公開日:2025年5月3日

OZAWAがあぶり出すプロレスの欺瞞と希望

今目が離せない、プロレスリング・ノアのGHCチャンピオン OZAWAについて語ります。写真:komatsu_junya

プロレスは「欺瞞」だ。

5月3日の両国国技館での試合を前に、アートとは縁遠そうなものについて、あえて主語が大きい書き出しで始めてみる。

SHINSUKE NAKAMURA

プロレスというものがつい最近までよくわからなかった。レスラー同士の大げさな一挙手一投足、「筋書き」の決められた勝負、彼らがマイクを持ち放つ言葉のどこに信頼が置けるのか、粗野で無教養のレスラーが投げ合い、罵り合う姿のどこに価値があるのか――スポーツでも格闘技でもないプロレス、それはすべて八百長、「パフォーマンス」なのではないか。

そんなことをプロレスを見るまで想像していた――わけではない。かといってプロレスに対してなにか具体的なイメージがあったわけでもなく、ジャイアント馬場やアントニオ猪木の時代は聞きかじっていたし、その後の世代の名前も少しは知っていたがK-1や総合格闘技の影に隠れてしまってほとんどなんの知識もなかった。

そんなほぼ無関心な状態から実は最近プロレスに大ハマリしている。昨年パートナーが見に行ってきたプロレスリング・NOAHの試合をきっかけに、家族で毎週プロレス漬けに近い。まだ半年足らずだがWRESTLE UNIVERSEやABEMAを活用して連日試合を追いかけ、ときには新木場や後楽園、武道館のリングにまで足を運ぶ。

自分に似ている、とみなに言われる小峠篤司は家族総出で推しとしているが、私はなかでもNOAHのOZAWAの動きを注視している。11.17の名古屋ではNOAHの中心選手だった齋藤彰俊引退試合にもかかわらず、ベビーフェースとして牽引するチャンピオンの清宮海斗を後ろから襲って宣戦布告した。今年の1.1元日の武道館では宣言通り清宮海斗からGHCチャンピオンのベルトを奪い、その後も勝ち続けている上にNOAHの観客の動員やグッズの売上までを記録的に伸ばしている。

OZAWA

これだけならよくありそうなヒールの成り上がりのストーリーではあるが、OZAWAの場合はいくつか注目に値する要素が重なっていた。

・リングでの活動歴が実質ほぼなかった(大卒でデビューが遅く、イギリスへの武者修行帰りでもあった)

・ヘビー級でほぼ前例のないフェニックス・スプラッシュという大技を用いてさらに発展させたうえに、オリジナルの技を他にも繰り出す身体能力の高さ

・相手を中学生男子レベルのコメントを入れておちょくる、そしてその方法がマイクのみならずSNS(X)も活用する

NOAHの立役者丸藤正道を見下ろす大巨人・オモス

OZAWAと同い年ながらチャンピオンとして輝いていた清宮海斗の素行を暴露し、パワハラを訴え、支持を取り付けていく流れはなんとも「現代的」なやり口だ。NOAHは若手をデビューさせてくれなかった、他団体の選手を優先させてきた、と自分の団体を大っぴらに批判している。罵詈雑言ふくめあらゆる手段を使って先輩たちをこき下ろしていくさまが痛快だ。マッチョイズムや家父長制をも批判しているようにさえ聞こえるのだ。いっぽうで自身がパチンカスであることも隠さずに暴言を吐き、しかも虚実ないまぜのマイクだからこそ、時に本質をついて選手も観客をもヒートアップさせる。煽りながらも結果を残していくダークヒーローだ。

そしてなにもOZAWAだけが目立つというわけではない。王座から陥落した清宮にこそがんばってほしいとさえ思わせてくれる。うちの7歳の子どもは武道館の館内がなぜOZAWAコールに溢れていたのか理解できず、本気で涙していた。OZAWAを応援したかった親としては、ベビーフェースとヒールと説明に窮したうえにロクに観戦に集中できなかった。しかしだからこそ、「会社に敷かれたレール」(OZAWA)で戦ってきた清宮が這い上がるしかないというストーリーが、子どもにさえも導かれたのだ。

清宮海斗

その後も連勝し続けるOZAWA。清宮だけではなく、皮肉なことにヒール役であるOZAWAが、NOAH所属のレスラーの強みを引き出す触媒として活躍しているわけだ。

とはいえ、Xで相手のアカウントに絡んでいくやり口が新しいとされているが、プロレスでこれまでそうしたやり取りがなかったのは2025年にもなって少し「いまさら」という気もする。プロレス団体の選手の義務としてあらゆるSNSをもちいて盛り上げていこうという内幕も垣間見えるし、職業柄どうしても分析してしまう。しかし相手の揚げ足取りをしてファンのマジレスを誘うやり取りすらもどこまでが「シナリオ」があるのか、偶然からのインプロビゼーションなのか、見極める暇もなく強者と弱者が入れ替わるパラダイムシフトから目が離せない。

アートに対していつか抱いたような希望と幻滅、その高揚とも似た感覚に陥るプロレス。プロレスは「欺瞞」だ、と冒頭で書いたが、同時に欺瞞であるからこそ命を懸けた肉体のぶつかり合いにこそ魅せられる。

Xin Tahara

Xin Tahara

Tokyo Art Beat Brand Director。 アートフェアの事務局やギャラリースタッフなどを経て、2009年からTokyo Art Beatに参画。2020年から株式会社アートビート取締役。