戦後日本を代表する写真家のひとりである中平卓馬。『PROVOKE』誌などに発表した「アレ・ブレ・ボケ」の表現や、評論集『なぜ、植物図鑑か』における自己批判的な視点に見られるように、実作と理論の両面において大きな足跡を残した写真家の、2015年の没後初となる大規模な回顧展、中平卓馬「火―氾濫」が東京国立近代美術館で4月7日まで開催されている。
展示の冒頭は、「1章 来たるべき言葉のために」。編集者だった中平は雑誌などで写真家・東松照明らの撮影を担当したことなどがきっかけとなり、写真への関心を高め、1965年には出版社を退社して写真家に転身した。雑誌を中心に撮影を行い、また批評家としても活動を続けた中平は、美術評論家の多木浩二と発案し、写真家の高梨豊、詩人の岡田隆彦を加えて同人誌『PROVOKE』を1968年に創刊。第2号から森山大道もメンバーに加わり、粒子が粗くピントが合わない不鮮明な画面の写真群が、センセーションを巻き起こした。創刊に際して、中平は写真家として「既にある言葉ではとうてい把えることのできない現実の断片を、自らの眼で捕獲してゆくこと、そして言葉に対して、思想に対して幾つかの資料を積極的に提出してゆくこと」(展覧会場パネルより)を目指した。
そして1970年11月、中平初の写真集のタイトルを出版するのだが、そのタイトルが『来たるべき言葉のために』だ。1967年から70年にかけて『PROVOKE』誌などで発表された写真作品、岡田隆彦による論考「風景について」が収録されている。
おもに雑誌や写真集で発表された中平の仕事を振り返るべく、プリントはもちろんのこと、オリジナルの誌面の多くが集められ展示されている。光化学スモッグのような公害問題を取り上げた週刊誌の記事に、中平と森山大道の写真が使用されていたという事実からは、当時の出版業界がいかにラディカルなものを受け入れ、社会にメッセージを発信しようとしていたかが伝わってくる。
また中平は、編集者であった背景も関係するのだろうと推測できるが、写真のイメージを伝える方法に意欲的であり、1969年の第6回パリ青年ビエンナーレ写真部門に参加した際にも、当時の標準的な写真の展示方法であったパネル貼りの写真印画ではなく、グラヴィア製版による印刷物の出品という形式を採択した。
次の「2章 風景・都市・サーキュレーション」は、1971年に開催された第7回パリ青年ビエンナーレ出品作《サーキュレーション—日付、場所、行為》から始まる。コンセプトは、写真によって個人の内面を世界に投影するのではなく、世界の側が個人に与える影響を示すこと。自分が触れるあらゆるものを写真に納め、その日のうちに現像してプリントし、その日のうちに会場に展示することを目指し、その一連の行為も含めて作品とした。写真を組み合わせたインスタレーションであり、同時にパフォーマンスとしての作品制作を連想させる展示となった。
『3章 植物図鑑・氾濫』へと続く。1973年に刊行された評論集『なぜ、植物図鑑か』と、その翌年に東京国立近代美術館で開催された「15人の写真家」展に出品された作品《氾濫》に由来する。
自らの初期の写真を否定し、「(写真家が主観的にいだく)イメージを捨て、あるがままの世界に向き合うこと、事物を事物として、また私を私としてこの世界内に正当に位置づけること」ことを目指すべき方向だと宣言。そこに至る表現の軌跡として、1969年以降に雑誌で発表された写真などを集めて展示したのが《氾濫》だ。
『なぜ、植物図鑑か』においては、「白日の下の事物(もの)をカラー写真によって捉え、植物図鑑に収めて」いくと宣言しているが、《氾濫》を構成する写真は、都市の断片であり、抽象性すら感じさせる。図鑑のように「白日の下の事物(もの)」をとらえる方法論に至る過程で撮影された写真を用いることで、世界との向き合い方を考える思考プロセスの視覚化をこの作品で試みたのではないだろうか。
沖縄のデモで起きた事件で起訴された青年の裁判を支援するために、1973年7月に中平は初めて沖縄を訪れた。それから渡航を重ねるなかで、列島の南西に連なる島々から日本という国の枠組みを問い直すという構想を手にする。「4章 島々・街路」では、沖縄を撮影した写真に加え、近年その存在が確認された「街路あるいはテロルの痕跡」の1977年のヴィンテージプリントなどを展示。1977年9月に急性アルコール中毒で倒れ、記憶の一部を喪失するに至るまでの仕事が集められた。
展示最終章は「5章 写真原点」。一時は命が危ぶまれるほどの重篤な容体に至った中平だが、数ヶ月の入院で肉体は快方に向かった。記憶の一部を失い、また記憶が持続しないなどの症状が残ったものの、写真家として再起を果たす。昏倒以後、初めて発表された写真が『アサヒカメラ』掲載の「沖縄—写真原点1」。1978年夏に、療養を兼ねて家族と訪れた沖縄で撮影された。
日々自宅の周辺での撮影と暗室作業で制作したプリントが写真集『新たなる凝視』『Adieu à X』にまとめられ、次第にカラーフィルムで縦位置の構図で世界の断片を切り取るなど、「植物図鑑」で宣言した取り組みの実践が継続している様子も読み取れる。
写真家に転身してからも編集者の視点も持ち続け、カメラを携えて理論に裏付けられた実験を重ねた中平卓馬。膨大な点数の写真並びに出版物が集められたこの回顧展では、試行錯誤のプロセスと直感的な瞬発力との双方が中平にシャッターを切らせ、暗室へと向かわせていたことが伝わってくる。ゆっくりと時間をかけて味わいたい展示だ。