『クィア/QUEER』 © 2024 The Apartment S.r.l., FremantleMedia North America, Inc., Frenesy Film Company S.r.l.
ウィリアム・S・バロウズの原作を映画化し、ダニエル・クレイグとドリュー・スターキーが共演した映画『クィア/QUEER』が5月9日から公開中。「この映画自体がクィアである」という言葉の意味とは? 17歳のときに原作に魅了されたという監督のルカ・グァダニーノに話を聞いた。【Tokyo Art Beat】
1950 年代、メキシコシティ。アメリカ人駐在員のウィリアム・リーは、つまらない毎日をアルコールとドラッグにまみれながら過ごしていた。ところがある日、リーは美しい青年ユージーン・アラートンに出会い、ひと目で恋に落ちる――。
『裸のランチ』などで知られる、ビート・ジェネレーションを代表する作家ウィリアム・S・バロウズの同名小説に基づく映画『クィア/QUEER』が5月9日に公開された。
1950年代に執筆されながら、未完成のまま1985年に出版された小説の翻案に挑んだのは、『君の名前で僕を呼んで』(2017)や『チャレンジャーズ』(2024)など意欲的な創作を続ける映画監督ルカ・グァダニーノ。そのキャリアにおいては、ダリオ・アルジェント監督の伝説的ホラーをリメイクした『サスペリア』(2018)以来のチャレンジと言えるのではないか。
主人公のリー役は『007』シリーズのダニエル・クレイグ。従来のイメージを一新する人物像を演じ、いまもっとも注目される若手俳優ドリュー・スターキーとの鮮やかな化学反応を見せた。
ここでは、ともに自身とは初タッグとなったふたりを迎え、長年の夢だったという本作を完成させたグァダニーノに、オンラインインタビューを敢行。原作小説との関係や創作への向き合い方からは、映画作家としての核心がうかがえた。
バロウズの『クィア』にグァダニーノが出会ったのは17歳のとき。自らのセクシュアリティを探求するなかでこの小説を読んで大きな影響を受けたという。子供のころから映画制作に関心を抱いていたグァダニーノは、すぐに自分で映画化したいと考えるようになった。
もっとも、他者の作品を愛することと、それを自らの手で映画にしようと考えることには大きな隔たりがあるのではないか。そう問いかけると、グァダニーノは「その通りです。だからこそ、その問題を考えるのは奥が深く、少し怖いことでもある」と答えた。
「おそらく私という人間のあり方の一部は、映画という言語で何かを語りたいという傾向や本能に根ざしているのだと思います。誰かに語りかけるとき、そこで内的な真実を語りたくなることがあります。アーティストとしての行為を通じて、自己についての何らかの発見を表現したくなるのです。
バロウズの小説を読んだとき、この作品は私自身について語っていると感じました。小説としての形式が私の理想に近かったこと、そして他者との深いコミュニケーションを求めるというコンセプトが、私に強く訴えかけてきたのです。形式主義者として、ひとりの人間として、そして成長途中のアーティストとして、これこそが映画で語りたい自分自身の真実だと思えました」
グァダニーノはこうも言い換えた。「ただ小説を好きになったのではなく、そこに自分自身を発見し、自分で作らねばならないという切実な衝動があったのだ」と。事実、グァダニーノは22歳のときに映画版の脚本を執筆した。しかし、当時の脚本はそれ以来一度も開いていないという。
今回、新たに脚本を執筆したのは『チャレンジャーズ』で共同作業を経験したジャスティン・クリツケス。2022年、『チャレンジャーズ』の撮影中に『クィア』の話題が出たことから映画化の企画が動き出した。完成した脚本について、「私が書いた脚本とは比較にならない、見事な仕上がりだ」とグァダニーノは言う。
原作はバロウズ自身がメキシコシティでドラッグ漬けの生活を送り、妻がいる身でありながらアメリカ人の軍人と不倫関係に陥ったことを反映した“半自伝的小説”。しかし、事実とフィクションを混交させつつ、その後の作品につながる文体や構造の実験性を取り入れたこの作品を、バロウズが完成させることはついになかった。
Variety誌(*)のインタビューにて、グァダニーノとクリツケスは、この未完の物語を完結させようと考えていたことを明かしている。バロウズの研究者オリバー・ハリスによる監修のもと、バロウズならばどう物語を終わらせたかを探究したのだと。その結果、どんな“完結の条件”が見つかったのか――そう尋ねると、思わぬ答えが返ってきた。
「私が物語を完結させたとは思いません。小説は物語が求めるかたちで終わっているので、未完ではありません。我々は原作とは異なる、ある種の“解釈”をしたわけですが、物語を完結させたわけではない。小説はバロウズが望んだかたちですでに完結しているのです」
インタビューのなかで、グァダニーノはバロウズの原作をとことん尊重しようとしたことを何度も強調した。
「私たちは撮影中も小説を読んでいました。バロウズのすべてとつながりたいと考えたからです。この作品に関わった全員が、この映画はバロウズのために、バロウズが発見した真実のために、そして私たち自身のために作っているものだと理解してほしかったのです」
日々にくたびれたリーは、若いアラートンを激しく求め、欲望を抑えきれなくなっていく。しかしアラートンは気まぐれで、リーを拒まずとも、ときに冷ややかな態度を取る。ますますリーはアラートンを求めるが、同時に膨れ上がるのは孤独感だ。ある日、リーは「言葉なしで通じ合える」奇跡を求め、南米への旅をアラートンに提案する。
『クィア/QUEER』は、ある意味で社会から疎外され、居場所を求める人々のロードムービーだ。グァダニーノのフィルモグラフィーでは『ボーンズ アンド オール』(2022)とのあいだに大きな共通点をもつが、創作面の関連性はなかったという。「そもそも、『ボーンズ アンド オール』のずっと前からこの映画を撮りたかったわけだから」と。
「つまり私は、社会的に不器用な人や、物事の周縁にいる人にしか興味がないのだと思います。社会とは、明文化されたルールに従うことを要求し、自己の抑圧や制約を課す、きわめて危険な場所。そんな社会に葛藤し、所属を拒むような人物に関心があるのです。
『クィア/QUEER』のリーとアラートン、『ボーンズ アンド オール』のマレンとリー、『ミラノ、愛に生きる』(2009)のエマ、『胸騒ぎのシチリア』(2015)のヘンリー、『サスペリア』のスージー・バニオン、『君の名前で僕を呼んで』のエリオ……そのほかの人物も含め、私の映画に登場する人々の多くには居場所がありません。家族という社会であれ、自分の役割がある現実社会であれ、自分と社会のルールのあいだで折り合いをつけられずに生きているのです」
グァダニーノは、リーとアラートンの旅路を様々な手法と演出で描き出した。リアリズムに準じた会話劇、スピード感あふれる編集のロマンティック・コメディ、現実と幻覚の境目が失われていくドラッグ・ムービー。直接的な性描写もあれば、コンテンポラリー・ダンスの第一人者であるポール・ライトフット&ソル・レオンの振り付けによるダンスシーンもある。
劇中でもとりわけ強い印象を与えるダンスについて尋ねると、グァダニーノはこう答えた。
「人は話をするとき、実際にはありとあらゆる方法で話しているものだと思います。言葉だけでなく、肉体や精神、魂、あるいは手足──それらすべてを使って。ただし、本当にすべてを使うかどうかには抑圧の問題があります。“ひとつの方法でしか話さない”と決めることは大きな抑圧ですから。リーとアラートンは、ありとあらゆる方法で話そうとしますが、しかしその激しさに耐えられなくなり、翻弄されることになります」
やがて浮かび上がるのは、人を愛したい、人に愛されたい、人とつながりたいという根源的な欲求だ。その姿はあまりにもまっすぐで、バロウズの原作そのままの『クィア/QUEER』というタイトルがどこかアイロニカルにも見えてくる。グァダニーノ自身は、このタイトルと原作、映画の関係をどのようにとらえているのだろうか。
「小説が書かれた当時、“クィア”という言葉は“ホモ”や“オカマ”といった侮蔑的な意味で使われていました。しかしこの言葉はもともと、“異なること、奇妙なこと”を意味してもいます。蔑称としての“クィア”を身につける誇らしさと、違いや多様性の誇らしさをひとつにしたとき、小説は『クィア』という題になったのでしょう。
私は、『クィア』というこの映画のタイトルも美しいと思っています。なぜならこの映画は、ある意味で昔からある既存の映画の言語に従うことを望んでいないから。つまり、この映画自体が形式的にクィアなのです。映画というものは形式がすべてであり、それ以外の何物でもありません。1本の映画が“異なること、奇妙なこと”という名誉のバッジを大胆にも掲げ、同時に古典主義や映画言語をまといながら、今日のありふれた映画の陳腐さに対抗する――それは大いなる抵抗であり、クィアネスの行為だと思います」
グァダニーノは、劇中の表現について「“これには特定の意味があり、あれにはまた別の意味がある”というものではない」とも話した。
「私は、1本の映画が見た人に何をもたらすのかをそれぞれに考えてもらいたくて創作をしています。自分で作品の意図や解釈を話してしまえば、私自身が他者に向けて表現する機会や、見た人が自分で意味を見つける機会が失われてしまう。私は他者に語りかけたいのであって、あとは好きなように受け止めてもらっていいのです」
ところで、長年の夢だった映画が完成したあと、グァダニーノはまだバロウズの原作を読み返していないという。「もっと年齢を重ねたとき、また読みたいと思うのかもしれませんね」と語った。
「『クィア』という小説は私とともに絶えず変化していくものです。だから、その映画版を撮った私と、ひとりの人間としての私――その両方にこの小説がどんな影響を与えたのかを見てみたい。20年後、まだ私が生きていたら、きっと再び読むことになるでしょう」
*──Luca Guadagnino Unpacks ‘Queer’: How Burroughs’ ‘Universal’ Love Story, Casting Daniel Craig and Lots of On-Screen Sex Resulted in a ‘Very Revolutionary’ Film
https://variety.com/2024/film/festivals/luca-guadagnino-queer-on-screen-sex-daniel-craig-venice-1236127658/
『クィア/QUEER』
5月9日から新宿ピカデリーほか全国公開中
監督:ルカ・グァダニーノ
出演:ダニエル・クレイグ、ドリュー・スターキーほか
配給:ギャガ
公式ウェブサイト:https://gaga.ne.jp/queer/