「The Scrap」(2016) 会場風景 Courtesy of The Scrap Photo:Gim Ikhyun
本記事は、『Padograph雑誌 第1号 特集:周縁から内在へ アジア現代美術』に収録されている、紺野優希「2010-20年代の韓国現代美術――『空間』中心に」(2025)に若干の改稿・編集を加えたものです。【Tokyo Art Beat】
この論考では、空間(コンガン)という単語を中心に2025年現在の韓国の現代美術を俯瞰する。韓国で「空間」とは、日本語で言う「(アート・)スペース」のことを指すだけでなく、韓国ソウルというアートシーン、およびその両者の関係性から生まれた新たな居場所まで指している。かつて「代案空間(テアンコンガン)」や「新生空間(シンセンコンガン)」と呼ばれていた時代が終わり、現在のアートシーンはどんな「空間」なのか、分析を試みる。
日本語で言う「アート・スペース」を韓国では「ミスルコンガン(미술공간)」、つまり「美術空間」という漢字語で呼称している。たとえば、日本でも展示空間のことを単に「スペース」と呼ぶように、韓国ではどこそこの「空間」、「空間○○」(*1)と呼ばれる。英語で「スペース○○」と名付けられた展示会場がもちろんないわけではないが(*2)、日常会話において「(アート・)スペース」は「空間(コンガン)」と呼ばれることを、ここでは強調しておきたい。
「空間」という単語の持つ響きは、日本語の「スペース」とどのように印象が異なっているのか? 私見だが、韓国の展示会場は、支持体にこだわったペインティングが壁から離れた場所で三次元的にインストールされることが多い。一方で日本の展示会場では、壁にかけられた作品を二次元的に鑑賞する「展覧」の文化が強いのではないか。もちろん両国で似たような傾向もあると思われるが、韓国語の「空間」と日本語の「スペース」には、そうした空間認識の差異があるように思われる。
韓国の2000年代のアートシーンを語る上で、オルタナティヴ・スペースは重要な位置を占めている。大きなきっかけは、1997年のIMF経済危機に端を発する経済不況である。不況によって発表の場が減った若手アーティストたちは、美術館やコマーシャル・ギャラリーとは異なる独自の空間での展示を模索し始めることになった。彼らによって設立された空間は「代案空間」という言葉で呼ばれ、美術館やコマーシャル・ギャラリーの「代案」として徐々に認知されていった。
「代案空間」を代表するスペースには、アート・スペース・プール(아트 스페이스 풀、1999〜2021)とプロジェクト・スペース・サルビア・タバン(프로젝트 스페이스 사루비아 다방、1999〜)(*3)が挙げられる。アート・スペース・プールの立ち上げには、「民衆アート」をはじめとする社会問題に深くコミットする作家が関与し、根底には(社会運動に敏感に反応し応答する)「民衆」による「場所の占有」という意識がある。80年代に軍事政権の抑圧と、それに対抗する民主化運動を経験した「代案空間」世代にとって、あるいはそれ以前に米国統治下や日本帝国によって「支配」された歴史を持つ人々にとって、国家権力によって占有された「空間」を自分たちの手で団結して取り戻すことが何よりも重要だった。
しかし「代案空間」は、次第に権威あるものの「代案」から、自ら権威を与える「登竜門」として機能するようになってしまった(*4)。「代案空間」での展示を経験したアーティストが美術館の企画展や国際展に招待されることが増えるにつれて、「代案空間」は名声を獲得する道具に転じてしまうことになった。
もっとも、「代案空間」があくまでも展示の場であることにこだわった以上、しかたないとも言える。空間を維持するためには、スポンサーによる経済的支援も必要になる。「代案空間」 のもうひとつの代表格であるサムジ・スペース(쌈지스페이스、1998〜2008)などは、企業のサポートを受けながら運営されていた(*5)が、そうしたスペースさえ「代案空間」としてカウントされていることからも、今よりもはるかに美術館やギャラリー以外の自由な表現の場が少なかったという、当時の切実な事情がうかがえる。
草の根の民衆による「空間」と、企業や行政が支援する「空間」、この両者は異なる性格を帯びながらも、同じ「代案空間」の代表格としてカウントされていた。ここには、「空間」=権威という「限られた分母を巡る闘争」という考えが見え隠れする。その後「代案空間」は、美術業界でも有数の権威のある「空間」として大きく発展することになるのだが、それはある意味では、在野という選択をしなかったゆえとも言えるだろう。
2008年のリーマン・ショックにより、韓国が再び不況に見舞われると、展示の場を求める若いアーティスト・キュレーター志望者たちは「新生空間」というムーブメントを生み出してゆく。当時すでに「代案空間」は権威と見なされていたため、彼らは自分たちの居場所に「新生空間」という別の名前を付けたのだろう。「新生空間」は、この世代の若者たちにとって練習や実験の場であり、同じ志を持つ仲間たちと活動をともにする場所だった(*6)。
主に80年代生まれの彼らの「空間」が「新生」だったのは、各々の活動する場所をSNSアカウントと連動する形で実空間に設立=インストールした点にある。「新生空間」世代は、若手アーティストの活動と「新生空間」の隠れ家のような立地条件が、2010年代から若者の間で人気を博したフェイスブックやツイッターといったSNSによってポータルのように繋ぎ止められた現実感覚を持っていた(*7)。険しい坂道の上(*8)やエレベーターのない雑居ビルの上層階(*9)、商業施設内の小さな空間(*10)など、通常の展示会場とはかけ離れた場所に、「新生空間」は存在した。「新生空間」のムーブメントはSNSやGPSの恩恵を受けながら、現実へのつながり=アクセス・ポイントを見出すことに力点が置かれていた。
この時代は不況によって多くの若手アーティストたちが活動の場に行き詰まっていたこともあり、「期待減少の時代の芸術」(*11)とも名指されている。そうした時代の雰囲気の中で、彼らはなぜ現実とのつながりをこれほど重要視したのか。その理由を考える上では、「新生空間」の登場したソウルという都市の地政図を念頭に置く必要があるだろう。
ソウルを中心とする首都圏は、韓国の全人口の約半数が住むという圧倒的な人口集中率を誇りながら、互いに相容れることのない様々な時空間が乱立する都市でもある。植民地時代の建築物が文化財として維持される一方で(*12)、再開発という名目の強制退去が日々行われ、ザハ・ハディドによって建築されたDDP(東大門デザインプラザ)は近未来的な容貌を湛えている。連日行われるデモ行進や広場に掲げられた横断幕、日本統治時代からの既得権益と深いつながりを持つ「保守」と、民主化運動に根ざす「革新」の対立等々、可視化されるすべてのものが、各々異なる歴史的な時間の中に置かれている。期待の減少には、こうした多層的に乱立する時間軸の中で、各々がどのような「現実」の中で生きるべきかを考えさせる効果があった。アーティストとして活動するという「現実」を互いに共有し、過酷な「現実」を生き抜く術として「新生空間」は生まれ、機能したのではないか。
新生空間の代表格には、バンジハ(반지하、2012〜17)が挙げられる。このスペースは自らをオープンβ版と名乗りながら、若手アーティスト(志望者)が匿名で展示を開く機会を作り出した。匿名かつ予約制という、開かれつつも親密な「空間」の中で、アーティストはより自由に展示を作り、ネームバリューや学内の上下関係によって縛られることのない幅広い観客たちとつながっていった。現実に根ざすために、現実から少し遊離したこの「空間」では、アーティストたちは活動することの意義や自己認識が問われていた。中でも「さよなら2014、ようこそ2015」(交易所 교역소、2014)や「接続維持」(Space Nowhere、2015)のようなトークイベントは、アーティストだけでなく幅広い美術畑の人たちに、「美術関係者として活動することとは何か」という問題意識を共有できた場として語られている(*13)。「新生空間」のアーティスト、キュレーター、批評家たちは、そうした活動をともにする中で、志を共有する「同僚」関係を育んでいった。
韓国のアートシーンで使われる「同僚」という言葉は、単に同じ職場で働く人間という意味を超え、日本で言う(少年漫画の台詞として登場するような)「仲間」の意味合いを含んでいる。美術というフィールドで、ともに切磋琢磨してゆく仲という関係性だ。この時期によく使われた別の単語として、「プレイヤー」が挙げられる。プレイヤーとは、アートシーンの中で役割を担い、その世界を切り拓いていくというニュアンスを多分に含んでいる。しかしここで重要なのは、アーティスト自身がスペースのディレクターにもなり、「同僚」が会場の記録やテキストの書き手(*14)という一時的な役割を持ち、展示に関わっていたことだ。プレイヤーの選択に応じてゲームキャラクターの持つスキルが変わっていくように、アーティストが別の役割(企画、共同企画、スペース運営、デザイン、記録撮影など)を担うことを通じて、有機的な関係性が育まれていった。それは状況に迫られてやむを得ず行われていたものだが、そうしたフラットな人間関係は、以前の「民衆」や「組織」ベースの「代案空間」とも、後述する2020年代のアートシーン内の関係性とも似て非なるものだったと言うべきだろう。そうした関係性の違いは、狭い「空間」の中だけでなく、広くアートシーン全体へのコミットの仕方にも現れているように思える。
オン/オフラインのネットワークを通じて、互いに関わりを深めていった新生空間のムーブメントは、2010年代半ばから徐々に尻すぼみになってゆく。もちろん今でも当時と同じように運営を続けているスペースもあるが(*15)、活動をしていく上での認識のズレや、ソウル市立美術館で企画された「SeMA Blue 2016: Seoul Babel」(2016)に代表される権威側からの取り込み(*16)、2016年の#Metoo運動による告発(*17)に加え、その中で生まれた複雑な人間関係と失われた信頼によって、徐々に「プレイヤー」や「同僚」同士の関わりは控えめになっていった。また、「新生空間」での活動が注視されたことで、美術館の展示に呼ばれるアーティストも一定数おり、各々が個人の活動に専念するようになったことも大きい。この点では、「代案空間」と同じ経路をたどっているとも言えるだろう。現在でもなお、「新生空間」時代の資料の接近性(つまり、関係性が親密すぎて客観的な評価や記録が存在しないのだ)が問題提起されることもあるが(*18)、「新生空間」の運営者をはじめ、「空間」は彼らにとってあくまでも一時的な占有、つまり「一時しのぎ」のようなスタンスに近かったと言える。「代案空間」とは異なり、「空間」の発揮する力をあくまで一過性のものとして考えていたのだろう。
「新生空間」は単なる展示会場ではなく、企画やイベントの「場」を提供する「空間」だったが、知らなければアクセスできないような場所にあった。「空間」はあくまでアート関係者たちによって閉ざされた密室だった。先述の#Metoo運動や各々のスペースの認識のズレが表面化したことを通じて、関係性を「クリアにし」「オープンにする」ことが、当時の「(新生)空間」に問われ始めていた。
その点において、新生空間に関わった世代が、それ以降空間やプロジェクトではなく、作品やグッズの販売イベントの開催を試みたのは興味深い。Tastehouseの「TasteView」、複数名の写真芸術家による「The Scrap」、SPACE Four One Threeの運営メンバーが主軸になって開催された「PACK」といった販売イベントでは、多数のアーティストが一定の形式で制作した作品──スピンオフ、リミテッド・エディション、グッズを含む──の販売を展開した(*19)。2010年代半ばに企画されたこれらの販売イベントは、「空間」をよりオープンな場に書き換えながら、新たな観客層や「同僚」にリーチさせる目論みがあったのではないかと思う。
これらのイベントは2015年に開催された「グッズ」以降の系譜として考えられる。世宗文化会館で開催されたこのイベントには、「新生空間」の活動に積極的に関わっていたアーティスト・企画者らが参加した。アーティストたちは各々のブースでβ版やスピンオフのような形で作品やグッズを販売した。「TasteView」ではガラスケース、「The Scrap」では棚やテーブルにA4サイズのサンプルとして並べられ、観客はこれらを見るだけでもよし、もちろん購入することも可能だった。これらの企画は、大衆とマニアからの支持にバランスよくアプローチしようとしていた。「TasteView」では日本のオタク・ショップ「まんだらけ」とレンタルショーケースがコンセプトに置かれているように、「若手アーティストの中のオタク層」に訴えかけるものだったとも言える(*20)。
だが、それらはまんだらけの商品ほど歴史もなく、コアなコレクター層も薄いこともあってか、これらのイベントのほとんどは3〜4回ほど続いたものの、2025年の時点ではすべて終了してしまった。もっとも、それには20年代に入ってからアート・フェアが台頭し、(スピンオフなどではない)作品を売ることが一般化された──その形式までも無断借用して(*21)──という背景がある。国際的なアート・フェアである「フリーズ・ソウル」(2022〜)の開催決定や、韓国国内(といっても、その大半はソウル)の新しいギャラリーを取り上げる「The Preview」(2021〜)、ヨンヒドン一帯のアート・スペースが共同で開く「ヨンヒ・アート・フェア(Yeonhui Art Fair)」(2020〜)、あるいは展示企画メインのペリジー・ギャラリー(페리지갤러리)の「ペリジー・ウィンター・ショー(페리지윈터쇼)」(2021〜)といったマーケット寄りのイベント(*22)がアート界全体を潤わせているかは分からないが、オルタナティヴな試みにせよ、コマーシャル・ギャラリーとの差別化を意識したクリエイティブな試みにせよ、わざわざ「代案」であることを掲げる必要性が感じられなくなったのではないか。
2020年以降、およそ2年半にわたって韓国でもコロナ禍で厳しい局面を迎えたが、その中でもコマーシャル・ギャラリーが台頭し始めたのは特徴的だ。このようなギャラリーでは、韓国国内外の若手アーティストを頻繁に紹介し、アート関係者の注目を集めている(*23)。
このような「ギャラリー」では、以前のようなプロジェクトをともに立ち上げる「同僚」の関係性ではなく、オーナー/ディレクター/キュレーターと参加アーティストという固定された役割に分業化されている。先述の販売イベントの流れとはまた別の形として、アート・スペースの公式アカウント・投稿もツイッターからインスタグラムに移りながら、よりはっきりとしたビジュアル=透明性として担保される形に変わった。若手アーティストにとっても、ホワイトキューブで各々の作品をしっかりと展示することが、実験的な試みより優先度が高くなったのではないか。クリアな見栄えや関係性のほうが、アーティストとしても安心できるだろう。でもそこで、単に作品を陳列=ディスプレイするだけにしかならないのであれば、展示をすることの意味や意義を問う「同僚」関係が求められてもいいのではないか。
今でも新しいスペースが登場すると、「新生空間」と言われることもあるが、それはあくまで文字通りの意味としてである。昨今のアート・スペースでは、アート・フェアをはじめとしたマーケットへの参加の機会や、コレクターやディレクターと会う機会が増える一方、アーティストは「同僚」に出会い、プロセスを共有しながら「プレイヤー」として展示や「空間」を立ち上げることが少なくなった。梨花女子大学が先行例に挙げられるように、近年はオープン・スタジオが大学やアトリエで開かれることが増えた。けれどもそこでは、アーティストは「同僚」というより、キュレーターや批評家、ディレクター、コレクターといった明確な役割分担のひとつでしかない。
有耶無耶で閉じた「代案空間」と「新生空間」の中の関係性は、販売イベント上の拡散と問題意識の共有=「シェア」の関係性を経て、オープンでクリアな条件を備えるコマーシャル・ギャラリーに辿り着いた。現代美術の世界は、「同僚」関係ではない空間──ギャラリーという、作品を資産として占有・提供する「空間」に移り変わっているのかもしれない。(*24)
*1──直訳すると、次のような例が挙げられる。空間可変サイズ(공간가변크기)、全時空間(전시공간)、空間ヒョン(공간형)、空間ソウル(공간서울)、空間ソロ(공간서로)、ヨン空間(영공간)など
*2──例として、WWW SPACE、SPACE SO、Space Mirage、SPACE ÆFTERなど
*3──現在のプロジェクト・スペース・サルビア(프로젝트 스페이스 사루비아)
*4──なかでも、後述のサムジ・スペースのレジデンスプログラムに参加したアーティストは、現在韓国の著名なアーティストとして世界中で活躍している。ヤン・ヘギュ(양혜규)、チョン・ヨンドゥ(정연두)といった、日本でも紹介されているアーティストをはじめ、イ・ジュヨ(이주요)、ソン・サンヒ(송상희)、ク・ドンヒ(구동희)など、韓国国立現代美術館で授与されるコリア・アーティスト・プライズの最終候補に残ったアーティストもレジデンス・プログラムの経験者だ
*5──サムジ・スペースを運営する株式会社サムジは鞄や財布を製造するほか、ロック・フェスティバル開催などの文化事業を展開し収益を得ていた
*6──とはいっても、活動を始めた時期やスペースの方向性は決して同一ではないこともあり、一言で説明するのはとても難しい
*7──今ではSNSも(インスタグラムのように)アーカイブの手段として使われているが、当時は(広告料を取られずに利用できる)情報発信の手段としての色が濃かっただろう
*8──Space Nowhere(공간 지금여기、2015〜17)など
*9──ONEROOM(원룸、2017〜22)、soshoroom(소쇼룸、2017〜18)など
*10──Cake Gallery(케이크갤러리、2014〜16)、OPEN CIRCUIT(개방회로、2014〜18)など
*11──現代美術研究者のシム・サンヨン(심상용)は、当時のアートシーンに関わったキュレーターやアーティストへのインタビューをまとめた同名の本を2016年に出版している。심상용 외『기대감소의 시대와 근시 예술』、Yellow Hunting Dog、2016년
*12──文化駅ソウル284、ソウル市立美術館、南ソウル美術館は植民地時代の建物を改装し、展示会場として再活用されている。その一方で、2008年の崇礼門放火事件や2023年の景福宮落書き事件など、文化財の損害事件もこれまでに多数あった
*13──座談会「さよなら2014、ようこそ2015」(交易所、2014)では、当時新生空間を運営していたメンバーを中心にトークが行われた。べ・セウン(배세은)によるレビューが記録として残っている(https://indienbob.tistory.com/914)。また「接続維持」(Space Nowhere、2015)では、美術をはじめ文学、映画、舞踊の分野で各々孤軍奮闘している人たちが座組みを組んだ。大学で就職と直結しない専攻を取ったり、アーティストとして活動している人たちがどのように生活している/ゆくのかとツイッター上に投げかけられたことをきっかけに、座談会の計画は進んだ。きっかけとなった発言者であるジョン・オン(정언)のサイトに当時の記録が残っている(https://slownews.kr/37202)
*14──書き手には様々な場合が考えられる。展示企画の要旨はもちろんだが、前書きに近い文章や展示のコンセプトに沿った小説を書いたりもしていた。また、「現場批評家(현장 비평가)」という言葉も生まれたように、若手の展示を見て歩きながら、当時のアートシーンや作品の美学的側面を評価し、オンライン上で書き留めた批評家もいた。その中には、美術批評コレクティブとしてオンライン上で発言したり文章を掲載しながら活動するグループもいた。例として、「集団午餐」(집단오찬、2015〜20?)、「イエロー・ペン・クラブ」(Yellow Pen Club、2016〜)、「ワウサン・タイピング・クラブ」(Wowsan Typing Club、2017〜20)がある
*15──例として、合井地区(합정지구、2015〜24)、SPACE Four One Three(공간사일삼、2009〜、現在の413 BETA)など。一方で、グタクソ(구탁소)、OPEN THE DOOR、No Toilet、超単発活動(초단발활동)といったアーティストのアトリエ兼展示スペースは、短命であったが、当時のアーティスト(志望者)が共同で運営しながらイベントや企画を開催するなどしていた
*16──この展示では、若手アーティストたちが運営していた当時の「新生空間」がこぞって取り上げられた。当事者の話によると、一種の生存戦略として空間を運営していただけなのに、美術館の企画に出展した/しないで、「新生空間」で知り合った者同士で意見が分かれたりもしたとのこと
*17──もっとも、これは新生空間に限った話ではなく、前史の「代案空間」にも当てはまる。アート・スペース・プールでは組織の運営に関わっていたメンバーが外部でセクシュアル・ハラスメントを起こしたうえに、当時の代表を中心に内部でこの問題以前からあったハラスメント問題を矮小化しようとしたと批判されている
*18──ウェブサイトのドメインが失効したり、SNSのアカウントが削除される等によって、現在では資料の閲覧が不可能な場合が多い。その一方で、チケットやポスター、リーフレットを会場で配布するなど、物理的に残るものの制作に力を入れていたことも忘れてはならない。ユ・ジウォン(すなわちイエロー・ペン・クラブのキム・ピャッピャ)が『美術、その生きがい(買い)』(유지원『미술 사는 이야기』、마티、2024년)で触れているように、展示を見る経験を思い出にとどめるために、そうしたグッズやアイテムを大切に保管している人も多い
*19──本誌掲載のルーク「ショーケースには何が入っているのか?」も参照していただきたい
*20──“<취미관 TasteView 趣味官>은 일본 서브컬처 중고물품 상점인 ‘만다라케’와 아키하바라 일대에서 쉽게 접할 수 있는 ‘렌탈케이스’를 참고하여 기획되었습니다. 이 두가지 사례에서 엿볼 수 있는 시공을 다루는 방법은 굉장히 흥미로운 부분이 많습니다.” https://x.com/tastehouse_info/status/916224974079197184
「まんだらけ」を念頭に置いたのは、いわば審美眼を試す試みだったと言える。鑑賞者が「能動的に見る」経験が楽しめるように「TasteView」をはじめとした販売イベントは設計されていた。たとえば、「The Scrap」では作品・副産物・それ未満のものが匿名で並べられ、アーティスト名は購入後にはじめて知ることができた
*21──Space 291(2014〜)とロッテが、「The Scrap」と合意に至らないまま、同じようなディスプレイ・見せ方でスペース「291 Photographs’」(2019〜)の運営を始めた。経営の目処が立っているのか知らないが、今でもスペースの運営は続いている。なお、Space 291は、「新生空間」と同時期にソウルでスペースを運営しており、なおかつ写真家が運営に携わっていたが、「The Scrap」には関わっていない。にもかかわらず、やり方をそのまま導入したことは、倫理観を疑ってしまう
*22──ペリジー・ギャラリーは、コマーシャル・ギャラリーではなく、中堅作家を紹介するアート・スペースである。アート・スペース・プールやプロジェクト・スペース・サルビアといった非営利の空間で行われていたものと似たようなドネーションの形式で展示が行われている
*23──N/A(2018〜)、Gallery In(갤러리 인、2020〜)、THEO(2020〜)、CYLINDER(ONE 2020〜、TWO 2023〜)、sangheeut(2021〜)、IAH(2021〜)、dive.seoul(2022〜)、WWNN(2023〜)、NOON CONTEMPORARY(2024〜)、FIM(2024〜)など
*24──「新生空間」前後の流れを踏まえた時代の移り変わりを再確認するのに、ユ・ジウォンの前掲書『美術、その生きがい(買い)』を参考にした
【告知】『Padograph雑誌』刊行記念イベントが開催!
『Padograph雑誌』第1号では、日本、韓国、中国、ベトナムの4ヶ国の現代美術シーンの状況を比較検討するとともに、それぞれのシーンの持つ可能性と限界について議論を行っています。とくに日本編の論考では、日本の現代美術を「美術アカデミズム」「サブカルチャー」「政治」の3つの指標に分類するとともに、梅津庸一、ミン・ティアンポ、千葉成夫を「美術アカデミズム」、カオス*ラウンジ、椹木野衣を「サブカルチャー」、遠藤麻衣、飯山由貴、山本浩貴を「政治」の、それぞれの代表的な作家・批評家として位置付け、その傾向について論じています。当然のことながら、このような図式的な整理には限界があります。また、現実は多面的であり、べつの視点から異なる整理を行うことも可能でしょう。そこで今回のイベントでは、日本の現代美術シーンをより多角的な視座から論じるために、横浜美術館の学芸員で批評家の南島興さん、文化研究者でアーティスト、そして論考内では「政治」を代表する批評家として位置付けられている山本浩貴さんをお招きしました。日本編の論考を担当した『Padograph雑誌』編集の神野鷹彦、韓国編の論考を担当した批評家で同編集の紺野優希とともに、2025年現在の日本の現代美術とはなにものなのか、政治と芸術のあいだで炎上が続く時代に現代美術とはどのようなものであり得るのか、ざっくばらんに議論します。
出演者:南島興、山本浩貴、神野鷹彦、紺野優希
開催日時:2025年6月15日(日) 開場 13:45/開演 14:00
会場:コ本や honkbooks theca
チケット:
[会場チケット]1000円(税込)
[配信チケット]1500円(税込)
※配信のアーカイブは2025/06/29(日)までご視聴いただけます。
詳細・チケット予約はこちら