Laure Prouvost WE FELT A STAR DYING 2025 Installation view at Kraftwerk Berlin Commissioned by LAS Art Foundation and co-commissioned by OGR Torino © 2025 Laure Prouvost Photo:Andrea Rossetti © VG Bild-Kunst Bonn 2025
ベルリンを拠点とする非営利の芸術財団「LAS(LIGHT ART SPACE)」は今春、クラフトワーク・ベルリンで展覧会「We Felt a Star Dying」を開催した(会期は2月21日〜5月4日)。これまで、ベルグハインやクラフトワークなど、同都市のナイトカルチャーを象徴する文化施設を活用した、大規模で人間の感性に訴えかける展覧会を開催してきたことで知られる同財団。今回はブリュッセルを拠点として活動するアーティストのローラ・プルーヴォ(Laure Prouvost)を招き、量子物理学の概念に着想を得た没入的かつ詩情あふれるインスタレーション空間を作り上げた。
プルーヴォは世界でもっとも有名な現代アートの賞のひとつ、ターナー賞を2013年にフランス人女性としてはじめて獲得。2019年のヴィネチア・ビエンナーレでは、フランス館の代表も務めた人物だ。科学者や哲学者の協力をもとに、約2年間の歳月をかけて進められたこのプロジェクトは、彼女の「量子の観点から現実世界を感覚するとはどういうことか」という問いを起点としている。
量子とは、わたしたちの身の回りにあるあらゆる物体を構成する「原子」よりもさらに小さな粒子のことで、観測するまでどのような性質を持っているか分からず、複数の状態を同時に重ね持つ不確定な存在である。専門的な説明はやや難解となってしまうので、誤解を恐れず大きくテーマをとらえると、本展は現実世界の目に見えない場所で起こっている、わたしたちの経験や直感に反する(ミクロな世界での)現象を、映像、サウンド、彫刻、ライティングによって構成される大規模インスタレーションを通じて体感する展覧会だと言えるだろう。
ここでは、本展の展示風景と、最終日に行われたクッキ(KUKKI)&ハウイー・リー(Howie Lee)によるパフォーマンスの様子を紹介。LASとアーティストらが誘う、いまだ謎多き量子の世界に迫るアート体験をレポートしたい。
展覧会「We Felt a Star Dying」の最終日である5月4日、開場時間の30分前である20時の時点で、会場の前にはすでに多くの人が詰めかけていた。クラフトワークの鋼鉄の扉を超えて中に入ると、そこには天井から垂れ下がった薄く透明感のある布でできたキネティック・アート作品《The Beginning》が、ふわりと広がっては空中を泳ぎ、つかまれては離され、まるで波うつ海面を水中から見ているような幻想的な光景が目に映る。
会場の内部は1〜3階までの3フロアに別れており、作品はおもに3階と、各フロアを貫く吹き抜けにインストールされている。吹き抜けやフロア内を上下する作品《Cute Bits》は隕石のような構造物を支持体として、苔や草木、ライトを埋め込んだ彫刻作品だ。この作品についてプルーヴォは、量子はその位置に関わらず相互に関係し合うという「量子もつれ(エンタングルメント)」現象に着想を得たと語っている。会場のあちこちで対になるように配置された彫刻が、浮かびあがったり、下がったりする様子は、物体同士の間に存在する見えないつながりのようなものを予感させていた。
浮遊する彫刻や、クラフトワークの高い天井に吊り下げられた布が光を受けてゆらめく様子を見ていると、作品の部分と全体の境界が曖昧になり、すべてが渾然一体となっていくような感覚を覚える。この「不確定」な感覚はまさに量子の特性と共通するものであり、このふたつの作品は、複雑な量子現象を自分の感覚を通じて学ぶための、スタート地点のような存在だと言えるだろう。
筆者が訪れた最終日はとくに来場者が多く、老若男女、様々な国籍の観客がゆらゆらと動く作品の断片をぼうっと眺めたり、これからどんなことが始まるのだろうと話し合ったりと、日本の展覧会では感じることの少ない、おおらかな雰囲気が会場全体に流れていた。また、入口にはドイツ語、英語、簡易な英語という3つの表記で展覧会コンセプトが掲示されているほか、作品について考えるための簡単なプロンプトも一緒に記されており、アートファン以外の幅広い層にも展示を楽しんでもらえるような工夫がなされていたことが非常に印象的であった。
フィニッサージュ・イベントは、会場に入るときに手渡された指示書に記載してあるQRコードを読み込むよう呼びかけるアナウンスから始まった。読み込み先のリンクには音源が埋め込まれており、指示されるままに再生すると、おのおののスマートフォンから柔らかい鐘の音が鳴り始める。重なったり、少しずれたりしながら会場に響く音は、やがて大きなうねりをあげながらひとつの音として感じられてゆく。
鐘の音が少しずつ小さくなると、今度はコーラスの音が遠くから聞こえてきた。立体音響のように、様々な方向から移動をともなって聞こえてくる音の出所はスピーカーではなく、なんと観客に扮したパフォーマー達の肉声によるものだ。1階のフロアを人の合間をぬってゆっくりと歩きまわり、民族的な響きのフレーズを重ね合っていくパフォーマー。自分たちの真隣を歌いながら通るパフォーマーの存在に、観客はみな驚いた表情を浮かべながらも、これから起こる出来事への期待感がますます高められていく。そして、コーラスに続いて発された管楽器の重奏が厳かに響くなか、ようやくわたしたちは3階のメインステージへと案内された。
観客がメインステージへと到着しはじめると、現代中国を代表する電子音楽家、ハウイー・リーが身体のすみずみまで轟くような重低音を放ち始めた。今夜のもうひとりの主役であるKUKIIもステージに登場し、ふたりのエキゾチックな佇まいが醸し出す雰囲気にステージ全体が飲み込まれていく。そして、KUKKIの代表曲のひとつである「Pact」が流れると、会場のボルテージは最高潮を迎えた。会場の背景音にも使用されていた、彼女が朗読する詩をベースとした、コーラス、ホーン隊とのセッションは作品空間にさらなる広がりをもたらし、観客は音を紡ぐパフォーマーたちを食い入るように見つめていた。
しかし、このイベントでもっとも観客の心を掴んでいたのは、ハウイー・リーのソロパフォーマンスだろう。実験音楽、ベース、中国の民族音楽など、多様なバックグラウンドを感じさせる音をコラージュのように配置していくリーは、異次元からやって来た音の魔術師のようだった。彼の太極拳のような手の動きに合わせて、楽曲が展開/変化していく様子は、先述した「量子もつれ」を操っているかのようにも感じられるし、音の粒が彼の手をすりぬけてこちらに届いている(量子物理学の用語ではこのような現象をトンネル効果と呼ぶ)ような感覚にもなる。このパフォーマンスは、けっしてインスタレーションを舞台美術として転用した音楽イベントではなく、量子の次元で世界を感覚するという、本展のコンセプトをふたたび観客に思い出させる役割を果たしていた。
パフォーマンスが終了すると、会場を訪れていた観客の多くが、展覧会のタイトルにもなっているヴィデオ・インスタレーション、《We Felt a Star Dying》を最後にひと目見ようと集まっていた。天井から吊り下げられた円形のスクリーンには、ドローンや超高倍率カメラ、赤外線カメラをはじめとする様々な機材を用いて撮影された猫、人間、微生物などがランダムに映し出されており、鑑賞者はスクリーンの下に設置されたソファに寝転びながらそれを見る。
つぎつぎと映像が移り変わる様子は、ネットミームやTikTokのようなポップな形式を持っているが、コンセプトとしては前に見てきた作品と同じく、量子物理学の概念のイメージ化だ。このインスタレーション内の映像や音楽は量子コンピューターを応用したAIが制御しており、量子の相互作用によって生まれるノイズが、作品のランダム性を生み出す装置へと変換される。プルーヴォと研究者たちは、人間にとって不可視のものであった量子の運動をスクリーンの上に具現化してみせたのだ。
ハイゼンベルクやシュレーディンガーによって量子力学の理論が完成してから、ちょうど100年の節目として開催された本展。量子力学の基礎理論から、その応用である量子コンピューターまで、最新の研究を背景とした本格派な現代アートの展示であるにもかかわらず、鑑賞者がスマートフォン片手にリラックスした雰囲気で楽しんでいる様子は、アートの新しい可能性を感じさせる。コロナ渦にナイトパーティーの停止が余儀なくされ、多くのクラブが経済的苦境に陥ったことや、2024年11月には文化予算の削減が決定したベルリンの状況を鑑みると、「LAS」が手がけてきたようなオルタナティヴなアートイベントは、スペース活用の観点からも今後ますます増加するだろう。
現に、2022年には世界有数の実験音楽のフェスティバル、ベルリン・アトナル(Berlin Atonal)が主催したアートイベント「メタボリック・リフト(METABOLIC RIFT)」がクラブ・トレゾア(Tresor)で行われ注目を集めたほか、2025年春にも廃ホテルを舞台としたインスタレーションの展覧会「ザ・ダーク・ルームズ・ホテル(The Dark Rooms Hotel)」がSNS等をきっかけに人気を集めている。美術史的な知識に依存しない、感覚すること自体への純粋な喜びをもたらすアート体験が、肯定的に受け止められているのだろう。
最後に、上記のような試みが東京で芽吹きつつあることについても言及したい。東池袋にある廃ビル全6棟に独自の仮設通路を貫通させ、迷宮のような展示空間を作り上げた田中勘太郎、布施琳太郎らの「150年」展(2024)や、GILLOCHINDOX☆GILLOCHINDAEが主催する、現代アートの展覧会と、ラッパー、DJ、バンドのライブを掛け合わせたプロジェクト「獸(JYU)」(2022〜)など、若い世代のアーティストを中心として広がるコミュニティは、業界における新たなエコシステム構築をうながしている。ベルリン、そして東京で広がるこれらの活動がどのように評価されていくのかは、今後も要注目のトピックだ。
井嶋 遼(編集部インターン)