも眠りや病中といった休止状態が多く、陰影を取り込んだ良い意味での曖昧な表現が効果を挙げています。ブランクーシは1906年に初めてサロン・ドートンヌに《プライド》を出品しますが、その年にロッソは審査員を務め、自ら出品もしました。ロダンほどではないにせよ、当時のパリで存在感があった作家です。

本展では、ブランクーシが受けたアカデミックな教育が反映された《プライド》と、ロッソの影響が伺える豊田市美術館所蔵の《眠る幼児》を展示しています。ともにブロンズ像ですが、ふたつを見比べると、短期間に主題や表現が変わったことを感じていただけると思います。

コンスタンティン・ブランクーシ スタンディング・ボーイ 1913頃 テンペラ・紙 57.9×33.7cm  メナード美術館

《空間の鳥》に見える天上志向

──本展は7つのキーワードに基づく構成です。どのような狙いがあるのでしょうか。

島本:展覧会の構成は、ブランクーシの創作を時系列に区分して紹介する方法は避けたいと思いました。なぜなら、彼は早い段階から制作に首尾一貫性があると思うからです。一例を挙げると、彼の「シリーズ」の概念は、一般的な同一主題をほぼ同時期に続けて制作するものと異なります。ブランクーシの場合、同じ主題に少し間を置いてまた手を付け、その度に決定的に違う作品ができます。そのようにシリーズの2番目、3番目までいく作品がたくさんあり、彼の特徴のひとつです。

本展では、そうした主題は狭く構え奥行きを作っていくようなブランクーシの仕方に倣って、彼の本質を読み解く7つの「キーワード」を会場に掲げました。「形成期」「直彫り」「フォルム」「交流」「アトリエ」「カメラ」「鳥」です。

展示内容を簡単に説明しますと、まず「形成期」は《プライド》《眠る幼児》などの初期の作品を紹介し、次に彼が生涯こだわった直彫りの技法に焦点を当てます。ブランクーシらしいシンプルで洗練されたかたちは、早くも1907年から1914年にかけて固まっていきますが、「フォルム」はこの時期の作品が中心となります。

「交流」ではブランクーシが親交を持った美術家やその作品を紹介し、彼が1916年に入居して57年に死去するまで拠点にしたロンサン小路のアトリエも取り上げます。このアトリエは、生前の遺言で置かれた作品とともにフランス国家に寄贈され、現在はポンピドゥー・センター前の広場の建物内に復元されています。「カメラ」の展示空間では、ブランクーシが自らアトリエや作品を撮影した写真と映像を展示し、ラストの「鳥」は代表作《空間の鳥》を中心に抽象化の過程や超越的な天上志向を考察します。

会場風景より、コンスタンティン・ブランクーシ《空間の鳥》(1926/1982鋳造、ブロンズ、大理石[円筒形台座]、石灰岩[十字形台座]、132.4×35.5×35.5cm、横浜美術館)
コンスタンティン・ブランクーシ 鳥 1930 フレスコ 29.0×47.0cm ブランクーシ・エステート

注目したい「卵型」「台座との関係」

──多面的にブランクーシを知ることができそうです。初期から晩期まで様々なフォルムや素材の作品が紹介されますが、注目すべきポイントはありますか。

島本:広い意味の主題と言える「卵形」でしょうか。ブランクーシにとって、卵型は生命の根源を意味しました。彼は人間の頭部を手掛かりに理想的なかたちを追求し、本展ではそのバリエーションと言える作品が比較的多く揃っています。

──卵型で真っ先に思い浮かぶ作品は《眠れるミューズ》です。今回、大阪中之島美術館所蔵の石膏による《眠れるミューズ》(5月12日まで展示)と鏡面仕上げのブロンズ像《眠れるミューズⅡ》のふたつのヴァージョンを見ることができます。初期の《眠る幼児》やブランクーシ・エステート所蔵の《頭部》《ミューズ》など卵型のフォルムが幾つもあり、作家の一貫した関心を感じます。

島本:卵型の源流とも言える《眠る幼児》は貴重な作品です。モデルは1歳の幼い子供で、横たわる頭部の右側の頬を平らにしているので、寝かせて展示できるんですね。当時の通念として彫像は垂直的なものと考えられ、そのために台座が必要でした。でも本作は台座なしにそのまま置いて鑑賞できます。ブランクーシが行った台座と彫刻の関係性の更新は、20世紀美術において革新的でした。台座を必要としない作品は、当館が所蔵する《接吻》もそうです。

その志向はロダンから引き継いだ部分かもしれません。ロダンは群像彫刻《カレーの市民》を高い台座の上ではなく地面に設置することにこだわり、論争を巻き起こしました。鑑賞者のレベルに作品を置いて、モニュメントの概念を揺さぶろうとしたんですね。

コンスタンティン・ブランクーシ  眠れるミューズ  1910-1911頃  石膏  19.0×28.0×19.5cm  大阪中之島美術館(5月12日まで展示)

──人体をモチーフにした作品も、《若い女のトルソ》《若い男のトルソ》、アーティゾン美術館が所蔵する《ポガニー嬢Ⅱ》など異なるバリエーションを見ることができます。《若い男のトルソ》は、胴部と足の上部を円筒形に還元していますし、《ポガニー嬢Ⅱ》はモデルの特徴だったのでしょうか、顔と同化した大きな目と流れる髪が印象的です。

島本:ブランクーシは、人体のように伝統的主題にも取り組み、その抽象化を進めました。ロダンが断片を組み合わせて制作した《歩く人》は、彼が不要だと考えたので腕部がありません。歩く本質を表現するために必要でないものは取り去ってしまうロダンの考え方自体は、ブランクーシと通じるものを感じます。ブランクーシはすぐにロダンの許を去りますが、まったく考えが合わなかったわけではなく、意識していたかは分かりませんが、受け継いだ部分もあったのではないでしょうか。

コンスタンティン・ブランクーシ ポガニー嬢Ⅱ 1925 (2006鋳造)  磨かれたブロンズ 高さ44.8cm 石橋財団アーティゾン美術館
オーギュスト・ロダン カミーユ・クローデル 1889年 ブロンズ 高さ24.5cm 石橋財団アーティゾン美術館

──ブランクーシが1920年のサロン・デ・ザンデパンダンに出品して物議を醸した《王妃X》も見られます。ずばり男根ふうの形状は、非常にインパクトがあり驚きました。フォルムもタイトルも挑発的に思える作品ですが、どのような狙いで制作したのでしょうか。

島本:本作は、1909年に制作した《鏡をみる女》という女性像を起点として、「女性的なるもの」の抽象化を探求していった終着点的な作品です。フォルムは恐らく彼自身の嗜好というよりも、歴史に残る同祖神的なかたちを参照したように思われます。上田さん(共に本展を担当したアーティゾン美術館学芸員)はどう思いますか?

上田杏菜:本展には、ブランクーシが撮影した《王妃X》の写真が出品されますが、それには天窓からの光を受けた作品の影が壁に映っています。その影を見ると、いわゆる女性らしい曲線的なシルエットが確認できます。写真を見る限り、ブランクーシは作品の影まで計算して制作したのかもしれません。

コンスタンティン・ブランクーシ 洗練された若い女性(ナンシー・キュナールの肖像) 1928-32(2013鋳造) 磨かれたブロンズ  54.9×14.9×21.9 cm ブランクーシ・エステート

鏡面仕上げで空間と新たな関係結ぶ

──素材について伺わせてください。ブランクーシはブロンズ、大理石、木、石膏など様々な素材を扱いましたが、《眠れるミューズ》のように同一主題を異なる素材で制作したケースが多いようです。どのように使い分けたのでしょうか。

島本:職人的とも言える鋭い感覚で各素材の性質を熟知し、意識的に使い分けていたと思います。一例を挙げますと、当館所蔵の《接吻》は、ブランクーシが1907年に制作した石の直彫り作品をもとに石膏で作られました。最初の作品は、砂岩質の、石膏にも通じるテクスチャーの白い石が使われています。1914年に再び石膏ヴァージョンを制作していますから、気に入ったテーマだと思われますが、それを硬質な大理石や鏡面ブロンズでは作らないわけです。

コンスタンティン・ブランクーシ 接吻 1907-10 石膏  高さ28.0cm 石橋財団アーティゾン美術館

──たしかに、ふたりが抱きあう姿をプリミティブな造形で表現した《接吻》がキラキラと光っていたら違和感がありそうです。

島本:表面を研磨したブロンズ作品は、1910年の《眠れるミューズ》が最も早い作例だと考えられます。そのときは、2点制作してもう片方に伝統的な彩色を施し、自分の作品のイメージに合う効果は光る仕上げとマットな彩色のどちらが良いかの見極めを行ったようです。その後、ブロンズ作品は基本的に磨くようになります。

ブランクーシは木でも多数制作し、本展で紹介している磨きブロンズの《雄鶏》は、木や大理石、石膏のヴァージョンもあります。

──《雄鶏》は、鶏冠のようにギザギザの三角型フォルムに太い脚が付いて、ユーモアも感じます。

島本:概してブランクーシが木を用いた作品は、リラックスしたり、遊び心があったりする主題が多いようです。木は扱いやすい素材なので、実験的な試みがしやすかったこともあるでしょう。《空間の鳥》《魚》のような、よりシリアスな主題に関してはブロンズや大理石を用いたという指摘があります。

コンスタンティン・ブランクーシ 雄鶏 1924(1972鋳造) ブロンズ 92.4×10.5×45.0cm 豊田市美術館

──表面を磨き上げた鏡面仕上げはブランクーシの特徴的な技法ですが、ほかの作家も行っていたのでしょうか?

島本:少し遅れてオシップ・ザツキンらが試みています。ただ、私が確認した限りですが、彫刻の歴史を見渡しても先行や同時代の例はみられず、彼が独自に編み出したと言えるでしょう。

──鏡面仕上げにブランクーシはどのような効果や空間との関係性を期待していたのでしょうか?

島本:たとえば、ここに人物の頭部彫刻があれば、私たちはつい輪郭や目鼻立ちに注意が向いて誰の顔かなどと考えがちです。でも表面が鏡面なら、輪郭も目鼻も光って全体に溶け込むように不明瞭になり、作品を見る私たちはそこに映り込む自分の顔や周囲が見えるだけです。ある意味、「見ること」自体が無効化されるのですね。鏡面仕上げは、彫刻表面の具体性を拭い去ることで、作品や主題を超越的な次元へ持っていき、空間とも新たな関係を結ぶための処置だったのではないかと思います。

コンスタンティン・ブランクーシ 魚 1924-26(1992鋳造)  磨かれたブロンズ  13.5×42.0×3.0cm ブランクーシ・エステート

──これまで挙がった作品以外で島本さんがとくに注目している作品を教えてください。

島本:なかなかひとつに絞り難いのですが、1907年に制作したアート・インスティテュート・オブ・シカゴ所蔵の《苦しみ》は興味深い作品です。同じブロンズ像で2年前の《プライド》と比較すると、より滑らかな表面の効果を追ういっぽう、子供の顔立ちは曖昧に見えます。この時期にブランクーシが具体的な形態表現から素材の特性に即した表面の仕上げの重視に転換したことが伺えます。

コンスタンティン・ブランクーシ 苦しみ 1907 ブロンズ 29.2×28.8×22.3cm アート・インスティテュート・オブ・シカゴ Photo Image:Art Resource,NY

写真、言葉への強いこだわり

──展覧会のキーワードである「アトリエ」「写真」について、もう少し詳しく教えてください。ブランクーシが撮影した自身のアトリエの写真を見ると、広い空間に作品が並んでまるでギャラリーのようです。

島本:住居を兼ねたアトリエは約175㎡の広さがあり、うち約105㎡を完成した作品の展示室にしていました。ブランクーシは同時代の画商を中心とするマーケット(市場)の仕組みに乗らず、彼の生前はパリで作品を見たければアトリエに行くしかありませんでした。キャサリン・ドライヤーやペギー・グッゲンハイムといった錚々たるコレクターも彼の許を訪れて作品を購入しています。

当時マーケットはかなり成熟し、作家の居住地を離れて作品が評価される事例が増えていました。しかし創作と展示が地続きのブランクーシの場合、訪問者は彼が「主」として君臨する空間を目にすることになります。その結果、作家と作品が相互に作用し合い、神秘性が醸成された面もあるようです。訪れた人が、アトリエを「神殿」に譬えた証言も残されています。

ブランクーシが生前開催した個展は7回だけで、ブカレスト(ルーマニア)の1回を除けばすべてアメリカで行われました。個展の意義は、専ら遠隔地で作品を見せることにあったようです。

コンスタンティン・ブランクーシ《アトリエの眺め、「無限柱」、「ポガニー嬢Ⅱ」》 1925 ゼラチンシルバープリント 東京都写真美術館

──ブランクーシはいつ、どのような理由で写真を始めたのですか?

島本:カメラはルーマニア時代から手にしていましたが、本格的に撮影を始めたのは1914年。アルフレッド・スティーグリッツが主宰するニューヨークの291ギャラリーで個展を開催した際に、著名な写真家のスティーグリッツが撮影した写真が気に入らず自作品を撮り始めたと言われます。指南役だったマン・レイの証言によると、彼はスティーグリッツによる大理石彫刻の写真を見せて「写真としては美しい、だがこれは自分の作品を再現してはいない」と言ったそうです。

会場には、ブランクーシが撮影した53点の写真作品も展示しました。鏡面仕上げの彫刻作品に光を集めたり、自然光の下で撮ったり、露光効果が爆発して光が拡散している表情をとらえたり。様々な試みを通して、自分の作品の佇まいの変化を確認していたのだと思います。

会場風景

──ブランクーシは、創作に関する様々なアフォリズム(箴言)も知られています。たとえば「単純さとは、解決の与えられた複雑さのことである」は、私のような記者にも響く含蓄に富む言葉ですが、発表を意識していたのでしょうか。

島本:ブランクーシのアフォリズムは、アトリエを訪問した人々による記事や回顧談にしばしば登場し、自分が書いたノートのようなものも残されていたようです。創作に関する言葉を発表する重要性は意識していたようで、ブランクーシを特集した1925年の「ディス・クォーター」誌は、アフォリズムをまとめたページが組まれ、作品写真は彼が撮影したものが使われています。

多分自分の創作がより完全な形で社会に伝わり、理解されることを望んだのではないでしょうか。そのための材料として自作の写真やアフォリズムを提示したのだと思います。自分のカリスマ性を高める意味合いもあったのかもしれません。

米国での代理人務めたデュシャン

──セルフプロデュースの意識は現代的ですね。会場では、交流した美術家たちの作品も紹介しています。

島本:ブランクーシは多くの前衛的な芸術家と交流があり、関係性のレベルは様々でした。今回ご紹介する関連作品は、すべて当館の所蔵品から選びました。

イタリア出身でブランクーシの2年後にパリに来たアメデオ・モディリアーニとは卵型の頭部のフォルムに対する関心を共有しました。本展は絵画作品を紹介しますが、モディリアーニはブランクーシの勧めで直彫りの頭像制作に熱中した時期がありました。

マルセル・デュシャンとは、まだ彼が絵画を描いていた1910年前後に知り合いました。デュシャンは1915年に渡米し、その後はパリと往復しながらアメリカで人脈を広げていきますが、面白いのは知人にブランクーシの作品を斡旋しているんですね。コレクターを紹介したり、関わる展覧会に彼の出品をプッシュしたり。その極め付けが1926年と1933年にニューヨークのブラマー画廊で開催されたブランクーシ展で、デュシャンが自ら空間構成を手がけ、展示作業に当たりました。

エージェント(代理人)、キュレーター的なかたちでデュシャンはブランクーシに関わり、関係は生涯続きました。ご存じのようにデュシャンは自身の絵画制作を放棄しますが、他者の作品のキュレーションを創作のいわば代替物とみなし、意欲的に取り組んだのではないかと思います。本展ではその一例として、デュシャンが自作品のミニチュアの複製品や写真をカバンの中に詰めた《トランクの箱》シリーズの1点を展示しています。

マルセル・デュシャン マルセル・デュシャンあるいはローズ・セラヴィの、または、による(トランクの箱)シリーズB 1952・1946(鉛筆素描) 68点のミニチュア版レプリカ、鉛筆による素描、革製トランク 石橋財団アーティゾン美術館 © Association Marcel Duchamp / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2024 C4591

島本:ニューヨークでの個展に衝撃を受けたイサム・ノグチはパリに留学した1927年、ブランクーシの許で数カ月間アシスタントを務めました。ノグチは、表現に素材を従わせるのではなく、素材に表現を従わせることをブランクーシから学んだという趣旨を後に語っています。

ブランクーシは、現代彫刻に大きな影響を及ぼしました。本展で作品は紹介していませんが、DIC川村記念美術館個展が開催中のミニマル・アートを代表するカール・アンドレは、影響を受けた美術家として真っ先にブランクーシの名を挙げ、ほかにもリチャード・セラロバート・モリスら多くの現代作家が影響を認めています。

21世紀に息づく作品の魅力

──パリのポンピドゥー・センターでも、本展と同時期の3月27日から1995年以来となるブランクーシ展が開催されています(7月1日まで)。21世紀の現在、ブランクーシの彫刻作品の最大の魅力はどのような点にあると思われますか?

島本:普遍性ではないでしょうか。対象の本質を抉り出すフォルムや外観はもちろんですが、タイトルによる喚起力も相まって作品としてシンプルに強さがある。

主題に対する作家のイメージと一般的な概念のバランスが絶妙で、両者の結節点としてタイトルがある気がします。ブランクーシは客観的に自身の創作を見つめた作家で、憶測ですけれども、タイトルにより作品がどう見えるかについても強い意識があったのではないでしょうか。

また、職人的な手仕事に対する強いこだわりを持ちつつアーティストとしての意識は高かった。その結果、内容と形式の両面で高い完成度と普遍性が作品に備わっているのだと思います。

永田晶子

永田晶子

ながた・あきこ 美術ライター/ジャーナリスト。1988年毎日新聞入社、大阪社会部、生活報道部副部長などを経て、東京学芸部で美術、建築担当の編集委員を務める。2020年退職し、フリーランスに。雑誌、デジタル媒体、新聞などに寄稿。