公開日:2025年9月8日

「アート界よ、ダイエーで頭を冷やせ!」梅津庸一に聞く、パープルームギャラリー・ダイエー海老名店オープンの舞台裏(聞き手:中島晴矢)

神奈川県郊外にあるショッピングモール「ダイエー海老名店」に現代アートのギャラリーが誕生。店長の梅津庸一にアーティストの中島晴矢がインタビュー 撮影:編集部

パープルームギャラリー・ダイエー海老名店にて、店長の梅津庸一(右)、副店長の安藤裕美(左)

美術家・梅津庸一が主宰を務める美術の共同体「パープルーム」が、神奈川県郊外のダイエー海老名店にパープルームギャラリーを新装開店させた。8月25日昼過ぎ、オープン早々にこの地に足を運んだのは、アーティストの中島晴矢だ。自身の活動のなかで都市論や郊外といったテーマを扱い、現在は「美学校」の講師として梅津の同僚でもある中島が、アート界を騒がすパープルームギャラリーのダイエー出店について、梅津にインタビューを実施。「いまアートがワクワクするような分野じゃなくなっている」。そう語る梅津が、ここダイエー海老名店で体現しようとしているものとは、いったいなんなのか?【Tokyo Art Beat】

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ダイエー海老名店

美術の特権性を解体すべく、あらためてダイエーで頭を冷やす

──駅から歩いて数分のダイエー海老名店。その2階にパープルームギャラリーがオープンしたということで、ここ1階フードコートにて「店長」の梅津さんにいろいろと話を聞いてみたいと思います。

梅津庸一(以下、梅津) 活気のある場所なので声が聴き取りにくいかもしれません。美術メディアがダイエーのフードコートでインタビューを録るって、初めての試みじゃないですか?

──初だと思います(笑)。まず、これまでパープルームの拠点と言えば相模原でしたが、なぜ海老名に?

梅津 相模原に住んでいて映画を見に行こうとすると橋本か海老名なんですよ。僕は学生時代にも山形から上京して相模原にいたんですが、大学1年生の頃に「ViNAWALK(ビナウォーク)」ができて。当初はすごくピカピカだったので、昔から海老名には良い印象があったんです。

──ビナウォークというのは?

梅津 2002年に開業した海老名駅前の複合商業施設ですね。マルイやシネコン、7重塔のモニュメントなどがあって、それらを遊歩道がつないでいます。完成した当初は最新鋭のテーマパークのような輝きがありました。

左から、梅津庸一、中島晴矢 ダイエー海老名店1階のフードコートにて

──駅前全体がキラキラした大型のショッピングモールだったわけですね。

梅津 「憧れの海老名」だったんです。あと、いま僕の陶芸のスタジオが海老名にあるから、ここ数年よく来ていました。「シンリュウ」という陶芸の材料屋さんの2階を使わせてもらっていて。というのも、海老名って国道246号線が走っていたりとか、流通における利便性が高いので、各種資材屋の倉庫が揃ってるんです。陶芸の世界も日々何十トンという粘土を運びますからね。

──海老名はロジスティクスの要所でもあると。逆に、神奈川県の郊外から東京都内に「上る」という考えはなかったんですか?

梅津 家賃の問題もありますし、そもそも都心のアート業界に飽きてしまったところがあって。六本木にしろ天王洲にしろ、要するにお金持ちセレブ向けのセレクトショップじゃないですか。そういう都心のギャラリー界隈か、あとは美術館か芸術祭。いま主にこの3つくらいしかアートを見る場所がなくなってしまっている。そこで、もうちょっとアートの生息域を広げたいと考えたとき、「ダイエーだ!」と。

ダイエーの吹き抜けから見たパープルームギャラリー入口

──なるほど(笑)。相模原時代のパープルームギャラリーは年季の入った建物の一角にありましたよね。海老名でも、ダイエーではなく路面店や民家の一部といった選択肢はあったと思うんです。ダイエーを選んだ理由は?

梅津 いろいろ物件も見たんですが、圧倒的に「アガった」のがダイエーだったんです。戸建てのスペースだと以前と変わらないし、それどころかパワーダウンしかねない。相模原時代は隣に「みどり寿司」があったり、(住居スペースの)下の階がラーメン屋だったりと、なんだかんだおもしろかったので、パープルームとして新たな挑戦をしたかった。それに、ダイエーには美術系のテナントが入った前例がないらしいんですよ。

──海老名店だけじゃなく、ダイエーグループ全体で初めてなんですか。

梅津 そうなんです。それもあって審査に半年ほどかかりました。ダイエー側からは「この人たち本当に大丈夫なのか?」という目で見られて。「仕入れてきた絵を販売するの?」と聞かれたので、「いや、そういうことではない」「文化振興でもある」「海老名にもっと美術があっていいと思う」って話をしたら、「言ってることがよくわからない」と(笑)。

パープルームギャラリー

──百貨店なら美術を扱うノウハウがあるでしょうけど、ダイエーはあくまでショッピングセンターですもんね。ダイエーと言うと、ゼロ年代によく批判的な文脈で論じられていたことを思い出します。いまやダイエーを傘下に収めたイオングループを含め、それらは文化なき郊外における入れ替え可能な商業空間で、グローバル資本主義に与する「ファスト風土」(三浦展)の象徴である、と。こうした言説に対してはどう思いますか?

梅津 そういう議論に関しては僕のなかでも二重性があります。たしかにダイエーにはアートやカルチャーがないと感じる自分もいるけれど、いっぽうでそんなに簡単な話じゃないというか。たとえばスーパーやチェーンの飲食店で働いてみるとわかりますが、どんなに巨大資本が運営していても、そこで働く人には固有の時間や体験があるわけです。消費者としてもみんなマクドナルドは利用するし、スーパーなくして生きていけない。それを「資本主義の権化であり文化がない」と言うことは容易いけど、僕は「どういう立場からそんなこと言えるんだろう?」と思うんです。同時に、それは現代アート界の問題そのものです。いまアートは多様性を謳っていますが、その割にずいぶん高いところからしかものを言ってないんじゃないか。

──その点は同感です。郊外批判にしろ昨今の現代アートにしろ、自戒を込めて言えば、要するに特権的な立場から多様性を称揚しているに過ぎませんからね。

梅津 そう。そこで、頭のなかのもうひとりの僕がアドバイスをくれたんですよ。「梅津くん、そろそろダイエーあたりで頭を冷やすべきなんじゃない?」って。

──ダイエーで頭を冷やす!(笑)。

梅津 郊外やアートの話などトピックはいろいろあるけど、実際に助成金も貰わず、クラファンも使わずにテナントをオープンすると、思っている以上の負担がかかります。その負荷が日常になって初めて自分が当事者になる。それでようやくアートを考え始めることができると思う。

パープルームギャラリー・ダイエー

──具体的にはどんな負荷を感じてるんですか?

梅津 経済面はもちろんですが、ダイエー、つまり社会一般のルールに美術の営為をすり合わせる。言うまでもなく、ここはダイエーの秩序や力学で動いているので、僕らも数あるテナントのうちのひとつに過ぎないわけです。それこそ美術の特権性がまったく認められていない。だから「ちょっとおもしろい店だね」と言われるまでが大変でしょうね。継続性も必要ですし、まずは接客業の「いろは」、そして他店のスタッフさんと会ったらしっかり挨拶をするとか、そういう基本的なところから頑張ってます。

──先ほどダイエーのバックヤードを案内してもらいましたが、物流業者の方、荷下ろしの方、スーパーの店員さんなど、たくさんの方々と同じ環境のもと働くことになるわけですからね。

梅津 同じ出入口から出勤しますからね。僕らの扱う美術作品だって、毎日食品が行き来する搬入口から運ばれてきます。もちろん美術作品だからといって優遇されることはあり得ません。ダイエーはスーパーなので、むしろこちらが気を使う必要がある。まぁ、僕のなかでも知らず知らずのうちにアートを特権化している自分がいたんですよ。そんな自分を叩きつぶすために「頭を冷やそう」と。……ただ、そういうメタ視点もだんだんなくなっていくのかも。アート業界から来たはずが、どんどんダイエーの人になっていくみたいな(笑)。

──ダイエーの秩序を内面化しつつある(笑)。

パープルームギャラリー

幅広い鑑賞者に開かれた、インディペンデントな「専門店」

──いま平日の昼間ですが、フードコートは学生さんや親子連れでいっぱいです。夏休みということもあって、すごい活気ですよね。そんなお客さんたちをどうやってパープルームギャラリーに流入させるのか。あるいは、「こういうお客さんに来てほしい」といったペルソナはありますか?

梅津 あくまで僕らはテナントなので、お客さんを「選ぶ側」じゃなくて、お客さんに「選んでもらう側」という姿勢です。今日もふらっと入ってきてくださった方は何人かいて、早くもそういう流れは始まっています。もちろん混雑しすぎると作品破損の恐れなどが出てくるので、その都度適切に対応しようと思っていますが。

──それは展示の内容や陳列する作品で幅広い層のお客さんに開くということ?

梅津 いえ、変に敷居を下げるために、こちらが考える大衆像を勝手に設定するつもりはなくて。ダイエー海老名店の2階は、100円ショップやブティック、ジム、学習塾、弁護士事務所など「専門店」のエリア。パープルームギャラリーも、いわば専門店です。必要以上に想像した架空のお客さんに媚びるようなことはしません。自分たちの専門性を、美術界に閉じたかたちではなく当たり前に開いていく。言い換えるとそれは観客を舐めないということでもあります。

そのいっぽうで、アート界隈でしか通用しないようなトレンドや言い回しは避けていきたいですね。ステートメントをなるべくわかりやすく書くとか、そんなことを意識してます。美術界の人間ってみんな文章が下手なのに、小難しいテクニカルタームを散りばめて防衛してる。そして言ってることは大したことないみたいなケースも散見される。カッコつけるなよって(笑)。自戒を込めてですが。

梅津庸一

──いや、わかりますよ(笑)。では自分たちの専門性の軸はブラさず、同時にアートピープル以外の人たちにも広く届けたいと。

梅津 はい。ただ「どこからどこまでがアート業界、アートの観客なのか」は難しい問題です。それはつねに変動するし揺らぎがある。だって、わかりせんよね。親とダイエーに来た小さい子がたまたまパープルームギャラリーに寄る。その体験がきっかけとなって、美術家にはならないにしても、その子が10年後に美術を好きになっているかもしれないわけです。そういう人が現れる可能性もゼロではないのだから、絶対にその芽を摘むべきではない。しかし、先ほど述べたように媚びる必要もない。いずれにせよ、適度な距離感を探っていくつもりです。慈善事業でも町おこしプロジェクトでもないので。

──オープニングの展覧会を拝見しましたが、パープルームに関わってきた大勢の作家や、相模原と海老名にゆかりのある作家も加えた、かなり大規模なグループ展でしたね。

梅津 ギャラリーの柿落とし展なので、パープルームがダイエーに入ることがいちばんのトピックになってしまうかなと。特定の作家の個展やグループ展にするとダイエーネタに食われてしまうだろうから、祝祭感のある大型のグループ展にしようと考えました。

パープルームギャラリー

──作品の販売システムも独特ですよね。売上の100%を作家に還元すると聞いています。ただ、スペースのランニングコストはかかり続ける。経営的には大丈夫なんですか?

梅津 販売に関しては相模原時代からこのスタイルで。ある作品をほしい人がいたら、作家か所属ギャラリーにお繋ぎするだけ。コマーシャルギャラリーのような業務は極力やりません。ランニングコストを賄うのは、店長の僕と副店長の安藤裕美さんの作品の売上です。かなり頼りない、杜撰な事業計画ですが。

やっぱり、いまは身銭を切らないと好きなことができないと思っています。アートをやっていると「こういう助成金があるよ」とか「あのキュレーターに売り込むといいよ」みたいな話が多い。でも、僕はそんなことではなくて、自分でプラットフォームや場をつくりたいんです。メセナにしろ文化支援にしろ、何らかの助成を受けてしまうと、そこに依拠してしまう。助成を受けながらオルタナティヴを謳うとかさすがにダサすぎます。

──手弁当でリスクを負うことによって自由な活動ができると。

梅津 このスタイルの方がお客さんも応援したくなると思うんですよね。「このアーティストうまくやってるな」じゃなくて、「大丈夫?」「いや、大丈夫じゃないです」みたいな(笑)。オープニングにお祝いの花輪がいっぱい届いているのも、皆さんに「親目線」の気持ちがあるんだと思います。

パープルームギャラリー

いち生活者として、美術界やコレクティヴの持続可能性を考える

梅津 20年くらいアート業界で活動してきましたが、とにかく僕のなかでいまアートがワクワクするような分野ではなくなっている。

──それは僕も共感するところですが、梅津さんの理由としては?

梅津 やはり、アートマーケットが妙に大きくなったことや、良くも悪くもアートのインフラが整備されたことが挙げられると思います。環境が整うと、その枠組みのなかで「傾向と対策」が洗練されていきますからね。

基本的には現代アートって「手弁当で変なことをする」のが大前提だったと思うんです。そのなかで評価された人が美術館で展示をしたり、芸術祭に呼ばれたりする。たまにそういうボーナスステージがあるくらいが自然じゃないですかね。しかし、昨今はボーナスステージだけを主軸にする作家が増えてしまった。最近は僕もそうなっていたかもしれない。繰り返しになりますが一度「頭を冷やす」べきかなと。僕も2018年くらいからバイトを辞めてアート一本で食べられるようにはなったけど、同時に何か大切なものを失ってしまったような感覚がある。

──ただ多くのアーティストにとって、「ボーナスステージ」で自分の作品の生産性を最大化することが戦略的に正しいとされている節はありますよね。

梅津 だから、それはアート界がおかしいんですよ。たとえばマイノリティをテーマにした作品を作っても、その財源は税金だったり美大の教授職の給料だったり、太く確かなところから出ている。僕の場合、たしかに作品は絵画や陶芸などオールドスクール的かもしれないけど、介護バイトの最中は社会制度のなかで辛い思いをしたり、それこそマイノリティとされる人たちと同僚でした。そして、これからダイエーという人々の生活の延長線上でギャラリーをやろうとしています。もし現代アートというジャンルがあるのだとすれば、上から目線で社会問題を扱うだけでは市民権を得られない。美術業界内での配点ばかり気にしても仕方ないでしょう。

パープルームギャラリー

──非常によくわかります。数年前、ノーベル文学賞作家のカズオ・イシグロが「縦の旅行」という概念を提唱しました。美術界の話ではありませんが、一見するとリベラルなエリートは世界中を飛び回って多くの人たちと接している。しかし、じつは同じ階層の人たちと会うだけのクローズドな「横の旅行」をしているに過ぎない。そうじゃなくて、同じ土地のなかで社会階層を移動するような「縦の旅行」が真の多様性理解において重要なのだと。ダイエー海老名店のパープルームギャラリーは、まさに「縦の旅行」の実践のようなところがある。

梅津 なるほど。

──ちなみに、そもそも梅津さんがアート業界を強く批判するのはどうしてなんですか?

梅津 僕の美術家としてのキャリアは美術教育制度批判からスタートしています。自らが拠って立つ美術制度を批判することは健全な行いのはずだった。しかし、いつしかそれすらも自身のプレゼンスを上げるための手段として運用し、手つきが巧みになっていきました。制度批判で勝ち上がってしまったりして……それって欺瞞じゃないですか。

──「制度批判が制度になる」という問題ですね。

梅津 だからパープルームギャラリーは自費でやっているわけです。経済的にも毎月〇〇万円マイナスが累積していったら、さすがにかなりキツいですよ。ドラクエで言えば、ずっと「毒の沼地」を歩いてるような感じ(笑)。ある程度は採算を取らないと潰れてしまうので、そこは勝手に頑張りますよ。ただ、お金の問題というよりも、単純におもしろいことをしていきたいんです。いくつか準備してる計画もありますから。

パープルームギャラリー

──とはいえ、僕も長年関わってきたからわかりますが、いわゆるオルタナティヴなアートスペースって、持続可能性が最大のハードルじゃないですか。とくにアートはエンタメと比べてロングスパンで見えてくるものが多い。パープルームギャラリーのサステナビリティについてはどう考えてますか?

梅津 僕はもともと陸上の長距離選手なので、割と持久走は得意なんですよ(笑)。県大会レベルでしたが辛くてもある程度は走り続けられると思います。

──いやいやいや(笑)……まぁ、でも気づけばパープルームも長いですからね。2010年代に生まれたコレクティヴがどんどん解体していくなかで。

梅津 そうなんですよ、なんだかんだ12年続いてますから。若い頃にしかできないコレクティヴ特有のおもしろさはありましたが、僕も40歳を越えて、それでも続けるのであれば再設定は必要。いつまでも美大批判とかしていても老害でしょうし……いや、もちろん美大批判も草むしりのように日課として細々と続けますが、もっと大きなところと戦っていこうと思っています。ひとまずダイエーで渋谷パルコくらいには勝ちたいですね。かつてのセゾン文化の成れの果てがいまのパルコミュージアムじゃないですか(笑)。もちろん売上では大差で負けるでしょうが。

──アートやカルチャーでダイエーがパルコに勝ったら、もはや革命ですよ(笑)。それはさておき、とくにコロナ以降の世の中ではコミュニティやコレクティヴが分断されて、連帯しづらいという問題意識が僕にもあります。

梅津 というか、年齢的にも30歳を超えるとみんなライフステージが変わっていきますからね。美術どころじゃなくなって、「食べていかなきゃ」となる。ただ、別に美術作家として食べていくことだけが正解じゃないと思うようになりました。僕はそれを選んだけど、周りのみんなに強要できることじゃない。たとえばメンバーのわきもとさきさんは介護職の社員になったので、やりがいは感じているようですがすごく大変そうです。それでもパープルームギャラリーみたいな場所があれば、「また美術をやりたいな」と思ったときに活動しやすいでしょうし。

──なるほど、そういう包摂的なプラットフォームとしての側面もあるんですね。さて、今年度は美学校でも「出張!パープルーム予備校」を開講していますが、パープルーム自体はこれからどう展開していく予定ですか?

梅津 教育部門は美学校の講座でやるとして、パープルームギャラリーの運営が中心になるんじゃないですかね。ここから学ぶべきことは相当あると思います。やっぱり美術も産業構造の一部に過ぎないわけで、ダイエーのような複合的な商業施設にいると、様々な業態の仕組みを自ずと肌で感じられます。アート業界だけを見ていたら麻痺してしまう部分があるでしょう、特殊な業界なので。だからこそダイエーを通して見えてくるものがたくさんあると思う。

──人々のリアルな生活や社会が見えてくるのは間違いないでしょうね。

梅津 もちろん僕もひとりの生活者でしかありません。昨晩もオープン作業を終えて、閉店時間の23時近い誰もいないこのフードコートでスーパーで半額になった200円のお弁当をかき込んでいました(笑)。それは店長の憂いの時間でありながら、決意をかためるための大事な時間でした。

中島晴矢

中島晴矢

なかじま・はるや アーティスト。1989 年神奈川県生まれ。法政大学文学部日本文学科卒業、美学校修了。2019年より美学校「現代アートの勝手口」講師、プロジェクトチーム「野ざらし」共同ディレクター。近代文学・サブカルチャー・都市論などを補助線に、現代美術・文筆・ラップといった領域横断的な活動を展開。ユーモアとアイロニーを散りばめたアクチュアルかつ批評的な表現をミクストメディアで実践している。主な個展に「ゆーとぴあ」(WHITEHOUSE/2025)、「東京を鼻から吸って踊れ」(gallery αM/2020)、「バーリ・トゥード in ニュータウン」(TAV GALLERY/2019)、グループ展に「MEET YOUR ART FAIR」(寺田倉庫/2023)、「ART FAIR TOKYO」(東京国際フォーラム/2021)、「TOKYO2021 美術展」(TODA BUILDING/2019)、キュレーションに「SURVIBIA!!」(NEWTOWN, 2018)、アルバムに「From Insect Cage」(Stag Beat, 2016)、著書に『オイル・オン・タウンスケープ』(論創社/2022)、掲載図録に『TOKYO 2021』(青幻社/2021)、『東京計画2019』(武蔵野美術大学出版局/2020)など。