8月10日〜8月20日、沖縄県立芸術大学附属図書・芸術資料館で「沖縄画―8人の美術家による、現代沖縄の美術の諸相」が開催された。ディレクターは土屋誠一(沖縄県立芸術大学美術工芸学部准教授)。企画は土屋のほか、富澤ケイ愛理子(イースト・アングリア大学専任講師)、町田恵美が担当した。
沖縄という地縁を手がかりに、新進気鋭のアーティストの作品を一堂に会し、それらを「沖縄画」と呼ぶ本展。そこで見えた、現代の沖縄の芸術とはどのようなものなのか。大阪中之島美術館学芸員の中村史子が論じる。【Tokyo Art Beat】
「青い空と海が広がる自然豊かな南の島」「琉球王国と東アジアの国々、そして地域固有の文化が伝わる土地」「琉球処分から沖縄戦、アメリカによる占領、そして現在の基地問題にいたるまで、国家に翻弄されてきた地域」。そのすべてがきっと正しい。しかし、どれかひとつのフレームのみで沖縄を括ろうとすると、どうなるだろうか。途端にそれは、沖縄のいくつもの入り組んだ要素を、ステレオタイプなイメージへと一元化し、この土地がはらむ課題をも矮小化することにつながる。
それは、表現の次元についても当てはまる。単一の視点のもとで、いかに沖縄の様々な表現を、誰もが納得しうるかたちで統一的に語りうるのか。本展は、その困難をあえて引き受け「沖縄画」と冠している。それはどのような展覧会となるのだろうか。
8月の強い日差しのもとから会場となる大学ギャラリーに入ると、照度と気温が急激に変化したためか、瞬間的に目眩のような症状を覚える。その目で、会場入り口すぐに掲示された、A4用紙10数枚の企画趣旨のワードの文章と向き合う。通常、展覧会の最初に掲げるテキストは、立ったまま読むことを想定し、400字から1500字ほどがセオリーとされる。本展の壁に貼られたテキストは、カタログ論考の草稿らしく、立ったまま読むにはやや長く、目が滑ってしまう。
そのため、先に展示室を見て回ることにする。展示室は3つに分かれている。
最初の大きな展示室で目に飛び込むのは、南国の自然や、文化の古層を意識させる作品だ。
泉川のはなは、沖縄を代表するイメージのひとつ、首里城を、琉球処分から観光名所となった近年まで、時代ごとに描きだす。パイナップルや首里城には足が生え、沖縄をめぐる観光客とも、沖縄の歴史を旅するタイムトラベラーとも見える。あるいは、いかなるものも特定の土地に縛られはしないという意味なのだろうか。
いっぽう、平良優季は、亜熱帯ならではの色鮮やかな草木や蝶、そして水面の広がりを、複数の画布を組み合わせて表現する。美しい自然の景色はストライプ状あるいは格子状に分断され、そこに批評的距離が生じている。あるがまま無限に広がる大自然など、無邪気には語り得ない。
こうした距離の取り方は、仁添まりなの「琉球絵画」にも通じる。すでに途絶えてしまった「琉球絵画」の伝統的技法を、仁添は緻密な調査とともに復興させる。しかしその過程で、彼女はウィリアム・モリスなど欧米の意匠や、北谷地域の難破船の伝承、最近のサブカルチャーも取り込み、「琉球絵画」をよりトランスナショナルな図像として再生している。
彼女たちとはやや異なるアプローチとして、沖縄のガソリンスタンドを描く高橋相馬の作品がある。ややひなびたガソリンスタンドの風景は、「のんびりした南の街」のイメージとも重なり合う。とりわけ、色褪せた看板やファサードの意匠は南国の地方都市らしい風情を漂わす。同時に、画中に描きこまれたガソリンの価格が目を引き、ガソリンをめぐる国内外の流通やインフラについても想起させられる。
2つ目の部屋には、米軍基地や沖縄の歴史を主題とした西永怜央菜のインスタレーションが展示されている。もっとも、西永はそれらの主題を、米軍関係者向けのお土産ともなった沖縄人形の変遷と、米軍基地内のハロウィーンパーティーに参加した幼い頃の経験をもとに、作品化している。ハロウィーンのお化けの扮装をした沖縄人形は、どこの家を訪ね、そしてどこに帰って行くのか。沖縄および自分自身を取り巻く文化的ルーツの混交性と、アイデンティティの可塑性が浮かび上がる。
3つ目の部屋で展示を行う寺田健人も、米軍基地と沖縄戦を扱っている。ただ彼が指し示すのは、戦争そのものの暴力性ではなく、戦争の悲惨な傷跡や基地の存在が、地域の再開発、商業化、観光地化によって不可視となりつつある事実である。寺田は戦争の痕跡を可視化すべく、薬莢を溶かし金継のように弾痕に流し込むが、結果的に弾痕が装飾的に美化されてしまうのは、一種のアイロニーだろうか。
6名の作品は、表現の出発点、背景、過程に「沖縄」との関わりを持っている。しかし、記号的な「沖縄」、一面的な「沖縄」にはとどまらない。いずれも、それらを疑い自分自身で解釈し、さらに各々異なるかたちでアウトプットしている。これらの作品から、本展が「沖縄画」という、総括するような強い言葉を掲げたうえで、同時にその解体を試みているのは明らかだろう。「沖縄画」と冠しながらも、その実相の多様さを示し、「沖縄画」などと統一的、画一的に名指すことは不可能だと逆説的に示しているのだ。
ただ、上記の言葉で綺麗にまとめては、この挑戦的な企画を論ずるにあたり少々不十分かもしれない。というのも、何かを包括的な枠組みで括りつつ、その解体を招くという両義的試みは、沖縄以外の他地域でもある程度、可能だからだ。
そのなかにあって本展は、こうしたアンヴィヴァレントな身振りがもたらす、語りづらさやひずみが極めて鮮明に、ある種の政治性をも帯びて炙り出されている。それこそ、本展をまさに独自のものとしているのではないか。
A4用紙で会場最初の壁に貼られた長い論考へと立ち戻ろう。本展では、企画者によるこのテキスト以外に、各作家、各作品の文字情報は、鑑賞者にほとんど提供されていない。展覧会チラシに掲載されている作家の基本情報(生年、出身地、拠点等)も、会場で配られたキャプションシートでは省略されている。(*)
私は、鑑賞者にとって必ずしも読みやすくはない冒頭の論考が主な文字情報として提示され、作家自身、あるいは各作品に関する文字情報が少ない状況にやや戸惑った。そして、企画者による長文と作家・作品に関する情報の少なさにこそ、本展をより深くとらえるための端緒があるように私は感じた。
というのも、この非対称性は、沖縄という磁場においては、いとも容易く別の非対称性へと敷衍されうるからだ。本土/沖縄の歴史的、政治的非対称性。あるいは、展示するもの/されるものから成る展覧会そのものの構造的非対称性。それらはともに、帝国主義、植民地主義とも不可分である。
その非対称性へと敷衍された結果、本土から沖縄へ移住した企画者による長い論考は、その論考内容の如何にかかわらず、本土的なるものを背負うこととなる。それはまた、本稿、沖縄県外からの来訪者である私のこのテキストにも課せられる。このように、他地域から訪れた者であっても、いや、だからこそ真摯に向き合わざるを得ない構造が、企画自体のアンヴィヴァレントな身振りに、一種の強度と独特のひずみを奇しくも付与しているのだ。
けれども、繰り返しとなるが、本展覧会の目論見は「沖縄画」なるものへ複数の表現を包括しつつ、同時に、そこから解放することにある。先の非対称性を強く意識するがあまり、作品そのものが等閑視されては意味がない。最後に再び、本展で異彩を放っていた2名の作品に立ち戻る。彼らの作品は安易に期待される「沖縄画」からもっとも隔たっている。
たとえば、湯浅要の抽象絵画。会場に入って私が感じた目眩にも似た感覚が、湯浅の作品に面すると甦える。画布が木枠の矩形からずれはみ出しているため、見る者の均衡感覚が揺すぶられるのかもしれない。その逸脱は、枠組みへの抵抗というより、風が吹いてたまたまずれたといった軽やかさをたたえる。顔料の塗布と拭い取りが繰り返された画布も、いまなお変化の途上にあるようだ。
いっぽう、陳佑而は、乾漆や粘土で写実的に作られた動物の彫刻と、ドローイング、写真、さらに実物の植物等を、展示台や額縁等を用いず露出展示する。床や壁に直に設置されたフクロウや蛾、爬虫類は、動植物と人との共生のような通りの良い言葉以上に、違和を強く突きつける。陳が描き出す動物のなかには、頭だけ、上半身だけのものも多いためか。それら断片化された動植物の身体が無防備に展示室に散在している。とりわけ、床に置かれたトカゲは、つまずいてしまいそうだ。しかし、このつまずきそうな微細な感覚、足元を見て立ち止まり、腰をかがめるさりげない行為こそ、私たちは展覧会という営為において守るべきではないか。
これらの作品が、この「沖縄画」展に奥行きをもたらしている。先に取り上げた非対称性が強く喚起されるなかでもなお、これらの作品のおかげで、本展には重苦しさがない。私も深く呼吸ができる。たとえ、そこに私自身の願望が投影されているとしても。
沖縄という土地について。展覧会の企画趣旨やその構造について。個々の作品について。展覧会では、そのすべてを、ひずみも含め同時にとらえられるはずだ。そして、そこが展覧会のもつ最大の強みだ。言い換えるならば、すべてがひとつのイシューへと美しく収斂可能な展示は私の理想ではない。本展は、結果的にそれをアクロバティックに回避し、位相の異なる事柄を同時に差し出していた。そこは強調してもしすぎることはないだろう。
*──もっとも西永は、インスタレーション中で、沖縄人形の歴史を中心に言葉を紡いでいる。また、出展作家による解説動画が入り口で流されたほか、企画者や出展作家が在廊し鑑賞者に直に説明する機会があった点は留意されたい。
中村史子
中村史子