公開日:2025年11月20日

「若江漢字とヨーゼフ・ボイス 撮影されたボイスの記録、そして共振」(神奈川県立近代美術館)レポート。 “芸術は学びである”という視点から展示を読み解く

若江漢字とヨーゼフ・ボイスの関係を、写真とインスタレーションから読み解く展覧会。会期は11月15日〜2026年2月23日(撮影:編集部)

若江漢字 時の光の下に-II(死の島) 1989-2024

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若江漢字とヨーゼフ・ボイス 写真とインスタレーションで辿る思想の継承

ヨーゼフ・ボイスの思想を深く受け継いだ日本人アーティストのひとり、若江漢字。そのふたりの歩みと共振を改めて問い直す展覧会「若江漢字とヨーゼフ・ボイス 撮影されたボイスの記録、そして共振」が、神奈川県立近代美術館で開催されている。会期は11月15日から2026年2月23日まで。

若江漢字 現れ出る時 1989-2025

本展は、1970年代以来ボイスと交流を続けてきた若江が撮影したドキュメント写真を中心に、若江自身のインスタレーション作品と、カスヤの森現代美術館所蔵のボイスのマルティプルをあわせて紹介するものだ。「撮る側」と「撮られる側」、「学ぶ側」と「教える側」が交差するふたりの関係を、多層的に浮かび上がらせる構成となっている。

境界を越えて共鳴した表現の関係

若江漢字は1944年横須賀に生まれ、グラフィックデザインと版画を学んだのち、1960年代後半から写真を用いたコンセプチュアルな作品を国内外で発表してきた。1970〜90年代にはドイツと日本を往復しながら制作を続け、1973年のサンパウロ・ビエンナーレにも参加している。

その転機となったのが、ドイツ滞在中のヨーゼフ・ボイスとの出会いである。戦争体験を背景に、芸術を通じて社会に働きかけようとしたボイスの姿勢に若江は共鳴し、やがて親しい交流が始まった。1982年の「ドクメンタ7」では、観客として最前列にいた若江がボイスに壇上へ呼び上げられ、至近距離からアクションを撮影することになる。1984年の来日時にも同行し、その後もドイツ内外でのボイス展を継続的に撮影していった。

今回初公開を含むモノクロ写真は、若江が長年にわたり撮影してきた記録の一部であり、そこには両者の距離感や親交の深さを読み取ることができる。同時に若江は、自身の制作と並行して1994年にカスヤの森現代美術館を設立し、ボイス作品の収集・展示を通じて「日本でボイスを語り継ぐ場」を自ら作り続けてきた。

若江漢字が撮影したヨーゼフ・ボイスの写真 会場風景


デュシャンから若江漢字の展示を経て、そしてボイスの部屋へ

本展の動線は、若江自身の言葉を借りれば「デュシャンから始まり、間に自分の作品があり、最後にボイスで終わる」という構成をとっている。若江にとってデュシャンは、たんなる美術史上の作家ではなく、「この展覧会全体の出発点となる問いを提示する存在」として位置づけられている。

開会当日のギャラリートークで若江は、21年前に神奈川県立近代美術館の旧鎌倉館で行った展覧会をこう振り返った。「鎌倉で展覧会をやったとき、入口にデュシャンの《泉》と、ボイスの作品を便器になぞらえた作品を並べたんです。今回もデュシャンの《大ガラス》を意識した自作を入口に置いています。デュシャンが開いた問いを踏まえながら、最後にボイスへとつなぐ会場構成にしました」

若江漢字 「大ガラス」補注─3つの解釈 2018-19

デュシャンの《大ガラス》からインスピレーションを得た作品を入口に置く理由は、明快だ。彼は「芸術とは何なのか?」という、もっとも根本的な問いを投げかけた人物である。さらに、既製品を作品として提示するという行為によって、美術の価値判断やルールを根本から問い直した。若江は、その視点の転換を観客に最初の段階で提案している。

展覧会の終盤に置かれるボイスは、デュシャンの提示した問いを受け継ぎ、それを社会へ向けて展開した存在。デュシャンが芸術の前提を揺さぶったのに対し、ボイスはそれを人間や社会の変革へ向けた実践へと広げた。若江のインスタレーションは、その思想の流れを受け止め、観客へ橋渡しする役割を担っている。

アルベルトゥス・マグヌスやトマス・アクィナス、錬金術、鉱物学など中世〜近代ヨーロッパの知の断片が散りばめられており、それらは作品を読み解くための思考の手がかりとして機能している。

「私の作品は、日本人にはまだ浸透していない“インスタレーション”というものを、教科書のような形で伝えています」

デュシャンが問いを開き、ボイスが実践へと展開し、若江がその方法を“考える技法”として受け継いでいる。

現代芸術は教育である──ボイスが若江に残した芸術的思想

若江がギャラリートークで繰り返した言葉が「想起の文化」だった。

「ドイツで戦後は“想起の文化”という合言葉が定着した。ナチがやったことを決して忘れず、つねに考え、反省していく」

「想起の文化」とは、過去を記録するだけでなく、加害の歴史を忘却せず、繰り返し思い起こし、その意味を問い続けることで、現在の倫理や社会のあり方を作り直していく態度を指す。

若江漢字の作品 会場風景

若江は、ボイスの作品がまさにこの「想起」という姿勢と深く関わっていると考えている。フェルトや脂肪といった素材は、ボイス自身の戦争体験と結びつき、人々の心身に触れる象徴的な意味を帯びていると若江はとらえる。また、“想起”という姿勢はナチ期に限定されたものではなく、より広い文化史的な視野へも接続していると語る。

そのうえで若江は、日本では同様の意識が十分共有されていないと感じているという。自身のインスタレーションを“教科書”的な構造にしているのも、その実感が背景にある。歴史や思想の痕跡を空間に埋め込み、観客が自ら読み取ることを促すことで、記憶と考察を喚起し続ける装置として機能している。

デュシャン、ボイスからバトンをつなぐ、芸術=教育

展覧会の終盤、ボイスの資料が集められた空間に、ひときわ目を引く赤く褪色した大判ポスターがある。もともとはイタリアでの展覧会ポスターだが、ボイス自身がそれを等身大に引き伸ばし、三角形の小部屋に折り畳んだまま数年間保管していたという。光と時間が作用し、折り目の部分だけが焼けて浮かび上がった段階で、ボイスはその表面にサインを入れ、ひとつの作品として提示した。

若江漢字 地中海-II. 神学(マグヌス) 1984-2022

若江は、この痕跡の残り方を「トリノの聖骸布」に重ねて語る。そこには、ボイスが自身の身体性と精神性を作品の中に“刻印”しようとする姿勢がある、と若江は「まさにボイスは、キリストに倣った活動をしてきた」と読み解く。

若江によれば、ボイスは自らの役割をキリストに重ね合わせるようにイメージし、自分を取り巻く若い作家たちを「12人の使徒」にたとえていたという。イエスの教えを世界へ伝えた直弟子たちを意味する使徒は、芸術は知識や思想を受け渡す伝達の場であるべきだとするボイスの考えを象徴する存在だ。彼は芸術を、たんなる表現ではなく、社会に働きかけるための教育として捉えていたのだろう。

若江漢字の作品 会場風景

若江は、芸術の本質についてこう語った。

「現代美術でひとつの重要なものは、教育教材としての側面なんですよ。面白いとか可愛いとか、そういう感想はアートであって芸術ではない」

黒板の前で学生と議論を交わし、作品を媒介に思考を共有しようとするボイスの姿が、若江の脳裏に強く残っている。実際、アンゼルム・キーファーをはじめとする多くの重要作家たちが、ボイスのもとから巣立ち、“想起の文化”をそれぞれの方法で継承している。

若江自身のインスタレーションもまた、歴史や思想の断片を空間に配置し、それを観客が読む行為そのものを促す点で、「教育としての芸術」というボイスの理念を引き継いでいる。デュシャンが芸術の前提を問い直し、ボイスが芸術を社会と歴史の領域へと拡張し、若江がその思想を日本の現場で受け継ぐ。本展を歩くと、その長い思想の連鎖が静かに浮かび上がってくる。

若江が語る「芸術は教育である」という言葉は、デュシャンやボイスとの長い関わりの中で育まれてきた考えのひとつだと言えるだろう。展覧会の空間に身を置くことで、観客もまた、その思考の流れに触れる機会を得ることになるはずだ。

福島 吏直子(編集部)

福島 吏直子(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集部所属。編集者・ライター。