上野の東京都美術館で展覧会「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」が1月27日に開幕した。会期は4月7日まで。その後、福島県の郡山市立美術館(4月20日~6月23日)、東京・八王子市の東京冨士美術館(7月6日~9月29日)、大阪市のあべのハルカス美術館(10月12日~2025年1月5日)に巡回する。
アメリカ・ボストンの西に位置し、商工業都市として栄えてきたマサチューセッツ州ウスター。その地に1898年に開館したのがウスター美術館だ。古代エジプト、ギリシャなどの古典美術から世界各地の現代アートまで約4万点を所蔵し、とくに印象派は開館当初よりコレクションの中核に位置付けられてきた。
本展は、「印象派」の言葉が誕生して150周年の今年、同館の珠玉の作品群を日本で初めて紹介するもの。印象派を代表するモネやルノワール、パリで学んだアメリカ人画家による“アメリカ印象派”など、40人以上の約70点がそろう。
同館のマティアス・ワシェック館長は、プレス内覧会で「日本の浮世絵に触発されたフランスの印象派がアメリカに伝わり、独自の印象派が生まれた。本展は、印象派の影響を受けた日本人画家の作品も併せて展示し、印象派のグローバルな展開を実感していただけると思う」と話した。東京都美術館の担当学芸員は大橋菜都子。
会場は、近代化が始まった19世紀前半に興った新しい絵画表現を紹介する第1章「伝統への挑戦」でスタート。歴史画や神話画を頂点とする伝統的主題のヒエラルキーと決別し、目の前の自然と向き合ったフランス・バルビゾン派のジャン=バティスト=カミーユ・コローやシャルル・フランソワ・ドービニーらの風景画を紹介する。レアリスム(写実主義)を主導したギュスターヴ・クールベの《女と猫》は、肩があらわな女性と寄り添う猫の官能性を素早いタッチで描き出した。
いっぽう、同時代のアメリカでも自然への関心が高まり、雄大な風景を描いた絵画が人気を博した。ウィンスロー・ホーマーは19世紀後半のアメリカを代表する画家のひとりで、印象派に先駆けてキャンバスを戸外に持ち出した。《冬の海岸》は、目の前の荒波の表情が動きがある荒々しい筆致でとらえられている。
「印象派」の言葉が誕生したのは1874年4月。クロード・モネやピエール=オーギュスト・ルノワール、カミーユ・ピサロらが、伝統的なサロン(官展)と同時期にパリでグループ展を開き、アカデミスムの滑らかな混色技法に反旗を翻すように鮮やかな色彩と大胆な筆遣いの絵画を並べた。著名な美術批評家が、とくにモネの作品《印象、日の出》を取り上げ、新聞で酷評したのがこの言葉の始まりとなった。
第2章「パリと印象派の画家たち」は、その記念すべき第1回展に参加した画家たちや、その後の印象派展に参加した唯一のアメリカ人画家であるメアリー・カサットらの作品を紹介する。
注目したいのは印象派の特徴とされる筆触分割(色彩を混ぜずに並置する技法)と、主題の多彩さだ。近代化する都市風景を描いたピサロ、パリ郊外に赴き自然をみつめたアルフレッド・シスレー。ルノワールは肖像画を多く手がけ、カサットは母子像を得意とした。後年「アメリカのモネ」とも呼ばれたチャイルド・ハッサムがパリ留学中に制作した《花摘み、フランス式庭園にて》は、本展のメインヴィジュアルに採用されている注目作だ。
本展の大きな見どころであるモネの代表作《睡蓮》も第2章に展示されている。パリ郊外のジヴェルニーで後半生を過ごしたモネは、自ら作り上げた池を描き、1909年に画廊で初めて「睡蓮」の連作を発表した。そのうちの1点を翌年ウスター美術館が購入し、世界で初めて《睡蓮》を収蔵した館となった。会場には、パリの画廊と交わした手紙や電報(複製)なども展示され、当時の生々しいやり取りを伝える。同時代美術に注目し、作品の収集に努めてきた同館の先見性を示すエピソードといえるだろう。
第3章「国際的な広がり」は、パリに留学し印象派の表現を母国に持ち帰った各国の画家たちに焦点を当てる。近年、コスモポリタン的な19世紀パリで誕生した印象派を国際的なパラダイムでとらえ、その多様性や移動性、地域特性を探求する研究が進んでいる。本章では、アメリカ出身で国際的に活躍したジェームズ・マクニール・ホイッスラーやジョン・シンガー・サージェント、ベルギー生まれのアルフレッド・ステヴァンス、スウェーデンのアンデシュ・レナード・ソーンらの作品を紹介。思い思いに印象派の技法や表現を取り入れた多彩な絵画表現を見ることができる。
周知のように印象派の影響は日本にも及び、洋画を中心に根強い影響を与えた。本章では、明治期にパリでアカデミスム絵画を学び明るい外光表現も取り入れた黒田清輝や久米桂一郎、それに次ぐ世代の藤島武二や斎藤豊作、黒田に師事した中沢弘光らの作品も展示されている。黒田らが試みた印象派ふうの描法が、世代を経て咀嚼洗練されていき、舞妓像のように日本的画題でも駆使されるのが興味深い。
第4章「アメリカの印象派」も、大きなみどころになっている。1880年代半ばのアメリカでは、画商や収集家の間で色彩が明るく画題も現代的な印象派の人気が高まり、それに応えて多くの画家がフランスに渡った。パリでモネらの作品に接し技法も学び取った彼らは、帰国後に印象派を独自解釈した作品を制作し、その動向はアメリカ全土に広がっていった。
第2章に登場したチャイルド・ハッサムもそのひとりで、1886~89年にパリに留学し、帰国後は職業画家として成功を収めた。ここでは3点の作品が制作年代順に展示され、画風の変遷が垣間見える。帰国した後に制作した《シルフズ・ロック、アップルドア島》は、粗い筆致のみならず、画中の波の表現も彼が譬えられたモネの影響を強く感じさせる。その4年後に制作された《朝食室、冬の朝、ニューヨーク》では、モダンな室内のカーテン越しにそびえる摩天楼が見え、洗練された都市生活に対する強い関心がうかがえる。
広大なアメリカの変化と野生に富んだ自然も画題として好まれた。第4章では、ウスターの代表的画家のジョゼフ・H・グリーンウッド、留学中にモネと交流したウィラード・リロイ・メトカーフ、コネティカット州に芸術家コロニーを作ったジョン・ヘンリー・トワックマンらの風景画を紹介。光の表現を重視したボストン派のエドマンド・チャールズ・ターベルの色彩豊かな女性像もあり、日本であまり見る機会がない“アメリカ印象派”の多彩さに触れることができる。
ラストの第5章「まだ見ぬ景色を求めて」は、点描画法を多く用いたポール・シニャック、キュビスムを創始したジョルジュ・ブラック、ドイツに印象派を広めたマックス・スレーフォークトら、ポスト印象派の画家たちの作品を展示。伝統的絵画と決別し、自身の「眼」に忠実な表現を探求した印象派は、技法と主題の両面に大きな自由をもたらし、後続の画家たちの前衛性を後押ししたともいえる。
より「アメリカらしさ」を増して見える作品にも注目したい。印象派をアメリカ西部にもたらしたフランク・ウェストン・ベンソンの《ナタリー》は、女性の意志的な表情と男性と見紛う装いが強い印象を残す。その8年前に彼が描き、前章で紹介されている装飾性が強い女性像と比較しても面白いだろう。
ドイツとパリで学び、アメリカ西部を拠点に活動したデヴィッド・パーシャルは、鉄道が開通したグランド・キャニオンの雄大な景色を何度も描いた。《ハーミット・クリーク・キャニオン》は断崖に反射する陽光が幻想的に描き出され、現代の観光写真に通じる「映え」の意識を感じさせる。
18世紀後半のパリで生まれ、そこに集まった画家たちの手で世界各地に種子が撒かれた印象派。本展は、そのダイナミズムと多様な実のりを実感させてくれる展覧会だ。