会場風景より、ザディ・シャ《The Expulsion of Evil (May you receive what you wish for others) 2 》(2025) 撮影:筆者
今年のターナー賞ファイナリストには、ダミアン・ハーストに次いでターナー賞史上2番目の最年少候補者となるレネ・マティック(Rene Matić)、イラク出身の画家モハンマド・サーミ(Mohammed Sami)、スコットランド出身のナイジェリア系彫刻家ニーナ・カルー(Nnena Kalu)、そして韓国系カナダ人アーティストのザディ・シャ(Zadie Xa)が名を連ねた。
受賞者発表前に始まる恒例のターナー賞展。今年の舞台となるのは、人口の4割がパキスタン系で、国内屈指のカレーの街として知られる、イギリス北部ブラッドフォードに位置するカートライト・ホール・アート・ギャラリー。会期は9月27日〜2026年2月22日。
その名の由来となった19世紀の画家J.W.M.ターナー生誕250周年となる今回は、現在の美術の多様性を象徴するラインナップが印象的だった。この多様性とは、ルバイナ・ヒミッドが同賞を受賞した2017年以降に顕著な傾向、つまり候補者のバックグランドの多様性も含まれるが、注目したいのは芸術表現の多様さである。マティックの写真、サーミの壁画のように巨大な絵画、カルーの日常的な素材を用いた立体作品、シャのインスタレーション。ターナーの生きた時代には想像もつかない、今日の美術における素材と表現の幅広さが反映されている。
また、4人の候補者は、自身のルーツやアイデンティティを探求する者、人とは異なる特性と向き合う者、故郷を追われ異国で生きる者、それぞれがまったく異なる立場で異なる現実に直面しながら制作している。そうした意味では、展示室が4ヶ所に独立して点在する今回のレイアウトは、ドアを開けて出入りするという行為を挟むことで各候補者が創り出す世界観に深く没入できる構成となっていた。
たったいま、異なる現実に対峙していると述べたが、共通して感じられたこともある。それは、「私は、現在(いま)を生き抜いている」という候補者たちの声だ。各候補者の作品の詳細は後述するが、その声は、誰かに自身の居場所を知らせるための叫びというよりも、自らの輪郭を確かめるために自分自身に言い聞かせるつぶやきのような響きを持つ。そうした内省的な作品群から立ち上がってくるのは、自らの生をありのまま引き受ける覚悟と、時に波のように押し寄せる困難な現実を乗りこなそうとする強さだった。
主に写真を通じて、クィアネス、ブラックネス(黒人であること)、ブリティッシュネス(イギリス人であること)を探求する、ノンバイナリーでミックスルーツのレネ・マティックは、CCAベルリンでの個展「真実に抗う(As Opposed to the Truth)」がノミネート。
「パレスチナに自由を(Free Palestine)」というチャントが響き渡る展示室に足を踏み入れると、まず出会うのは、パブの窓にイングランド国旗を写した1枚のL版写真だ。国旗の下には<プライベートパーティー>の表示が掲示され、反移民の愛国主義的なデモ参加者がこの国旗を携えて行進していることを考えれば「イギリス人以外お断り」とも読める排他的な含意が漂う。
その奥へ進むと、<居場所がない(No Place)>と書かれた横断幕が天井から床まで垂れ下がる。背後で流れるオーディオ作品《365》は、「Free Palestine」のチャントに加え、教会の鐘の音や讃美歌、トランスジェンダー権利活動家の抗議の声、黒人女性フェミニストであるベル・フックスの声が順番に響き渡り、冒頭の写真で示されたナショナリズム的なイメージと相まって、<居場所がない>という言葉はより切実な意味を帯びていく。
さらに裏に回ると、横断幕の反対側にFor Violenceという語が現れた。つまり、表裏で<暴力に居場所はない(No Place for Violence)>というフレーズが完成する。そして、このFor Violenceの文字をコの字型に囲むのが、写真シリーズ《Feeling Wheel》だ。大小様々な40枚の写真がアクリル額装でレイヤーのように重なり合い、まるで複数のウィンドウを広げたデスクトップ画面のように見える。そのなかには、「怒り狂ってるトランス連中(Pissed off trannies)」といった街頭の差別的な落書きの写真と、マティックの友人をとらえたプライベートで親密な、優しさと愛情に満ちた写真が並置され、両者のモンタージュによって、<暴力に居場所はない>というメッセージが一層強調される仕掛けになっている。全体的にかなりシステマチックなプレゼンテーションだ。
2025年は、反移民的かつトランスフォビアを掲げる右派ポピュリスト政党リフォームUKがイギリス国内で大きく躍進し、さらにはイギリス最高裁が平等法における女性を生物学的性別と定義する決定を下した、不寛容と排斥の年であった。そうしたままならない現実のなかで、マティックは人々が持つ潜在的な帰属意識を丹念に観察し、この時代における分断と連帯を冷静なまなざしですくいあげることに挑戦している。
イラク戦争を逃れてスウェーデンに亡命し、現在はイギリスで暮らすモハンマド・サーミは、自身の経験をもとに戦争と亡命、記憶と喪失をテーマに大型の絵画に取り組む。第二次世界大戦期の首相ウィンストン・チャーチルの生誕地でもあるブレナム宮殿で開催されたサイトスペシフィックな個展「嵐のあと(After the Storm)」が高く評価された。
サーミの絵画を特徴づけるのは、第一にその圧倒的なスケールである。視野を覆い尽くすほどの大画面はIMAXのスクリーンを思わせ、鑑賞者を否応なく作品へ引き込む。そしてもうひとつの特徴は、人間の不在である。多くの場合、人の姿は描かれず、登場するとしても顔は省略され、匿名的な存在として処理される。彼の風景画は、かつてそこに人がいたのではないか、あるいはいまもどこかに潜んでいるのではないかという気配を漂わせ、漠然とした不安を呼び起こす。
たとえば、《The Grinder》では、円卓と四脚の椅子がドローン視点のように俯瞰され、不穏な影——シーリングファンか、ヘリコプターのブレードか、あるいはまったく別の何か——が旋回している。かつては美しいモザイクタイルであっただろう床は砂埃をかぶり、ところどころに残された足跡によって幾何学模様が断片的に姿を現す。その足跡は、この情景が何かが起こったあとの痕跡なのか、あるいは嵐の前の静けさで逃げた人々が息を潜めている状況なのかを曖昧にしている。
なかでも《The Hunter’s Return》は白眉だ。薙ぎ倒された木々や爆弾で穿たれたクレーターは燃えるような空に照らされ、硝煙で霞む視界のなかでは、銃に取り付けられた緑のレーザーサイトが対象を威嚇するように明るい光を放ち、空間を切り裂く。
サーミは巧みなテクスチュアの使い分けによって、こうした戦渦の光景をありありと描き出しながらも、死体や流血といった直接的な陰惨描写は避ける。むしろ、描かないことによって生まれる空白と普遍性が鑑賞者に想像の余地を与え、暴力の余韻をより強く想起させる。戦争がもたらす不安、一触即発の緊張感、不条理の記憶を他者に共有可能なかたちに変換する表現を、純粋に視覚言語のみで達成する稀有な作家である。
発達障害や学習障害を抱えるアーティストの活動を支援するロンドンのAction Spaceスタジオで25年以上制作を続けるニューロダイバージェント(脳や神経に由来する非定型的な発達の特性を持つ人々)のニーナ・カルーは、リヴァプールのウォーカー・アート・ギャラリーにおけるグループ展「対話(Conversations)での発表、およびバルセロナで開催されたマニフェスタ15での展示がノミネートされた。
カルーは、プラスチックのダクトホースを素体に、布、ロープ、ビニールテープ、ラップ、紙、VHSテープなど身近な素材をぐるぐると巻き付けることによって、カラフルで有機的な立体作品を生み出す。その形態は、まるで人間が捨てた有り合わせの人工物で親鳥が作る巣のようで、彼女にとっての心理的な安全領域を象徴しているように感じる。と同時に、言語でのコミュニケーションが極めて限定的なカルーにとって、制作と発表は世界と関わるための手段であり、同時にセルフケアでもあるのだと強く意識させられる。作品から垂れ下がった素材は、人が通るたびに風に揺れ、作品が鑑賞者と非言語のコミュニケーションを試みているようにも思えた。
興味深いのは、ダクトホースに素材を巻き付けるという同円心状の腕の反復動作が、ドローイングにおいて渦巻き状の線描として再現されている点だ。立体作品で実践された不可視の身体性が、幾重もの線の痕跡として平面上で前景化するのである。平面と立体という形態の違いはあれど、両者がカルーの制作において密に結びついていることが伺える。彼女のドローイングは2枚1組、あるいは3枚1組で展示されることが多く、それらの組絵は一見するとコピーしたかのように似通って見える。カルーの反復と集積が、闇雲な繰り返しではなく、かなり精度の高い反復動作を再現できる証左であり、それは瞠目に値する。
アラブ首長国連邦の第16回シャルジャ・ビエンナーレでの展示「深海のこだまに響く月明かりの告白:汝の祖先は鯨なり、大地はすべてを記憶す(Moonlit Confessions Across Deep Sea Echoes: Your Ancestors Are Whales, and Earth Remembers Everything)」がノミネートしたのは、ザディ・シャ。韓国にルーツを持ち、バンクーバーで育った彼女は、朝鮮のシャーマニズムからインスパイアされたスピリチュアルな没入型インスタレーションを披露した。
入口で靴を脱ぐように促され、展示室へ入ると、まずは虹色のプリズムが煌めく螺鈿細工のような八角形の台座と、その上部で螺旋状に吊るされた数百個の鈴《Ghost》が目に入る。あたり一面ゴールドのシートで覆われた床は、水面のように絵画を反射し、照明の光を受けて壁にはキラキラと輝く波紋が広がる。それは、どこか夢見心地のような、この世とあの世のあわいにいるような感覚を呼び起こす。しかし、不思議と恐ろしさは感じず、むしろ観客を抱きしめるような温かさに満ちているのが印象的だ。
四隅に設置された貝殻型スピーカーに耳を澄ませると、海のさざめきやアンビエントミュージックに混ざって、オクティヴィア・E・バトラー、アーシュラ・K・ル=グウィン、アリス・ウォーカーといった女性作家たちの優しく語りかける声が響く。また、中央の鈴を囲むように、壁面には韓国伝統工芸ポジャギを連想させる色彩豊かな絵画が掲げられ、そこではムーダン(巫女)たちが海洋生物とともに舞う幻想的な光景が描かれている。
生者と死者、過去・現在・未来、人間と動物がアニミズム的世界観のもとで越境し、渾然一体となるこの空間は、シングルマザーの家庭に育ち、移民2世として生きづらさを抱えていたと語るシャ自身の個人的な苦悩を、途方もない大きな物語で包み込むようだ。シャのインスタレーションなかで個人の痛みと苦しみは、悠久の歴史と大地の記憶の一部として溶け込み、人類としての壮大な物語において日々を生き抜くための活力を与えてくれる。
受賞者は12月9日に発表される。