ギャラリーペロタン東京ペロタン東京初となるダニエル・オーチャードの個展は、母親の重要性を中心に据えながら、母性体験の複雑性と向き合うものです。オーチャードが描く女性たちは、歓びに満ちることも、優しく懐かしい雰囲気を醸し出すこともなく、ただこの世の自分の居場所を主張するとともに、相反する感情や緊張感に満ちたマザーフッド(母であること)を暗示しています。
オーチャードはニューヨークのハンター・カレッジで修士号を取得し、現在はマサチューセッツ州を拠点に活動しているアーティストです。伝統的な油絵技法を専門とし、美術史における具象絵画の系譜に連なるその作品からは、特に20世紀初頭のモダニズム画家たちの美的影響が見られます。オーチャードが描く家庭内のシーンはマティスから引き継いだ空間的平坦性を持ち、大きく描かれた人物像は平坦でありながらも太い手足や胴体が彫刻的な重厚感をまとい、1920年代初頭のピカソやレジェが描いた女性たちと呼応します。しかし、こうした系譜はいずれも、母性の表現という流れを充分に示すものとは言えません。この点においてオーチャードが目を向けるのはむしろ、パウラ・モーダーゾーン=ベッカーをはじめとする先人の女性アーティストたちです。モーダーゾーン=ベッカーによるヌード自画像のなかには妊娠中に描かれた作品も含まれ、当時のモダニズム男性画家たちがたびたび推し進めてきた女性ヌードの性的対象化を覆す、画期的なものでした。
オーチャードは長年にわたり、美術史上繰り返されてきた女性の身体描写に着目し、とりわけ「これらの偶像的表現が、私が女性としてこの世に生きるさまを反映し、またそれに影響を与えていること」について考察してきました。今回、オーチャードは被写体を“女性の身体”から“母体”へと明確に移行させ、そのアイデンティティと文化的認識の大きなずれを示しています。妊娠中、または小さな子どもを世話する姿の母性的なヌードは、突如として多面的になります。つまり、性的であると同時に機能的であり、また喜びや安らぎの側面をも見せるのです。こうしたアイデンティティの変化の探求は、流産と不妊、妊娠と出産の経験を持つオーチャード自身の人生の軌跡とも並行しています。しかし、これまでの作品と同様に、オーチャードは個人的な経験をあくまでも出発点と位置づけ、より広範な女性的・母性的な身体にまつわる歴史的・文化的表現の問題の考察に重きを置いています。
美術史においては、ごく数十年前まで、誰よりも特別な唯一無二の母親の姿として聖母マリアが描かれ続けてきました。無数の絵画に描かれたその神聖で理想的な母性像は、実世界に生きる母親たちの体験を反映するには程遠く、犠牲と完璧さという達成することのできない理想像を助長するものでした。オーチャードの絵画は、この理想と現実の断絶に取り組むものです。オーチャードが描く母性像は、マドンナのような視覚的重厚感と重要性をもちながらも、現実的でありふれた家庭的な設定のなかにおかれています。《Laundress》では、ヌードの妊婦がお腹の上に小さなロンパースを乗せ、生まれてくる赤ちゃんを想いながら白昼夢を見ているようです。一方で、ベッドに置かれた数々の衣服は、もうすぐ生まれる赤ちゃんが作り出すであろう洗濯物の山と家事という差し迫った労働を示唆しているでしょう。
無論、オーチャードは母親としての生活が平穏であるべきだという幻想を抱いているわけではありません。本展のタイトルでもある作品《Mother of Gloom》では、月夜のもと横たわった人物が物思いにふけっています。暗がり(gloom)のなか果てしない不安感と想像を掻き立てられ、目を覚ましたまま横たわる、憂鬱(gloom)な母親でしょう。このシーンに盛り込まれた細やかなディテールは、母としての予測不能な道のりを想起させるものであり、妊娠の喪失という潜在的な恐怖や、長期におよんで必然的に付随する不安感や小さな悲劇をも予期させます。
今回の新作品群を通して、オーチャードは等身大の母親像を可視化するだけでなく、母性という体験のニュアンスを伝えることにも焦点を当てており、1970年代以降飛躍的に拡大してきた母性の表現にかかわる対話に加わりました。20世紀後半の先例であるアリス・ニールの妊婦ヌードや、レネー・コックスの《Yo Mama》シリーズは、日常的な“母であること”を英雄化し、現代美術における母性表現の正常化に貢献しています。オーチャードは今、母性的なアイデンティティと体験の複雑性や、母性に対する文化的期待に忠実あるいは逸脱することの意義に取り組む、アーティストや学者たちの活気あるコミュニティの一員となりました。オーチャードが描く母親たちの平坦な表情や、華やかさに欠ける境遇は、母としての道のりが一筋縄ではいかないことを静かに認めています。母性愛は悲哀とともにあり、世話や子育ては維持管理作業という重労働と隣り合わせで、混迷や憂鬱を伴う時期もあるでしょう。オーチャードの絵画は形式主義的な人物画の様式を用いながら、英雄的かつ平凡な母性への認識を並列し、まだ見過ごされがちな母親たちの複雑な体験について熟考させる機会を与えてくれます。