会場風景より、宮脇綾子《ちまき》(1960)部分
「生誕120年 宮脇綾子の芸術 見た、切った、貼った」が東京ステーションギャラリーで1月25日〜3月16日に開催される。
本展は、生前アプリケの作家としてよく知られた宮脇綾子(1905〜1995)の回顧展。宮脇は主婦として毎日目にしていた野菜などの身近なものを対象に、布と紙で美しく親しみやすい作品を生み出した。その愛らしさと観察眼に支えられた綿密な描写力を誇るアプリケ作品は生前、個展や画家である夫・宮脇晴との二人展、また出版物などを通して紹介され人気を博した。
しかし本展が試みるのは、この作家を「手芸」や「アプリケ」といった領域にとどまらない、豊かな表現を行なった造形作家・アーティストとしてとらえなおし、美術史の言葉を使ってその作品を再検証するということ。
本展を担当する東京ステーションギャラリー冨田章館長は、宮脇作品を数多く所蔵する豊田市美術館で作品を始めて見たとき、「とんでもない作家の作品を見た」と感じたと、その出会いを熱っぽく語る。
「何に驚いたかというと、野菜や果物の断面をこのように表したものは、西洋絵画などでほとんど見たことがない。近いとしたらダミアン・ハースト(笑)。そして見ることの大事さを重視された、探究心が根幹にある方だとわかった。大袈裟な比喩かもしれませんが、レオナルド・ダ・ヴィンチが(絵画制作のために)解剖をしたり、レンブラントが革を剥いだ牛を描いたり、そしてダミアン・ハーストがサメを真っ二つにしてホルマリン漬けにしたり、そのような探究心と根本的に通じるものがある。それはアーティストにとって非常に重要な資質だと思います」(冨田)
実際、野菜や果物を真っ二つに割った姿、また魚を開いたり、身を食べ終わって骨だけになった姿など、一般的な静物画ではあまりお目にかからない状態を描写したアプリケ作品が数多く残されている。これは主婦として家庭を切り盛りした宮脇が、日々の料理の過程で野菜や果物を割った断面をよく目にしていたことに起因するだろう。しかし、多くの人は当たり前の風景やルーティンとして見過ごしてしまうような細部に、宮脇は面白さと魅力を発見し、それを自分ならではの方法で表現しようと試みた。
たとえばカボチャの作品を間近で見てみると、ワタとタネの部分にレースなどが用いられ、あの独特の感触が絶妙に表現されていることに感嘆する。
「作る前に、よくものを見ること、よく見ることによって私たちがものを漠然と見ていることに気がつきます。思いがけないことを発見したり驚いたりします。それが知ることなのです」。アプリケ制作の心得として宮脇が残したというこんな言葉が本展で紹介されている。
今回展示される作品は約150点。作家の回顧展だが、年代別ではなく、資料を造形的な特徴に基づいて8章に分類した構成だ。ここにも、宮脇作品の「造形」に、美術史の言葉を使って迫ろうとする本展の意図が感じられる。
出品作のうち約100点は豊田市美術館の所蔵品だ。同館学芸員の成瀬美幸は、「宮脇の作品にはサイン代わりに『あ』の文字が記されています。これは綾子の『あ』であり、驚きの『あ』。『あ』と発音するとき、奥歯を噛み締めない、緊張から自分を解き放つ口の形になります。それは、宮脇が鑑賞者に作品を見たときに求めていたものではないか。ぜひ(本展を訪れた人には)肩の力を抜いて見てほしい」と言う。
宮脇綾子が作品を作り始めたのは40歳。3人の子供の子育て時期がちょうど第二次世界大戦と重なる。終戦によってやりきれなさを感じた宮脇は、「このままなにもせずに死んでしまってはつまらない」という思いを抱き、画家である夫に「この辺りで少し自分のしたいことをやってみたいと思います」(本展図録より)と告げ、創作の道へと邁進するようになった。
戦後しばらくは困窮が続いたが、作家の姑が厳しい節制を信条とし、とくに布は小さな端切れに至るまでとっておいていたため、それを制作のための材料とした。また宮脇自身も様々な布を集め、ちょっと意外なものまで作品に用いている。
たとえば赤い背景にずらっとスルメが吊るされているように見える作品。じつはイカの部分は使い古されたコーヒーフィルターだ。円空仏の素朴さを見習おうと、布製コーヒーフィルターに少しだけハサミを入れ、最小限の作為で表現した。(筆者は独特の美意識で知られる古道具坂田のコーヒーフィルターのことも思い出した)
ほかにも本展では、レースやプリント生地、石油ストーブの芯まで、宮脇が多様さ素材を生かし制作した作品の数々が紹介されている。後半では、模様の妙にフォーカス。たとえば龍の柄の布が、ときにオコゼの刺々しい様子に、ときに白菜の複雑な断面の様子に見立てられるなど、その創意工夫には驚くばかりだ。
また展示後半では、宮脇作品のデザイン性に注目する。「縞魚型文様集」全22巻と「木綿縞乾柿型集」全15巻は、それぞれに1万ずつの魚と柿が貼り付けられたもの。その反復の面白さ、継続力と地道さには、日常と制作が地続きにあった宮脇の作家性が伺いしれる。
愛を持ってまなざしたものの細部に神聖さが宿る。それを表現した宮脇綾子の芸術に、ぜひいまこそ触れてほしい。
福島夏子(編集部)
福島夏子(編集部)