晴れた日には対岸に中国を望むことができる、台湾の列島「馬祖(まそ、台湾華語の発音は"マツ"が近い)」。4つの郷(北竿郷・南竿郷・莒光郷・東引郷)と5つの島からなるこの地域は、1949年から1992年まで中国に拮抗する場所として厳しい軍事統制化に置かれた歴史がある。現在は観光地として一般市民にも開かれ、台北市にある松山空港から飛行機に乗って1時間ほどで訪れることができる。
その馬祖で、国際芸術祭・馬祖国際芸術島(馬祖ビエンナーレ)が2021年より始まった。この芸術祭は中華文化総会と連江県政府が主催しており、過疎化・高齢化が進む馬祖の未来の可能性をアートの力で探る試みだ。第2回目の開催となる2023年のテーマは「生紅過夏」。生紅は島の特産である老酒を醸成する際に用いる餅米、過夏は生紅の管理が厳しい夏を乗り切ることを表し、老酒のように時を経て地域が熟成していくことを目指している。
このレポートでは北竿(べいがん)、南竿(なんがん)と呼ばれる地域に展示されている作品を紹介していく。
馬祖の島々は花崗岩でできており、地元の伝統的な家の多くが石造りなのが特徴だ。人口減少によって空き家問題が深刻化しているため、芸術祭の展示会場として使われている。芸術祭を通じてローカルアイデンティティを形成し、新たな芸術創造の場にすることが、今回の馬祖国際芸術島の重要な目標の一つとなっている。
まずは北竿地域に展示された作品を見てみよう。
布を使ったインスタレーション《Bygone Days in Old Attire》は、馬祖の子供たちとアーティストの羅嘉恵がワークショップをして制作されたプロジェクト型作品だ。地元で不要になった衣服を集め結び、海に落ちたゴミに子供たちの思い出が書き布に結びつけた。
林瑩宣は1ヶ月間アーティストインレジデンスで馬祖に滞在し、地元の小学生とともに制作したカラフルな瓦の作品を廃屋の中や置いた。常設作品として芸術祭後も残る予定だ。
中国・福建省から来た移民が建てた「五間排」と呼ばれる建物は、かつては魚やエビの油を製造するなど、漁業用の貯蔵庫として利用されていた。劉致宏は地元の現役漁師から借りた漁業の網で《漁光》を制作。
五間排2階には、別の《漁光》も。薄いセロハンで海中のエビの大群を模した。自然光だけで赤く繊細に輝いていており、アーティストの劉は鑑賞者にエコフレンドリーの意識を持ってほしいと述べた。
馬祖国際芸術島では廃屋だけでなく、かつて軍事施設だった場所も展示会場として利用される点がユニークだ。
台湾には兵役制度があり、人生の大切な時期を過酷な義務制度に費やすべきかがたびたび議論の的になっているそうだ。陳俊宇の《国家はあなたを必要としています:栄光への帰還 - 馬祖募集》はその議題に挑戦的な疑義を投げかける作品だ。この映像は現役引退した老人に軍事訓練をさせるべきかどうか賛成反対の投票を募る内容になっている。
元発電所だった「北竿発電所」も展示会場の一つ。漏電や地盤沈下、ガス発生の危険性を注意喚起され、ヘルメットを被り緊張の面持ちで発電所へ向かうトンネルを進んで行くと、赤く光り重低音が響く元発電所の基幹部が見えた。キュレーションユニット・台電公共芸術(台電パブリックアート)がアーティスト、音響デザイナー、イルミネーションアーティストなどを誘って制作した作品。光と音で軍事統制下の雰囲気を再現したそうだ。
芸術祭を通じて国際交流を図ることも今回の芸術祭の重要な目標の一つとなっており、海外アーティストも多数参加している。ところ変わって北竿から南竿へ船で移動すると、港ですぐバルーンの巨大な黄色い作品を見ることができた。
胡宮ゆきなは沖縄出身のアーティスト。《平和なんて朝飯前(10XL)》は台湾のベビーカステラから着想を得て、銃と鳩型を黄色い風船で作り、戦争と平和が常に隣り合わせの状態でいること、空気を入れ続けないと萎んでしまうバルーンのごとく儚い平和を表現した。
地元の協力を得て、現役の新聞社「馬祖日報」の社屋が展示会場の一つになっていることも面白い。
北竿には祈夢と呼ばれる民間宗教があり、夢の中で神に質問を投げかけ答えをもらう一種の明晰夢。
フランス人アーティスト、エマ・デュソンはその習わしに着想を得、映像《面向汝(汝に向かえ)》を制作。地元の3人を作品に登場させ「どのように恐怖と脅威に立ち向かうか?」と質問を投げかけた。この3人が閩東語(びんとうご。中国福建省で話される言語で馬祖列島でも使われる)の歌で返答する内容だ。
小さな馬祖にも地元出身のアーティストがいる、曹楷智だ。この建物は「中山堂」という、かつて軍人が利用する雑貨屋だった施設を、曹楷智とその妻・李若梅がアートスペース兼スタジオとして蘇らせた。
曹は馬祖で生まれ育ち、青年期に23年間スペインでアーティストとして活躍、地元に帰り創作を続けている。《他郷は故郷》は曹楷智の妻李若梅と娘曹元夢が一緒に制作した作品。馬祖では珍しい働く女性だった曹楷智の母親が使っていた漁業用の網を、インスタレーション化した。
浜辺のほうに足を伸ばすと、貨物を運ぶ軍事用の船の近くに《海は私の陸地です》はあった。伊祐・噶照は台湾本島少数民族出身のアーティスト。もう使用されていない軍事船からベッドや窓などを素材として取り出し彫刻作品へと蘇らせた。かつて軍事用地のためビーチに入ることを禁じられた馬祖の人々の歴史を、海から陸、陸から海へ入る進化を遂げた鯨の進化の姿と重ねた。こちらも常設作品として残る予定だ。
軍事用トンネルなどもある戦争遺物を半屋外の建築物に変身させた「26拠点」。2023年9月にプレオープンしたばかりの海に面する新スペースは今回の芸術祭で見所の一つだ。科学、文化、教育さまざまの要素がミックスする場として創造され、今後は地元産の食材を振る舞うレストランになるなど新たな展開も期待されている。
26拠点の中には、軍事用の観測場所だった場所もありこちらも一般観光客向けに開かれている。こちらの観測所では海の中から敵が攻めてこないかレーダーで監視していた。クラウディン・アーレントとスヴェン・ガスタールは海のレーダーの模様を彫刻作品《大海を見る方法 - 陶磁器の複製を用いて》に仕上げた。
馬祖の文化と生活を模型やパネルを使って紹介する馬祖民俗文物館では雲型の作品が数え切れないほど浮いている。
京都出身のアーティスト高橋匡太による《通往雲的故鄉(雲の故郷へ)》は、香川県高松市の島・男木島と馬祖の子供たちをつなぐ作品だ。雲は高橋が馬祖を訪れた時に天候が変わりやすい馬祖の人々が雲の動きを読むように行動していたのを印象的に思い、モチーフとして選んだそう。
島をバスで走っていると、窓から第1回目の開催時に参加したドイツのアーティスト、ラース・コブゾの《imagine...》が常設作品を見ることができた。
かつて歓楽街だった街「梅石」に移る。「軍官茶室(別名:軍官楽園)」と呼ばれた娼館や美容室が集い、娯楽街として賑わった場所の賑わいの火は消え、軍事統制解除後は廃屋が多数出ている。アートの力を借りて家を再度蘇らせる試みがここでも行われていた。
《植物微星球計畫》には、植物が吊るされ温室のようになっていた。
石でできた家の壁をアルミで擦り、模様を浮き出している窓の外の景色をアルミに反射させ、家の中に取り込む試み。近くの森で見つかった馬祖固有の植物を島々の繁栄を願うように植えた。
共感の景観創造は2015年10月に創立された建設チーム。陶芸家と協力し、梅石の集落遺跡にかつて居住していた記憶を陶作品として蘇らせて埋めた。
軍の集会所だった広い建物も展示会場になっていた。会場に入るとそこには、陳治旭による切り紙のインスタレーション《収信快楽》が。
インスタレーション《収信快楽》の後には、ランダムに手紙の内容と軍人の肖像が力強い歌とともに流れる映像作品《収信快楽》。マレーシア出身のアーティスト、ライト・ロウによるものだ。作品名にもなっている「収信快楽」とは手紙冒頭に添えられる挨拶。馬祖は軍事統制時代、手紙は検閲されていた。見た目の強さを求められる軍人達の繊細な内面を映し出す手紙に着目した作品だ。
芸術祭を巡る上で楽しみなことのひとつは食べ物だ。馬祖は海産物が豊富でムール貝の養殖も盛んだ。馬祖ベーグルとも呼ばれるゴマがまぶした香ばしいパンが名物でお勧めしたい。そのまま食べたり、貝類が入った卵焼きやお肉を挟んで食べる。
また芸術祭期間中、地元のお年寄りたちや、地域外から嫁いできた女性たちのグループによる手作りのお弁当も提供。公式HPより予約を受け付けている。
馬祖国際芸術島総合プロデューサーの吳漢中(ウー・ハンヂョン)はTokyo Art Beatの取材に対し、以下のコメントを寄せた。
馬祖は美しい風景と豊かな海産物が魅力的な地域だ。日本から台北、台北から馬祖へ来て、その素晴らしさをアート作品、芸術祭と共に堪能してほしい。
馬祖国際芸術島は最低でも10年間で5回開催する計画で地元の人々と芸術祭スタッフ達は準備を進めている。離島であるためアクセスが天候に左右されやすく、また海外観光客はまだまだ少ないため英語が通じにくいなど言語的なハードルが高い場所だが、それを踏まえても魅力的な場所であることは間違いない。ぜひ訪れてみててほしい。
馬祖国際芸術島(馬祖ビエンナーレ)2023
主催:中華文化総会、連江県政府
総合プロデューサー:吳漢中
開催期間:2023年9月22日〜11月12日