美しく、そして恐ろしくグロテスクな世界を描き出し、国内外で強い支持を受けるマンガ家、伊藤潤二(1963〜)。彼の初となる大規模個展「伊藤潤二展 誘惑」が世田谷文学館で開催中だ。会期は4月27日〜9月1日。
伊藤潤二は岐阜県出身。歯科技工士として勤務する傍ら執筆、初投稿した『富江』が雑誌「月刊ハロウィン」で「楳図賞」佳作を受賞、1986年にデビューを果たす。以来、代表作となる『富江』をはじめ、『うずまき』、『死びとの恋煩い』、『首吊り気球』など、美しさの中に恐怖と驚きを織り込んだ数々の作品を精力的に発表し続けている。2019年以降アイズナー賞を4回、2023年にはアングレーム国際漫画祭で「国際漫画賞」など海外のコミック界における栄誉ある賞も多く受賞し、国際的にも高く評価されているマンガ家だ。
本展の開催にあたり、プレス内覧会に登場した伊藤は「37、8年、絵を描いてきたが本当にあっという間。それぞれに思い入れのある作品が多い。造形作家の藤本圭紀さんとのコラボレーションで制作した『富江』の新作フィギュアなども見てもらいたい」と語った。また、「展示にあたって、(主催者である)朝日新聞社や世田谷文学館の学芸員から多くのアイデアをもらったが、『死びとの恋わずらい』に登場するおみくじコーナーは自分のアイデア。おみくじは凶や大凶の割合が多いように思うが気にしないでいただきたい」と笑って紹介した。そして「現在、マンガを描くよりも、独自の関節の仕組みを持つポーズ人形を作ることに熱中していて、会期中にそれらも展示したい」と、会期中に展覧会の内容がさらに更新される可能性も語った。
展覧会は、マンガの原画やイラスト、挿絵などや下絵、資料などを合わせて約600点を、序章を含めて全5章構成で展示する。冒頭を飾るのはこの展覧会のために描き降ろされた新作イラストのひとつ《富江・チークラブ》。
伊藤はこのイラストについて「富江は体がバラバラにされると、それぞれのパーツから新しい富江が生まれてくる設定。それぞれの富江は自分こそが本当の富江だと思っています。そんな彼女が新しく生まれつつある富江を、一見すると可愛がっているような感じの絵です。しかし、そのような性格ゆえ、彼女はなにか企んでいるんでしょう……。」とコメントしている。
続く「第1章 美醜」は「富江」シリーズをはじめとした、伊藤の作品の特徴である美しさと醜さが共存した作品群が紹介されているほか、伊藤の蔵書や海外で出版された単行本なども展示されている。
この展覧会のために制作された「富江」コラボレーションスタチュー(フィギュア)は、造形作家の藤本圭紀が原型を制作したもの。本展ではこのスタチューのほかに、伊藤潤二本人が彩色をほどこしたスタチューも展示されている。
「第2章 日常に潜む恐怖」は日常のなかに潜む恐怖について取り上げる。『うずまき』や『ギョ』などの人気作品も取り上げられる章だ。
『うずまき』では、実際の原画のほか下絵も展示。緻密な描写がどのようにして生まれたのかを垣間見ることができる。
『地獄星レミナ』では、ペン入れ段階の原画と、それらをスキャンした後にデジタル処理した完成原稿を並べて展示。制作のプロセスも把握できる。
この章に展示された本展のための描き下ろし作品は『うずまき』の主人公、桐絵を描いたもの。伊藤は「『うずまき』は最終回で主人公の桐絵が長い螺旋階段を降り、地下で巨大な遺跡を発見するというところで終わっているのですが、その後の桐絵はどうなったのか、というテーマで描いています」と語っている。
「第3章 怪画」は伊藤がこれまで描いてきた扉絵やイラストなどを取り上げる。水彩や油彩など様々な画材を巧みに使いこなし、美しく描写する伊藤の画力があるからこそ、奇想天外で驚くようなストーリーが私達の心に迫るものになっていることを実感させる。
そして最終章となる「第4章 伊藤潤二~その素顔~」では、書き溜めていた小説や、エッセイマンガなど、作品からは伺い知れないユーモアにあふれた伊藤の内面に迫っていく。
展示室はコンパクトであるにもかかわらず、伊藤潤二に関する膨大な情報が詰め込まれている。美しく繊細、かつ恐怖と驚きに満ちた展覧会を存分に楽しむために、時間に余裕を持って文学館を訪問してほしい。