会場風景
Nonaka-Hill Kyotoで、画家の合田佐和子と陶芸家・川端健太郎による二人展「Chimeras」が開催中だ。
川端健太郎の作品は、磁を使った彫刻。代表作であるシリーズ「スプーン」をはじめ、何かを掬い、蓄えるような器物とオブジェの中間的な形。そして磁土に練り込まれた色とりどりの破片、手捻りで形作られた凹凸の中に流れる鮮やかな釉薬が特徴だ。
合田佐和子は、1965年に瀧口修造に見出されて、銀座の画廊・銀芳堂にて初個展。寺山修司、唐十郎らの演劇や映画に作品を提供し、1980年代初頭にポートレイトやポラロイド写真を使った作品を発表している。「森村泰昌と合田佐和子」展(高知県立美術館、2001)、「合田佐和子 影像―絵画・オブジェ・写真―」(渋谷区立松濤美術館、2003)の発表の後、2016年に没した。2022〜23年には高知県立美術館と三鷹市美術ギャラリーで回顧展が開催されている。
作品は平面・立体を問わず、アングラ演劇の看板や宣伝美術、新聞小説の挿画も手がけた。現代から見ればマルチアーティストなのだが、美術界のメインストリームから十分な評価はされず、独学で描いた女優のポートレイトは、通俗的とみられてしまった。実生活ではシングルマザーとして、絵の仕事で生活を支え、転居を繰り返した。回顧展のタイトルにもなった「もう帰る途(みち)もつもりもなかった」という彼女の言葉には、アーティストとしての迷いのなさ、生きることの不器用さの両方が浮かび上がる。
かたや、現代陶芸のバウンダリーを超えるアーティスト、かたや伝説のアングラ女性画家(あえてこう呼ぶ)。時代にも活動領域にも隔たりのあるふたり(川端は合田のことを知らなかったそうだ)をフィーチャーしたこの展覧会だが、作品からは、この出会いが必然だったと思えるほどの強い共鳴が生み出されている。
ひとつが、ふたりの作品に横溢する女性性だ。
磁土の可塑性を生かして、伸縮性のある薄い肉のヒダのようによじれさせる造形、辰砂(鉱物顔料)の赤が滲む川端の作品は、時に女性そのそのものに見える(長い竿のような部分に注目すると、男性にも見えるが)。辰砂の赤色を好む理由を、「初めて飼ったのが白い猫だったんです。磁器のような白に肌や血管が赤く透けていて」と、愛猫家らしいフェティッシュな感覚から説明する。陶芸の先生からは「きれいな磁土をなぜ汚すのか」と叱られたらしい。ドレスや宝石箱を思わせる装飾センスにはフェミニンな官能性がある。土と火のロマン、伝統にいまだに執着するオヤジ臭い陶芸界隈では、ほかに例を見ない。
いっぽうの合田は、女性性全開のフェティシズムこそをアイデンティティにした作家だった。しかし、昭和の男性中心文化のなかには、それを受け入れる見識はなかった。彼女のかこった不遇は、没後10年たったこれから、フェミニズムの視点からフェアに評価されることになるだろう。
ふたりの作品が共鳴するもうひとつのポイントは、「収集とコラージュ」だ。
合田は廃品と手作りの小物を組み合わせたような作品を制作した。これは、川端が、集めて砕いたガラス片や珪長石、旅先で拾った砂や瓶などを粉砕し、磁土に散りばめるコラージュ的な手法と通じるのだが、驚くのは、そうして作られた作品が、合田が1965年の初個展で発表した「オブジェ人形」と、息を呑むほどにそっくりなことだ。Tokyo Art Beatの、合田佐和子の回顧展レポート記事にその写真が掲載されているので、ぜひ見てほしい。
この展覧会を企画したNonaka-Hill Kyotoディレクター前田岳究は、「ふたりの作品には“溶ける”、ということに共通点があるかもしれません」と付け加える。
1940年生まれの合田は、空襲の焼け跡を遊び場にしていた。そこで瓦礫の合間で輝く、火に焼かれて溶けたガラスや石ころ、金属を夢中で集めた。これ以来、彼女の収集癖は制作に生かされてゆく。熱を受けて異質なものが溶解し融合する、歪み変形しながら輝くものに美を見る、そんな合田と川端の眼差しは、ぴたりと重なるのだ。
今展で紹介される合田の作品「焼け跡のメリーランド」(1970)は、銀座ソニービルにあったフジセロックス社で公開制作された。
生魚をコピー機の上に置いて転写し、そこに宝石、ジュエリー、レースなど、様々なオブジェを散りばめる。馬の頭蓋骨とチェーン、イカと指輪、義眼と魚。「手術台の上のミシンとコウモリ傘の出会い」よろしく、合田がコピー機の上で出合わせたものたちは、シュールで美しく、奇妙に可愛らしい。事務機器からこれほど幻想的なイメージを生み出せるのは、彼女が創造と日常とを分けることなく生きていた証だろう。しかしこの「コピー機アート」は、手法の軽妙さもあってか、価値を認められることもなく、死蔵されていた。展示されている作品は、ほとんどが初公開となる。
Nonaka-Hillは、ロサンゼルスに2018年にオープン。野中ヒル孝義とロドニー・ノナカヒルが共同で経営する。京都には2024年に開廊した。取扱作家は戦後の日本美術に特化しているが、目の付け所はかなりニッチだ。
2019年に、土方巽をテーマにした展覧会を開催したのには驚いた。土方は、ほとんどのアートファンにとっては謎多き戦後日本文化のアイコンであり、演劇界隈にとっては、アンタッチャブルな暗黒舞踏のカリスマだ。それをなんと、LAのギャラリーのホワイトキューブで紹介するとは。
日本の工芸を、アートの文脈で紹介するアプローチも、ユニークだ。川端健太郎だけでなく、安永正臣、尾花智子などの陶芸作家を異ジャンルのアーティストとのコラボレーション展で紹介もした。これは、異なる文化史をもつ日本と西欧とに共通言語を生み出し、観客や作り手の既成概念を揺さぶる結果を生み出している。
川端はロサンゼルスでの個展(2018)、2024年にイタリア・ヴェネツィアでのグループ展、ブルース・ナウマンとの二人展を経験した。「日本の陶芸の世界には、何かと狭さを感じる。海外への展開はハードルも高いけれど、“そのままじゃいけない”感じがあって楽しい」と、Nonaka-Hillとの協働を刺激に感じている。
展覧会のタイトル「キメラ」は同一の個体内に異なる遺伝情報を持つ細胞が混じっている状態のこと。ヒルは合田佐和子についてこう語る。「動物の遺伝子、人の遺伝子、植物の遺伝子がすべて一緒になって不一致になる。彼女の作品も、奇妙な不一致のひとつの姿だと思います。60年代前半にアッサンブラージュアートを作っていて、日本のアーティストらしからぬ存在だった」。
ヒルは寺山修司の劇団・天井桟敷のポスターを収集していたことがきっかけで、半ば埋もれていた合田佐和子を見出し、2025年にポートレイト作品展をロサンゼルスで開催した。ヒルの曽祖父母は明治時代に日本で暮らしていたといい、パートナーの野中には、ファッション業界でのキャリアがある。ふたりの日本文化をとらえる視界のユニークさは、平準化圧の強いアートの世界で、キメラ的な違和感の刺激をもたらしてくれる。