東京都写真美術館でアレック・ソスの個展「アレック・ソス 部屋についての部屋」が開催されている。初期を代表する「Sleeping by the Mississippi」シリーズから、今秋刊行予定の最新作「Advice for Young Artists」まで展示。会期は2025年1月19日まで。
アレック・ソスは1969年アメリカミネソタ州生まれの写真家。生まれ育ったアメリカ中西部などを題材とした「Sleeping by the Mississippi」や「Niagara」シリーズが高く評価され、2008年に国際的な写真家集団「マグナム・フォト」の正会員となり、同年、出版レーベル「Little Brown Mushroom」を立ち上げた。2022年に国内美術館では初となる個展「アレック・ソス Gathered Leaves」を神奈川県立近代美術館 葉山で開催、今年の3月に東京近郊の公園で撮り下ろしたボッテガ・ヴェネタのキャンペーン写真で話題を集めた。
本展は東京都写真美術館にとって2017年の「ダヤニータ・シン インドの大きな家の美術館」展以来、7年ぶりの海外作家の個展となる。30年に及ぶソスの歩みを網羅的に振り返るのではなく、「部屋」をテーマにこれまでの作品を編み直すという独自の試みである。担当学芸員は伊藤貴弘(東京都写真美術館)。
内覧会に登場したソスは、本展のテーマについてに以下のようにコメントしている。
「写真の世界において一大中心地である東京で個展を開催できたのは、夢が叶ったような出来事だ。いままでのキャリアを網羅的に振り返る展覧会を作るのではなく、テーマ的なアプローチを取りたかった。もちろん、ポートレイトを定期的に撮影しているが、初期の作品からインテリアが大きなテーマとして存在していた。それが全作品に共通するものでもある」(ソス)
初期から世界初公開の最新作まで。似たようなサイズの6つの「部屋」を巡って、ソスの作風に迫っていこう。
最初の部屋には2004年に初の写真集として刊行されたシリーズ「Sleeping by the Mississippi」を中心とした初期のカラー作品が展示されている。同シリーズはミネソタ州北部のイタスカ湖に端を発し、ルイジアナ州でメキシコ湾に注ぐ、全長約3780kmのミシシッピ川に沿って旅をし、人々や風景を撮影したプロジェクト。ドキュメンタリー的な一面を持つシリーズだが、一瞬の出来事を切り取った一枚と言うにはあまりに完璧すぎる構図である。凛とした表情でカメラを見返している被写体がインテリアに埋もれることなく、お互いに共鳴し合って、時代を超えたアメリカの普遍的な美を表している。
ソスがカメラのセッティングを行なっているあいだに被写体には紙に「夢」について書いてもらっているという。そこにはミシシッピ川の堅いドキュメンタリーではなく、イマジネーションの世界を映し出すような写真を撮りたかった意図がある。ドアに貼られているマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の写真が写り込んでいる《Jimmie's Apartment, Memphis, Tennessee》(2002)を見れば、キング牧師が行った「私には夢がある(I Have a Dream)」の演説が思い浮かぶ。あるいは、ディズニープリンセスで埋め尽くされているベッドや淡いピンクが特徴的な《Crystal, Easter, New Orleans, Louisiana》(2002)からは「夢」がポロッと落ちこぼれていることに気づくかもしれない。あらゆるところにかたちが異なったアメリカン・ドリームが生きている。
次の部屋に進むと、ソスが20代半ばだった1996年頃に撮影された「Looking for Love」というモノクロのシリーズに出会う。映し出されているのは、ソスが当時住んでいたアメリカ中西部の街で偶然出会った人々だ。彼ら彼女らはタイトル通り、愛を探し求めているのだろうか。高校の卒業を前にしたダンスパーティーで甘酸っぱい恋する若者や、独身者向けのイベントで最後の愛を探す人々が取り留めのない風景に溶け込む。じつはソスのセルフポートレイトも混ざり合っているのだ。結婚式の後に撮影された一枚は、愛を掴めた人の喜びとゆとりを表現しているように見えなくもない。
隣に展示されているのは2004年から2005年にかけて撮影された「Niagara」シリーズ。人気の観光地であるナイアガラの滝ではなく、滝の周りに広がる風景やそこに暮らす人々に焦点が当てられている。旅行中のカップルや結婚式を挙げた家族の写真を通して、愛を求める人は場所や時代を問わず存在していることを私たちに伝えようとしている。
同じ部屋にソスが影響を受けた写真家たちのポートレイトも展示されている。「敬意を表すると同時に、過去のシリーズとの共通点を示したかった」と語るソス。偶然出会った人の部屋に招き入れてもらって、その人の世界を写真で表現する作風は初期から変わらないのだ。
3番目の部屋で展示されているのは、ソスの作品のなかでもパーソナルな要素が強い「Dog Days, Bogotá」、社会と距離を置いて離れた場所で暮らす人々に焦点を当てた「Broken Manual」、そしてローカルコミュニティにおける人々の交流を写した「Songbird」シリーズだ。
「Dog Days, Bogotá」が撮影されたのはアメリカではなく、コロンビアの首都ボゴタ。2003年にソスが養子縁組のためこの街を訪れ、2ヶ月間滞在した。養子に迎える彼女がどのような環境で育ち、どのような経験をしてきたのか。彼女を理解しようとしたソスがボゴタの街を彷徨って、シャッターを切った。
「Broken Manual」と「Songbird」は多面的に異なるシリーズである。2006年から2008年にかけて撮影された「Broken Manual」は人物を映さずに、廃屋や洞窟の空虚な風景を介して社会から離れた人々の生活に迫る。いっぽうで、2012年から2014年にかけて撮影された「Songbird」は音楽と感情的な声が溢れる場面にフォーカス。対照的なアメリカ社会の現実が表現されている。
個人的なプロジェクトを展開しながら、雑誌の取材や広告にも積極的に携わるソス。第4の部屋に入って、すぐ目に飛び込むのは2015年に『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』の「Voyage」特集企画で撮影した《Park Hyatt Hotel, Tokyo》(2015)のセルフポートレイトだ。東京の夜空を浮いているような、半分夢のなかにいるような写真がタイトル通り、パーク ハイアット 東京で撮影されている。同ホテルを舞台にしたソフィア・コッポラの映画『ロスト・イン・トランスレーション』(2003)に着想を得たソスは、インターネットで知り合ったゲストを部屋に招き、その様子を撮影した。海外メディアで描かれているような、一見偏った日本のイメージに見えるが、ソスは東京そのものではなく、「東京を体験している自分」を写したかったという。溶け込むことのない旅行者のイマージネーションのなかにある「ニッポン」が、ありふれた日常に違和感を持たなくなった私たちに新しい視点を与えてくれるかもしれない。
「Paris/Minessota」はマグナム・フォトが発行する写真集『Fashion Magazine』のために撮影されたシリーズ。写真集は毎号異なるマグナム・フォトの所属作家が担当するファッション写真で構成されている。ソスが挑んだのは、フランスのパリとアメリカのミネソタでの同時撮影。ショールームやファッションショーなどが中心となるパリにと対照的に、ミネソタの写真の多くは室外を舞台としている。入りたくても、うまく馴染めないスタイリッシュなファッションの世界。ここでも溶け込めない作家の内心の葛藤がある。
第5の部屋は本展の核心とも言える。ここで展示されているのは、ソスのキャリアのターニングポイントと本展が生まれるきっかけとなったシリーズ「I Know How Furiously Your Heart is Beating」だ。初期からアメリカを旅しながら、風景や人々を大判のカメラで撮影してきたソスだが、2017年から2019年にかけて撮影された本シリーズは地理的な要素に縛られず、世界各地で訪れた部屋を映し出している。作風も「Sleeping by the Mississippi」より柔らかく、被写体の世界が開かれている空間とインテリアそのもで描かれているのだ。
《Anna, Kentfield, California》(2017)の主人公になっている舞踏家・振付家のアンナ・ハルブリンとの出会いがとくに印象的だったという。空間を自由に扱い、仕事を通して他者の身体に触れてきたハルブリンを見て、自分と他者との距離感、あるいは自分と他者との関わりについて考え始めるきっかけとなったのだ。
ここでソスが語った面白いエピソードをひとつ紹介しよう。真ん中の写真に写っているのはポピュラーミュージック・シーンに革新をもたらしたプリンスの歌の楽譜。じつはソスを実家を買い取って、更地にしていたプリンス。この出来事を根に持ったソスが、プリンスが住んでいたすべての家を訪問して撮影すると決めた。この一枚もかつてプリンスが住んでいた家で撮影されているのだ。
最後の部屋は写真の本質を再確認するシリーズ「A Pound of Pictures」と世界初公開となる新作「Advice for Young Artists」を展示。アメリカ各地の美術学校を舞台にしている「Advice for Young Artists」には若いアーティストたちのポートレイトも含まれるが、今回の主人公は人に限らない。教室やスタジオに置かれている物も主役となり、ユーモアのある空間を演出している。
《Still Life II》(2024)の奥からひょっこり顔を出しているのは作家本人。歳を重ねるにつれて自分自身にカメラを向けたくなる気持ちが増えたという。「若いアーティストへのアドバイス」と名付けられている本シリーズは、歳を重ねるソスにとって原点回帰の手段でもある。アーティストとして見られたいけど、見られたくない。なぜアーティストじゃなければいけない、そして、なぜ自分が写真を撮り続けているのか。そうした葛藤と根本的な問いと向き合っているシリーズだと言える。
「予測できない展開で観客を驚かせたかった」と展覧会の構成について説明するソス。初期から現在までのシリーズの全貌ではなく、少しずつ「テイスト(味見)」する感覚で楽しんでほしいという。物語を紡ぎ出すようなソスの写真表現を、ぜひ実際に目で見てもらいたい。