公開日:2024年2月22日

プーチン体制の下、反戦を訴える。ロシア人作家パーヴェル・オジェリノフ【シリーズ】ウクライナ侵攻から2年、アーティストのいま(2)

ウクライナ侵攻直後から現在まで、反戦を訴え続けるロシア人アーティストの歩みと言葉。

パーヴェル・オジェリノフ 灰色のスーツ 2022

2022年2月24日、ロシアはウクライナへの本格的な軍事侵攻を開始した。それから2年。この戦争が終わる見通しは立たず、いまなお過酷な状況が続いている。

Tokyo Art Beatでは2022年の侵攻直後、ロシア東欧美術・文学研究者の鴻野わか菜にウクライナとロシア出身の4名のアーティストのインタビューを寄稿してもらったが、今回はこの2年を経て、新たにウクライナとロシアの作家の作品と現状に迫るテキストを全3回で掲載する。

今回は、ロシアのアーティスト、パーヴェル・オジェリノフを紹介。2023年秋までロシア内に留まり、検閲下でも反戦メッセージを力強く発信してきた作家の作品と、インタビューによる言葉をお届けする。【Tokyo Art Beat】

*第1回の記事はこちら



*2022年の記事はこちら

検閲下のアーティストによる模索と発信

2022年2月24日のウクライナ侵攻から2年。ロシアでは侵攻初年の2022年だけで、街頭に出て戦争に抗議した人々のうち約1万5千人が拘束され、100万人以上のロシア人が国外に脱出したと推定されている。美術界の多くの人々も、家も仕事も捨て、国を去った。アーティスト達はロンドンやベルリンで助け合い、生きていくためにどんな仕事でも引き受けながら慎ましく生活しているが、移住先の芸術家コミュニティーの一員となるには時間が必要となる。

国内で活動を続ける作家たちは、検閲下で表現を模索している。2022年3月4日、ロシア軍に関する「虚偽情報」を広める行為に対して最大15年の禁固刑を科す法案がロシア議会で可決されたが、この「虚偽情報」は戦争、軍隊、ウクライナ等について言及するあらゆる発言が対象となり得る。反戦の思いを秘めたアーティスト達は、死や喪失への悲しみを比喩的な方法で表現せざるを得ない。

パーヴェル・オジェリノフ Photo by Lyubov Kabalinova

パーヴェル・オジェリノフ(Pavel Otdelnov)は、1979年、冷戦期に化学兵器の生産拠点だったロシア西部のジェルジンスクで生まれ、長年モスクワで活動を続けてきた。

第二次世界大戦、ソ連崩壊という歴史の流れをジェルジンスクを舞台に描き出し、ひとつの町をロシアや現代社会の縮図として表現した大作《工業地帯》(2019)。第6回ウラル工業ビエンナーレで発表した、閉鎖都市におけるソ連時代の原子力実験と放射能汚染を主題とする《音を鳴らす痕跡》(2021)。この2つの代表作は、いずれも、歴史、社会、政治、個人の生に焦点を当てた総合空間芸術であり、地域や歴史に肉薄し、それらの物語の中に自ら沈潜した後に作品として昇華させる作家の力量を示している。オジェリノフにとって歴史は素材ではなく、世界をとらえるために必要不可欠な彼の一部である。

パーヴェル・オジェリノフ 工業地帯 2019
パーヴェル・オジェリノフ 工業地帯 2019
パーヴェル・オジェリノフ 工業地帯 2019

「私の作品のテーマは、大なり小なり歴史と結びついています。過去に起きた出来事と現在の歴史です」「これらの作品においては、歴史、エコロジー、郷土学、ジャーナリズムが融合しています。〈芸術的・歴史的作品〉というジャンルにあてはまると考えています」と作家は語る。

パーヴェル・オジェリノフ 音を鳴らす痕跡(外観) 2021
パーヴェル・オジェリノフ 音を鳴らす痕跡 2021
パーヴェル・オジェリノフ 音を鳴らす痕跡 2021
パーヴェル・オジェリノフ 音を鳴らす痕跡 2021

オジェリノフは、戦争勃発直後の2022年2月26日、SNSで明確な反戦のメッセージを公開。法案成立後の3月末にも、ウクライナ東部の激戦地マリウポリに住む親戚と連絡が取れない苦悩を伝えるテクストを添えて、爆撃を受けたウクライナの住宅のドローイングを発表した。

パーヴェル・オジェリノフ 家 2022

2022年4月、オジェリノフは筆者のインタビューに答えて、「戦時下におけるアートは、人間は人間の敵ではないこと、人を殺してはならないこと、人間には不可侵の権利があること、2かける2は4であることという単純な真実を想起させなくてはなりません。アーティストは、いま起こっていることについて意見を表明することを恐れてはいけないと思います。まだ可能性が少しでもあるうちは、自分の立場を表明するべきです。社会全体に広がるプロパガンダのなかで、アーティストの声が届くかどうかということに関係なく、表明するべきなのです。アーティストは自分や他者を偽り、何も起こっていないふりをするべきではありません」と語った。

だが、反戦的な作品をロシア国内で発表し続けることは危険であり、2023年秋以降は、ロンドンを拠点としている。

パーヴェル・オジェリノフ 小学生 2023

ウクライナをテーマにした作品

2014年にロシアがクリミアに侵攻して以来、オジェリノフは、ウクライナを主題とする作品を発表してきた。《Unheimlich》は、「不気味なもの」を意味するジークムント・フロイトの同名のエッセイをもとに、身近なものの中に潜む真に不気味なものを表現している。ソ連的な古い肘掛け椅子と絨毯から成るインスタレーションは、ロシアやウクライナの多くの家庭でおなじみの風景を表現しているが、絨毯には兵士の姿が描きこまれ、戦争が日常を侵食していく過程が示される。

パーヴェル・オジェリノフ Unheimlich 2015
パーヴェル・オジェリノフ Unheimlich 2015

2022年の侵攻開始からしばらくのあいだ、オジェリノフは、テレビの画面に映るものを描き続けたという。

2024年2月、作家は筆者の2度目のインタビューに答えて、「私は当時、小連作《戦争の手》を制作しました。戦場の死者の手です。でも、ウクライナ侵攻を支持するシンボルである〈Z〉を指で示した愛国主義者の手もありました。目や耳や口を覆った手もあります。見ざる言わざる聞かざるという態度を示しているのです」と語った。

パーヴェル・オジェリノフ 戦争の手 2022
パーヴェル・オジェリノフ 戦争の手 2022

その後、2022年の春には、連作《実験場》を制作。数ヶ月の間に起こった惨事を、夢を思わせるようなシュルレアリスム的な作風で描き、起こるはずがないと思われていた戦争が続いている現状の不条理さを強調している。

パーヴェル・オジェリノフ 町 2022
パーヴェル・オジェリノフ 世代 2022

2022年10月にロンドンのプーシキン・ハウスで開催された個展「Acting Out」展では、権力の虚無を映し出す《灰色のスーツ》、プーチン体制下でのロシア社会の閉塞感を示す《塀》、戦死した兵士の遺体を乗せた列車を主題とする《貨物200》などの新作が展示された。「貨物200」は、戦死者を海外からロシア国内に輸送する車両を指す軍隊の暗号である(2023年末の時点でCNNは、ウクライナに侵攻したロシア軍兵士36万人のうち31万5000人が戦死したと報道している)。

パーヴェル・オジェリノフ 貨物200 2022
パーヴェル・オジェリノフ 灰色のスーツ 2022

本展は、ウクライナ戦争の歴史的背景を問いかけるものだった。冷戦の結果を振り返る展示室。ロシアの若い世代と1991年のソ連8月クーデターに捧げた展示室。そして最後の展示室は未来を主題としているが、その未来はソ連の過去に近似したものとして現れる。ソ連の崩壊と大国としての地位の喪失をもたらした冷戦の結末に対する不公平感が、ロシアの近年のプロパガンダの根源にあること、困窮する生活のなかでソ連や強い権力に対するノスタルジーが一部の層に蔓延したこと、そのいっぽうで統制や戦争への抗議活動を行う市民が多数存在していること──こうしたロシアの矛盾と混迷を、オジェリノフは様々な絵画によって叙述し、なぜこの戦争が始まったかを考察しようとする。

パーヴェル・オジェリノフ 塀 2022

「過去の暗黒面について黙っていることがなぜか愛国的だと考えられている」

「戦時中の芸術の役割についてどう思うか」という筆者の問いに答えて、2024年2月、オジェリノフは次のように答えた。

「第一次世界大戦や第二次世界大戦時に作られた芸術作品を見ると、とくに戦勝国では、英雄や人々の英雄的行為を称えるモニュメントや様々な芸術作品が数多く見られます。これは理解できるし、もっともなことです。侵略から祖国を守った人々の偉業は、不滅に値します。しかし、ここにはひとつの大きな〈しかし〉があるのです。これらの記念碑は、将来、自国が侵略者にならず、記念碑が新たな侵略政策の一部にならないことを保証するものではありません」。

パーヴェル・オジェリノフ 見世物 2023

そして、ロシアをはじめとする各国の戦争博物館が自国の侵略の歴史についてほとんど語っていないことを指摘しつつ、「残念なことに、博物館でも芸術作品でも、戦争の主題はつねに〈われわれがつねに正しい〉という立場から提示されています。過去の暗黒面について黙っていることがなぜか愛国的だと考えられているのです。私は、このアプローチは根本的に間違っており、平和な未来につながらないと考えています」と語った。

美術は戦争をいかに描写し、人類の歴史においてどのような役割を果たしうるのか。平和な未来の基盤となる芸術や文化とはどのようなものか。近年のオジェリノフの創作は、その普遍的な問いに対する終わりのない応答であり、ロシアとウクライナを主題としながらも、芸術と社会の関係を広く追求している。

パーヴェル・オジェリノフ 深淵 影 2023


*第1回の記事はこちら

パーヴェル・オジェリノフ 公式サイト:https://otdelnov.com/en

鴻野わか菜

鴻野わか菜

こうの・わかな ロシア東欧美術・文学・文化研究。早稲田大学教育・総合科学学術院教授。イリヤ&エミリア・カバコフの「カバコフの夢」(越後妻有)キュレーター。編著書に『カバコフの夢』(現代企画室、2021)。