公開日:2022年10月27日

日本メディア・アート史の「源流」を求めて。ストリーミング・ヘリテージが名古屋で発見したもの

名古屋市内各所で2022年11月3日〜20日に開催

ストリーミング・ヘリテージ2022公式マップ(一部)

2021年春からスタートした「ストリーミング・ヘリテージ | 台地と海のあいだ」は、名古屋市中心部を流れる運河である堀川を起点に、メディア・アートやパフォーマンスなど多様な表現が集い、行われるアートイベントだ。その最終回となる第3回の開催が、11月3日に迫っている。名古屋城築城に始まる土地の歴史を踏まえつつ、そこに現在のアートを交流させようとする同企画の試みはユニークだが、そこには日本におけるメディア・アート史への深い洞察もある。プログラム・ディレクターである江坂恵里子に「ストリーミング・ヘリテージ」の目指すものを聞いた。

エレクトロニコス・ファンタスティコス! Electric Fan Harp 制作:和田永+武井祐介+鷲見倫一 Nicos Orchest-Lab Photo by Mao Yamamoto

名古屋を「台地と海のあいだ」として見てみると?

──2021年3月と同年11月に開催され、そして今年11月3日には3回目の開催が予定される「ストリーミング・ヘリテージ」には「台地と海のあいだ」という変わったサブタイトルがついていますね。

もともとなごや歴史文化活用協議会(名古屋市教育委員会文化財保護室)が作成した、なごや歴史文化観光拠点ガイドマップにあった言葉なんです。名古屋中心部を南北に流れる人工の運河である堀川がかつて台地のへりだったという説明が載っていたのですが、その目線で名古屋を見ることがほとんどなかったし、「ストリーミング・ヘリテージ」がまさに堀川を使った事業ですからぴったりの言葉だな、と。

ストリーミング・ヘリテージ2022 台地と海のあいだ

──「ストリーミング・ヘリテージ」も不思議な響きの造語です。

「ストリーミング」には堀川の流れと、インターネットにおけるストリーミングといった「再生」の二つの意味を込めています。いっぽう「ヘリテージ(遺産)」と言っているのは、名古屋城築城から続く歴史だけでなく、1989年に名古屋市で開催された「世界デザイン博覧会」名古屋国際ビエンナーレ「ARTEC(アーテック)」から始まる、アートとテクノロジーの文化遺産の歴史をも指しています。デザイン博やアーテックの示したヴィジョンは、かたちを変えて2009年に終了した「MEDIASELECT」という展覧会シリーズにまで続いていきましたが、それらのアートの動向も堀川を軸線にしていました。歴史や文化の流れ、時代の往来、物資や人の往来を感じさせるものとして、このタイトルをつけたんです。

──これまでのイベントでも、実際に船で堀川を移動しながらメディア・アートや映像作品を鑑賞する試みが行われているのが面白いですね。3回目となる今回は最後の開催になるそうですが、どのような内容になりますか?

わずか3回の開催でしたが、企画の原点に戻って考えることを重視し、テーマを「場所性の再インストール」としました。多くの方にとって、名古屋の印象は産業都市・工業都市だと思います。市内各所にも数多くの「近代化産業遺産」が残されていますが、それらにアートでハイライトを当てるというのがそもそも「ストリーミング・ヘリテージ」の目標でしたから、その原点に立ち帰るということですね。そして本企画の原点といえば、やはり名古屋城です。

【2021springの展示風景より】日栄一真+竹市学 映像とサウンドによるパフォーマンス『Re: No.3』 2021 会場:名古屋城二之丸広場
【2021springの展示風景より】平川祐樹 TWENTY FIVE THOUSAND YEARS TO TRAP A SHADOW 2021 会場:宮の渡しエリア

というのも、堀川はもともと名古屋城築城のために作られた運河だからです。名古屋自体が城を作るために整備され、その物流の要として堀川が作られた。そして、そのもっともへり(あるいは縁)にあったのが熱田神宮近くにある宮の渡し。それもあって第一回・第二回では名古屋城エリア熱田・宮の渡しエリア、その中間地点にある納屋橋エリアを会場に定めました。

会期中に配布されるストリーミング・ヘリテージ2022の公式マップ。名古屋市内における堀川の存在感がわかる

──加えて、今回は、四間道と松重閘門(まつしげこうもん)も新たな展示場所になっています。

はい。場所の使い方もバリエーションが増えています。例えば宮の渡しでは、「宮の浜市」という地元のお祭りと連携して……というよりも祭りを「ハック」するような試みと考えています。複数のアーティストによるユニット「1980YEN(イチキュッパ)」のみなさんにお願いして、既存の空間やお祭りを異化するような仕掛けを考えてもらっています。

──「1980YEN」、ファストカルチャー系ユニットを名乗っていますが、作家ホームページも独特ですね。スーパーの特売チラシみたいにきらびやかで(笑)。

1980YEN ネ申ネ申ネ申 2010 ©︎ 1980YEN
ド派手に動く「1980YEN」のホームページ(https://1980yen.com/)

まさにそれがコンセプトのユニットなんです。宮の浜市自体が非常に賑やかな催しなので、そこに作品を展示するのはなかなかハードルが高い挑戦と思うのですが、「1980YEN」のみなさんならやってくれるはず!

──楽しみです!

アートに触れながら近代遺産を巡る旅

新たな展示場所になる松重閘門は、とくにユニークな場所です。閘門(こうもん)は高低差の異なる運河や川の水位調整を行う水門のことで、松重閘門は堀川とその後に作られた中川運河を結んでいます。建物自体もとても歴史のあるもので、NHKのテレビ番組『ブラタモリ』でタモリさんも訪ねました(笑)。

ライトアップされた松重閘門

夜になると美しくライトアップされ、知る人ぞ知る近代遺産スポットなのですが、じつは名古屋のアート史にとっても重要なエリアなんですよ。中川運河沿いでは「中川運河助成ARToC10(アートック・テン)」というアートプロジェクトが10年間にわたって行われてきました。地元企業がスポンサーになり、年間1000万円もの資金をサポートするのはとても珍しい例です。そうやって培われた芸術文化の土壌が中川運河にはあるんですね。
 そこで、その記憶を引き受ける試みとして、「ARToC10」でよく使われていた建物をストリーミング・ヘリテージでも使うことにしたんです。ここで展示するのは三原聡一郎さん。

──放射線や微生物などを作品の素材にするアーティストですね。

ファンで作り出す風と、展示場所の自然な風を利用した《空気の研究》を出品していただきます。会場は小さなビルで屋上を備えているのですが、屋上とギャラリースペースの空気の循環みたいなものを作品に取り込んで発表する予定です。
 また来場者を作品へと導く仕掛けとして、レンタバイクステーションも設置します。松重閘門は私鉄の駅からは近いのですが、名古屋市民が主に使う移動経路からは少し離れた場所にあるんです。そこで去年から実験的に提携してきたシェアサイクルのスタートアップ企業の力を借りて、展示を見つつ、街も散策できるようなインフラも考えています。

三原聡一郎 空気の研究 2017 Photo by Tadasu Yamamoto Courtesy of Tsushima Art Fantasia
三原聡一郎

──「松重閘門」でインターネット検索すると、とても特徴的な2つの塔の写真がたくさんでてきますね。こういう風景が名古屋にあることにびっくりしました。アート関係者にとっての名古屋というと、やはり「あいちトリエンナーレ」で主会場になってきたマス目状に街路が整備された新しい街、という印象が強い。

そうですよね。ある程度若い世代になると、堀川の存在もそこまで意識していない人も大勢いると思います。熱田界隈は川も広くなりますですが、都市部になるとかなり川幅が狭くなりますし、一時期はヘドロがたくさん溜まっているような状態でしたから。
 でも見方を変えると、少しワイルドな自然の姿も見えてきます。じつは堀川はかなり潮位が変わるんです。地元の方はそのことをよく知っているのですが、私たち運営側は甘く予想しすぎたところがあって、一回目の展示では大雨の影響でプロジェクターが初日から水没してしまったんです! 慌てて新しいプロジェクターを用意して、展示方法にも手を加えましたが、あれは私たちにとっても街についての苦い勉強になりました(苦笑)。また上流には豊かな自然も残っています。
 そういった風に、名古屋において川というのはとても重要ですし、また水辺が名古屋のアートにとって重要なエリアであったことを思い出そう、というのがストリーミング・ヘリテージの裏テーマでもあるんです。

【2021springの展示風景より】さわひらき Flying along a dry river bed(installation) 2021 会場:納屋橋エリア
【2021springの展示風景より】佐藤美代 音楽:BONZIE alone 2020 会場:納屋橋エリア

メディア・アートの源流地としての名古屋

中川運河の「ARToC10」はかなり最近の例ですが、名古屋では水辺でたくさんのアートプロジェクトが行われてきました。
 1989年、名古屋市はデザインを核としたまちづくりとして「デザイン都市宣言」を発表しました。それにともなって、先ほど話したように世界デザイン博覧会が行われ、同時にメディア・アートを軸とした「名古屋国際ビエンナーレ」通称「ARTEC(アーテック)」が、同年から5回にわたって開催されました。

ARTEC '97

──「アーテック」は日本のメディア・アート史においてかなり重要な展覧会ですね。インターネット登場以前の企画のために、書籍以外での記録がほとんどないために半ば忘れ去られている印象が近年までありました。

このアーテックを引き継ぐかたちで、保税地区である倉庫の一角に1999年にオープンしたのが「artport(アートポート)」です。ここでは「MEDIASELECT(メディアセレクト)」という展覧会シリーズが行われ、2009年までの10年間にわたって、メディア・アーティストや研究者の育成に寄与しました。また2002年にはアジアで初めて開催された「電子芸術国際会議(ISEA)」が行われ、国内外の電子芸術とメディア・アートをめぐる議論や交流が活発に交わされました。こういった試みの多くが、水辺の倉庫群を拠点にしていたんです。

「アートポート 99」フライヤー
MEDIASELECT1999の記録誌より
「ISEA2002」会場風景

また、ISEAの設計・会場構成には、先日急逝された池田修さん(BankART 1929元代表)細淵太麻紀さんらPHスタジオが全面的に関わってもいましたが、名古屋から始まったアートの流れ(ストリーム)を追うこともストリーミング・ヘリテージのミッションなんです。

──水辺の倉庫をアートスペースに活用するというアイデアは、それこそ池田さんが主宰した横浜の「BankART 1929」にも影響を与えたのではないでしょうか?

じつはそうなんです。池田さんが名古屋でまとめていた構想をそのまま横浜に移したのが「BankART」で、大げさな言い方をすれば、名古屋がある種の日本の現代アートの雛形でもあったと言えるでしょう。名古屋の人たちは、その歴史を忘れてしまっていることを悔しがったほうがいいかもしれない(苦笑)。
 ともあれ、80年代末から90年代末までの名古屋は世界的に見ても、アートとテクノロジーの分野で先駆的でした。また、当時日本各地で流行していたオルタナティブスペースの設立においても、名古屋は大きな爪痕を残していた。そういった歴史をリサーチすることもストリーミング・ヘリテージのミッションだと考えているので、展覧会形式と並行して、当時関わっていた人たちへのインタビューもこつこつ進めています。

──インタビューなどを集めたアーカイブもすでに公開されているのでしょうか?

なかなか手が回っていないので、これからの課題です。ディレクターチームの名古屋大学教授の秋庭史典さんの研究室でもリサーチを引き継いでいくことになっているので、ストリーミング・ヘリテージのリサーチをベースにして、誰もがアクセスできるアーカイブを作っていければと。池田さんだけでなく、名古屋のアートプロジェクトに深く関わり、名古屋芸術大学と名古屋大学で教鞭をとられた茂登山清文さんも大変残念ながら今年の8月に亡くなられたこともあって証言を集めていくのは大変ですが、継続していきたいです。

 11月6日には、一連のリサーチプロジェクトのいったんのまとめとして、ディレクターチームによるトーク「ストリーミング・ヘリテージ リサーチプロジェクト『起点としての「アートポート」』」(要事前申し込み)を開催します。ぜひこちらにもご参加いただければ嬉しいです。

「電子芸術国際会議 ISEA 2002」記録誌より

ストリーミング・ヘリテージは現在に何を伝えるのか?

──地域で行うアートプロジェクトでは土地の歴史や文化のリサーチが作品制作においても定番になっていますが、ストリーミング・ヘリテージではアートの歴史、とくにメディア・アート史の近過去を掘っていくのが面白いですね。

ローカルであると同時にグローバルでもあるプロジェクトにしたかったんです。これまで話してきたように、名古屋には現在のメディア・アート、アートとテクノロジーの関わりの源流になるような土台がありましたし、私自身、電子芸術国際会議(ISEA)に事務局として関わっていましたから、これらの歴史が埋もれてしまうのは悲しい。それもあって、フォルマント兄弟藤本由紀夫さんといったアートとテクノロジーの歴史を象徴するようなベテラン作家にも出品を声がけしてきました。

藤本由紀夫 RECORD 2001 名古屋市美術館蔵

しかし、同時に「メディア」と言ってもデジタル・テクノロジーに関わるものだけを扱うつもりもないんです。人長果月(ひとおさかづき)さんは環境に着目して活動する作家で、堀川の源流までリサーチして作品に落とし込んでいただいていますし、近藤正勝さんはペインターで、無限の生命体の集積、それに関わる人間の文化また寓話の集積としてランドスケープを描いています。久保寛子さんは、神話から着想を得た、土を素材にした風雨や日光の影響を受けて時間と共に変化する彫刻を出品していただいています。

人長果月 biosphere 2017
近藤正勝 A BIRD IN THE DARK 2020(写真左)/HIDDEN LAND_s(Side Bush Bank) 2018(写真右) ©Masakatsu Kondo
久保寛子 ハイヌウェレの彫像 2020

コンセプトのひとつとして「メディア=コンシャス」をうたっているのは、メディア(媒介)を「何かと何かをつなぐもの」として考えているからです。その意味で、名古屋城と港をつなぐ堀川もメディアと言えるでしょう。「メディア」の定義を幅広く捉えることで、土地や文化の歴史と魅力を再生するというのがこのプロジェクトの大きな目標なんです。

──メディアやテクノロジーは、この10年で暮らしや労働の場に具体的に実装されるようになっています。プロジェクションマッピングやAI、ドローンなどはその一例ですが、そういった現在の社会状況に対してストリーミング・ヘリテージはどのようなメッセージを持てると思いますか?

そうですね……。ディレクションやリサーチを重ねながら思い出していたのですが、1996年に開館したナディアパーク内に「青少年文化センター(アートピア)」という施設がありました。そこには岩井俊雄さんの《映像装置としてのピアノ》や、八谷和彦さんの《視聴覚交換マシン》などの優れた作品が数多く展示されているだけでなく、1998年に発売されたばかりのiMacが20台ほど置いてあって、子どもたちや来場者が自由に触れるようになっていたんです。

90年代当時、ファブラボという言葉はもちろんありませんでしたが、映像制作をしたい人、作品制作をしたい人のための開放されたスタジオが、まさにアートピアだったんです。「アートとテクノロジー」と声高に叫ばなくとも、子どもからアーティストや研究者も集まる場所があることのすばらしさ、こんなにオープンで自由な場所は他にないな、と当時から思っていました。そういった環境が名古屋にあったことはとても重要なことで、次の世代にクリエイティブに関わるバトンをいかに手渡していくかを考えるうえで、アートピアや、これまで話してきた多くのプロジェクトが現代に示唆するメッセージは非常に豊かだと思っています。
 ストリーミング・ヘリテージの規模では、とてもそれに匹敵することはできないですが、自由で先駆的な、創造都市なんて言葉がなかった時代にも、強い意識を持っていた人たちがいて、場所を作っていた。そのことを伝えていくことがストリーミング・ヘリテージの大きな意義ではないでしょうか。

島貫泰介

島貫泰介

美術ライター/編集者。1980年神奈川生まれ。京都・別府在住。『美術手帖』『CINRA.NET』などで執筆・編集・企画を行う。2020年夏にはコロナ禍以降の京都・関西のアート&カルチャーシーンを概観するウェブメディア『ソーシャルディスタンスアートマガジン かもべり』をスタートした。19年には捩子ぴじん(ダンサー)、三枝愛(美術家)とコレクティブリサーチグループを結成。21年よりチーム名を「禹歩(u-ho)」に変え、展示、上演、エディトリアルなど、多様なかたちでのリサーチとアウトプットを継続している。