大河原健太郎(撮影:Xin Tahara)
DIESEL ART GALLERY(ディーゼル・アート・ギャラリー)で、ソウル拠点のアーティスト、大河原健太郎による個展「MUSE TAKING A SHIT(ミューズ・テイキング・ア・シット)」が 4月26日〜7月13日に開催されている。
大河原は彫刻や絵画の制作に加え、プロダクトデザインやストリートウェアのコレクションなど様々な表現領域で活動するアーティスト。本展では韓国に移住してから約2年を経て新たに取り組んでいる、作家の妻をモデルにした油彩画のシリーズを中心に発表する。そんな日常と愛に根差した本展について、ストリート・カルチャー領域における多角的な活動を行う荏開津広が聞いた。【Tokyo Art Beat】
現在はソウルを拠点に活動をしている画家、大河原健太郎の展示「MUSE TAKING A SHIT」――芸術家のインスピレーションの源泉であるミューズが用を足している、そんな多くの人が「おや?」と思うであろうタイトルのこの展示について彼に話を聞いた。
会場のDIESEL ART GALLERYに入ると、左手に大型の作品が、正面の壁には正方形の中型の作品がグリッド状に配置されている。その右手にはまた大型の作品が並べられており、少し見回せばその先にもモノトーンの作品が飾ってあるのが視界に入ってくる。でも、なによりもまずは足を踏み入れたその時点で、様々に描かれている彼の妻であるミューズへの簡単ではない想いが、観る側の気持ちを大きく動かすだろう。それは、目の前のキャンバスに躍動する色と形を通してこちらに伝わり、愛といいたくなる価値を感じる、極めて美術的な体感である。
「韓国に拠点を移して2年になります。生活の中心には妻がいて、家から彼女も使用しているスタジオに通いながら創作活動を続けています。最も身近な存在である彼女をスケッチしたりモデルにするのは、ごく自然な流れでした。」
大河原は2010年代から画家としてのキャリアを始めている。そもそも、子供の頃から「絵を描くのは好きだけど、些細なコミュニケーションに使っていただけ」と語る(註:実際にはこれは謙遜で、彼と絵の関係はそんなものではないが)彼は、大学在学中に偶然ジャン・ミシェル=バスキアの画集を図書館で手に取った。「何だこれは?凄すぎる!」、「(自分が探し求めていたものは)これかも知れない!」と感じたという。
バスキアの作品がストリートと西洋美術の文脈双方にルーツを持ちつながっているように、今回の展示も、「ミューズ」というギリシア神話由来の単語のチョイスからしてアートの歴史と呼応する。
「⻄洋美術の流れを学ぶ中で、特にピカソの影響は⼤きいです。流⾏や新しいテクニックを追い求めることも素晴らしいですが、彼らが⾃分の⾝の回りのものや⽇常の出来事を絵画として表現していく姿勢やその意味が、今の⾃分にとってすごく共感するし、⼤事だと感じています。」
「このシリーズは去年末から始まったもので、最初は習作の一環でした。彼女(妻)をモデルにして描き始めることで、自分がいま、どういうことに興味があるかを探ろうと思ったんです」
「生の、コーティングされていないキャンバスを自分で木枠に貼り、描くスタイルを昔から大切にしています。油彩は始めてから4年が経ち、今回の展覧会でようやく作品として発表することができました。近年の新しいテクノロジーや流行のテクニックを用いた表現よりも、自分の直感や感覚を信じた、人間らしい表現を大事にしながら取り組んでいます」
彼の作品が後ろを向いているのではないと、誤解にはここで異をとなえておく。ライヴ・ペインティング、グラフィック・デザイン、絵本など幅広い表現の領域での経験を経た大河原による「MUSE TAKING A SHIT」では、各作品の"ミューズ"と展示空間が、いわゆる大文字の「美術」だけではない、都市に溢れるほかの視覚表現、すなわち2020年代の色と形のリズムと共にダンスするように戯れる。
「家庭環境や育った場所が大きく影響していると思います。周りにヤンキーがいても、僕はそうなれませんでした。両親は本当に穏やかで、育ちの良さが自分にも染みついているんです(笑)。だから、どこかで自分を思いきり出せない部分があるんだと思います。おばあちゃんとも一緒に暮らしていて、おばあちゃんのことは本当に超リスペクトしています。」
大河原は子供だった頃、アートのクリエイティヴへの押さえきれない気持ちを祖母はしっかりと受けてとめてくれたと、ほかのインタヴューでも繰り返し語っている。
「おばあちゃんには一度も怒られたことがなくて、なんでも一緒にやってくれたんです。俺が描いた絵葉書のやりとりを、なんと5年間も続けてくれました。「返事には『健ちゃんが描いたあの絵のここがいいねえ』っていう感想と、『私もこれを描いてみました』っていう絵が添えられていて、すごく嬉しかったですね。今でも鮮明に覚えています。
そんな祖母のために育ちがよいと言いきるしかないし、彼女との忘れられない数々の思い出と絵を描くことはしっかり結びついているが、そんな「大胆さに振り切れない部分」は画面の構成にも影響するという。
「ギャラリーに⼊って正⾯にある⼤きな作品を⾒ても、感情に任せた動作の激しいスピード感のあるブラシストロークや画面作りに振り切るというよりは、ある程度冷静に画面を構成し細めの筆で画面全体に気を配って作品を作っています。
大胆さに憧れつつも、そうゆう冷静さも併せ持っているのも⾃分らしさにもつながっていると思っているので、結果的にはそれで良かったなって思っています。」
展示のタイトルのもとになった作品には、愛に包まれ培われた彼の性格に加えて、自分らしく、しかし新しい美であれ、という意思が表れる。
「これも元々はこの写真通りなんですけど(スマホで写真を見せながら)。ここに棚があって、実際に妻がドアを開けてトイレで用を足しながらこっちを見ていたんです。その姿を見たとき、うまく言葉にはできないのですが、すごく衝撃的で、はっとさせられて、人間らしい一瞬の美しさを感じたんです。
画面に出てくる車輪のついた馬も実際に家にあるもので、自分の大事な記憶や身の回りのものを並べて作品に取り込んでいます。」
回廊のような構成の展示室を先に進むと、小型のモノトーンの作品が現れ、光と共に浮き上がる作品へと誘われる。ストーリー性を感じさせる展示構成も、鑑賞者の心を動かすだろう。
「これまでも⾃分の展⽰では、鑑賞者と絵の距離感や向き合い⽅を⼯夫してきました。
たとえば、⼤きな作品は遠くから、⼩さな作品は間近でじっくりと⾒ることができるように配置したり、カラーとモノトーンの作品を同じ空間に並べるなど、多様なサイズや⾊彩を組み合わせて構成しています。
展覧会全体を通して、⾒る⼈がただ受け⾝で鑑賞するのではなく、⾃ら想像を巡らせたり、視点を変えながら作品と対話できるようにして、鑑賞者に新しい刺激や感動を感じるきっかけになれば嬉しいです。
アートは多様なコミュニケーションツールであり、作品との出会いが新しい気づきのきっかけになることもある。僕がアートから多くを学んだように。
そうした体験を⾃分の展⽰を通してより多くの人に感じてもらえたら本当にこれほど光栄な事はありません。」
大河原の「MUSE TAKING A SHIT」に並べられる作品では、そのような切り替えを経ながら「自分のなかでは普通のこと」として、ミューズだけではなく彼が経験した光景に存在するもの——生き物でも無機物でも——に対して、等しく視線という名の愛が注がれる。その姿勢は、たとえば「ホウキがあったらホウキに顔描いたりとか、子供がやってるようなことの延長線上にある」と彼が語るようなナイーブさの肯定にも通じる。ここでは大河原の視線がとらえた色と形を通して、愛が偏在し、等しく空間を満たしている。
DRAWING SESSION WITH KENTARO
大河原健太郎によるワークショップ(要予約)を5月31日(土)にDIESEL ART GALLERYにて開催します。
当日は展覧会のウォークスルー(アーティストによる作品解説)で展覧会の世界観に触れたあと、お絵描きワークショップを行います。お絵描きワークショップでは、大河原健太郎と一緒に、参加者全員で大きな絵を描きます。イベントの最後にはアーティストと参加者による集合写真撮影を行います。
イベントの詳細・予約はこちら
https://reserva.be/dieselartgallery_jp/