公開日:2025年9月11日

ミリタリーウエアはファッションにいかに引用されてきたか? 軍服由来の衣服の歴史をたどる(文:朝日真)【戦後80年特集】

カモフラージュ柄にMA-1、ナポレオンジャケットなど、軍服からインスピレーションを受けたデザインのファッションは、いまや様々なブランドのアイテムからミュージシャン・アイドルの衣装まで、日常的に見ることができる。身近なファッションのルーツのひとつにある「戦争」。こうしたミリタリーモチーフは、どのようにして現代の衣服に取り入れられるようになったのか。文化服装学院の専任教授で、西洋服飾史を専門とする朝日真が解説。

photo: Hannah Wernecke

狩猟服のマリー・アントワネット

昨今、日本のストリートで流行っているアイテムの多くは、ミリタリー由来のアイテムばかりである。特に冬のアウターであるトレンチコート、ピーコートやダッフルコートなどは、かつては軍服だったものである。2014年から冬になると見られるようになったMA-1は、流行というよりはベーシックアイテムの仲間入りをしたのかもしれない。それより数年遅れて流行ったムートン(ほとんどがフェイク素材だが)のボンバージャケットは、ユニクロからも発売され、2024~25年の冬でもまだ見られた。またY2Kファッションのリバイバルから、カーゴパンツは季節を問わず見ない日はないくらい流行している。合わせて今シーズンはカモフラージュのアイテムもよく見るようになった。

photo: Neil Wallace

いつごろミリタリーウエアをおしゃれ、ファッションとして着るようになったか特定するのは難しい。早い事例としてマリー・アントワネットの肖像画が思い当たる。オーストリアの画家ヨーゼフ・クランツィンガーが、1771年に描いた狩猟服の「habit de chasse」を着たマリー・アントワネットの姿である。

1770年14 歳のとき、オーストリア名マリア・アントーニアが、フランス・ブルボン家の王太子となったルイとヴェルサイユ宮殿にて結婚式を挙げる。以後マリア・アントーニアはフランス王太子妃マリー・アントワネットと呼ばれるようになった、その翌年に描かれた肖像画である。

ヨセフ・クランツィンガーによるマリー・アントワネットの肖像画

彼女は本来男性の帽子であるトリコルヌ(三角帽)をかぶり、前面を金色のブレードのブランドブール(飾り紐装飾)で飾った赤いアビ(18世紀の男性の盛装のコート)を着ている。手には黄色の子ヤギのなめし皮の手袋をつけ、右手に鞭を持っている。

彼女が着ているアビの前面を飾っているブランドブールは、17世紀後半以降多く見られる軍服のデザインに由来する。ブランドブールは、オスマン帝国の民族服であるカフタンの前面を飾るフロッギング(モール装飾、ドイツ語でブランデンブルグ)に由来する。当時ヨーロッパ諸国の大きな脅威であったオスマン帝国のユサール(騎兵科の兵科のひとつである軽騎兵)が着ていたデザインである。そのユサールがセルビア、ハンガリー傭兵を通じてポーランド、そしてマリー・アントワネットのハプスブルク家オーストリア、フランス、プロイセン、そしてイギリスなどヨーロッパ主要国へと伝わる。同じく彼らユサールが着ていた軍服のデザインも、ヨーロッパ諸国へと広まっていく。ナポレオン時代のフランスでは、フロッギングがついた丈の短いジャケットのドルマン(ジャケット、トルコ語から)を着た軽騎兵ユサールは、ヨーロッパ最強であった。そのためか、現在でもフロッギングがついたジャケットは、「ナポレオンジャケット」と呼ばれている。

1960年代における17〜18世紀の軍服の流行とビートルズ

同じ17~18世紀の軍服のデザインが若者のあいだで流行した例がある。1960年代にロンドンのポートベローにあった「I was Lord Kitchener’s Valet」というショップがきっかけとなった通称「レッドコート」の流行である。そのショップはジョン・ポールとイアン・フィクスという若いふたりが経営し、当初は中古衣料の販売をするショップだった。1966年秋頃から、南アフリカで起きた第二次ボーア戦争期(1899〜1902)のイギリス軍のレッドコートを500着ほど仕入れて店頭に並べたという。

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そのレッドコートの起源は、ピューリタン革命の中心人物だったオリバー・クロムウェルのニューモデル軍が、1645年、全陸軍に対し、赤(スカーレット)のコートをユニフォームとする、とした宣言からはじまった。赤はイングランドの守護聖人のセント・ジョージの十字架などが由来だが、敵に威圧感を与え、兵隊数より多く見せる錯覚を起こさせた。1660年、チャールズ2世による王政復古の際には王直属の近衛騎兵が、そして1685年、ジェームス2世の戴冠式の際にも、第一近衛歩兵連隊がルビア・ティンクトラム(西洋茜)で染めた赤のブロードクロスのレッドコートを着た。19世紀以降はコチニールも染料として使われた。

18-19世紀の英国歩兵軍服(1916年刊行の資料より)

ビートルズのポール・マッカートニーは、ブリティッシュポップ・アーティストであるピーター・ブレイクと偶然「I was Lord Kitchener’s Valet」にディスプレイされていた軍服を見た。それをきっかけに、アルバム『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』(1967)で、メンバーが蛍光色の軍服を着た写真がレコードのジャケットデザインになった。

また、1966年、ジミ・ヘンドリックスが渡英した際、ロンドンのヴィンテージショップで購入したフロッギングで飾ったドルマンを着ていた際、イギリスの警察官とトラブルになったという伝説は有名である。

ジミ・ヘンドリックス

それらドルマンやレッドコートは、現在のファッションデザイナーたちによって様々なデザインがされ、ファッションウィークで発表されている。2006年SS、エディ・スリマンのDIOR HOMMEが赤い短めのナイロンジャケットにフロッギングをつけた作品を発表し、2008年AWのAlexander McQueenは同じくフロッギングで飾った作品を赤いドレスとしてデザインしている。2009年SS、 クリストフ・ドゥカルナンはBalmainからフロッギングのドルマンとタイトパンツを合わせて女性服として提案し、同じBalmainから2016年AW、オリヴィエ・ルスタンは豪華な数多くのドルマンでメンズコレクションを飾っている。

冬の定番となったMA-1やボンバージャケットのルーツとは?

しかし昨今ストリートで流行しているミリタリーアイテムは、20世紀以降の戦争で使用されたものが多い。1970年代以降、ミリタリーアイテムやカモフラージュがストリートに多く見られるようになったのは、やはり背景として長期化したベトナム戦争がある。アメリカ軍の放出品(サープラス品)がストリートに流れ出たこともその理由としてあった。

『エル』や『ヴォーグ』など著名なファッション誌が、ミリタリーアイテムを纏ったスタイリングのモデルを誌面に掲載しはじめたのもこの頃である。それ以降、ミリタリーアイテムは頻繁にストリートファッションに見られるようになった。昨今の例では、2014年頃から流行しているMA-1は、レシプロ機からジェット機へ対応するために、アメリカ軍の特殊衣料担当ユージン・ヘイガン氏をはじめ12人のデザイナーにより、B-15の後継として、1957年に採用されたフライトジャケットである。1980年代以降周期的に流行し、トレンチコートなどとともに見ない冬はないくらい冬の定番アイテムになった。

数年前までよく見たムートンのボンバージャケットは、第二次世界大戦中の機内与圧がされていない飛行機の時代のもので、本来はマイナス30度の環境で着るものである。アメリカ陸軍航空隊が着ていたB-3やイギリス・ロイヤルエアフォースのアーヴィンジャケットなどが原型になる。そのほかにも、極寒の朝鮮戦争を想定して作られたM-51フィールドパーカーは、1960年代ロンドンのモッズの愛用アイテムだった。彼らは寒い冬のロンドンで、イタリア製スクーターのヴェスパやランブレッタに乗る際、自慢のスーツの上の防寒着として着たが、やはりその多くがアメリカ軍の放出品だった。日本でも2000年代以降、通称モッズパーカーと呼ばれ、後継のM-65フィールドパーカーとあわせて頻繁に流行している。

2015年AW、エディ・スリマンのサンローラン、そして日本人デザイナー阿部千登勢によるsacaiは2023年AWに続き2025年AWにもフライトジャケットをコレクションに加えている。

19世紀後半にワークウエアの代表格であるデニムが登場し、20世紀に入ると上流階級だけではなく中産階級の人々もスポーツをするようになりスポーツウエアという新しいジャンルのファッションが生まれる。それ以前、その時代の最も機能的な衣服は軍服だった。またその軍服の歴史は、男性服の歴史ともかなり重なる部分がある。

それら軍服由来のファッションを楽しんでいるほとんどの人たちは、ミリタリーアイテムを格好がいいから、機能性に優れているから、または一部のビンテージを除くと街の古着屋で安く販売されているからなどの理由で選んでいるのだろう。そしてほとんどの人たちはその服が持っている歴史を知らないで着ているのかもしれない。ジミ・ヘンドリックスの逸話も、彼が着ていた軍服の持つ歴史からのトラブルだった。今年、太平洋戦争終戦80周年を迎えた。戦争を体験した年代の方々が高齢になり、戦争の現実を直に聞く機会が減りつつある。これをきっかけに自分が着ている軍服由来のアイテムが辿ってきた歴史に興味を持ついい機会の年なのかもしれない。


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朝日真

朝日 真/あさひ しん 文化服装学院専任教授、文化学園服飾博物館特命研究員、専門は西洋服飾史、ファッション文化論。 1988年、早稲田大学文学部卒業後、文化服装学院服飾研究科にて学ぶ。『不滅のファッション図鑑』『もっとも影響力を持つ50人ファッションデザイナー』監修。NHK『テレビでフランス語』テキスト「あなたの知らないファッション史」連載。文化出版局『SOEN』他ファッション誌へ寄稿多数。ユナイテッドアローズ、ユニクロ、エルメスでの企業研修講師、NHK「美の壺」「チコちゃんに叱られる」他テレビ出演多数。