エルネスト・ネト スラッグバグ 2024
2024年秋、岡山県北部を舞台に初めて開催された「森の芸術祭 晴れの国・岡山」(会期:2024年9月28日〜11月24日)は、地域に根ざした芸術表現と国際的な視点が交差する新たな試みとして注目を集めた。長谷川祐子(金沢21世紀美術館館長、東京藝術大学名誉教授)がアートディレクターを務め、12市町村にまたがる自然豊かなフィールドに、国内外12の国と地域から42組43名のアーティストが参加。地域の歴史や風土、文化と向き合いながら、人間と自然との関係性を多角的に探る作品が展開された。これまで大規模なアートイベントの少なかったこの土地で、芸術はどのように息づいたのか。今回は哲学者エマヌエーレ・コッチャが、その全体像を読み解く。【Tokyo Art Beat】
有名なギリシャの哲学者・著作家のプルタルコスによると、ローマ建国の父として崇敬される伝説上の人物ロムルスは、ローマの都市建設にあたってまず円形の穴を掘り、そのなかに「しきたりに照らしても立派で、本性から言っても必要な、あらゆるものの初物」 を収めたという。「世界」を意味するラテン語「mundus(ムンドゥス)」は、その円形の祭祀空間の名前に由来している(プルタルコス『英雄伝』ロムルス 11,2)。この伝説は、あらゆる都市の実在の基礎になると考えられる精神を示唆している。すなわち、都市とはただたんに一定の人数の人間が共存できるように設計された機構であるだけでなく、世界を構築しようという試みであり、存在するもののなかから最良の部分を分離して抽出し、人間の共存と「絶対善」とを同一化させようとする試みなのだ。
展覧会というものはすべて、この古代の儀式の再現だと言うことができるだろう。ひとつだけ大きな違いがあるのは、現代の展覧会は「良きもの」を地中に埋めるのではなく、それを開かれた空間に提示するということであり、ある一定の期間だけ、都市の風景がその都市から生まれた最良の事物の集積と同化する、ということである。さらには、こうも言えるかもしれない。展覧会とは、宇宙進化論的な即興表現の実践であり、そこでは人々が世界に関する考えを表明し、それを限られた空間と時間のなかで、視認可能なかたちで、認知可能なかたちで、また体験可能なかたちで提示する試みなのだ、と。
現実を選択し選別することが世界の成立に必要だという点では、物的秩序よりも心的秩序の要素のほうが大きい。選択によってより良い存在が生まれる。選択によって、私たちは良きものから「より良きもの」へと移行できるようになる。このような精神的な進歩、現実のなかの「善」の増大こそが、存在するものを世界へと変容させる。時間と空間が世界になるのは、ある場所とある瞬間が、私たちによって良きもの、より良きものを凝縮させることができたときに限られるのだ。
「博覧会」が発明されて以来、産業革命を経験したヨーロッパの近代国家は、この装置を用いて、自らが生み出した産業・芸術・技術の「最初の果実」の確認作業を行ってきた。「博覧会」が誕生したその瞬間に、ミュージアム(博物館・美術館)は、自らを生み出した古代以来のモデルを、おそらく無意識のうちに放棄したのである。過去を保存することはもはや重要ではなくなった。未来を孵化させることこそが重要になったのだ。展覧会は、都市または国家が自らの未来の姿を描き出すための繭になった。
私たちは、これまで100年以上にわたって、「ビエンナーレ」すなわち国際美術展を通して、展覧会という装置を飼い馴らし、芸術のために利用してきた。問題となるのは、絵画、彫刻、建築、パフォーマンス、デザイン、ダンスそのほか、次第に「ファインアート」のシステムを構成するようになってきたあらゆる芸術表現の未来の姿を描き出すことだった。
ビエンナーレの特徴は、その地球規模の視野である。それによって、芸術は次第に、客観的な異文化交流の実践として認知され認識されるようになってきた。異文化が出会い、混淆し、共通の文法、一種の「リンガ・フランカ」(共通語)を構築するに至るためのプラットフォームとして。アーティストはその共通語を操る演説家であり、また詩人でもある。
ビエンナーレモデルの成功は、とくにここ最近の数十年間のその数の増大によってはっきりと認めることができる。いまやどこにでもビエンナーレがある。展覧会のなかに世界を凝縮するというこの行為に関わりのあるものを選別するために「ビエンナーレのビエンナーレ」の開催が必要なのではないかと思われるほどに、ビエンナーレは広く普及しつつある。こうしたビエンナーレの大衆的拡散を受けて、非常に精密な批判も展開されるようになっている。すなわち、これらの展覧会と、それが開催される場所・地域との間の関係性はますます抽象化し、一過性のものになってきているのではないか、このようなモデルのメカニズムや生理機構の修正が必要になるときがやがて訪れるのではないか、という批判である。
長谷川祐子がキュレーターを務めるビエンナーレ「森の芸術祭 晴れの国・岡山」が非常に重要なのは、その優れた展示作品のラインナップだけが理由ではない。何よりもまず、このビエンナーレが、ビエンナーレモデルの変革の試みのなかでももっとも先鋭的で、興味深いもののひとつとなっているからだ。
今後、ほかのビエンナーレでも踏襲できるような要素が、少なくともふたつある。第一に、舞台を広く拡大するという選択である。もはやひとつの美術館、ひとつの都市にとどまらず、より広範な、より複雑な、そして異質性を内包した地域が舞台となっている。一連の作品群・展覧会群は、複数の町や村、さらには多様な自然空間にまで拡散し、展開している。
ビアンカ・ボンディの作品は中島病院旧本館に設置され、エルネスト・ネトの作品は公園に、立石従寛の作品は森のなかに置かれている。アンリ・サラの作品は井倉洞の深部にあり、それを見るには洞窟の中を30分も歩いて行かなければならないし、特別な装備も必要になる。しかしながら、いまや使い古されたホワイトボックスから抜け出したことだけが重要なのではない。なぜならこれらの作品は、不毛で気まぐれな舞台背景のためだけに、このように様々な場所に設置されたわけではないからだ。すべての展示作品はそれぞれの空間と互いに呼応し、その意味や現実を完全に変容させている。
たとえば、ソフィア・クレスポがAIを用いて作成したボードは、つやま自然のふしぎ館の見事に超現実的な空間のなかに溶け込み、ほかの展示物とも同化しているのだが、作品によって博物館全体が変身を遂げたかのように見えるのだ──あたかも博物館全体が人工知能によって生み出されたひとつの作品であるかのように。
タレク・アトゥイのインスタレーションは城東むかし町家(旧梶村邸)に設置されている。アトゥイが制作した楽器の形態と、それらが生み出す奇妙な音との間でかわされる繊細な対話が、日本の伝統家屋に対する見方を根本から変容させている。ジャコモ・ザガネッリのインスタレーションは、自然の風景の生物学的・物理的な変容をもたらすだけでなく、何よりも人間的・社会的な風景を変容させている。
このような展示群を通して、長谷川祐子は「ランドアート」の思想そのものを再考し、先鋭化させているとも言えるかもしれない。文化が何らかのかたちで介在し始める以前から存在し続けてきた、非文化的で純粋な土地に作品を介入させるのではなく、歴史と文明によってすでにかたち作られた空間のアイデンティティのコミュテーター(交換子)として一つひとつの作品を機能させているのである。これらの場所がもとの状態に戻ることはもはやない。作品がなくなったとしても、かつてと同じ眼差しでこれらの場所を見ることは不可能だろう。
このビエンナーレは、未来について思いを巡らせるための「もの」としての作品の集積というよりも、むしろ現在の世界を変容させる試みとして提示されている。巨大な景観設計事業に近いものだ。それぞれの作品を見るためには何時間もかけて移動し、その地域を眺め、それを理解し、再考することが必要になるという意味においても、そう言えるだろう。
このビエンナーレを唯一無二のものにしているふたつ目の要素は、まさにこのことと関わっている。土地・地域との結びつきが更新されているために、それぞれの作品は訪れた場所の新たな地図のようなものへと変容しているかのように見えるのだ。そうした印象がはっきりと感じられるのは、衆楽園に展示されたリクリット・ティラヴァニの作品を目にしたときだ。また、森夕香の作品は、その土地の風景のなかに生息する新種の植物や動物の標本箱もしくは説明図のように見える。また、すべてのアーティストが大地だけに着目しているわけではない。AKI INOMATAは、雲を聴診し、観察し、そして私たちの存在の守護霊のようなものへと変容させるような作品を、新たな空の地図として提示している。
長谷川祐子がキュレーターを務めたこの「森の芸術祭」ほどに、深みと先鋭性を備えて、宇宙進化論的な実践にまで到達しているビエンナーレは稀である。この地球という惑星における芸術の意味と必要性の再考と再確認こそが、このビエンナーレが目指していることだ。私たちはいま、かつてないほどに芸術を必要としている。
※『誘う森 Tuning in to the forest 森の芸術祭 晴れの国・岡山 2024公式カタログ』(PURPLE、2025)より転載