公開日:2025年4月3日

ビデオゲームがアートに与えた影響とは。「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」(森美術館)を作家の言葉とともに解説(評:葛西祝)

会期は2月13日〜6月8日。ビデオゲームという巨大なデジタル領域は、コロナ禍を経ていかに人々の日常とアートのなかに広がったのか。

ジャコルビー・サッターホワイト メッター・プレイヤー(慈悲の瞑想) 2023 4チャンネル・ビデオ・インスタレーション 21分28秒  Courtesy of Mitchell-Innes & Nash, New York

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六本木の森美術館「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」展が開幕した。会期は2月13日〜6月8日。

本展は、ゲームエンジン、AI、VR(仮想現実)、AR(拡張現実)などの最新テクノロジーを活用した現代アートを紹介するもの。アルゴリズムや生成AIといった、人間の創造性を拡張する技術を取り入れた作品を通じて、新たな「マシン」時代における芸術の可能性を探る。企画担当は片岡真実(森美術館館長)、マーティン・ゲルマン(森美術館アジャンクト・キュレーター)、矢作学(森美術館アソシエイト・キュレーター)。アドバイザーを畠中実(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]主任学芸員)と谷口暁彦(メディア・アーティスト)が務める。

本記事では、作家のコメントともに本展の背景や展示の見どころを、葛西祝がレビューする。【Tokyo Art Beat】

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コロナ禍以降の、デジタル領域の拡大の影響

「コロナ以前はネットで購入した中古品や、ゴミ箱に捨てられているようなものを使って映像やインスタレーションを作っていました」

アーティストの佐藤瞭太郎は「前はどんな作風だったのか?」という質問にこう答えた。

この回答は、森美術館で開催中の「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」(以下、「マシン・ラブ」展)を考える意味で、ひとつの象徴的なエピソードのように思えた。本展覧会では、タイトルにあるようにビデオゲーム産業から影響を受けた作家や作品が見られる。本稿はその点にフォーカスし、「マシン・ラブ」展を理解する補助線となれば幸いだ。

さて、佐藤はかつて現実世界の物質を扱う作品制作を主としていた。しかし2020年に新型コロナウイルス感染症が蔓延してから、作風を変えてゆく。現実の空間でこれまでのような作品制作ができなくなったことから、基本無料で使えるゲームエンジン「Unity」や「Unreal Engine」を利用したデジタルアート制作に移行したという。

これらのゲームエンジンは大企業が開発するゲームから、個人の自主制作までに使われるツールだ。しかし近年はゲーム制作のための利用にとどまらず、映像やアート制作の現場でも活用されている。

新型コロナウイルスの感染拡大を避けるため、人々は生活のほとんどを室内で完結させるようになった。そんな状況で大きく発達したのが、ビデオゲーム、インターネットとSNS、そしてメタバースといった領域——簡単に括ればデジタル領域である。

デジタル領域はスマートフォンやPCを介したほとんどのシーンに関わるようになった。職場に通勤しなくとも、SlackやDiscordといったオンラインでのチャットツールや、ZOOMをはじめとしたWeb会議サービスを利用したワークスタイルが確立された。外食ができなくなった代わりに、スマートフォンのアプリからUber Eatsなどの配達サービスが広まった。

そしてエンターテインメントの領域ではビデオゲームが室内で楽しめるメディアとして注目された。任天堂の「あつまれ どうぶつの森」がコロナ禍で楽しめるゲームとして世界的に人気を博したことは、その代表的な一例だろう。

こうしたデジタル領域の多くは以前より社会で確立されていたものではある。だがコロナ禍をきっかけに、それまでの生活では関係がなかった領域にも浸食するようになった。このことはリアリティが、五感で体感している現実世界よりもよりデジタル側へとシフトすることを意味するだろう。

環境が変わることに伴い、現実感も変わることで、美術はどうなるのだろうか。「マシン・ラブ」展を鑑賞し、出展作家からインタビューを行って感じたのは、本展の通奏低音となっているコロナ禍以降に急進したデジタル領域が、いかに現代アートのクリエイティブにも影響したかということである。

佐藤瞭太郎 ダミー・ライフ #38 2025年 インクジェットプリント

先の佐藤は「マシン・ラブ」展にUnityで制作した平面作品《ダミー・ライフ》シリーズと、映像作品《アウトレット》を出展。これらは “アセット”と呼ばれる、あらかじめ他人の手によって開発された素材を活用して制作された。

アセットはインターネット上の様々なサイトにて無料や有料で公開されており、クリエイターが使えるようになってている。そもそもゲームエンジンのUnityも、公式に “アセットストア”を運営することで3Dモデルなどの素材を無料や有料で公開。ゲーム開発者に素材の利用を積極的に促しているのだ。

ゲーム産業ではこうしたアセットを利用した開発が当たり前に行われている。だが佐藤は、膨大なアセットがオンライン上で半ば無秩序に公開されている現状に注目した。「インターネットにある素材データを使っていくうちに、『その素材のデータは一体何なのか、誰が作っていてどういうものなのか』が気になるようになっていきました」と佐藤は振り返る。

「それは、コロナ以前に自分が中古品やゴミ箱に落ちていた作品を作っていたのと何か関係があるような気がして、そういった作品を作るようになりました」

そう佐藤はゲームエンジンとアセットを利用した作品制作について述べている。

Uber Eatsと『DEATH STRANDING』、新たな現実感

「マシン・ラブ」展は本公開の前に、メディア向けの内覧会と説明会が行われた。その説明会で森美術館の館長である片岡真実は、近年の現代アートの動向として「様々なビエンナーレで、AIやゲームエンジンを活用した作品を見るようになった」と語っている。

今回の「マシン・ラブ」展もそういった流れにある展示だが、森美術館でこうしたデジタル領域を題材にした企画展は「22年目にして初めて」の試みだったという。キュレーターとともに2年ほどリサーチし、企画を進めていった。

しかし、森美術館サイドは「デジタル作品のみではオーディエンスに対して厳しいのではないか」という課題にぶつかっていたそうだ。コロナ禍の2020年に開催した「未来と芸術展:AI、ロボット、都市、生命――人は明日どう生きるのか」にて試みたバーチャル美術館の経験も踏まえ、今回の企画展を成立させるために「リアル空間に物理的に存在する作品」という体に収めていったそうだ。

ここで気にかかるのは「デジタル領域が覆った現実を、批評的に提示する現代アートはどこまで可能なのだろうか」ということだ。美術館で作品を鑑賞するということは、ともあれ現実世界での体験である。先述の説明会での発言のように、実際にそうした現実での展示が難しくなったことから、一時的にオンラインでの対応も迫られている。

キム・アヨン デリバリー・ダンサー・シミュレーション 2022 ゲーム・シミュレーション  コミッション:C/Oデジタル・フェローシップ2022

実際に、各作家は変貌する現実感をどう表現したのだろうか? まずキム・アヨンは、デジタル領域が覆う現実を批評的に捉えようとした作品を意識的に制作していたと思う。

キムの《デリバリー・ダンサーズ・スフィア》(2022)は、近未来の韓国のソウルにてUberのようなサービスの配達員として活動する主人公を描く。本作の特徴は、ひとつの同じテーマを映像作品版・立体作品版・そしてゲーム版の3つに分けて表現することだ。

こうした表現方法を取った背景には、間違いなくコロナ禍以降の現実世界とデジタル領域が曖昧になった現実感を描くためだろう。いっぽうで注目したいのは、その現実感を描くためにビデオゲーム的な感覚をいくつか導入している点だ。

まず映像作品ではこうだ。配達員は誰とも接触せず、バイクで指示された最短経路を進行する。そのうちに同じ経路を配達する自分自身に出会うストーリーを描いている。これは《スーパーマリオカート》シリーズなどのレースゲームに実装されているゴーストモードを思わせる。プレイヤーのレース記録が透明なゴーストとなって登場するモードのことだ。プレイヤーはそんな過去の自分自身と競争するという、いささか奇妙な体験をする。

いっぽうゲーム版では簡単なアクションゲームを展示。写真から3Dモデルを生み出す技術であるフォトグラメトリを使い、実際のソウルを3Dのステージにしている。こちらはマップ上の指示に従って移動するくらいの簡潔なゲームデザインで、「デジタル領域に浸食された現実」を表現する意味が強い。

キム・アヨン ゴースト・ダンサーズB 2022 マネキン、衣装、ヘルメット、LED、マスク、かつら、手袋、ブーツ、強化ケース

そんな自分自身と出会うという、ビデオゲーム的な奇妙なシーンを、キムは現実世界にて、立体作品として展示してみせる。ここでは映像版やゲーム版との対比によって、現実感が揺らぐ感覚を見せる意図があるかもしれない。

キム・アヨン

実際、キムから本作について話を聞くと、小島秀夫が制作したビデオゲーム『DEATH STRANDING』(2019)の名前が挙がった。本作は超常現象によって崩壊した世界で、人々が分断されて過ごしている中を、主人公が物資を配達して行くゲームプレイを主にしている。

「コロナ禍で3年ほど海外に行けなかったという、本当に稀な経験をしました。スタジオに籠っていることが多く、デリバリーで食べ物を配達してもらっていました」とキムは振り返る。これまでになかった状況から、ソウルの街を細かく見直したのが本作に通じたという。

「このプロジェクトを制作するうえで、日常のすべてから影響を受けました。そのひとつに『DEATH STRANDING』があります。私はこのゲームがすごく好きなんです」

キムはそう振り返る。「偶然だったと思うのですが、『DEATH STRANDING』はコロナ禍の生活と重なる内容でした」。そしてそれは、《デリバリー・ダンサーズ・スフィア》の内容にも重なっているかもしれない。

ヤコブ・クスク・ステンセン エフェメラル・レイク(一時湖) 2024 ライブ・シミュレーション、生成される立体音響、インタラクティブなガラス彫刻 コミッション:ハンブルク美術館 (ドイツ)

「強烈なランドスケープのあるゲームが好きなので、小島秀夫の『DEATH STRANDING』をプレイしています」

インタビューで同じ名前を挙げたのはヤコブ・クスク・ステンセンだ。

ヤコブの《エフェメラル・レイク(一時湖)》はカリフォルニアのデス・バレーとモハーベ砂漠のフィールドワークを行った、現実世界に立脚したアプローチで制作している。これが興味深いのは自然風景を徹底してデジタル領域にて表現していることだ。

オフィシャルには、広大な自然風景を描いたカスパー・ダーヴィド・フリードリヒの絵画に触発されたことが書かれている。しかし筆者が作品から感じたのは、むしろヤコブは現実の自然風景以上にデジタル領域のほうが馴染みが深いのではないかということだ。

ヤコブ・クスク・ステンセン

「私はテクノロジーに囲まれ、そしてビデオゲームに囲まれて育ってきました。テクノロジーが自然なものとしてあるんですね」

筆者の疑問について、ヤコブはそう答えた。そして、現実世界とデジタル領域の関係についてこう続ける。

「フィールドワークではマイクで音を取り、カメラで岩などを百枚から千枚に及ぶ写真を撮ります。こうして集めたデータを3Dのオブジェクトにして、ゲームエンジンに入れていきます。そうしていくと、コンセプチュアルな、概念的なものになります。現実世界とサイエンスをどのように合わせて表現できるかが、私の作品のテーマです」

Epic Games Unreal Tournament: Game of the Year Edition 2000

そんなヤコブがデジタル領域を扱うようになったきっかけは、13歳のときにパソコンでリリースされた人気ゲーム『Unreal Tournament』(1999)のMOD(改造の意味。modificationの略称)に手を付けたことだった。

欧米のゲームファンは、パソコンでゲームを遊ぶとき、MODでゲームの内容を作り変えたりすることが多い。また、自作したMODはインターネット上にアップロードし、ほかのプレイヤーとシェアする文化もある。

奇しくも『Unreal Tournament』を開発したEpic Gamesは、今回の「マシン・ラブ」展でも多くの作家が活用しているUnreal Engineを生み出した企業なのだ。ヤコブは幼いころからMODに触れてきた経験を経て、ゲームエンジンを扱うことにも慣れていったことがわかる。ヤコブは現実世界の自然を扱う作品を作っていく以前に、まずデジタル領域に馴染んでいる世代なのだ。

仏教の輪廻転生とゲーム的世界観の類似性

ルー・ヤンの展示風景

現実世界とデジタル領域の関係については各アーティストごとに扱いは異なるが、なかでも特異なのはルー・ヤンだろう。ヤンは仏教の死生観を前提にしながら、デジタル作品を作り続けている。

それだけに、デジタル領域——とくにビデオゲーム的な感覚のとらえ方もほかとは違っていた。「私たちが感じている現実世界にも、デジタルの世界にも、真実のようなものはないんじゃないでしょうか。仏教には “中观”と呼ばれる、見える表層はすべて幻想とする観念があるんです」。ヤンはそう語っていた。

今回出展された映像作品シリーズ「DOKU(ドク)」は、ヤン自身のアバターであるDOKUが仏教世界を旅する映像作品である。筆者がビジュアルから感じたのは人気RPGの《ファイナルファンタジー》シリーズの近作のようなビビッドさと外連味に満ちた世界だ。

本作はUnreal Engineで制作しているという。同エンジンを利用したゲームタイトルでは、本作に近い質感のアクションゲームも数多い。なので「DOKU(ドク)」シリーズも事前の情報を入れなければ世界の誰かが作った新作ゲームにしか見えない。そこに、ここ10年くらいのビデオゲームで流行っているメタフィクション的なストーリーも加わるため、意識的にビデオゲーム的なものを導入しているように見えた。

ビデオゲームのメタフィクションは多様なかたちで現実世界でゲームを遊ぶプレイヤーの認識を揺さぶる者が多い。たとえばプレイヤーがゲームを自由に遊んでいるように思っていても、ゲーム側からじつは筋書きの範疇でしかなかったといったと明らかにされるものから、ビデオゲームの作品世界の外側に現実世界が広がっていると明かされるものまで様々だ。

《独生独死—自我》は、そんなプレイヤーが俯瞰してゲームの世界を見つめる感覚を、仏教の輪廻転生といった死生観に当てはめているかのようだ。ヤンはこう語る。

「仏教の思想では、私たちが生きている時間もゲームとあまり変わりがないと考えられています。ゲームの戦いで死亡しても、また蘇って戦いに戻るというのは、仏教の輪廻転生と変わらないのではないでしょうか」

「将来的には自分でゲーム開発も考えているため、そのための準備としても作品を作りました」。ヤンはこれからの展開をそう語ってくれた。現代アーティストが仏教思想とビデオゲームを交えた先行事例には、たかくらかずきの《摩尼遊戯TOKOYO》(2018)があるが、そちらに近いものになるのかもしれない。

現実がデジタル領域に浸食されたのか、逆にデジタル領域が現実に浸食されたのか

マシン・ラブ」展では、このように現実世界をビデオゲームなどデジタル領域を覆う状況がどのようにアーティストに反映されたかが、ある程度は見えるものだったと思う。

ただこうした筆者の感想については、冒頭でお話を伺った佐藤は「前提として僕は違う感覚があるかもしれません」とも語った。佐藤自身は次のように考えているという。

「インターネットなどデジタル領域が現実を侵食しているとは、じつはあまり思っていません。むしろ、逆にデジタル領域のなかに現実が侵食している感覚があります。たとえば、僕が小、中学生くらいのインターネットは本当にくだらないものがたくさんありました。しかし、もっと社交的な場になったり、政治的、社会的な場に変わっていきました」

佐藤のこの指摘はもっともである。かつてアンダーグラウンドでもあったデジタル領域の数々も、拡大するとともに公共の場にもなったのは確かだ。

「これはビデオゲームの世界も同じです。たとえば『あつまれ どうぶつの森』では香港の民主化運動が行われていました。現実世界のさまざまな問題に対抗するオルタナティブな手段として、デジタル空間が使われている傾向が目立っていると思います」

「それぞれのアクションは興味深いのですが、いわゆる虚構や幻想の領域が自立して存在していないように思います。僕にとってビデオゲームやインターネットは、ここではないどこかを見せてくれるユートピア的な遊びの空間だったのですが、いまはそういうものだけに留まらなくなっています」

では、「マシン・ラブ」展は結局のところどうとらえるべきだろうか。筆者は各アーティストのインタビューも踏まえて考えたところ、現実世界とデジタル領域の関係とは、膠着状態にあるというのが実感かもしれない。

現実世界の多くがデジタル領域に重なることで決定的に新しい展望が開けているわけではないし、デジタル領域も現実世界の領域が重なることでかつての自律性が損なわれた感もあるというのがいまの感覚ではないか。「マシン・ラブ」展はそんな鈍い膠着状態という、口ごもるような感覚がある展覧会なのだ。

葛西祝

かさい・はじめ ジャンル複合ライティング。ビデオゲームを中核に、現代美術や映画、アニメーションなどのジャンルを越境するテキストを制作。現代美術とアニメ、ビデオゲームを越境する事例については、過去に東京藝術大学のゲームコース展の取材や、3Dアニメーション作家のデヴィット・オライリー氏の取材などを行ってきた。共著の「インディ・ゲーム新世紀ディープ・ガイド──ゲームの沼」では、アニメや文学、音楽シーンとゲームの越境事例について執筆。