公開日:2025年6月24日

「彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術」(アーティゾン美術館)レポート。土地や歴史を見つめる女性アボリジナル作家たちの“いま”

複数の女性アボリジナル作家に焦点を当てる日本で初めての大規模展で、8組のアーティストの作品を紹介。会期は6月24日〜9月21日

イワニ・スケース えぐられた大地 2017 © Courtesy the Artist and THIS IS NO FANTASY

近年、地域固有の文化や歴史に根ざした表現への再考が進むなか、オーストラリア先住民によるアボリジナル・アートは現代美術の場であらためて注目を集めている。2024年の「第60回ヴェネチア・ビエンナーレ」国別参加部門では、アボリジナルにルーツを持つアーチー・ムーアの個展を行ったオーストラリア館が金獅子賞を受賞。また現在のオーストラリアの現代美術を牽引する女性作家の多くがアボリジナルを出自の背景としており、国際的にも存在感をますます強めている。

そうした動向があるなかで、アボリジナルの女性作家に焦点を当て、オーストラリア現代美術の現在地を読み解く展覧会「彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術」が、東京・アーティゾン美術館で6月24日に開幕した。担当学芸員は上田杏菜、賀川恭子。

二重に周縁化されてきたアボリジナルの女性作家たち

現代アボリジナル・アートが興隆したのは、1970年代〜80年代初頭だが、当時は男性作家が中心。女性作家たちが作るバティック(ろうけつ染め)やバスケットなどの編み物、小さな彫刻などは「工芸品」「実用品」として扱われ、西洋的な価値観に基づく美術史の枠組みからは排除されていた。先住民、そして女性として二重に周縁化されてきた女性作家たちは、1980年代以降、その立場に挑み、のちのアボリジナル・アートやオーストラリア現代美術の方向性を握るようになっていく。

本展ではそうした女性作家たちに焦点を絞り、美術館の5階と6階の2フロアを使って7名と1組の作家の作品52点を展示。伝統文化が深く根付くコミュニティ出身の作家として、エミリー・カーマ・イングワリィ、マーディディンキンガーティー・ジュワンダ・サリー・ガボリ、ノンギルンガ・マラウィリ、ジャンピ・デザート・ウィーヴァーズ。また現在はアボリジナルの人々の8割が都市部に住んでおり、都市部出身もしくは都市部を拠点に活動する作家として、マリィ・クラーク、ジュリー・ゴフ、イワニ・スケース、ジュディ・ワトソンが出展している。石橋財団ではアーティゾン美術館の前身であるブリヂストン美術館時代の2006年に「プリズム:オーストラリア現代美術展」を開催して以降、継続的にオーストラリアの作家の作品を収集しており、本展にも5点の収蔵作品が含まれる。

プレス内覧会より、左から、ジュディ・ワトソン、イワニ・スケース、ジュリー・ゴフ、マリィ・クラーク、担当学芸員の上田杏菜
出展作家の出身地・活動地を示す地図

「バーク・ペインティング」の新たな可能性を切り拓く

6階では5組の作家の作品を紹介。まず、黒い展示壁に囲まれた空間で来場者を迎え入れるのは、オーストラリア北部、ノーザンテリトリー準州アーネムランド地方北東部の作家、ノンギルンガ・マラウィリ(1938頃〜2023)の作品群だ。

ノンギルンガ・マラウィリ作品の展示風景。左が《ボルング》(2016) © the artist ℅ Buku-Larrŋgay Mulka Centre

アーネムランドでは、ユーカリの樹皮を剥いでキャンバスのように用い、自然顔料で彩色する絵画手法「バーク・ペインティング」が主流。作品の裏側の木の表面が露わになるように吊るされた《ボルング》や細長い立体作品《ワンダウイの魚補り網》に描かれた独特の紋様は、先住民の氏族に伝わる伝統的な図像だ。この地域に住む先住民のコミュニティーでは、氏族の伝統的な図像はかつて男性のみが継承できるものだったが、やがて男性のみで継承することができなくなり、女性にも図像を描く許可が与えられた。マラウィリはその許可を得た女性作家のひとりだった。

ノンギルンガ・マラウィリ ワンダウイの魚補り網 2013 © the artist ℅ Buku-Larrŋgay Mulka Centre

《ボルング》に描かれているのは作家の夫が属する氏族・ジャブ族の伝統的な図像で、《ワンダウイの魚補り網》は、葬儀の際に遺骨を入れるために用いられた内部が空洞化した木「ララキジ」にこの図像を施した作品。彼女はこうした伝統的な図像のほか、自身の感性に基づく表現を追求し、バーク・ペインティングの新たな可能性を切り拓いた。

ノンギルンガ・マラウィリ ジャプ・デザイン 2018-19 © the artist ℅ Buku-Larrŋgay Mulka Centre

公文書や歴史資料を用いて、アボリジナルの視点から歴史を掘り下げる

ブリスベンを拠点とするジュディ・ワトソン(1959〜)は、母方にアボリジナルの祖先を持ち、ワーンイと呼ばれるコミュニティに属している。公的文書や歴史資料を取り入れ、多様な制作手法を通じて、イギリス植民地時代を含むオーストラリア社会の歴史をアボリジナルの視点から批判的に掘り下げる。

ジュディ・ワトソン作品の展示風景 © Judy Watson

たとえば16枚の版画から成る《アボリジナルの血の優位性》では、アボリジナルの人々の選挙権の有無を記したクイーンズランド州の公文書の写しが使われている。1965年まで先住民に完全な投票権が認められなかった同州では、当時「純血のアボリジナル」には投票権が与えられず、「ハーフ・カースト(白人の血が混じっている)」であれば一定の条件下で選挙権が与えられる、という“血の基準”が設けられていたという。文書の上に重ねられた血のような赤いインクの染みはそうした背景と州政府による差別がもたらした苦痛を表している。

ジュディ・ワトソン《アボリジナルの血の優位性》(2005)展示風景 © Judy Watson

ワトソンは1997年にイヴォン・クールマトリィと、同じく本展出展作家であるエミリー・カーマ・イングワリィとともに先住民作家として初めてヴェネチア・ビエンナーレのオーストラリア館代表に選出された。その際の出品作《赤潮》《毒性赤潮の大量発生》も本展では展示されている。

左から、ジュディ・ワトソン《毒性赤潮の大量発生》(1997)、《赤潮》(1997)) © Judy Watson

400人以上の女性が活動する砂漠地域のコレクティヴ

本展では唯一のグループでの出展作家となるジャンピ・デザート・ウィーヴァーズは、中央砂漠から西砂漠地域のコミュニティに属する女性たちのアーティスト・コレクティヴ。もともとは地域の女性たちが文化的な手段を用いて収入源を確保するための活動としてスタートし、現在では400人以上が参加しているという。地域の文化や伝統を集団で継承していくアボリジナルの人々にとって、集団での活動は重要な要素のひとつ。砂漠に自生する草を主な素材とし、伝統技法を用いながら現代的な立体作品を制作している。

ジャンピ・デザート・ウィーヴァーズ作品の展示風景 © Tjanpi Desert Weavers, NPY Women’s Council

本展で出展されているのは、そのような立体作品を用いたコマ撮りのアニメーション。地域の人々の身近な出来事などにまつわる語りとともに、人や動物の人形たちが動き出す。

ジャンピ・デザート・ウィーヴァーズに所属する作家たちのポートレイト © Tjanpi Desert Weavers, NPY Women’s Council

もっとも成功したアボリジナル作家のひとり、エミリー・カーマ・イングワリィ

2008年に日本で大規模な回顧展が開催されたエミリー・カーマ・イングワリィ(1910頃〜1996)は、現在は「ユートピア」として知られるオーストラリア中央砂漠地帯の地、アルハルクラで生まれ育った。「ユートピア」という名は1920年代初期に植民者が牧畜農場を設けた際につけられたもの。白人の入植以降長らく故郷に戻ることができなかった作家が、アルハルクラに帰還したのは1979年のことで、70代になってからバティックの作品制作をはじめ、1988〜89年にはキャンバスの絵画を作り始めた。

エミリー・カーマ・イングワリィ作品の展示風景

会場には砂漠地帯のコミュニティの伝統的な意匠に由来する点描を用いた絵画が並ぶが、作品ごとに点の描き方や色彩に変化が見られるのが興味深い。亡くなるまでの8年間で約3000点以上の作品を制作したというイングワリィは、亡くなる2週間前に14点ほどを描き上げた。展示室の冒頭に展示されている《無題(最後のシリーズ)》はそのうちの1点だ。また、イーゼルにキャンバスを立てるのではなく床に置いて描いた制作手法にならい、床置きにされた作品も。独特のタッチで描かれたイングワリィの作品は国際的にも高い評価を獲得し、2025年にテート・モダンにて大規模回顧展も予定されている。

エミリー・カーマ・イングワリィ 無題(最後のシリーズ) 1996
エミリー・カーマ・イングワリィ作品の展示風景

美しいガラスのフォルムが表す「えぐられた大地」

6階の最後の展示室では、中央のテーブル上に配されたガラスの立体がブラックライトを受け、緑色の光を放っている。吹きガラスを用いたインスタレーションで知られるイワニ・スケース(1973〜)の作品《えぐられた大地》だ。本作は2024年にアーティゾン美術館に収蔵された。

イワニ・スケース えぐられた大地 2017 © Courtesy the Artist and THIS IS NO FANTASY

全部で42個あるガラスには微量のウラン酸化物が混じっており、ブラックライトに照らされると紫外線に反応して緑色に発光する。スケースが生まれた町ウーメラのある南オーストラリア州は、世界最大級のウラン鉱床を有するオーストラリアでもとくに採掘が活発な地域。ガラスはよく見るとえぐられたような穴が空いたり、ひび割れたりしており、削られていく故郷の大地や、採掘によって引き起こされる環境問題、健康被害の痛みを見る者に訴えかける。

イワニ・スケース えぐられた大地 2017 © Courtesy the Artist and THIS IS NO FANTASY

また作家の故郷は冷戦期にイギリスによる核実験の場として利用され、周辺住民のアボリジナルの人々に甚大な健康被害を与えた。展示室の角に置かれた3点のガラスの彫刻は、その核兵器の名を冠した《ガラス爆弾(ブルダーニューブ)》シリーズの作品。この地では現在もイギリスの国土面積に匹敵するエリアが立ち入り禁止となっている。

イワニ・スケース ガラス爆弾(ブルダーニューブ)シリーズIII 2015 © Courtesy the Artist and THIS IS NO FANTASY

自身のアイデンティティと先祖の体験の探究

5階では3名の作家の作品を紹介する。まず目を引くのは、座面のない椅子を無数の木の槍が貫いた立体作品《1840年以前に非アボリジナルと生活していたタスマニア出身のアボリジナルの子どもたち》だ。

ジュリー・ゴフ 1840年以前に非アボリジナルと生活していたタスマニア出身のアボリジナルの子どもたち 2008 © Julie Gough

メルボルンに生まれ、タスマニアのアボリジナルを母方の祖先に持つジュリー・ゴフ(1965〜)は、大人になるまで自身の先住民のバックグラウンドを詳しく知らなかったという。彼女は作品を通して自身のアイデンティティを模索しながら、島の侵略が人々にもたらした困難を記録する。本作では、アボリジナルの子供たちを強制的に親元から引き離す同化政策が行われるよりも前の1800年代初頭に家族のもとから引き取られたタスマニア・アボリジナルの子供たちに光を当て、その子供たちの名前を槍の1本1本に刻み込んだ。そこには作家の祖先の名前も含まれる。

ジュリー・ゴフ 1840年以前に非アボリジナルと生活していたタスマニア出身のアボリジナルの子どもたち 2008 © Julie Gough

また鹿の角に無数の石炭の欠片が吊るされた《マラハイド》は、作家の両親が石炭採掘に関わっていたことを背景に、アボリジナルの女性たちによる伝統的なネックレスの制作手法を用いて作られた。その大きさは採掘によって削られる大地や失われる伝統の大きさを伝える。

ジュリー・ゴフ マラハイド 2008 © Julie Gough

一度は途絶えた先住民文化の復興と再生

続く展示室でも大きなネックレスの作品が展示されているが、こちらはメルボルンの作家マリィ・クラーク(1961〜)による葦を素材とした作品《故郷を縫う》。クラークはヴィクトリア州北西部のミルディーラで育ち、植民地時代に失われたオーストラリア南東部の先住民文化の復興と再生に創作を通して関わる。葦はかつてこの地でアボリジナルの装飾具の材料に使われていた。

マリィ・クラーク 故郷を縫う 2016 © Maree Clarke

写真技術を用いたインスタレーションやビデオインスタレーションなど幅広い作品を手がける彼女は、素材へのさらなる関心から、近年葦を顕微鏡で拡大し、その細胞を拡大してプリントした作品にも取り組む。

マリィ・クラーク 私を見つけましたね:目に見えないものが見える時 2023 © Maree Clarke

この地域では伝統的に、人々が有袋類の動物ポッサムの毛皮を用いたポッサムスキン・クロークというコートを着用していたが、イギリス植民地化の影響でその伝統が途絶えることになる。1980年代にこの文化を復興させようという動きが起こり、クラークも90年代末からこの運動に参加。自身の創作にポッサムスキン・クロークの制作を取り込んでいる。展示作品には63枚のポッサムの毛皮が用いられており、伝統的な手法として、一部がカンガルーの尾の腱を使って縫い合わされている。

マリィ・クラーク ポッサムスキン・クローク 2020-21 © Maree Clarke

帰ることのできない、記憶のなかの故郷を描く

本展を締めくくるのは、マーディディンキンガーティー・ジュワンダ・サリー・ガボリ(1924頃〜2015)による色彩豊かな絵画作品だ。

マーディディンキンガーティー・ジュワンダ・サリー・ガボリ作品の展示風景

ガボリはオーストラリア北部、カーペンタリア湾に浮かぶベンティンク島のカイアディルトと呼ばれる先住民コミュニティ出身。彼女が24歳のときに島が干魃とサイクロンの壊滅的な被害を受けたことで島からの強制移住を強いられ、島では現在も恒久的な帰郷は実現していない。作家は移住先の近隣の島で絵画制作と出会い、80歳を過ぎた2005年から創作を開始。展示室のなかでも一際小型の《私のカントリー》は作家が初めて手がけた作品だ。その後も精力的に制作を続け、作品のサイズも3mを超えるものなど大型に。91歳で亡くなる数年前までに2000点以上の作品を制作した。

左から、マーディディンキンガーティー・ジュワンダ・サリー・ガボリ《私のカントリー》(2005)、《ディバーディビ・カントリー》(2012)

その作品は色鮮やかで抽象的だが、いずれもガボリの故郷が主題になっているのだという。それは記憶のなかの、完全に帰ることが叶わない故郷の土地や、そこで過ごした経験などがもとになっている。カイアディルトには、多くのアボリジナル作家が創作の着想源とする伝統的な図像などがなく、作家はそうした参照元や西洋の美術教育を受けることなく自身の創造性を発揮し、創作を続けた。

マーディディンキンガーティー・ジュワンダ・サリー・ガボリ ニンニュルキ 2010

複数の女性アボリジナル作家に焦点を当てる日本で初めての大規模展となる本展は、個々の土地や歴史に根差した多様な表現の実践や、そこに宿る植民地主義への批判的な視座を映し出す。アボリジナル・アートの多様性と現在地に日本からあらためて目を向ける貴重な機会となっている。

後藤美波

後藤美波

「Tokyo Art Beat」編集部所属。ライター・編集者。