小山登美夫ギャラリー六本木この度小山登美夫ギャラリーでは、京橋では「土の人」、六本⽊では「沈黙と空間」と題し、両スペースにて伊藤慶二個展を開催いたします。また同時期に新宿の柿傳ギャラリーでの個展「伊藤慶二 展 茶の湯のうつわ」(2025年10月15日[水]- 21日[火])も開催され、多層的な伊藤の作品世界を堪能いただける、大変貴重な機会となります。
今年卒寿を迎えた、伊藤慶⼆(1935-)。陶、油彩、⽊炭、インスタレーション、コラージュなど様々な素材、手法を既成概念にとらわれず⾃由に扱い、「⼈間とはいかなる存在か」という本質的な追求を作品に表してきました。
そこには、伊藤独自の鋭敏な感性と幅広い視点が影響しています。幼少期聞いた戦争の惨状が心に刻まれたことからの祈りへの想い、武蔵野美術学校(現、武蔵野美術大学)で油画を学び、モディリアーニ、ピカソや、明日香の巨大石造物、飛鳥大仏や薬師寺講堂の廃仏などの東西美術への興味、デッサンの重要性を説くその視座は新たな作品世界として展開される基となりました。
また、岐⾩県陶磁器試験場に籍を置き、陶磁器デザイナーでありクラフト運動の指導者の⽇根野作三との出会いに強い影響を受けます。そこで、平⾯での意匠のみでは実際の⽴体とのつながりに限界を感じたのが、⾃らやきもの制作を⼿がけるきっかけとなります。
伊藤の制作に対して、豊田市美術館長の高橋秀治氏は次のように述べています。
「粘土を手で感じて形作るというより、視覚的にそのプランを想定されたうえで、つまり極端に言えば、二次元でものを考え、それを組み合わせて三次元の形を構成しているように感じるのである。これは優劣の問題でなく、その作家が持っているテイストのようなものだと思うのである。」
伊藤の寡黙で奥深いまなざし、力強い作品群は長年高い評価を得てきましたが、90歳の現在でも精力的に制作を続け、国内外でますます意欲的に発表。今年6-9月に岐阜県現代陶芸美術館で開催された「伊藤慶二 祈・これから」では今までの足跡と創作の現在地をあらわし、大きな評判を呼びました。
京橋での個展「土の人」では最新作を中心に発表します。
伊藤は、人の顔とは目、鼻、口という限られた要素の組み合わせによって無限の表情が生まれてくるもので、それが「生きてくる」ことが楽しいと語っています。
近作の「土の人」では、より豊かな表情、多様性を獲得しており、土偶や埴輪を思わせる像は、人が人を表現し続けてきた長い歴史を想起させます。
六本木での個展「沈黙と空間」では、閉じた一体の塊として内に何かを秘めながら、ただ在りつづける造形としての1988年作品「沈黙」から、伊藤が「祭事の空間」をイメージした1995年「場」、2005年「ストーリー」といった、やわらかく開かれた内部に様々な象徴的な「場」が配置された作品への変遷、またそれらが身体的な感覚や、「人」そのものの表現に通底していく作品群を展示いたします。
囲いで区切られた空間に立ち現れる神聖さは、伊藤が繰り返し探究してきたテーマであり、岐阜県現代陶芸美術館学芸員の林いづみ氏は次のように述べています。
「伊藤の中での抽象性は、間接性と神聖さにどこかで結びついているように感じられる。(中略)生と死、争い、繋がりを求める心、そして祈りといった人間の根源的な営みが、彼の作品の多義的な層を形成する。作品の語り得なさは、ある種、人間のどうしようもないとりとめのなさと深く結びつく。」
また同時開催となる新宿の柿傳ギャラリーでの個展「伊藤慶二 展 茶の湯のうつわ」では、茶碗30碗余りと鉢や向付など懐石の器が発表されます。伊藤自身、「食器を作ることはやきものをやっていく上で非常に大事なこと」と述べているように、オブジェ、器などのジャンルにとらわれない伊藤の考えがあらわれています。
とどまることのない伊藤慶二の遥かなスケールの作品世界。日々忘れがちな生活とは、人間とはといった根源的な問いを体感できる本展をぜひご高覧下さい。