公開日:2025年7月1日

90歳を迎える陶芸家の静かな「祈り」。伊藤慶二の個展が岐阜で開催。「HIROSHIMA」「抱擁」シリーズなど人間の根本を見つめる

伊藤の創作人生を岐阜県現代陶芸美術館全館規模で総覧する機会。会期は2025年6月28日から9月28日まで。

会場風景

陶芸家・伊藤慶二(いとう・けいじ)の大規模個展「伊藤慶二 祈・これから」岐阜県現代陶芸美術館ではじまった。会期は6月28日から9月28日まで。本展は、2013年に同館で開催された「ペインティング・クラフト・フォルム」展に続く二度目の個展であり、伊藤の創作人生を全館規模で総覧する機会となる。担当学芸員は林いづみ。

会場入口

1935年、岐阜県土岐市に生まれた伊藤は、武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)で絵画を学んだ後、地元・岐阜に戻り、陶磁器デザインの仕事に従事。陶磁器デザイナーの日根野作三(ひのね・さくぞう)の薫陶を受け、やきものの世界へと本格的に足を踏み入れた。

描き上げたばかりだという、伊藤の自画像(2025)

初期にはうつわや花器など手仕事による日用品制作を行っていたが、次第にその表現は、陶を用いた立体造形、インスタレーション、絵画や布を使ったコラージュ作へと創作の幅を広げ、ジャンルや素材、技法の垣根を軽やかに越えた表現世界を構築してきた。

伊藤慶二

開幕式で伊藤は、「やきものを見る目ではなく、ちょっと違う目で見て、楽しんでいただければ」と短く語った。その言葉のとおり、本展では陶芸という枠組みを超えた、豊かな創作世界が全12章にわたって紹介されている。

「祈り」はどこから来て、どこへ向かうのか

本展の冒頭を飾るのは、「祈り」と題された第1章だ。伊藤の長年の主題であるこのテーマは、仏足跡に着想を得た「足(そく)」シリーズや、原爆を主題とした「HIROSHIMA」シリーズにも見られるように、超越的な存在や不条理への静かな問いかけへとつながっている。2011年、東日本大震災の発生と重なるかたちで岐阜県美術館にて発表された《祈り》と題するインスタレーションは、その後の伊藤にとって創作の柱となった。また、会場には地蔵の姿を炭で描いた素描も並び、祈るという行為の本質を静かに、しかし力強く問いかけている。

伊藤慶二 祈り
会場風景

クラフトと「膳」

第2章「クラフトと『膳』」では、伊藤の出発点が紹介される。大学で絵画を学んだ後、岐阜県陶磁器試験場で陶磁器デザインに携わった伊藤は、実用的なうつわの造形からキャリアをスタートさせた。1973年には、飯碗と箸を鉄板に並べた作品《膳》(当時は《おぜんシリーズ》として発表)を発表し、用途を離れたうつわの中に抽象的な形態や意味を見出す視点が明確になる。ここには、クラフトとアートの境界を軽やかに越境する伊藤の創作哲学が凝縮されている。

伊藤慶二 膳シリーズ 角膳 1997-99 公益財団法人岡田文化財団パラミタミュージアム
伊藤慶二 鏡文字(ひらがな) 岐阜県現代陶芸美術館蔵

「HIROSHIMA」シリーズ。焦土、焼けた肌

第4章「HIROSHIMA」では、伊藤のライフワークとも言えるシリーズに焦点が当てられている。第二次世界大戦終戦時9歳だった伊藤は、父から広島の被爆の惨状について聞き衝撃を受けた。そのショックを胸に、1973年から骨壷を思わせるシリーズ「HIROSHIMA –こつ」を始める。

伊藤慶二 HIROSHIMA - 骨 

現在も制作が続けられている《HIROSHIMA – 土》は、レンガを作る手法で木枠に詰め形どった土を薪窯で焼成することで作成される。火傷や焦土を思わせる表面に「1945」や「HIROSHIMA」など刻印が施され、土の質や焼成によって異なる土の個性が、「個」の傷跡や静謐な怒り、悲しみとして立ち上がる。

伊藤慶二 HIROSHIMA - 顔 2011
会場風景

ブランクーシの《接吻》に着想を得た「抱擁」シリーズ

人と人との関係をめぐる探究も、伊藤の作品に通底する主題だ。第7章「抱擁」では、ふたりの人影がひとつの塊として抱き合う姿は、コンスタンティン・ブランクーシの《接吻》を想起させるが、その境界には明確な色の違いが残されている。陰と陽、自己と他者など対の関係をテーマに、個と個が共にあることの困難と切実さを見つめてきた。

伊藤慶二 抱擁 2015 樂翠亭美術館蔵
伊藤慶二 抱擁 2025

沈黙する物、語る場

展覧会の終盤、第12章「沈黙、場、インスタレーション」では、伊藤が近年取り組む空間表現が展開される。2024年には、旧釉薬工場跡地に残された古道具と空間の「気配」をすくい取るようなインスタレーションも発表されており、伊藤の表現はますます場所と物との関係性へと深まっている。

会場風景

本展は、伊藤慶二という作家の長年の創作の軌跡をたどるだけでなく、祈りとは何か、人間とは何か、個とは何かという普遍的な問いを投げかける。その静かで強い問いは、見る我々に深い示唆を与えてくれる。

会場風景

諸岡なつき

諸岡なつき

もろおか・なつき 「Tokyo Art Beat」マネージャー