会場風景
造形作家・岡﨑乾二郎の東京で初の大規模な展覧会「岡﨑乾二郎 而今而後 ジコンジゴ Time Unfolding Here」が東京都現代美術館で4月29日に始まった。会期は7月21日まで。担当は同館の藪前知子学芸員。
岡﨑は1955年東京生まれ。1981年の初個展「たてもののきもち」(村松画廊)で注目を集め、彫刻や絵画に留まらず、メディアアート、建築、環境計画、ロボット開発、教育と広汎かつ先鋭的な活動を展開してきた。数多くの国際展にも参加し、近年はパリや韓国で個展を開催して国際的な注目が高まっている。批評活動でも知られ、著作『ルネサンス 経験の条件』(2014)や『抽象の力 近代芸術の解析』(2018)は既存の芸術観に新たな視点をもたらして反響を呼び、東京国立近代美術館で回顧展が開催中のヒルマ・アフ・クリントの再評価にもかかわった。
岡﨑が病に倒れたのは2021年。脳梗塞で半身不随となり、リハビリにより回復したものの後遺症の麻痺はいまも残っている。大病を経て自身の体に対する認識や制作が変わったという岡﨑は、2021年以降を「転回」と呼んでいる。
本展のタイトル「而今而後」(ジコンジゴ)は、『論語』の一節から取った言葉で、「これから先、ずっと先も」の意味がある。一時死の淵に立った作家の、「自分がいなくなっても世界は続く」という思いが込められているという。
2フロアにまたがる展覧会の作品数は膨大だ。1階は岡﨑の2020年までの代表的作品とシリーズを網羅し、3階に新作、近作を展示して、岡崎の「転回」前後の活動を総覧できる構成になっている。中2階にも岡﨑が入院中に描いた絵画などが展示されている。
企画した藪前学芸員は、本展の意図を次のように話す。
「現代美術は主にアクチュアリティを旨とし『いま』の時制に紐づけられているが、岡崎さんはそれと異なる位相に立ち、芸術に内在する時間や歴史の可能性を実験的手法で追求してきた。コロナ禍があらわにしたように、近代が生んだ同期性を伴うシステムが崩壊しつつあるいま、岡﨑さんの仕事から学べるものは大きいのではないか。病後に制作した近作・新作を含め、全容を展望できる本展を通じて、岡崎さんの比類ない造形活動の核心を感じていただければ」
本展の導入部は、初期の代表作「あかさかみつけ」シリーズで始まる。簡便なポリエチレン素材を切り、折り曲げ、着色した一連の小構造体で、「そとかんだ」「かっぱばし」など平仮名のタイトルが付いている。鑑賞者は、歴史的な建造物を想起させる空間を持つ作品と、その造形と一見関わりはないが、実在する地名のタイトルを往還して連想を働かせることになる。
最初の展示室には、最初期の工作物《こづくえ》や洋服の型紙から抽出したラインに基づく平面作品も並ぶ。紙で作られた《こづくえ》は、「あかさかみつけ」を発案する起点になったもので、今回が初公開。ほかにない固有のかたちを追求してきた岡﨑の創造の「原点」がうかがえて必見だ。
金属製の《Blue Slope》《Yellow Slope》は、1989年の「ユーロパリア’89現代日本美術展」(ベルギー)に出品した立体作品。両作とも「あかさかみつけ」から抽出した断片で構成されているが、格段に大きく、素材も異なるので受ける印象はかなり異なる。大きさと質感の概念や、それを人間が認知する仕組みを問う作品と言えるだろう。
アクリル絵具による絵画制作は1992年以降に本格化した。色とりどりのタッチが踊るような作品は、即興的なようで、じつは岡﨑が作り上げたルールを基に描かれている。よく見るとモチーフの類似や反復、方向転換、色彩の変調などが分かり、瞬きや視点を動かすと見え方がまた変わる。目の快楽のみならず、鑑賞者の認識に働きかけ、能動的に見ることを促す仕掛けを内包しているのだ。
異様に長いキャプションも特徴。作品と関係ない散文詩としても読めるが、画面との相互作用を感じる人も多いだろう。たとえば、次に掲載する2点組の左作品は下記のキャプションが付いている。読後に目の前の絵画がどう見えるのか、ぜひ会場で実体験してほしい。
「きみにはわからないわね。こどもだもの」こどもはもじもじしながら、しばらく顔をうごかしていたけれども、ふいに視界からこどもの姿が消えて、ちらりとお尻が水面をよこぎり、もう次の瞬間、水中には白っぽい影があって底に向かって沈んでいった。澄んだ水面に、ひとつぶ雨が落ちたように、幾重にも同心円がひろがっていく。今気づいたのだが、奇妙なことは何ひとつなかった。たぶん真夜中でも眼は見えるのだろう。昼と夜は分かちがたく繋がっていたのだし、涙でガラスが曇ってしまっても眼鏡に瞼はないのだから。「涙でぜんぜん見えないや。だから手を伸ばし、なるべく近くの物を掴んでみるよ」
「よせ裂れ」は、手芸のパッチワークのように作られたアッサンブラージュのシリーズ。目を凝らすと、様々な布の寄せ集めが、立体感がある山水画のように見えてくる。従来的な素材や手法のヒエラルキーに頓着しない、自由な造形のあり方も伝わる。
初公開の子供のための百科事典の原画は、詩人の谷川俊太郎の依頼を受けて、当時26歳だった岡﨑が「美術の核心」を表わした。自身の分身のような男の子が外へ飛び出し、好奇心の赴くままに世界を発見していく様子が描かれている。
会場は、岡崎が1990年代に企画制作した総合地域づくりプロジェクト「灰塚アースワーク」(広島県庄原市)、創設した芸術の学校「四谷アート・ステュディウム」(2002~2014)、セラミックの彫刻、陶板タイル、ポンチ絵、ランドスケープデザイン、パブリックアートなど、多彩な活動の作品や模型、資料、映像も展示。自在に軽やかに、領域を越境してきた軌跡を目の当たりにできる。
中2階では、岡崎が入院後まもなく描き始めた絵のほか、10年ほど前に開発したドローイング・ロボットに注目したい。他者の描画プロセスがプログラミングされ、体験者はペンを制止させたまま、画家の線の動きを体感できる装置だ。現在の生成AI時代に先駆けて、作る主体の可変性を示した予兆的な作品とも言える。
3階会場の冒頭では、「転回」後の岡﨑が制作した大型の絵画作品を一挙に見ることができる。まず気づいたのは、以前から行っていた複数パネルの組み合わせがT字型が多くなり、長文のキャプションは英語の文章が増えたこと。画面はより厚塗りに変化し、配色の明度や特徴のゼリーのように艶がある質感が増している。色彩のブロックは弾けたように大らかになり、作家が得た新境地を感じさせる。
2005年頃から制作を開始した「ゼロサムネール」は、岡崎の最多規模の絵画シリーズ。縦横20cm前後と寸法は小さいが、それぞれ古今東西の絵画やその物語と呼応する構造が仕込まれている。示唆的なタイトルや形状が異なる木の枠にも注意しながら、元になった作品を推測してみたい。
「なんとべらぼうな」。ラストの大展示室に入った途端、思わずそんな言葉が出た。予想しなかった巨大物体が目に飛び込んできたからだ。大自然がひねり出した落とし物のような、あるいは巨人が捏ね上げたような、いわく言いがたい不思議なかたち。どう作ったのか見当がつかないまま、絶大なボリュームに圧倒された。
これらの巨大造形物は、岡崎が30年ぶりに手がけた彫塑作品だ。粘土による原型を高精細スキャナーで読み取り、拡大して彫り出したもので、重厚感に溢れているがじつは樹脂で作られている。と書くと容易そうだが、当初は表面の微妙なテクスチャーがうまく再現できず、外部の協力者と実験を重ねて作品化に漕ぎつけた。
岡崎は、「人体を超えるサイズを作りたかった」と制作動機を説明し、「古代ギリシャの彫刻家が羨む技術を使って、解像度が高い作品ができた」と話した。限界を設けない探求と他者との協働が、新たな挑戦の駆動力になったのだろうか。会場には、より小ぶりな彫刻作品や絵画も多数展示され、岡崎の現在形を心ゆくまで味わえる。
抽象のみならず、大型の具象作品も一角に並ぶ。ゾウをかたどった彫刻群は、「そもそも巨大なゾウの全体像を掴めるのか?」と疑問に思った岡﨑が、実際に観察して制作した。それぞれ異なる姿態を持ち、見る者の童心を呼び覚ますような動きのある瑞々しい造形が印象的だ。
作品の鑑賞者や活動に関わる人たちの認識を揺さぶる岡﨑の造形の「核心」が経験できる本展。身体的ダメージを負った「転回」後の大きな達成に、勇気をもらう人もいるだろう。岡﨑は、近著の闘病記『頭のうえを何かが』(2023)を次の言葉で締めくくっている。
ストローク(脳梗塞:筆者注)は僕にとって恩寵でした。そして深い教えでした。