大屋根リング 夜間ライトアップ 出典:公式サイト
「2025年日本国際博覧会(通称:大阪・関西万博)」が大阪の夢洲(ゆめしま)にて4月13日に開幕した。会期は10月13日までの184日間。「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに掲げる今回の万博は、アートや建築の観点からどのように読み解くことができるだろうか?
今回は、4月9日に行われたメディアデーを取材した、横浜美術館学芸員の南島興が「万博探訪記」としてレビューを寄稿。前編では主に藤本壮介が指揮した万博のシンボル「大屋根リング」を中心に、後編では「シグネチャーパビリオン」と万博のレガシーについて論じる。【Tokyo Art Beat】
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正午過ぎ、メディアデーの受付を終えた私は立派な東口ゲートの前で開場を待っていた。にわかには信じがたいことだが、いま見えているものは、万博閉幕後にはなくなる。ゲートだけではない。原則としてすべての建造物が解体される。もちろん昨今の国際芸術祭やビエンナーレ、トリエンナーレと同じく、万博でも開催後に残るレガシーが重要視されているから、何かしらのかたちでは残るのだろう。しかし開幕を目前に控えた現時点では、そうした計画はことごとく未定である。
1989年の横浜博覧会にゲート設計で携わった山本理顕はこんな言葉を残している。
いま博覧会というのは確かにちょっと難しいことになりつつあるのだと思う. 特に建築が難しい. 博覧会の出し物は何といっても映像が中心で, 建築はその出し物のためのただの小屋掛けみたいになってしまっているからである. だから, デザインというより, そのなかの映像のための単なる広告塔のようなものになってしまっているといったっていい. 相手にされるのは映像のほうで建築はもうまったく相手にされていないようなのである.
映像は壮大な虚構を描くことができる. その虚構に, 多分, 酔いしれたいのだ.
でも, ちょっと前までは建築こそが巨大な虚構を描き得たのではなかったのか. 一瞬にして消え去ってしまう虚構だとしても, 映像とは違う. 建築に固有の虚構の描き方があるはずなのである.(『YES’89 横浜博覧会・そのデザインとアーバニティ』財団法人 横浜博覧会協会、44頁)
横浜博覧会はみなとみらい21地区開発のスタートであり、市制100周年を記念して各地方で乱立した地方博のひとつとして開催された。テーマは「宇宙と子供たち」で、1970年に頂点を迎えた人類の進歩と未来を信じ得た博覧会の最後の世代に位置づけられる。山本は人通りの少ないゲートのために、足場を積み重ねただけの構造物を作り、その頂点部に樹木を植えた。昼はぼんやりと風景のなかに見え隠れし、夜はライトアップされて、幻影のように姿を現す。存在そのものが虚構と言わざるを得ない建築物を製作することで、映像のハコモノではない建築の最期の姿を見せようとしたのだろう。
しかしそもそも万博において虚構なのは建築だけではない。万博という、都市計画にも例えられる大きな国家プロジェクトそのものが虚構なのだ。それに今回は、隣接する土地にこれから建設が予定されている、カジノ併設のリゾート施設もまた虚ろなイメージとして、夢洲の風景に見え隠れしている。ここで虚構という表現には必ずしも否定的なニュアンスがあるわけではない。万博とは初めからそのような一回性のイベントなのである。1970年の大阪万博の際に岡本太郎が語ったように、万博は祝祭であり、その祭りの本質とは「絶対的な消費」である。一瞬のうちに炸裂して消えていく、この祝祭性にこそ人類にとっての万博の価値の源泉がある。虚構には虚構なりの意味があったと言えるだろう。
あれから半世紀以上が経った。2度目の大阪万博の誘致活動を簡単に振り返れば、東京オリンピック・パラリンピック開催が決定した翌年の2014年、「大阪維新の会・みんなの党都構想推進大阪府議会議員団」により、インバウンド施策の推進のために大阪へのIRの誘致とあわせて万博の誘致が提言されたところから始まる、と「EXPO2025 大阪・関西万博 誘致活動の軌跡」では説明されている。だが、松井一郎『政治家の喧嘩力』では、その前年の2013年に、ある寿司店に集まった松井(当時の大阪府知事)と橋下徹(同大阪市長)に対して、「橋下さん、松井さん、もう一回、万博やろうよ」と堺屋太一が語ったとある。堺屋は70年大阪万博や75年の沖縄国際海洋博覧会などの企画・立案に携わった「ミスター万博」と呼ばれる人物である。「東京が2度目のオリンピックなら、大阪は2度目の万博だ」という思いがあったのだと思う、と松井は振り返っている。この密室でなされたという堺屋の景気の良い提案からすべてが始まった。
では、2025年の万博はどんな虚構を作り上げようとしているのか。正直なところ、このレビューを書き始めたとき、「この万博は大阪のインバウンドの受け入れ体制を整えるための虚構である」という一言に尽きてしまうと感じ、少なからぬ徒労感を覚えた。この大きな政治と経済の論理のもとで、建築や美術について論じることの意味ははっきり言って小さい。けれども、後世において公共的な意味をもつある虚構を事後的にでも提示できるのあれば、この万博について論じる意味があると思うようになった。
美術を含めて昨今のビッグイベントは初めから賛成派と反対派が強く二分されていて、対立のための対立を煽るかたちになっている。それはときに陰謀論化さえする。肝心の企画や作品の価値については公に語られず、そして両派がそれぞれの意見に同調する仲間を集めることで、互いに分断したままインフルエンスを獲得するという結末を迎える。大阪・関西万博についても同じことが起きていると思う。加えて万博に言及するなら、まずは会場へ行くべきだという風潮にも違和感がある。すでに記した通り、政治と経済の論理については見に行かずとも適切に批判することは重要である。こうした状況で言論を司るメディアの仕事は、自由に語れる言論の場を公に向けて持ち続けることであり、書き手の仕事は祭りの渦中にありながら、一瞬では消費されない言葉を発信することである。
はじめに断っておけば、私は建築の専門家ではない。また美術の専門家ではあるかもしれないが、今回の万博は総じて言えば美術には賑やかし以上の価値を与えられていないので、多くを語る必要を感じていない。しかし、専門性によらずとも、語るべきことがあると思う。
東口ゲートから入場すると、台座の上に正座したミャクミャクを横目にして、私は吸い込まれるように会場デザインプロデューサーの藤本壮介が手がけた大屋根リングのもとへ向かった。地上部の「グランドウォーク」から貫構法を用いた木造の骨組みを見上げると、スマートな構造かつ空間の透明性が確保されており、事前に批判の対象ともなっていたリングが内と外を分ける壁になっているとはとくに感じられなかった。大屋根の「スカイウォーク」にのぼると、高低差のあるふたつのレーンに分かれており、その間に植栽があり、一種の空中ランドスケープが形成されていた。内側の低いレーンからは会場の全体像、外側からは万国が繋がる海が眺められる構造となっていた。
下から見上げるにせよ、上から見渡すにせよ、誰もが驚くのは、大屋根リングの大きさだろう。想像を超える巨大さに対して、「べらぼー」などと安易な評をしてはならないが、地上のレベルからはそれがリングだと認識することが難しいほどの大きさである。スカイウォークを歩いている感覚としては、海にのびる巨大な橋を歩いている気分にもなってくる。ギュスターヴ・エッフェルが橋を垂直にしてエッフェル塔を建てたとしたら、大屋根リングは、それをもう一度、倒して、円につなげたようなイメージだろうか。じつは今回の万博会場の敷地面積は、70年大阪万博の約半分で、端的に言って小さい。しかし、リングはこの小ささをただの物理的な条件としてではなく、万博のシンボルであるリングのなかに万国のパビリオンが納められているからコンパクトなのだとポジティブに読み替えることに成功している。だからこそ、来場者は会場の小ささではなく、リングの大きさに注目することになる。リングが会場全体に建築物としてもたらしているのは、この小さいけれど、大きいという独自のスケール感である。
藤本は大屋根リングのコンセプトについて説明する際に、戦争や分断の時代に様々な国や文化のひとびとが同じ場所に集まるという、万博のフォーマットに今日とてつもない価値があることを強調している。多様なものがつながり、ひとつになるという会場での体験を、誰が見ても分かりやすい円の形をした大屋根リングというひとつの強力なシンボルによって実現しようとしている。また、もうひとつ藤本が言及するのが、夢洲の会場下見で見上げた大きな青空である。この空に対しては、どんな人工物でも太刀打ちできないと圧倒された藤本は、空そのものをひとつのシンボルにできないかと思ったと語っている。つまり、リングはそれ自体がひとつの実体的なシンボルでもありながら、空という移ろいゆくシンボルを縁取るための型としての機能も果たすことが意図されている。混雑を避けるための主要動線であり、日よけ、雨風よけでもあるという実用性を持ち合わせたリングという形態は、ふたつの仕方で万博の価値を象徴しうるものとされる。
私は藤本が自分自身の建築に関する思想を語らないことに疑問を抱いている。一般向けの発表や取材だけでなく、建築家を招いたシンポジウムでも、多様なものが同じ空のもとに繋がりあうというコンセプトが語られ、終盤に「べらぼー」であるということが付け加えられただけだった。藤本は、なぜ藤本壮介という建築家がリングを設計したのかという理由を、じつは語り落としているのではないだろうか。
このレビューを書くにあたって、藤本の著作、作品集を初めからすべて目を通したので、リング考案に至る思考のラインを辿ってみたい。
藤本には、新しく生まれる建築が初めからそこにあったように存在してほしいというアナクロニズムを好む傾向がある。この思考から想像されるように、彼の始まりを一点に定めて、そこからある線を辿るように展開を追うことは難しい。始まりは聖台病院作業療法棟の設計とも、青森県立美術館のコンペで2等になった「弱い建築」とも、アナクロニックな感覚を記した「プリミティブ・フューチャー」(2003)という短いテキストを書いたときとも思える。その思考を進展させるのではなく、つねに原初に立ち戻ることで、はじまりが複数化される。
大阪・関西万博を経てもなお、彼の思考は大きく変わっていないように思う。たとえば、藤本は「プリミティブ・フューチャー」のなかで、現代とは「情報」と「環境」の時代だと明確に定義したうえで、情報とは「新しい単純さ」、環境とは「コントロールできない他者」とする。そして、現代の建築の根源的な問題とは、「複雑で多様な場所を、いかに単純に生み出すか」であると書いている。今回、リングに込められた多様なものが同じ空のもとにひとつになるという考えは、万博に合わせたその場限りのコンセプトにも思えるだろう。しかし複雑さや多様さの離散性よりそれらをひとまとめにする包括性に力点が若干移ってはいるものの、基本的には「複雑で多様な場所を、いかに単純に生み出すか」というかつての藤本自身の建築にとっての重要な問いの一種のパラフレーズであり、リングはそれへの応答だと考えたほうがいい。
では、実体として彼の原点となる建築のイメージはどんなものだろう。藤本が大学4年のときに旅先で訪れて、彼の「建築家としての何かを決定づけたに違いない」と振り返る建築物がある。その出会いについて、最新作『地球の景色』のなかでは、このように記している。
今までいろいろな建築を見てきたが、いまだに、もっとも好きな建築といっていいかもしれない。そもそもこれは建築なのだろうか。まずはその巨大さに圧倒された。その大きさは都市スケールであり、立体的な広場とも言える。内部の階段状のつくりは大きな地形のようでもあり、しかしこの半円アーチの精緻な繰り返しは確かに建築である。それは幾何学でありながら、それを超えたダイナミズムを醸し出し、集中的な場でありながら開放的である。自分がそれまで経験してきたどの場所とも異なり、圧倒的な力を持っているように思われた。(藤本壮介『地球の景色』エーディーエー・エディタ・トーキョー、376〜377頁)
私にはここで藤本が書いている驚きが、リングの設計の際に意識的ではないにしても、きわめて強く残響していると思える。それは巨大であり、都市のスケール感をもつ広場を形成する。大きな地形ともいえるし、構造を見れば、たしかに建築ともいえる。円の形態によって、求心性と開放性を兼ね備えたそれは、明確な幾何学を基調としながらも、その枠組みを超えた圧倒的なダイナミズムを発揮している。ここで言及されている建築とは、ローマのコロッセオである。
「プリミティブ・フューチャー」には藤本自身が影響を受けた24個の建築のダイヤグラムが、未来の建築のための種として示されている。そのなかで、リングの構造をもっているのは、コロッセオだけである。コロッセオを訪れた藤本は、その都市的なスケール感、建築であり、ランドスケープでもあり、出会ったときには瓦解しているその姿に魅了されたはずだ。そして、空を見上げたのだろう。夢洲の地で起きたことは、その反復であったと思えてならない。ほかの箇所で藤本は、その空間を「屋根のない建築」と評して、コロッセオに限らず、ローマという都市に宿る「ローマ的な何か」やモダニズム建築の代表作であるミース・ファン・デル・ローエのファンズワース邸さえも、その視点から再解釈していくことになる。プリミティブ・フューチャーが発表されたのは2003年だが、それから22年して現れた大屋根リングもまた、藤本にとっての建築の原型へと立ち返るひとつのプリミティブ・フューチャーではなかったか。
藤本は、大屋根リングの円を、70年大阪万博のお祭り広場の大屋根に空いた穴に重ねている。かつての大阪万博は太陽の塔とお祭り広場という、まさに原始的な塔と未来的な情報広場が衝突したというひとつの神話によって記憶されている。だとすれば、藤本の大屋根リングは、大屋根を突き抜けた太陽の塔のモニュメント性を会場中央の「静けさの森」へと還元し、そこに残った穴を万博会場のスケールへと押し広げて、大きな空をひとつのシンボルとして提案した。初めから地上に何も残せないと決まっているのであれば、大きな青空をひとつの活用可能な資源へと変えることしかないという論理的な帰結かもしれないが、大屋根リングは西暦80年の古代ローマにまで遡り、あるひとつの建築家の原点ともいえる原初的な未来の建築として姿を表している。
藤本の過去の言葉を組み合わせることで、このように大屋根リングのコンセプトを解釈することができるとして、藤本自身は万博とリングについて繰り返し丁寧に説明してはいても、そこに至る自分自身の建築の思想を語ろうとしない。それは現代の建築家に求められる言葉のタクティクスなのだろうか。歴史や自身の文脈から切り離された美しい空の広がりを見たという主観的な体験に基づきながら、最大多数のひとびとが否定しようがない多様性というフレーズを繰り返すことで、リングについては建設費や建築の構造をめぐる陰謀論めいた言説以外には論争が巻き起こらない図式になっている。なぜ、あなたがそこにいるのか? この問いに答えるのに、誰が藤本を会場デザインプロデューサーに選んだのかをはっきりさせたいという山本理顕の主張もまっとうだが、それよりも、ほかでもなく藤本壮介という建築家がどうして大屋根リングを設計したのかを自己表明すればいいのだと思う。そこからやっと建築の議論が始まるだろう。発案者を含めて、まだ誰も大屋根リングについては十分に語っていないのではないか。
*【後編】はこちら:「シグネチャーパビリオン」が示したものや万博のレガシーとは?
【告知】本記事の筆者、南島興がモデレーターを務める「万博シンポジウム」が開催
日時:2025年5月11日(日) OPEN 11:30 START 12:00
会場:Naked Loft Yokohama(神奈川県横浜市西区南幸2丁目1-22 相鉄ムービル3階)
ゲスト出演者:新城一策、松岡大雅、若林拓哉
モデレーター:南島興
大阪・関西万博について、若いひとは何を思っているのか。建築の中には、語りづらい雰囲気があるとも聞きます。でも万博のあとの世界を担うのは、われわれなのだから語っておいた方がいいと思う。1970年の大阪万博のあとの未来を生きた世代が2025年万博を作ったとすれば、この万博のあとは、私たちがその未来を生きていきます。つぎの50年、万博のない世界も含めて、建築にかかわるひとびとと考えてみます。
当日はモデレーターによる大阪・関西万博の基礎情報に関する解説、ゲスト出演者3名からの万博を読み解くためのレクチャーのうえ、全出演者にて総合討議を行います。
チケット:
[配信チケット]
¥1,500
※アーカイブは2025/5/25(日) 22:00まで購入可
2025/5/25(日)23:59まで視聴可能!!
[会場チケット]
前売チケット¥2,000
当日チケット¥2,500
※共に飲食代別 / 要1オーダー¥500以上