公開日:2025年5月2日

「周辺・開発・状況」(広島・下瀬美術館)レポート。「世界で最も美しい美術館」初の現代美術展に、東アジアの新進アーティスト9名が集う(文・杉原環樹)

「周辺・開発・状況 -現代美術の事情と地勢-」が4月26日から7月21日まで開催中。「環境」の多義性と響き合う作品群

展示風景より、鈴木操《霊性》(2025) 撮影:浅野堅一(Kenichi Asano)

広島県大竹市の下瀬美術館で、同館初の現代アート展「周辺・開発・状況 -現代美術の事情と地勢-」がスタートした。会期は7月21日まで。

「環境」という概念の多義性をめぐって

下瀬美術館は、広島市に本社を置く建築資材商社・丸井産業株式会社の創業家コレクションの保存公開を目的として、2023年にオープンした。瀬戸内の島々を連想させるカラフルなコンテナ風の可動展示室や、内側からはガラスだが、外側からは鏡に見える特殊な壁を持つ建築は坂茂による設計で、2024年にはユネスコが創設した「ベルサイユ賞」で「世界で最も美しい美術館」の最優秀賞を獲得し、注目を集めた。

下瀬美術館 外観 撮影:筆者

今回の「周辺・開発・状況 -現代美術の事情と地勢-」展は、この受賞を記念したもので、同館で初となる現代アート展だ。メインキュレーターは、プロジェクト運営や展示企画、会社創業など多面的な活動を行ってきたアーティストの齋藤恵汰。企画を進めるなか、ここに3名のコキュレーター(松山孝法、李静文、根上陽子)が加わった。展覧会には、東アジアの各地から1980年代以降生まれの新進アーティスト9名が参加している。

齋藤は今回の企画にあたり、先に触れた、周囲の風景を映し込む同館の鏡の外壁や、瀬戸内海を挟んで宮島と対峙する特別な立地に着目。こうした建物と周辺との関係、その鏡面構造を展開していくことで、日本と東アジアの関係へも考えを広げていったという。

下瀬美術館 外観 撮影:筆者

同時に、そこには「『環境』という概念の受容への関心もあった」と齋藤は話す。

従来、それほど一般的ではなかった「環境」という言葉が日本の社会に広まったひとつのきっかけは、1970年の大阪万博の初期計画にも携わった都市計画家・浅田孝の、戦後の活動だとされている。齋藤は本展の開催が万博の開催と重なることを受け、現在ではすっかり定着したこの概念の意味の広がりに着目。その多義性を、英訳の複数性(本展の英題にある「Ambient, Environment, Circumstances」)にも注目しつつ引き出し、それを起点に展示の構想を練っていったという。

風景、移動、時間……ものや人の周りにあるものへの思考

展覧会には、こうした「環境」の多義性、人やものと、その周りにある様々なものごととの関わりを示す作品が、緩やかなつながりを感じさせつつ並んでいる。

展示風景より、MADARA MANJI《Horizon》(2025) 撮影:筆者

最初に鑑賞者を迎えるのは、東京出身のMADARA MANJIによる屋外作品だ。瀬戸内海を望む水盤に設置された巨大な立方体は、すぐ横にある鮮やかな可動展示室群と同様、周囲の工業地帯への言及を感じさせるとともに、見る角度を変えると現れる亀裂によって、海を挟んだ宮島へと観客の視線を向けさせる。自己と周囲にあるものとの関係に関心を持ち、今回は「借景」をテーマにしたと話す彼は、ほかに、刀装具などにも用いられる伝統工芸技法「杢目金」を用いた立体作品による、もの派を想起させるインスタレーションも発表している。

会場風景より、MADARA MANJI作品 撮影:筆者

ミャンマー、中国、タイにルーツを持ち、現在、信楽の滋賀県立陶芸の森のレジデンスプログラムに参加するソー・ユ・ノウェは、東アジア各地で仏教の観音像にどのようなジェンダーの変化があるのかをリサーチ。そこに見られる女性表象のあり方を、現代の社会問題と重ねて巨大な陶作品で表現している。その一点、《森羅万象の響きを抱くもの「観音 × 蛇神、信楽」》(2025)は、軍事政権下のミャンマーで、ある権力者が夢で女神に襲われ、目覚めたあとその女神の像を鎖で巻いたという実際の出来事をモチーフにしているそうだ。

会場風景より、ソー・ユ・ノウェ作品。右奥が《森羅万象の響きを抱くもの「観音 × 蛇神、信楽」》(2025) 撮影:筆者

ものやイメージがどのように移動し、その過程でいかに変容するかという視点は、ふたつの展示室で合わせて展示されている久木田大地鈴木操にも見られた。今日の消費社会や情報環境における古典絵画の受容のされ方に関心があるという久木田は、そうした芸術の外部での絵画の扱いを、自身の制作に転用。ルドンやフラゴナールの名画を、ときに「コピぺ」的に反復したり、クシャクシャに物質化したりして、現代におけるイメージの様相を見せている。

会場風景より、久木田大地《FLUID BABY_03》(2024) 撮影:筆者
会場風景より、左から久木田大地《C.Y.C.L.P.S_02》(2025)、《Repetition_聖ヴォルフガングと悪魔 01》(2023) 撮影:筆者

いっぽうの鈴木は、「空気」を素材とするふたつの対照的な作品を発表した。ひとつの部屋では、段ボールの台座の上に圧縮袋で潰されたオブジェが、別の部屋では、漆喰などでつくった枠の内部で風船を膨らませたオブジェが展示されている。空気の抜き入れという意味では正反対だが、前者は段ボールでの輸送プロセスそのものを、後者は不意に風船が割れたあとの処置も含めて作品化している点で、両者はともに人がものを管理するあり方に関わっている。また、外部の力による変形という一種の暴力性や儚さへの関心は、久木田の絵画にも通じるものだろう。

展示風景より、鈴木操「Untitled(Non-homogeneous arrangement)」シリーズ 撮影:筆者
展示風景より、鈴木操「Untitled(Deorganic Indication)」シリーズ 撮影:浅野堅一(Kenichi Asano)

これとは異なり、時間を超えるものの存在に関心を向けるのが、大阪府出身の金理有による大きな陶作品だ。金は、縄文土器を見た際の「1万年前のものが目の前にある」という感動と、親しんできたSF的な世界観を組み合わせ、過去と未来、双方への想像力を現在の視点から形象化する。展示室に静かに佇む呪物のような像たちは、同時にパソコンの基盤から着想を得たという模様や、メタリックな表情を持ち、見る者に不思議な時間の感覚を与える。

展示風景より、金理有作品 撮影:浅野堅一(Kenichi Asano)

また違うアプローチでものと時間の関係に着目しているのが、続く3つの部屋で展示をする中国出身の鄭天依(ジェン・テンイ)だ。鄭は今回、広島の基町高層アパートやリサイクルショップをリサーチ。その様子を詩的に見せる映像作品や、そこで得た中古品や遺棄物を用いたインスタレーションを展開している。集められた、どこか懐かしさを感じさせる日用品たちは、センサーなどを通じて動きを与えられている。テクノロジーと郷愁が共存する世界観は、ヴェイパーウェイヴ的なカルチャーとの親和性も感じさせる。

展示風景より、鄭天依《あなたの塵に映る私の影》(2025) 撮影:浅野堅一(Kenichi Asano)
展示風景より、鄭天依《あなたの塵に映る私の影》(2025) 撮影:筆者
展示風景より、鄭天依《あなたの塵に映る私の影》(2025) 撮影:筆者

テーマの抽象性を生かす、会場構成の妙

展覧会の前半、自動扉で隔てられた可動展示室をひとつずつ巡った鑑賞者は、展示の後半で一気に開けた大型の展示室へと進んでいく。ここには先ほども触れた久木田や鈴木、金らの作品のほか、ムハマド・ゲルリ、遠藤薫、オミョウ・チョウの作品が展示されている。

展示風景より、中央がムハマド・ゲルリ《いとなみとしての文字「連なり、重なる」》(2025) 撮影:浅野堅一(Kenichi Asano)

インドネシアのスンダ族にルーツを持ち、現役の農家でもあるというムハマド・ゲルリは、今日の開発のなかで失われる文化や伝統に目を向ける。横一列に並んで発光するコミカルなマスクは、現地の信仰に関わる採掘場から発見されたマスクに着想を得たもの。他方、天井から吊るされた大きなテキスタイル作品は、インドネシアで死者を包むのにも使われる布と、大竹市での滞在時に出会った手漉き和紙を用い、スンダの神話世界を描く。

展示風景より、ムハマド・ゲルリ《いとなみとしての文字「奇妙な顔たち」》(2025) 撮影:浅野堅一(Kenichi Asano)

韓国のオミョウ・チョウは、自身で執筆したSF小説を起点に彫刻やインスタレーションを制作する、独自の活動を展開する。人間の記憶や生命のあり方に関心を抱くチョウは、今回、脳神経の研究にも用いられる軟体動物のアメフラシをモチーフとした立体作品を発表。ガラスと金属という異なる素材を、有機的なフォルムのなかで溶け合わせた作品は、近くに置かれた鈴木の中心を抜かれた人体像とも響き合い、人間と他の生物の融合や、人の身体の未来にも想像を向かわせる。

展示風景より、オミョウ・チョウ《Nudihallucination #1》(2022) 撮影:筆者
展示風景より、鈴木操《霊性》(2025) 撮影:筆者

この展示室でスケールの大きな展示を見せているのが、遠藤薫だ。工芸を軸に各地を旅しながら制作してきた遠藤は、今回、旅と関わりの深い宮島の御砂焼という焼き物の背景に着目。豊臣秀吉の朝鮮出兵を機に日本に連れてこられた朝鮮半島の陶工たちが日本の工芸の礎を築いた経緯を辿り、各地で制作した陶器群を、戦時中に制作された陶器製手榴弾の破片とともに展示。戦争や政治と、文化の形成の関係を感じさせた。床に置かれた竹の構造物は広島の牡蠣いかだに基づくもので、緩やかに日本列島のかたちを描き、部屋の隅に置かれた朝鮮半島の陶器と対峙している。

展示風景より、《とるの・とるたす(旅と回転)》(2025) 撮影:筆者
展示風景より、《とるの・とるたす(旅と回転)》(2025) 撮影:筆者

現在のアート展示が、見て楽しむ視覚重視のものと、考えることを楽しむコンセプト重視のものに二極化されがちななか、齋藤をはじめとしたキュレーター陣は今回、両者が共存する展示を目指したという。実際、見て回ると、一見ポップだったり、身近な素材でつくられていたりする作品のなかに、とらえ難い複雑な感覚や時間性を感じることが多かった。

同時に本展は、そのテーマや作品の抽象性を、会場の構造や動線によって上手く扱う、構成の妙も感じさせた。ひとつずつ区切られた可動展示室を進んでいく体験や、大型の展示室をぐるりと回りながら点在する作品を見ていく体験は、個々のつくり手の世界を守りつつ、それらのあいだのつながりを見る者に想像させることを促していた。

斎藤は、「現代のアートシーンにとって、本当の意味でオルタナティヴだと言えるつくり手たちを選び、現代美術の基準となるような展覧会を目指した」と話す。その世界を、ぜひ現場で体験してほしい。

杉原環樹

杉原環樹

すぎはら・たまき ライター。1984年東京都生まれ。武蔵野美術大学大学院造形理論・美術史コース修了。出版社勤務を経て、美術系雑誌や書籍で構成・インタビュー・執筆を行なう。主な媒体に美術手帖、Tokyo Art Beat、アーツカウンシル東京、地域創造など。artscapeで連載「もしもし、キュレーター?」の聞き手を担当中。関わった書籍に、平田オリザ+津田大介『ニッポンの芸術のゆくえ なぜ、アートは分断を生むのか?』(青幻社)、卯城竜太(Chim↑Pom)+松田修『公の時代』(朝日出版社)、森司監修『これからの文化を「10年単位」で語るために ー 東京アートポイント計画 2009-2018 ー』(アーツカウンシル東京)など。