公開日:2024年8月10日

内藤礼インタビュー。東京国立博物館「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」展で追求した縄文と現代の「生」のリアリティ(文:永田晶子)

東京国立博物館で展覧会「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」を9月23日まで開催中の内藤礼。本展や、生と死や時間という存在について、話を聞いた。

「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」第2会場 撮影:畠山直哉

東京国立博物館で内藤礼にインタビュー

国内外で環境と対話する空間作品を手がける美術家の内藤礼が、上野の東京国立博物館の建築空間と収蔵作品に向き合って作り上げた展覧会「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」が、9月23日まで開催されている。同館とエルメス財団との共同企画。9月7日から銀座メゾンエルメス フォーラムで連携する個展も行われる(会期は2025年1月13日まで)。

内藤礼は1961年広島県に生まれ、現在は東京を拠点に活動する。「地上に存在することは、それ自体、祝福であるのか」をテーマに、光や水、空気などの自然事象と、糸やビーズ、布といった日常のささやかな物を用いて、生の光景を見出す作品を追求してきた。本展は、東京国立博物館の3つの場所(平成館企画展示室、本館特別5室、本館1階ラウンジ)で構成され、鑑賞者は回遊しながら同館が所蔵する縄文時代の土製品と内藤による作品が混ざり合い、時空を超えて共存する光景を目の当たりにできる。

生と死を分かちがたいものと考える作家は、約150年の歴史を持ち「国内最高峰のミュージアム」とされる東京国立博物館の空間と所蔵品をどう見つめ、どのような思いを制作に込めたのか。プレス向けの内覧会が行われた6月24日に話を聞いた。

*本展レポートはこちら

作る動機が近い「祈りのもの」とともに

──東京国立博物館(以下、東博)で開催される展覧会は「古美術」のイメージが強く、昨年は現代美術家の横尾忠則さんの個展「横尾忠則 寒山百得」が行われましたが、現代アート展の印象はあまりないと思います。本展は約2年前から準備を進めてきたそうですが、最初に東博から話があったときはどう思われましたか?

内藤礼(以下、内藤) そういう発想があるんだと思いました。それまで(東博での展覧会を)想像したこともありませんでした。ただ、東博の縄文時代の所蔵品には以前から興味があり、たまに見に来ていました。

──1872年に創立が遡る東博の本館は、戦前に建設された「帝冠様式」が特徴で、立つ上野公園も江戸時代以来の歴史が堆積しています。内藤さんは、場所と親密な関係を結ぶ空間作品を数多く手がけてこられましたが、今回は東博や上野の場所性をどのように考えられたのでしょうか?

内藤 上野の場所性というよりも、その空間を普遍の空間ととらえ、そのうえで元々そこにある「よいもの」を感じとろうとし、これから生まれる空間と私との関係を持とうと努めました。

東博の所蔵品から選んだ縄文時代の土製品は、技巧にたどり着く前の非常に無垢な造形物と言いますか、造形とも呼べないような、当時の人々が「祈り」の必要に迫られて生み出したものばかりです。たとえば、平成館企画展示室で作品構成のはじまりとした「土版」(紀元前2000~同400)は、考古学の専門家によると多産や豊饒を祈って作られたそうです。本館特別5室に置いた猪形や猿形の土製品は、動物が持つ力への憧れから作られたのではないかとお聞きしています。

これらは生活のための道具ではなく、力を誇示するために作られたものでもありません。生と死を畏れた縄文時代の人々が、生きていくために生み出した「祈りのもの」です。それは自分が作品を作る動機ととても近いものでした。

展示している館蔵品は、すべて死者たちがかつて生きていたことを伝えます。私は「地上の生」に向き合っていますが、それは同時に「死」にも向き合うことです。ですから東博からお声がけいただいたととき、展覧会をすることになんの迷いもなかったです。自然な感じがしました。

──第1会場の平成館企画展示室に入ると、ガラスケース内にある「土版」がすぐ目に入ります。内覧会では、「土版」が本展を制作する糸口になったと話されていましたね。

内藤 はい。私は「母体」と呼んでいるんですが、母を思わせる女性の胴体を象っています。胸の部分(乳房)は取れてしまい、いまは胴部だけです。

──掌に載るほどの小ささですが、非常に存在感があります。

内藤 小さいけれど、どうしても必要だから作ったのでしょう。なくては、乗り越えられない不安を抱いていたのかもしれません。ある種呪術的な、心の問題に対応するもの。その「母体」(土版)と、同じ展示室の反対側にある私が長く作り続けてきた《死者のための枕》の2つの存在から、ほかの会場と銀座メゾンエルメス フォーラムの個展を含めた展覧会全体の構成が決まっていきました。そして、その2つを通して本展タイトルである「生まれておいで 生きておいで」という言葉も生まれてきたんです。

──その展覧会タイトルも非常に印象的です。言葉による内藤さんの『空を見て良かった』(2020、新潮社)を拝読して、あらためて「言葉の人」でもあると思いました。本書の中では、とくに「なににもならなくていいよ おいで」(*1)という文言が心に響きました。情報が溢れる現代において、ときに強迫観念のように私たちは「なにものか」になろう、ならなければと思いがちです。でもこの言葉は、生命の誕生と生きること自体をストレートに全肯定して寿いでいると感じました。

内藤 今回の展覧会タイトルは、「なににもならなくていい」という思いも背後にあります。人間は生まれ、生きていることに意味がある。

「なににもならなくていいよ」「生まれておいで 生きておいで」は、私が必要としている言葉でした。そして、母なる「土版」や館の収蔵品、《死者のための枕》が「生まれておいで」「生きておいで」とこちらに呼びかけているように感じたのです。

企画展示室に「土版」を展示した際、いま私が見ている同じものを、縄文の人たちも見つめていたと思うと不思議な感覚がありました。昔の人たちは、私と同じ気持ちや、もしかすると現在は想像すらできない感情を抱いて見たのかもしれません。人間の感覚や思考は、現代の価値観だけでは量れない、もっと多くの広がりを持っているのではないかと制作しながら考えました。

「生の世界」を象徴する色彩

──長さ約30mの細長い空間である平成館企画展示室は、片側の壁全体がガラスの展示ケースになっていて、その中に「土版」、絵画作品《母型》(2007)、合わせ鏡とプリント地の作品《通路》(2024)、透き通る布で作られた《死者のための枕》(2023)などを配しています。

内藤 この会場は、ガラスケースの内側を「生の外」、外側を「生の内」としています。こちら側へと生まれ、向こうへと還っていくのです。

「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」第1会場 撮影:畠山直哉

──「生と死は往還する」というメッセージを展示から感じました。会場には、たくさんの毛糸のポンポンが吊り下げられていますね。赤や黄など、これまで内藤さんがほとんど使わなかった鮮やかな色彩のものもあります。

内藤 そうですね、あれほどの色彩の立体作品は初めてです。金沢や水戸での個展(*2)で死者を慰め励ます飾りのひとつとして白のポンポンを作ったことはありました。今回の展示に際して、4月の休館日に白いものを吊るして見たとき、その瞬間に「ここに色を」というふうに思ったのです。それで、1週間後に色のポンポンを実際に吊りはじめました。

その時に気づいたのは、この会場は「生の外」(ガラスケース)は明かりがあり、「生の内」(ガラスケース外の展示室)は暗くなっています。ですから入室すると、まず逆光で全体がモノトーンに見え、色のポンポンは影として目に映ります。はじめに黄色と赤の2つのポンポンを吊り下げたのですが、ガラスケース内のものを見た後に振り返ると、その色が驚くほどに鮮やかに感じられました。

私にとって色彩は「生」です。その光景は、「生の外」からの光に照らされて、「生」の徴(しるし)である色が顕れたようでした。そして、「生の外」から慈悲を向けられていると感じました。その後、色彩のポンポンをいくつも作りました。

──あのポンポンは作品名がありますか。

内藤 空間作品として全体を《color beginning》と名付けました。色の集まりに何かを見出すのは人間ならではの眼と脳と心の働きです。この展示室にいると私自身、様々なことを思います。「生の外」のものが私たちを生へと導いてくれている、あるいは彼らが「生の内」を見ようと照らしているのだろうかなど色々なことを思います。でもそれは自分が作りながら感じたことで、作品に「正解」はありません。いまは展示が完成したばかりですが、これから改めて見ると、私もまた新たな思いが浮かぶでしょう。

気付かれたかどうか、ガラスケースの反対側のパネルや《窓》の上にもポンポンはあります。複数の色彩の点が集まっていると、それが空に見えたり、陸に見えたり……。

──はい、気づきました。色が異なるポンポンが寄り添う光景に、自分は「人」を連想しました。

内藤 展示に何を見出すかは、本当に人それぞれです。とくに「生」や「死」を扱う作品に関しては。子供と年齢を重ねてきた方では、死生観は同じではないでしょうから。

内藤礼 死者のための枕 2023年 シルクオーガンジー、糸 撮影:畠山直哉

自然光が作る影に存在を実感して

──第1会場を出た鑑賞者は、本館の近代日本の美術作品が並ぶ展示室などを通り、第2会場となる本館特別5室に入ります。仏教美術などの企画展に通常使われる特別5室は、長年閉じていた鎧戸が開いて自然光が降り注ぎ、仮設壁やカーペットも取り払われています。本展を担当した東博の鬼頭智美さん(学芸企画部上席研究員・広報室長)は、同室を建築当初の状態に戻すのは「ここ数十年で初めて」と言われましたが、まったく違う空間に見えて驚きました。

内藤 とてもいい部屋ですよね。最初は元の状態を知らずに、仮設壁やカーペットがある閉じた状態で本館特別5室を拝見しました。その後、自然光が室内に入っている昔の写真を見せていただき、開閉できる鎧戸とロールカーテンが設置されていると知りました。

その頃、縄文時代に人や動物が生きていたというリアリティをどうすれば持てるかを考えていました。当時は生も死も太陽の光と共にあったわけですから、自然光の中に所蔵品や作品がある情景に思いが至って、「展示室を元の状態に戻せますか?」「鎧戸を開けて自然光を入れられますか?」と東博の本展担当研究員に相談しました。そこから計画が動き出しました。

ただ、歴史資料に日光は大敵なので保護する工夫が必要です。展示では、UV(紫外線)カットシートを貼ったガラスケースに所蔵品を入れ、窓にも全面にシートを貼っています。会期中は、こちらと第3会場の本館1階ラウンジは自然光のみで展示を行います。

「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」第2会場 撮影:畠山直哉

──本館特別5室の床には、内藤さんが選んだ東博の所蔵品を収めた小ぶりのガラスケースが幾つも配置されています。その中央に展示された《足形付土製品》(紀元前2000~同1000年、重要文化財)は、2~3歳の子供の死を悼んで親が取った足形だと考えられているそうですね。表面に小さい足指の窪みが残り、その子の存在がリアルに感じられました。

内藤 実寸大の足形ですから生々しいです。選んだ所蔵品の中で、これだけが縄文時代の人の痕跡を直接示すものです。子供が生きていたときの姿、その子が亡くなり足形を取った親の気持ちなど、色々なことを思います。

はじめて自然光の許で展示したとき、足形に影が顕れました。さらに時間帯によって影の位置も変わる。それを見てそこに子供がいるように思えたのです。同時に展示室を歩く自分の影にも気づきました。その子供はかつて同じ地球上にいて、いま私が生きているこの場所に影が顕れている。それまでは、縄文時代に人が生きていたという実感を持てるのだろうか?と自分に時折問いかけていましたけれど、その影を見たときに確かに存在していたのだと思えました。

──本館特別5室には、縄文時代の遺跡から出土した猪形や猿形の土製品、鹿や猪の骨も展示しています。土製品は動物の特徴を強調した造形の愛らしさが印象的です。また、東博が獣骨を所蔵していると今回初めて知りました。

内藤 猪形や猿形の土製品は、対象を非常によく観察して作ったのだとわかります。きっと作り手は興味津々だったんでしょうね。

獣骨が東博で展示されるのは、今回が初めてだそうです。あの骨は、恐らく人間が狩って肉を食べた後に廃棄したもので、鹿や猪は食べたけれど、猿はあまり食べなかったと考古学の専門家から聞いています。縄文時代の人々は、食料であり、畏れて祈る対象でもある動物たちと、それぞれ異なる距離感を持ちながらともに生きていました。動物や数年しか生きられなかった子供も、この地球にかつて生を受けた意味において私たちの「先輩」であることに変わりはなく、「生まれておいで 生きておいで」と呼びかけていると私は感じます。

──展示品には、《とんの毛》(2024)と題したフワフワした玉もありました。種類は茶トラの猫ちゃんですか?

内藤 毛を見て分かりますか? すごい、茶トラとわかった人は初めて(笑)。3年ほど前に亡くなった、20年いっしょに暮らした猫です。

──新作の《まぶた》(2024)は2種類あり、大きいほうの作品は、石材を貼った壁面に細長く銀色に光っているのですぐ分かりましたが、小さいほうはなかなか見つけられませんでした。

内藤 去年から会場を感じとろうと東博に何度も通い、気づいたことを色々と確かめていました。大きい《まぶた》はわりと早い時期に生まれた作品で、壁面にある線がわたしたち人を超えた存在の2つの眼、それがまぶたを閉じている状態に思えたものです。やがて、この2つのまぶたが内省したり、この場にいる私たちを護っている感じを受けました。こうして言葉にすると、基本的に自分は縄文の人たちと発想が一緒かもしれないと思います。小さいほうの《まぶた》は、大きい《まぶた》から生じたカケラのようなものかもしれません。

──それぞれの収蔵品を収めたケースの上には、小さなキャンパス地の絵画や小石、木の枝、毛糸などが置かれて、それがお供えのようも見えました。

内藤 ケースはお墓ではないのですが、それでもかれらが寂しくないようにと思いました。生きていない存在を慰めようと、食べ物を捧げたり、周りを綺麗に整えたりするのは人間の本性ではないでしょうか。

「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」第2会場 撮影:畠山直哉

作為を離れて顕れるものに関心がある

──本館特別5室は、近年の絵画シリーズ《color beginning/breath》も両側の壁に14点ずつ、計28点を展示しています。作品名の《color beginning》は、以前から制作してきたキャンバスの抽象絵画と第1会場で披露している立体作品とも共通し、色彩の力に対する内藤さんの関心をあらためて感じました。《color beginning/breath》は、あるかなしかの色が浮かぶ抽象絵画に比べて、より色彩が鮮やかで制作した日付も添えられています。

紙の作品は、絵具を置くと紙に色彩が浸み込んでかたちを伴って顕れると気づき、それをまるで初めてのことのように感じ、驚き、喜ぶことができるかという自らへの問いが(制作の)始まりでした。このシリーズは、2021年に京都のMtK Contemporary Artの個展「breath」で初めて発表し、2023年にミュンヘン州立版画素描館で発表して、今回が3回目の制作と展示です。タイトルは《color beginning/breath》となりました。何かを描くといった計画性は持たずに、心を整えてから、なるべく自分の意識を透明にして絵具をキャンバス地に置いていきます。シンプルであるがゆえに、「人間が絵を描く行為とは何か」と突きつけられます。

──内藤さんは、現代美術の「創作」「表現」という概念そのものに、疑問を抱き一定の距離を置いてこられたと思います。近年の新しい試みである《color beginning/breath》でも、そうした考えは変わりませんか?

内藤 作為はできるだけ持ちたくありません。意識から離れようと努めるうち、自分の意思と無関係に無意識のほうが絵に顕れたと感じる瞬間があります。そうした作為から離れたところで、何が生まれるかに関心があります。制作し始めた当初は、自分が何かを描こうとしたら筆を置くようにしていました。ただ、去年ミュンヘンで展示した絵を描いている途中に、地と空を描きたいという気持ちが抑えられないとわかり、それが人間なのだと自分に許しました。

《color beginning/breath》は、日々、連続して描くシリーズで、大抵は1日に1点描きます。あらかじめ「何を描こう」と思わず日々描いていると、絵は前の作品に起きたことから生まれるようなところがあります。それは私たちの生活と同じことで、前の日を受けて日々は続いていき、どのような方向へ向かうのかは予測できません。私自身、こうした絵が顕れるとは予想していませんでした。そんな昨日、今日、明日という1日1日の時間の流れが自分を超えたかたちで動くこと、そして人が生まれて去っていくことは重なります。

人間は生きていると色々な日がありますね。私の人生の時間、はるかな縄文の時代、展覧会を見てくださる人が訪れた日。複数の時間の流れや重なりがここにはあるのだろうと思います。

内藤礼 母型 展示風景 2024 水、ガラス瓶 撮影:畠山直哉

──次の本館ラウンジで、鑑賞者は「生の内と外の往還」をあらわす作品である《母型》(2024/2022)を目にします。さらに展覧会は、9月23日から銀座メゾンエルメス フォーラムで始まる内藤さんの個展へ続きますが、その内容は東博にある作品《死者のための枕》につながると内覧会では説明されていましたね。つまり、本展の構成自体が東博だけでない、ほかの場所や時間を含んだ循環性を持つことになります。

内藤 しかも、東博と銀座メゾンエルメス フォーラムの展覧会は、会期が2週間しか重なっていません。エルメスの個展が始まって2週間経つと、東博展は終了し、作品は消えていきます。2つの空間が現実に存在することで生まれる世界はなくなるのです。東博の空間を体験した方には記憶として残り、そうでない方は想像と予感としての体験となるでしょう。その意味で(本展は)過去に戻れず、未来を知りえない人生そのもののような性質もあります。

以前から展覧会というものの残酷性を考えてきました。私は空間と関わる展示が多く、パーマネント作品(*3)もありますが、基本的に展覧会が終われば二度と見られない作品を40年近く作ってきました。自分にとって大切なものが目の前にあるのに、それを自分の手で壊して消さないといけない。でもそれゆえに個人を超えて流れていく「時間」というものを、いっそう意識せざるを得ませんでした。

現在の美術の世界は展覧会を中心に動いています。空間作品の場合、会期が終わると写真や文章というかたちでは残りますけれど、後世の人たちは実際に体験することはできない。それを繰り返していいのだろうかという気持ち、と同時に顕れてやがて消えることは人生にも似ています。本展の構成には、そうした思いも含まれています。

ただ、生きている時代条件の中でものを作ることは、どの時代の作り手にとっても宿命のようなものです。本展もやがて消えてしまいますが、展示に携わる方たちは全力で一緒に頑張ってくださって、本当にありがたいと思っています。

*1──内藤礼『空を見てよかった』(2020、新潮社)p.6
*2──金沢21世紀美術館「内藤礼 うつしあう創造」(2020)、水戸芸術館現代美術ギャラリー「内藤礼―明るい地上には あなたの姿が見える」(2018)
*3──内藤礼の恒久展示作品は、《このことを》(家プロジェクト 「きんざ」、ベネッセアートサイト直島、2001)、《母型》(豊島美術館、2010)がある

永田晶子

永田晶子

ながた・あきこ 美術ライター/ジャーナリスト。1988年毎日新聞入社、大阪社会部、生活報道部副部長などを経て、東京学芸部で美術、建築担当の編集委員を務める。2020年退職し、フリーランスに。雑誌、デジタル媒体、新聞などに寄稿。