公開日:2025年4月23日

「日本でもっとも有名な鬼」酒呑童子とは何者か? ふたつのはじまりに迫る「酒呑童子ビギンズ」展(サントリー美術館)学芸員インタビュー

『鬼滅の刃』をはじめ、現代のマンガやアニメにも様々なキャラクターとして登場する「鬼」。なかでも名高い「酒呑童子」をテーマに、狩野元信筆《酒伝童子絵巻》や、鬼の出生の秘密を描いたライプツィヒ・グラッシー民族博物館所蔵の絵巻を公開する「酒呑童子ビギンズ」がサントリー美術館で4月29日〜6月15日に開催される。鬼退治の物語のあらすじや、見どころとなる場面を学芸員が解説

狩野元信 酒伝童子絵巻(部分) 重要文化財 三巻のうち下巻 大永2(1522) サントリー美術館 ※通期展示

東京・六本木のサントリー美術館で展覧会「酒呑童子ビギンズ」が4月29日に開幕する。会期は6月15日まで(展示替えあり)。

日本三大妖怪のひとつともされる鬼「酒呑童子」の物語のなかでも、同館が所蔵する室町時代の狩野元信筆《酒伝童子絵巻》(重要文化財)は、後世に影響を与えた古例として名高い。本展は、解体修理を終えた本作をかつてない規模で大公開し、あわせて日本初公開の里帰り作品など多様な酒呑童子の絵巻や絵画作品を紹介。酒呑童子にまつわるふたつの「はじまり」に迫るものだ。

日本でもっとも有名な鬼である酒呑童子とは何者か? 知られざる出生の秘密とは? 本展担当学芸員である同館の上野友愛(ともえ)副学芸部長に解説してもらった。

源頼光 VS 人攫いの鬼。酒呑童子の物語とは?

──まず本展のテーマである酒呑童子の物語のあらすじを教えていただけますか。

上野 物語は、平安時代の京の都で美しい女性が姿を消す怪事件が多発したことから始まります。陰陽師の安倍晴明に占わせたところ、鬼の仕業だとわかり、天皇の勅命を受けて武士のトップだった源頼光が家来を従えて鬼退治に行くストーリーです。作品によりバリエーションはありますけれど、これがいちばんオーソドックスな物語です。

酒呑童子は、「酒伝」「酒顛」「酒天」などとも表記されます。本展では、作品名は基本的に題箋の表記を尊重し、物語や鬼の汎称として「酒呑」の語を使っています。

──サントリー美術館所蔵の《酒伝童子絵巻》について教えてください。

上野 当館の《酒伝童子絵巻》(以下、サントリー本)は、狩野派を確立した2代目の狩野元信により描かれた全3巻の絵巻です。室町時代の大永2年(1522)には制作が始まり、作られた時期や経緯がわかる点でも貴重な作品です。

酒呑童子の物語の原型は、14世紀までに成立したと推測されます。根拠となるのは、鬼の住処を大江山として描いた《大江山絵詞》(逸翁美術館蔵、重要文化財)が南北朝時代14世紀に制作されたことです。酒呑童子の住処は物語によって異なり、一般的に京都の大江山と滋賀・岐阜の県境にある伊吹山が2大拠点ですが、サントリー本は伊吹山の鬼を描いた「伊吹山系」の最も古い絵巻です。

酒呑童子の物語は絵画や能の題材になり、広く普及しました。興味深いのは、サントリー本の表現を踏襲した何百もの模本や類似作品がその後に作られたことです。本展はサントリー本とよく似た17世紀の絵巻も複数展示し、その伝播や展開をご覧いただけるようにしました。

大江山絵巻(部分) 三巻のうち下巻 江戸時代 17世紀末 公益財団法人阪急文化財団 逸翁美術館 ※通期展示(場面替あり)

狩野元信筆の《酒伝童子絵巻》が“特別”な理由

──なぜサントリー本は、それほど影響力があったのでしょう? 元信が確立した狩野派が、江戸時代末まで400年にわたり画壇の中心だったためですか。

上野 それは大きいと思います。サントリー本の粉本が狩野派のなかで引き継がれたのは間違いなく、酒呑童子は狩野派が得意とする画題のひとつになりました。

もうひとつ、影響力の背景として考えられるのは徳川将軍家との関わりです。もともと本作は、戦国武将の北条氏綱が注文して作らせたもので、その北条家に嫁いだのが徳川家康の次女の督姫でした。1590年に豊臣秀吉により北条氏が滅ぼされると、のちに督姫は池田輝政に再嫁し、その際にこの絵巻を持参したのです。サントリー本は、江戸時代を通じて鳥取藩主だった池田家の家宝となり、同家が神君・家康公につながる血筋の証のように大事にされました。藩邸で高貴な客をもてなしたときに室内に飾られていたという記録もあります。

酒伝童子絵巻 旧内箱 一合 元禄14(1701) サントリー美術館 ※通期展示

──なるほど、徳川将軍家の威光をまとった絵巻だったのですね。

上野 作品の素晴らしさと伝来の歴史の相乗効果により価値が高まり、引く手あまたの絵巻だったようです。一目でも実物を見たいと願った絵師は多く、有名な狩野探幽が幕府の命令で酒呑童子絵巻を制作するに当たり、先祖の元信が描いたこの絵巻を借用させてほしいと池田家に依頼した記録も残っています。本展では、そうした関連資料も会場に展示します。

上野友愛(サントリー美術館副学芸部長)

鬼のビジュアルが固定化されていなかった時代。血なまぐさい刺激的な場面も

──今回、サントリー本はどれくらいの規模で公開されますか。

上野 全3巻合わせて約66mのうち、当館史上最大規模の延べ約35mを公開します。サントリー本は2015年に国の重要文化財の指定を受け、2018年から2年間にわたり解体修理を行いました。本展は、修理を終えた本作を思う存分ご覧いただくのが大きな目的です。

絵巻は、文章の詞書と絵が交互に並ぶ形式が多く、限られた展示ケースの中でどの絵画場面をお見せするかをいつも悩みます。今回は、解体修理前は展示が困難だった部分を含め、見どころの場面がたくさん登場します。元信らしさが満載の、艶やかな色彩と巧みな表現を堪能していただけると思います。

──サントリー本のおもな見どころの場面を教えていただけますか。

上野 上巻は、源頼光と4人の家来らが、酒呑童子がいる伊吹山を目指し険しい山谷を行く、青緑山水といわれる山岳シーンが見どころです。修理前は状態が悪くてお見せできなかったのですが、厚く塗った群青と緑青の岩絵の具の発色がすばらしく、本当に美しい場面です。

その前に、一行は石清水八幡宮、住吉・熊野で戦勝祈願したのち 、山伏に扮装して出発しますが、その道中で出会った謎めいた3人の男も画中に登場しています。じつは3人の男は諸神の化身で、鬼の神通眼を防ぐ帽子と毒酒を授けてくれ、頼光らが谷間を渡れるように木を掛けたり、難所で手を引いたりと一行を助けてから姿を消します。人物の動きや心理が楽しめる、これらの場面にもご注目ください。

狩野元信 酒伝童子絵巻(部分) 重要文化財 三巻のうち上巻 大永2(1522) サントリー美術館 ※通期展示

中巻は、伊吹山にたどり着いた一行と鬼たちの対峙が描かれます。頼光らは川で洗濯する女性と出会い、鬼の拉致被害者のひとりである彼女に導かれて酒呑童子の館に向かうと、子分がわらわらと出てきます。その鬼たちが誰ひとりとして姿かたちが同じでなく、それぞれ個性的で面白いのです。

狩野元信 酒伝童子絵巻(部分) 重要文化財 三巻のうち中巻 大永2(1522) サントリー美術館 ※通期展示

──鬼たちの表情も生き生きと描かれて、ユーモラスな趣があります。

上野 可愛いですよね。よく見ていただくとツノが生えている鬼はほとんどいないことがわかるかと思います。ツノがあって虎柄のパンツを履いている、という鬼の姿が固定化していくのは江戸時代以降なんです。本作が制作された中世の時代は、人々が恐怖を感じるモノが多く、その対象をビジュアル化した鬼の性質や容姿も多様に描かれたのでしょう。これまで展示する機会があまりなかったこの場面も、見どころのひとつです。

頼光らの前に酒呑童子が姿を現す場面は、能の演出にも影響した可能性があります。たとえば能『大江山』(替之型)において酒呑童子はふたりの童を従えて登場しますが、これはサントリー本の図様と同じです。三次元の芸能にも展開していく絵巻の影響力の大きさがうかがえます。

狩野元信 酒伝童子絵巻(部分) 重要文化財 三巻のうち中巻 大永2(1522) サントリー美術館 ※通期展示

──中巻の酒呑童子は、イケメンに描かれていますね。なぜ手を額にかざしているのですか?

上野 サントリー本の詞書によると、酒呑童子は40歳ほどに見えて身長が約3m、「容顔美麗」でした。手を額にかざしているのは、一行を怪しみ、神通力で見透かそうとする仕草です。酒宴が始まると、人間の血が盃に注がれ、肴は女性の足をスライスしたものと、かなり刺激的なシーンが描かれます。彼らがまるで生ハムのように切って食べているのは誘拐された女性の足です。頼光たちは疑いを晴らすためにそれらを飲み食いするのですが、神様に授かった帽子のおかげで正体を見破られずにすみ、酒呑童子たちに毒酒を振舞って酔わせます。

狩野元信 酒伝童子絵巻(部分) 重要文化財 三巻のうち中巻 大永2(1522) サントリー美術館 ※通期展示

下巻は、やはり鬼退治の場面が大きな見どころです。山伏の服を脱ぎ鎧兜に身を固めた頼光たちは鉄の扉に行く手を阻まれますが、再び現れた諸神が扉を開けてくれ、鬼を縛るための鉄の縄も賜ります。そして、酔い潰れた酒呑童子が鬼の姿に戻り休んでいる寝所に踏み込むのです。

狩野元信 酒伝童子絵巻(部分) 重要文化財 三巻のうち下巻 大永2(1522) サントリー美術館 ※通期展示

血しぶきのなか、頼光に斬り落とされた酒呑童子の首が宙を飛び、頼光の兜に噛らいつく――。退治の瞬間が異時同図法により同一場面に描かれ、クライマックスの迫力たっぷりです。斬られた瞬間に手足を縛る鉄の縄を引きちぎる勢いで跳ね上がった鬼の身体表現も生々しく、目が離せません。

鬼が首を斬られる場面って、『天空の城ラピュタ』に出てくる呪文「バルス」にも似ているんです。首が斬られるまでは、鬼の館は四季の花が一斉に咲き誇っている楽園として成立しているのですが、鬼が首を切られた瞬間にその魔力が消え、鬼の世界が崩壊していく。その結果、岩屋の穴蔵だけになり、鬼に殺された人のたくさんの死体が現れます。首を斬られた後の場面は残酷な描写も含むため、お子さんも来場される可能性を考えて今回は公開を控えましたが、全場面を収録した図録ではご覧いただけます。

狩野元信 酒伝童子絵巻(部分) 重要文化財 三巻のうち下巻 大永2(1522) サントリー美術館 ※通期展示

──成敗される前の酒呑童子が、誘拐した女性たちを侍らせて休む場面も印象的です。弛緩した手足や真っ赤な顔が人間的な弱さを伝え、その後の鬼気迫る恐ろしさを高めていると感じました。

酒呑童子は3歳から酒乱だった? ドイツに眠っていた「エピソード・ゼロ」の物語

──ところで、なぜ展覧会タイトルに「酒呑童子ビギンズ」と付けたのでしょうか?

上野 理由はふたつありひとつは数ある酒呑童子絵巻のオリジンといえるサントリー本を大公開することです。時代を超えて描き写され、現代まで引き継がれる鬼のイメージの源流となった本作は、「図様のはじまり」といえるでしょう。

もうひとつは酒呑童子の生い立ち、すなわち「鬼のはじまり」といえる内容を含んだドイツのライプツィヒ・グラッシー民族博物館が所蔵する《酒呑童子絵巻》(以下、ライプツィヒ本)の存在です。ライプツィヒ本は、同館に日本美術の専門家がいないこともあって、その存在がほとんど知られていませんでした。近年日本の研究者チームによる調査が行われ、本展で国内初公開します。

──ライプツィヒ本は、どのような絵巻ですか。

上野 珍しい全6巻の酒呑童子絵巻で、江戸時代中期に制作されました。うち2巻が約140年ぶりに里帰りして本展で展示されます。ライプツィヒ本の後半は、3巻構成のサントリー本と内容や図様が似ていますが、前半は酒呑童子の誕生譚や鬼になる経緯が描かれています。絵の作者はやまと絵の流れをくむ住吉派5代目の住吉廣行です。

──ライプツィヒ本の前半の物語を教えてください。

上野 物語は神代の時代、スサノオノミコトが怪物ヤマタノオロチを退治し、イナダヒメを救うところから始まります。スサノオが知略を使ってオロチを酔わせる場面や、オロチの亡魂が伊吹山に飛んでいき伊吹明神として鎮め祀られたことが描かれます。

住吉廣行 酒呑童子絵巻(部分) 六巻のうち第一巻 天明6~7(1786~87)頃 ライプツィヒ・グラッシー民族博物館 ※通期展示 

時は移り、舞台も伊吹山がある近江に変わって、次は酒呑童子の誕生が物語られます。近江の長者の家で大切に育てられた玉姫が身ごもり、じつはイナダヒメに似た玉姫に思いを寄せた伊吹明神が密かに彼女のもとに通って子をなしたと判明します。そして男児が生まれるのですが、この子は3歳の頃からお酒を飲んで狂乱するとんでもない子供だったんです(苦笑)。

──ヤマタノオロチの血を引くからでしょうか(笑)。

上野 酔うと狂暴になるので、祖父である長者は禁酒の掟がある比叡山へ男児を送り込み、男児はお酒を断って勉学に励みます。平安京遷都を祝う催事の開催を受けて、都の鬼門に位置する比叡山は鬼踊りを披露することになり、男児は鬼の面をたくさん作ります。その面をかぶった男児が踊る場面は可愛い姿に描かれていますが、帝から褒美に賜ったお酒を飲んで大暴れしてしまい、比叡山を放逐され、祖父たちにも見放されてしまうのです。

住吉廣行 酒呑童子絵巻(部分) 六巻のうち第二巻 天明6(1786)頃 大阪青山歴史文学博物館 ※通期展示(場面替あり)

──なんと因果な。

上野 途方に暮れ、実の父親である伊吹明神のもとに行くと、山で暮らすように諭されます。男児は大人しく伊吹山に籠っていましたが、次第に魔力に取り憑かれ、女性を攫い人の肉を食べる悪鬼と化してしまった――。以上がライプツィヒ本の前半ストーリーで、後半はもともとある鬼退治譚へつながっていきます。まさに本筋に入る前の「エピソード・ゼロ」といえるでしょう。

──そうした酒呑童子のスピンオフ的な物語は、いつ頃できたのでしょうか?

上野 酒呑童子の物語成立以降に作られたとされ、江戸時代にかけて「伊吹童子」「羅生門」「土蜘蛛」などのスピンオフ作品が誕生しました。興行成績が良い映画は続編やプロローグ編が制作されるように、酒呑童子物語は人気があったためにこの現象が起きたと考えられます。『踊る大捜査線』で言う、映画の『室井慎次』のようなものですね。ライプツィヒ本は、序章的な内容と本編を合体して、ひとつの絵巻作品に仕立てた点がとくに興味深いと思います。

──ライプツィヒ本の来歴を教えてください。

上野 第10代将軍徳川家治の養女の種姫が、1787年に紀州徳川家に嫁いだ際の婚礼調度のひとつだったことが今回の調査のなかでわかりました。明治時代初期に来日したドイツ人お雇い医師のショイベが購入して祖国へ持ち帰ったと考えられます。

ライプツィヒ本は、サントリー本と同様に徳川家の姫君の所持品でした。そのためか、絹地に描いた高級仕立てで、縦41cmとかなり大型の絵巻です。絵巻の多くは紙製で縦30cmほどですから、特別感がありますね。

──上野さんは日本の調査メンバーのひとりとしてドイツに赴きライプツィヒ本の詳細を確認されたそうですね。最初にご覧になったときの印象はいかがでしたか?

上野 顔料が綺麗に保たれていて驚きました。絵巻物は、巻いた状態だと内側は空気や光が遮断され、色あせの進行が防げます。ライプツィヒ本は、わずかな回数しか開かれなかったためでしょうか、まるで先日彩色したような色の鮮やかさが印象的でした。

その後の調査で、ライプツィヒ本の下絵を大阪青山歴史文学博物館が所蔵していることもわかりました。本展で全6巻のその下絵も初公開します。

ライプツィヒ・グラッシー民族博物館での調査風景 2023年10月

鬼は「わからないもの」や反対勢力の象徴として描かれてきた

──なぜ徳川家姫君の婚礼道具に血なまぐさい場面もある酒呑童子絵巻が選ばれたのでしょうか?

上野 酒呑童子絵巻は、せんじ詰めると武士が武力により世の平安秩序を守る物語です。それを所持して、武家の娘としての正統性を表わそうとした可能性があります。作中で活躍する源頼光は武士黎明期のヒーローともいうべき実在した人物ですから、彼につながる源氏の血筋を誇示する狙いもあったのかもしれません。本展最後の章では、そうした政治性も含まれた存在としての酒呑童子をご紹介します。

──鬼は、現代のアニメやマンガ作品でも人気があるキャラクターです。

上野 日本中世の鬼は、人間の反対概念的な存在です。未知のもの、正体がわからないもの、遠方からきたものへの畏怖や反感が鬼という存在を生んだと考えられ、酒呑童子は都で流行した疫病の象徴だという見方や、中央に従わない反対勢力を暗喩したなど様々な説があります。その退治物語は、自分たちの存在や正統性を守る意味合いもあって好まれたのだと思います。

それでいて酒呑童子は、酔う前は人間の姿をしていたり、過去は人間だったりと、人間と表裏一体のような存在として絵巻に描かれてきました。現代の『鬼滅の刃』に登場する鬼もそうであるように、生まれながらにして鬼だったわけではなく、まったく救いがない存在ではないんですね。酒呑童子の伝承のなかには、鬼のお面をつけたらそれが外れなくなってしまって鬼になったという話もあったりと、伝承の数だけ鬼の演出が山ほどあるので、単純に鬼が忌み嫌う存在とは思えないんです。鬼側の気持ちになって読む人もいると思いますし、そうした鬼の多面性にも思いを巡らせながら作品をご覧いただくと、さらに本展を楽しんでいただけそうです。

上野友愛(うえの・ともえ)

サントリー美術館副学芸部長。学習院大学大学院人文科学研究科美術史学専攻博士後期課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員(DC2)を経て現職。これまでに「お伽草子―この国は物語にあふれている」展、「絵巻マニア列伝」展、「扇の国、日本」展などを企画担当。専門は日本中世絵画史。

永田晶子

永田晶子

ながた・あきこ 美術ライター/ジャーナリスト。1988年毎日新聞入社、大阪社会部、生活報道部副部長などを経て、東京学芸部で美術、建築担当の編集委員を務める。2020年退職し、フリーランスに。雑誌、デジタル媒体、新聞などに寄稿。