公開日:2025年6月14日

「藤田は太陽、国吉は月」 。藤田嗣治と国吉康雄の二人展が兵庫県立美術館で開催。調査のなかで発見された新資料も公開

全国巡回なしの展覧会。会期は6月14日〜8月17日まで

「藤田嗣治 × 国吉康雄 二人のパラレル・キャリア ― 百年目の再会」 会場風景 撮影:編集部(諸岡なつき)

世界で活躍したふたりの芸術家

20世紀前半、世界を舞台に活躍した二人の日本人画家・藤田嗣治と国吉康雄の人生と作品を対比的に紹介する特別展「藤田嗣治 × 国吉康雄 二人のパラレル・キャリア ― 百年目の再会」が、6月14日より兵庫県立美術館で開幕した。全国巡回はなく、兵庫県立美術館でのみ鑑賞できる貴重な機会となる

右が藤田嗣治《自画像》(1929)東京国立近代美術館所蔵、左手《ニューヨークのスタジオでポーズをとる藤田(試作品)》(1930)個人蔵
国吉康雄 少女よお前の命のために走れ 1946 福武コレクション

本展の監修を務めた林洋子 兵庫県立美術館長は、藤田と国吉の関係を次のように表現する。

藤田を"太陽"、国吉を"月"に例えると、今回太陽である藤田の光が国吉に当たることで、国吉像がより立体的に浮かび上がる展覧会になったと思いますまた、日本国内の美術館から藤田の"スター作品”をお借りし、ここだけでしか見られない展示が実現しました」

林洋子 兵庫県立美術館長と国吉康雄《カーニバル》(1949)個人像

藤田嗣治は1920年代のパリで「素晴らしき乳白色の下地」と称賛された裸婦像で一世を風靡し、エコール・ド・パリの中心人物になった。いっぽう国吉康雄は若くして渡米し、アメリカ具象絵画を代表する画家となる。ふたりが1925年のパリでの出会ってから100年となる節目に開催される今回の展覧会では、戦前・戦中・戦後に至るふたりの交差と断絶、そして再評価の歩みを9つの章立てで紹介している。

右が藤田嗣治《五人の裸婦》(1923)東京国立近代美術館所蔵、左が藤田嗣治《舞踏会の前》(1925)公益財団法人大原芸術財団 大原美術館蔵
右が国吉康雄《水難救助員》(1924)福武コレクション、左が国吉康雄《鯨に驚く姉妹》(1923)筑波大学アート・コレクション(石井昭氏寄贈)

本展の背景には、地域からの強い思いも込められている。記者内覧会には、斎藤元彦 兵庫県知事も来場。次のように述べた。

斎藤元彦 兵庫県知事

「本展は『瀬戸芸美術館連携』プロジェクトのひとつです。瀬戸内地域の連携をしっかり進めていくことが大切。この展覧会を通じて、県内外の多くの方に文化芸術の素晴らしさを見ていただきたい」

「瀬戸芸美術館連携」とは、「Expo2025 大阪・関西万博」と「瀬戸内国際芸術祭2025」の開催に合わせ、香川・岡山・兵庫3県の8つの美術館(香川県立ミュージアム高松市美術館丸亀市猪熊弦一郎現代美術館直島新美術館岡山県立美術館大原美術館兵庫県立美術館横尾忠則現代美術館)が広域連携するプロジェクトだ。

「藤田嗣治 × 国吉康雄 二人のパラレル・キャリア ― 百年目の再会」 会場風景
右が国吉康雄《恋人たちの道》(1946)福武コレクション、左が藤田嗣治《私の夢》(1947)新潟県立近代美術館・万代島美術館蔵

また、本展の実現に深く関わった福武財団名誉理事長 福武總一郎は、国吉への特別な思いを語る。

福武財団名誉理事長 福武總一郎

「この展覧会は3年ほど前に当時の蓑豊(みの ゆたか)前館長から話が持ち上がり、藤田嗣治研究の第一人者である林洋子館長の力でようやく実現しました。国吉は岡山出身で、父・哲彦の代から収集してきました。藤田の名はすでに広く知られていますが、国吉の素晴らしさをもっと多くの人に知ってもらいたい。こうして並列で紹介できることに感激しています」

「藤田嗣治 × 国吉康雄 二人のパラレル・キャリア ― 百年目の再会」 会場風景

展示では藤田の《五人の裸婦》(1923)や《舞踏会の前》(1925)、国吉の《少女よお前の命のために走れ》(1946)など、日本各地の美術館を代表する作品の数々が集結。また、調査のなかで発見された新資料(藤田嗣治と国吉康雄が寄せ書きした色紙)が初公開されるなど、国際的に評価される二人の芸術家を並列で見ることができる、かつてない試みとなっている。展覧会は8月17日まで開催。

諸岡なつき

諸岡なつき

もろおか・なつき 「Tokyo Art Beat」マネージャー