銀座メゾンエルメスエルメス財団は、今秋、「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」を開催いたします。
「地上に存在することは、それ自体、祝福であるのか」を、一貫した問いとして作家活動を続けてきた内藤は、光や影、水や大気のうつろいがもたらす生と死のあわいに、日々見過ごしがちなささやかな事物や情景、知覚しがたい密やかな現象を「根源的な生の光景」として、私たちの中に結び付けることで、深い体験をもたらします。
本展は、東京国立博物館にて、9月23日(月・休)まで開催されている同名の展覧会と一連の流れを持って構想されたもので、会期を一部重ね合わせながら、ひとつの大きな円環を描くというかたちで展開いたします。
歴史ある建築物とさまざまな年代に制作された膨大な文化財を所蔵する東京国立博物館の環境とは対照的に、銀座メゾンエルメスの近代的な建築内にあるフォーラムには、ギャラリー所蔵の作品群はありません。都市の中心部に浮かび、一見、空っぽのようにも感じられる空間は、ガラスブロックを通じた自然光とともに街からもたらされる人工の光や色彩に満ち、また過去から隔てられた場所でもあります。
内藤は、光のうつろいによって、一層はかなく、また色濃く感じられる生への眼差しを、この場所へかりそめに宿らせ、そこに「生の没入」を見出そうとします。
連続する二つの会場は、絵画や立体作品によって繋がる構成をとっています。とりわけ、2023年から24年の間に日々作家のアトリエで制作された絵画《color beginning/breath》のシリーズは、展覧会へと向かう作家の生の刻として、物理的な時間の不可逆性を示し、両会場を結ぶ円環の語りの一軸を形成します。東京国立博物館で縄文時代の土製品や獣骨と出会い紡がれた親密な時間やままごとの痕跡、数々の展示室を巡る回路からもたらされた記憶、それらは、会期を完全に重ねることのない本展においても、作品の断片や空気、眼差しの間に交差する時空を形成し、空間に佇む人や低い位置に設置された《座》に身を寄せる人の姿を通して、超越的な協和を浮かび上がらせます。
過去に生きた人に出会うことができないように、未来に生きる人にも、昨日や明日という時間にも、私たちは今、物理的には出会うことはできません。だからこそ、内藤の「生まれておいで 生きておいで」という呼びかけが鑑賞者の地平に現れるとき、太古から続く自然や命への畏れや祈り、それによってもたらされた創造の力や精神世界への共鳴を、風景の中に認めるのでしょうか。そして、未来へ向かういかなる生もが、慈悲と祝福の息吹で満たされんと希求するのでしょうか。