公開日:2025年5月6日

「大阪・関西万博」レビュー[後編]シグネチャーパビリオンに求められる「建築」とは。万博のレガシーと新しいフォーマットを考える(評:南島興)

大阪・関西万博が大阪の夢洲にて4月13日〜10月13日に開催。南島興(横浜美術館学芸員)による「万博探訪記」を前後編でお届け

null²(落合陽一テーマ事業プロデューサー) 撮影:編集部

万博探訪記

「2025年日本国際博覧会(通称:大阪・関西万博)」が大阪の夢洲(ゆめしま)にて4月13日に開幕した。会期は10月13日までの184日間。「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに掲げる今回の万博は、アートや建築の観点からどのように読み解くことができるだろうか?

今回は、4月9日に行われたメディアデーを取材した、横浜美術館学芸員の南島興が「万博探訪記」としてレビューを寄稿。前編では主に藤本壮介が指揮した万博のシンボル「大屋根リング」を中心に、後編では「シグネチャーパビリオン」と万博のレガシーについて論じる。【Tokyo Art Beat】

*【前編】はこちら

*「大阪・関西万博」のアート&建築ファン必見スポット10選はこちら

パビリオン建築の正当な継承物=落合陽一「null²」

藤本壮介が70年大阪万博における丹下健三のポジションであったとすれば、展示プロデューサーであった岡本太郎の役割は、今回は各界のトップランナーとされる8名のテーマ事業プロデューサーに割り当てられている。私が実際に内部まで見学できたのは、小山薫堂、落合陽一、福岡伸一、宮田裕章のパビリオンである。1989年頃までに乱発された地方博を含めて未来を提案する博覧会でよく見られたのは、最先端のメディア、テクノロジーを使っているにもかかわらず、それによって映し出される未来のビジョンがきわめて単調で、どれも似通ってみえるという問題だった。しかし、私が見たシグネチャーパビリオンは、進歩や技術革新などではなく、「いのち」をテーマとしたことで、各プロデューサーの生命観が漏れ出しており、各自の個性が際立って見えた。したがって、プロデューサーの数を増やし、いのちをテーマとしたことは結果的に功を奏していたと思う。

そもそも万博におけるパビリオンとは建築であり、建築ではないものだ。本記事前編で引用した山本理顕のセンチメンタルにも思える言葉を思い出してみよう。山本が1989年に吐露していたのは、万博における虚構の源が、建築から映像へと転換する時代に立ち会う建築家の虚しさである。建築が映像のハコモノになるとは、簡単に言えば、建築がディスプレイになるということだ。実際、今回のEXPOホールの設計案では、太陽の塔をオマージュするため、ホール内部の壁面は真っ赤にすることを希望したが、プロジェクションマッピングを上映するために壁面は白色に統一せざるを得なかったと伊東豊雄は不満を漏らしていた(シンポジウム「大阪・関西万博から建築の役割を考える」)。これは伊藤のホールに限らず、万博のパビリオン建築の宿命である。

落合陽一 テーマ事業プロデューサーが手がけるシグネチャーパビリオン「null²」(ヌルヌル)

建築がハコモノにならないためには、建築自体が映像を映すディスプレイであり、かつそれ自体が物質的な存在感をもつほかない。その点では、シグネチャー・パビリオンのなかでもっとも奇抜な建築に見えている落合陽一の「null²」(設計:NOIZ)こそが、パビリオン建築の発展史に対するきわめて正当な継承物であると言える。デジタルとフィジカルの二つの意味での鏡をモチーフとして、外装は鏡面膜に覆われて内部のロボットアームなどで変形し、内部は全面鏡面のシアター空間になっている。そこで上映されるのは、落合が長らく提唱するデジタルネイチャーの未来での人類の行く末である。70年大阪万博も愛知万博も、その源泉を人類に求めるか、自然の叡智とするかの差異こそあったものの、共通して知恵の探求をメインテーマとしていたが、null²はかつての万博へのノスタルジーとともに、そうした「知恵比べ」から人類を解放しようとする。そのために、人間の最も厄介な「虚構」である「主体」そのものの融解を試みる。

null²

「万博らしさ」に抗う隈研吾

こうした落合のデジタルネイチャーのビジョンにおいては、人工と自然、デジタルとアナログ、今回の鏡の比喩でいえば、現実と非現実を、ヌルヌルとしたきわめて連続的な視覚表現を通じて融解することが好まれるのに対して、蛍の光のような弱い光を離散的に用いて生命のあり方を表現するのが、福岡伸一の「いのち動的平衡館」(設計:橋本尚樹)である。生命を包み込む一枚の薄い皮と表現される、柱のない自立したサスペンション膜構造をもつ建築「エンブリオ」の中には、32万球のLEDからなる立体的なシアターシステム「クラスラ」がある。来場者は、福岡の提唱する「動的平衡」という理論に基づいた細胞から人類の誕生へ至る大きな生命史のドラマをクラスラで鑑賞する。非常に小さな光の球ひとつずつが明滅することによって、動的平衡における生命観が小さな細胞同士の組み合わせと受け渡しによって成り立っていることをストレートに表すことに成功している。

いのち動的平衡館 提供:2025年日本国際博覧会協会

リングに囲われた会場の中央には「静けさの森」がある。そこに付随する宮田裕章「Better Co-Being」(設計:SANAA)では、愛知万博において、中沢新一が当初打ち出していた会場そのものが森となるような「パビリオンを建てない万博」というビジョンが縮小版であるが実現したといえるかもしれない。パビリオンなしのパビリオンという点では反万博的だが、展示とガイドスタッフの案内は、一寸の疑いもない未来に対する希望に満ち溢れており、その点ではもっとも伝統的な万博らしいパビリオンであった。

Better Co-Being 左側は塩田千春の作品 撮影:編集部

宮田館を筆頭にしてシグネチャーパビリオンは、みな万博らしい建築を作っている。トイレや休憩所、ホールなどを設計した若手建築家も同じだろう。リユースを含めた万博に対して非常に前向きな提案をしようとしている。

しかし隈研吾だけは、この「万博らしさ」に明示的に抗おうとしている。シグネチャーパビリオンとしては小山薫堂プロデュースの「EARTH MART」を設計しているが、内部はシアトリカルな仕掛けのある未来の食をテーマにした模範的な科学博物館的展示で、こうした内部の設えとはおよそ無関係に屋根にカヤブロックが敷き詰められている。隈自身が「建築ジャーナル」(2025年3月号)の万博特集に書いている通り、隈は70年大阪万博の建築群を「大げさで品がなく、すべてが最低」、「未来なんて、あんな安っぽいものになるわけがない」と評したうえで、「万博らしくない建築」として、小山館を設計したと明かしている。カヤブロックもリユースを前提にはしているものの、万博の中にありながら、万博らしくないものを提示する隈の態度は、一種のアイロニーだと受け取れる。

EARTH MART 提供:2025年日本国際博覧会協会
EARTH MART内観 撮影:編集部

ふたつの青空

70年大阪万博と比較して、今回の万博では美術の分野からの反対運動などはほとんど見られない。賛成でも反対でもなく、たんなる無関心をよしとする風潮が強く存在していると思う。万博のなかにも、反万博的なニュアンスをもった表現を見つけることは難しい。そもそも夢洲に大きな青空を見た藤本のエピソードは、丹下健三のもとお祭り広場の総合演出を担った磯崎新の原点となった、雲ひとつない終戦の日の青空を連想させる。磯崎は青空の裏に張り付く闇を見ていた。よく知られるとおり、磯崎は70年大阪万博の開催直前に倒れ、一種の転向を迎えるわけだが、これは当時、学生運動や反万博運動にも共鳴していた磯崎の体制の中の反体制派、反体制派のなかの体制派という矛盾したポジションによって保たれていたアイロニーが内側から崩壊した瞬間だといえるだろう。この闇が見えなくなった時点で、2025年の大阪・関西万博の「成功」は約束されている。

「日本万国博覧会(70年大阪万博)」開催期間中の会場風景。中央に太陽の塔を望む 1970年4月撮影 出典:Wikimedia Commons

シグネチャー・パビリオンから海外パビリオンへと向かおうとしたところ、最近仕事をともにしたアーティストの檜皮一彦が会場内に作品を設営中だった。自身が車いすユーザーである檜皮は白く塗装した車いすを積み重ねた立体作品《HIWADROME:type_ark_spec2》を出品している。私は、それを見ながら同じくHIWADROMEシリーズの車椅子からなるモニュメントに、岡本太郎がモックとして制作した太陽の塔の顔が取り付けられていたのを思い出した。それはアーティストの藤本明企画による美術と建築の視点から開催された2019年の「TOKYO2021」展での展示である。東京オリンピックと大阪万博の国家的な祝祭を前にして開催された本展では、日本の歴史のなかで、祝祭によって忘却されるものへと焦点を当てたものだった。たとえば公害の問題は、「進歩」という耳障りのよい言葉のもとで利用され、しまいには蚊帳の外におかれてしまう。今回の万博の場合には、IR計画はむしろ万博の表舞台からもはっきりと見えている。ここでは詳述できないが、磯崎が「〈建築〉が暗殺された」とまで評して激しく批判したザハ・ハディド案の白紙化に始まる新国立競技場問題のほうが、表向きには見えないながらもはるかに深い影を落としているはずだ。

会場風景より、檜皮一彦《HIWADROME:type_ark_spec2》(2025)

万博の新しいフォーマット:多様性と格差

藤本壮介は戦争と分断の時代だからこそ、いろいろな国が同じ場所に集まるという万博のフォーマットの価値が高まっていると語る。万博のフォーマットとは、帝国主義や植民地主義の過去を負うものでもあるため、言葉には慎重さが求められるが、今回、私が会場を歩いて感じたのは、21世紀の万博のフォーマットはやはり更新される必要があるということだ。どういうことか。

フランス館 撮影:編集部
アメリカ館 撮影:編集部

多くの識者が万博とは、建築を見る世界最大の展覧会であるという認識を共有している。たしかにシグネチャーパビリオンに始まり、日本館、EXPOホール、そして海外パビリオンは外観だけで十分に見る価値がある。また若手建築家の休憩所やトイレなどが注目されるのも、それがまずなにより建築物としての見どころがあるからだ。しかしこうした言説は、建築物としては大きなハコモノとしか言いようがないコモンズ(共同館)に出展している国々の存在を、まったく見えないものにしてしまう。現に建築メディアで共同館を取り上げたものはどれだけあるだろう。そのとき、コモンズはリングの中にありながら、万博の外におかれることになる。

コモンズ(共同館)外観 撮影:編集部

そもそも国際共同館の取組みは70年の大阪万博から始まっている。アジア初の万博であることから、主催国が展示館を建設して提供することで、発展途上国を含めた国々の万博への参加コストを下げるための施策であった。2025年万博も基本的にこのフォーマットに依拠している。欧米、中東を中心として単独パビリオンがあり、「コモンズ」と名づけられた共同館があり、ほか国際機関、企業のパビリオンがある。藤本によれば、リングによって生まれる展望性や回遊性、そして縁取られた広大な空によって、それらがひとつにつながるとされるが、独自の意匠をもつ単独パビリオンと、ハコでしかない共同館が並べられて、多様なものがつながるとはやはり思えない。リングの象徴的な力だけでは解決できない格差が歴然とそこには露呈している。

コモンズ(共同館)内観 撮影:編集部
コモンズ(共同館) パレスチナ館 撮影:編集部
コモンズ(共同館) イスラエル館 撮影:編集部

言うまでもなく共同館によって多くの国に参加機会が生まれることは素晴らしい。だが、それもいまや50年以上前のフォーマットである。これは会場デザインプロデューサーの権限よりもさらに基底に存在する現代の万博のフォーマットだと思うが、共同館の設計費用見直しなどを含めて改めてその修正を検討する必要があると感じた。万博の期間だけは多様な人々がつながる、という現実を離れた虚構は、こうしたフォーマットの更新から可能になるのだろう。実現はしなかったが、誘致案にあったボロノイ図を象った会場計画は、パビリオンと共同館の落差を、群島化による分断を介して、解消するチャレンジでもあったのではないかとも思えてくる。

「大阪・関西万博の概要について」(2020年7月30日)より 出典:https://www.meti.go.jp/policy/exhibition/pdf/osaka-kansai-japan-pavilion/siryo1-1.pdf

地方博覧会から芸術祭へ

ここで、その誘致案にも少し触れておきたい。ボロノイ図のプランを見たとき、会場が瀬戸内海に面していることもあり、私は瀬戸内国際芸術祭(2010〜)を連想していた。またそれを農村地帯にもっていけば、越後妻有 大地の芸術祭(2000〜)にも重なるかもしれない。両方とも総合ディレクターを務めるのは、北川フラムである。観光マネジメントなどを専門とする桑田政美の『博覧会と観光』によれば、1990年前後にピークを迎える地方博覧会ブームにつづくかたちで、2000年前後に小都市や過疎地域の産業の停滞への処方箋として、「芸術祭」への注目が集まる。瀬戸内国際芸術祭と大地の芸術祭は日本の地方芸術祭を代表する例であり、桑田はこの潮流を明治〜大正期から始まる日本の博覧会史の最後にあたる「脱インフラ・アート活用による21世紀型博覧会」と名付けている。北川フラムは、地域の自然、文化、生活との密接な結び付きのある展示や、里山的景観と調和するインスタレーション、地域住民の参加、また国際性と地域性の調和、アート事業としての持続性の確保など、地方芸術祭の基本的なフォーマットを整えた人物である。このモデルが各地方に広がり、地方芸術祭が乱発されたのは、2010年代だった。

この桑田の見立てに従えば、2025年の大阪・関西万博は、芸術祭ブームに至る国内の博覧会の歴史をぶった切るようにして実現したということになる。芸術祭とは会場、予算規模、ステークホルダーなど多くの条件は異なれど、今回の万博は70年大阪万博から二度目という大阪万博内での歴史継承ばかりが強調されるようになっている。桑田の博覧会史を私なりに言い直すならば、日本で開催される次の博覧会のひとつの可能性は、ミスター万博の堺屋太一モデルと北川フラムモデルのハイブリッドであったと思う。それは本来、水と油ほど相いれないモデルかもしれず、だからこそ70年の丹下、岡本以上の衝突を生み出せたのではないか。これはほとんど夢想であるのは承知しているが、2005年愛知万博のパビリオンなしの万博というコンセプトは、まったく実現しなかったものの、いまから振り返れば、地方芸術祭のフォーマットの先駆けであったと言えるだろう。ボロノイの誘致案にも似た印象を感じたが、今回も実現はしなかった。

2005年日本国際博覧会(通称: 愛・地球博、愛知万博)久手会場内 出典:Wikimedia Commons

万博のレガシー/リユース

社会学者の古市憲寿が『昭和100年』で強調するように、近年の万博ではその開催によって残るレガシーが重要視されるようになった。その点でいえば、70年大阪万博は太陽の塔のほかにも国立民族学博物館、後に建物は解体されてしまったが国立国際美術館の開館のきっかけを作るなど、意外にもレガシーを多く残している。また山本理顕がゲートを設計した横浜博覧会では、メインパビリオンとして丹下健三設計の横浜美術館が開館している。ちなみにパビリオンは伊東豊雄石山修らが設計を担当しており、山本を含めた野武士たちが丹下の美術館建築を取り囲む構図となっていて興味深い。当然、美術館は恒久施設として建造されているが、太陽の塔には、はじめから保存が想定されていないものが残ることによる、ある偶然的な祝祭性が刻印されている。

現時点では未定だとしても、今回の万博でもこうした偶然が起きないとは限らない。とはいえ、基本は大阪市への会場の更地返還が条件となっているため、大屋根リングから若手建築家のトイレまで含めて、リユース先を現在募集している。ただしリユースができるということとリユース先が決まっていることの間には決定的な差がある。未来社会のデザインとして語るべきなのは、リユース先の都市や住宅、また社会のあり方だと考えるからだ。たとえば、若手建築家のひとりとしてサテライトスタジオを設計した佐藤研吾は自らが拠点とする福島の建材を使うにあたって、再び福島に返却できるように契約を取り結び、万博閉幕後にはそれらを移築し、転用することで、東日本大震災後の復興の一助なればと語っている。私は、小さくてもこういう地域に根差したビジョンがもっと語られるべきだと思う。

リユースという点では、前回のドバイ万博の日本館から、今回のウーマンズ パビリオンへと麻の葉紋様のファサード構造を転用し再構築した建築家の永山祐子の取り組みは特筆すべきである。ファサード材を競り落として解体、梱包し、日本まで輸送するにあたって、大変な労力がかかっていることは想像に難くないし、リユースのためのスキームを一から構築していることから、SDGsを全面に打ち出していた万博に対して、真正面から応答するプロジェクトだと言える。

ウーマンズ・パビリオン 撮影:編集部

またレガシーは建造物だけには限らない。今回の万博が70年の大阪万博、2005年の愛知万博から引き継いでいないのは、言葉と思想であろう。あらゆる万博が祭りであり、虚構だとしても、その虚構を自立させて、ときに現実を動かす力へと変えるのは、あくまで高邁な思想であり、それを表現した言葉である。「人類の進歩と調和」も「自然の叡智」も、実際の万博会場のパビリオンやイベントの実態とはかけ離れていたという指摘はあるが、万博の枠組みを超えて、今日まで届く重要な問いかけとなっていたと思う。しかし今回の万博では、過去2回のように建前としてさえも、言葉が尊重されているとはとても思えない。

岡本太郎は、万博の価値を祝祭性に見出した。けれど、万博は祭りにしては妙に長く、まだ半年以上続く。これは「いのち輝く未来社会のデザイン」というテーマに基づいた万博の人類史、文明論的な視座からの意義や、万博後の具体的なヴィジョンが醸成されていく期間ととらえれば、ちょうどよい長さにも思えてくる。いま万博は無事に開幕したからこそ、じっくりと未来社会の作り方を検討できるステップに入ったのではないか。

*【前編】はこちら:大屋根リングが示したテーマとは?

【告知】本記事の筆者、南島興がモデレーターを務める「万博シンポジウム」が開催

万博シンポジウム第1弾
シンポジウム「万博は未来を語るか:1990年代生まれが見る大阪・関西万博」

日時:2025年5月11日(日) OPEN 11:30 START 12:00
会場:Naked Loft Yokohama(神奈川県横浜市西区南幸2丁目1-22 相鉄ムービル3階)

ゲスト出演者:新城一策、松岡大雅、若林拓哉
モデレーター:南島興

大阪・関西万博について、若いひとは何を思っているのか。建築の中には、語りづらい雰囲気があるとも聞きます。でも万博のあとの世界を担うのは、われわれなのだから語っておいた方がいいと思う。1970年の大阪万博のあとの未来を生きた世代が2025年万博を作ったとすれば、この万博のあとは、私たちがその未来を生きていきます。つぎの50年、万博のない世界も含めて、建築にかかわるひとびとと考えてみます。

当日はモデレーターによる大阪・関西万博の基礎情報に関する解説、ゲスト出演者3名からの万博を読み解くためのレクチャーのうえ、全出演者にて総合討議を行います。

チケット:
[配信チケット]
¥1,500
※アーカイブは2025/5/25(日) 22:00まで購入可
2025/5/25(日)23:59まで視聴可能!!

[会場チケット]
前売チケット¥2,000
当日チケット¥2,500
※共に飲食代別 / 要1オーダー¥500以上

詳細・チケット予約はこちら

南島興

みなみしま・こう 1994年生まれ。横浜美術館学芸員。東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了(西洋美術史)、博士課程後期退学(美学)。修士論文はジョルジョ・モランディについて。全国の常設展・コレクション展をレビューするプロジェクト「これぽーと」主宰(2020-)。時事批評「アート・ジャーナリズムの夜」主宰(2021-2022)。旅行誌を擬態する批評誌「LOCUST」編集部。2023年に『坂口恭平の心学校』(晶文社)刊行。ほか美術メディアへの寄稿多数。