展示風景より、ドラ・カルムス《藤田》(1927、東京藝術大学蔵)
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東京ステーションギャラリーでは現在、20世紀パリと日本を舞台に活動した芸術家・藤田嗣治の作品と生涯を「写真」をキーワードとして再考する展覧会「藤田嗣治 絵画と写真」が開催中だ。会期は7月5日〜8月31日。
明治時代なかば東京に生まれた藤田は、東京美術学校(現・東京藝術大学)で黒田清輝らに師事。26歳で単身渡仏すると「乳白色の下地」で描いた裸婦像をきっかけに画壇から注目を浴び、当時パリで活動していた画家グループ「エコール・ド・パリ」を代表する作家となる。
本展は、そんな藤田と写真の関係を新たに問い直す展覧会。「絵画と写真につくられた画家」「写真がつくる絵画」「画家がつくる写真」という大きく分けて3つのセクションで構成される展示からは、乳白色の画家、あるいはエコール・ド・パリの作家という評価と異なる、藤田の知られざる一面が見えてきた。
展覧会は渡仏から10年ほどたった1920年代、藤田と写真の接点を探るところから始まる。3番目の妻であるユキを通じて、シュルレアリスムの作家たちと交流を持っていた藤田。ここでは、マン・レイやベレニス・アボットが撮影した藤田とユキの写真や、シュルレアリストたちに影響を受けて制作したと思われる絵画などが展示されている。
つづく第1章「絵画と写真につくられた画家」では、藤田のアイコニックな風貌がパリで画家として活躍するためのイメージ戦略だったことが、写真・絵画を通じてひも解かれていく。藤田は20年代以降、アンドレ・ケルテスやマダム・ドラ(ドラ・カルムス)をはじめとする写真家の被写体としても活動していた。彼の象徴とも言える、丸メガネ、おかっぱ頭、奇抜なファッションのイメージは、このような肖像写真と繰り返し描かれた自画像によって形成されていく。
同館学芸員の若山満大は、藤田がこのようなセルフプロデュースに力を入れていた理由には、東洋人である藤田がパリで認知度を上げるためのなけなしの手段として、あるいは当時の極東に対するステレオタイプと自身を切り離すためというふたつの背景があるのでは、と話す。
「当時の紳士服の常識からかなり外れた衣服を身につけることで、藤田は自分自身をエキゾチックに演出していました。資金繰りに苦しんでいた頃、彼はとあるイギリスのテイラーに就職し、カッティングとソーイングを学んでいたという記録もあります。彼はビロードの背広や総柄のシャツ、パンツを自作し、それらの奇抜な服を着こなしてみせることで、芸術家・藤田嗣治というキャラクターをみずから作り上げていったのです」(若山)
当時多くの画家がそうしたように、藤田は絵画の制作プロセスに写真を積極的に取り入れていた。第2章「写真がつくる絵画」では、彼が旅先で撮ったスナップがどのように絵画へと転用されたかが示される。愛機のライカを携え、世界中の風景や人びとの様子を記録した藤田の「眼の軌跡」を追うようなセクションだ。
藤田が生涯にわたって残した写真作品は約数千点にものぼる。本展の見どころのひとつには、1930年代に世界を旅しながら撮られたモノクロ写真から、1950年代のヨーロッパを映した彩り豊かなカラー写真まで、彼が撮影した珠玉のスナップショットを総覧出来ることが挙げられるだろう。第3章「画家がつくる写真」では、これまでまとめて展示される機会の少なかった藤田の写真作品が一堂に会する。
戦後リバーサルフィルム(ポジフィルム)が普及しはじめると、藤田の写真は木村伊兵衛らに見出され、写真専門誌でも紹介されるようになる。画家ならではの色彩感覚と構成力を持った彼は、当時写真家すら扱うのに苦心したポジフィルムを容易に使いこなしてみせた。少し暗い展示室には、彼が撮影した写真が映写機の回る音とともにつぎつぎと映し出される。
「藤田は(撮影した写真を)紙焼きにするのではなく、スライド映写機で見ることを好んでいました。今回は彼の写真を、彼がその当時見ていた方法で楽しんで頂きたい」と話す若山。被写体との距離感や補色を巧みに使いこなした作品からは、彼が写真家としても非凡な才能を持っていた様子を垣間見ることが出来るはずだ。
第二次世界大戦中、藤田はパリから日本へと戻り帝国陸海軍下で戦争記録画(戦争画)の制作を行っていた。数メートル四方を超える巨大キャンバスに描かれた戦地の様子は軍部のプロパガンダとして広がり、彼は終戦後、戦争協力の責任を咎められ母国である日本をみずから去ることとなる。
エピローグ「眼の記憶/眼の追憶」で展示されるのは、そうした「戦争画」以降の藤田や、彼の家族をテーマとした写真群だ。GHQの民間情報教育局所属で、藤田のファンでもあったフランク・シャーマンが撮影した日本での最後の日々や、清川泰治が藤田晩年のアトリエで撮影した写真などが紹介されている。これまでのいかにも芸術家然とした風貌とはうってかわって、年相応で哀愁をも感じられる作家の姿が印象的であった。
若山は「彼の人生において重要な位置を占めてきた写真、そして絵画を一気通貫して見ていくことで、パリ画壇の寵児、乳白色の下地の画家、戦争画の人という従来的なイメージとは、まったく異なる藤田像を感じてもらえるはず。藤田をよく知っている人にとっても、きっと新しい発見があるような展覧会だと思います」と内覧会を締めくくる。
藤田嗣治という芸術家を日本洋画界の特異点あるいは孤高の天才としてではなく、20世紀前半の動乱の時代を生き抜いたひとりの人間としてとらえ直すような本展。同館での会期終了後は、名古屋市美術館、茨城県近代美術館、札幌芸術の森美術館への巡回も予定されている。来年迎える藤田生誕140周年を目前としたいまこそ、ぜひ一度見てほしい展覧会だ。
井嶋 遼(編集部インターン)