公開日:2025年11月1日

大阪・国立国際美術館「プラカードのために」レポート。「たった一枚のプラカード」を起点に、生きること・抵抗すること・表現することを問いかける

田部光子の言葉と作品を出発点に、7名の作家の表現が交差する。会期は11月1日〜2026年2月15日(撮影:編集部 *を除く)

会場風景より、田部光子作品

「たった一枚のプラカード」が示す可能性

大阪・国立国際美術館で、展覧会「プラカードのために」が開幕した。会期は11月1日から2026年2月15日まで。

本展は、2024年に死去した美術家・田部光子(1933〜2024)の言葉と作品を出発点に、個々の生活に根ざしながら、生きることや尊厳について考察してきた7名の作家の作品で構成される。参加作家は、田部に加え、牛島智子、志賀理江子、金川晋吾、谷澤紗和子、飯山由貴、笹岡由梨子。映像、インスタレーション、写真、絵画、立体など多様な表現で、既存の制度や構造に問いを投げかける。担当学芸員は同館主任研究員の正路佐知子。正路は福岡市美術館在籍時の2022年、同館での田部の個展「希望を捨てるわけにはいかない」を手がけている。

会場風景

田部光子は1933年に日本統治下の台湾に生まれ、1946年に福岡に引き上げて以降、絵画を独学で修得し、前衛芸術集団「九州派」の発足時から主要メンバーとして活動。近年フェミニズムアートの先駆的な作品として評価される《人工胎盤》(1961)をはじめ、実体験に根差した社会への問いかけを表現に託し、2010年代まで精力的に制作・発表を続けた。

展覧会の起点となった田部による文章「プラカードの為に」は、1961年に東京の銀座画廊で行われた「九州派展」の直前に発表されたもの。「大衆のエネルギーを受け止められるだけのプラカードを作って見ようか、高らかな笑いのもとに星条旗を破る為のカンパニヤが組織できなだろうか? それもたった一枚のプラカードの誕生によって」と、「たった一枚のプラカードの誕生」によって社会を変える可能性について綴っている。さらに文章は「そして人工胎盤ができたら、始めて女性は、本質的に解放されるんだけれど。」と続き、「九州派展」で発表された作品《プラカード》と《人工胎盤》の制作背景を説明するものになっている。

本展ではこの文章を「美術家としての宣言のようなものだととらえた」と正路。展覧会の企画は田部の存命中から進められていたといい、7名の出展作家たちの表現は「過去や現状を問い直すだけでなく、現実と未来に働きかける力を持っていると考えています。そうした実践を支える造形の力やイメージの強度、素材や技法の選択にも注目いただけたら」と語る。

内覧会に出席した参加作家。左から、牛島智子、金川晋吾、谷澤紗和子、飯山由貴、笹岡由梨子と、担当学芸員の正路佐知子

交差する作品と声。田部光子の《プラカード》と《人工胎盤》

会場は作家ごとにスペースを区切るのではなく、作品をフロア全体に分散して配置。展示壁の高さも低めに統一され、映像作品の音も混じり合う。異なる作家の作品がゆるやかに交差し、響きあう空間だ。

入り口正面では、田部による《プラカード》と《人工胎盤》が観客を出迎える。襖を支持体とした5枚組の《プラカード》には、アフリカ大陸や黒人ミュージシャンの姿、「ブラック」の文字、星条旗、日米安保や炭鉱に関する印刷物などがコラージュされ、マネキンの髪や作家がつけた多数のキスマークが重ねられている。田部が勤めていた岩田屋百貨店での労働争議という実体験に加え、三池争議、安保闘争、公民権運動、コンゴ動乱など同時代の出来事を背景に制作された。

田部光子 プラカード 1961

いっぽうの《人工胎盤》は、作家自身の妊娠初期のつわりや、女性が社会で直面する様々な不平等から発想された作品。3つのマネキンの腰部が並び、中には真空管が差し込まれ、外側に多数の釘が打ち込まれている。その痛々しさが、「人工胎盤ができたら、始めて女性は、本質的に解放されるんだけれど」という田部の言葉を際立たせる。

田部光子 人工胎盤 1961/2004

このほか本展では《セックス博物館》や、1996年から始めた「Sign Language」シリーズなど、近年再評価が進む田部の作品28点を紹介。コラージュ作品の《Sign Language》は、2010年に作家自身が周りのボックスのみ修繕と印刷物の張り替えを行ったという。プラカードを掲げる人々や「NAKBA」の文字などはこのときに現れたイメージだと見られている。田部はコラージュした印刷物の意味を語ることはなかったそうだが、多様な作品を通して、初期から通底する問題意識や、同時代の社会情勢に応じて表現を選び取ってきた田部の創作姿勢を見ることができる。

左から、田部光子 裏と表 1963、田部光子 セックス博物館 1968
中央が田部光子《Sign Language》(1996/2010)

牛島智子:日々の生活と制作行為を重ねた「ひとりデモタイ」

田部と同じ福岡出身で、母親が田部と同い年だという牛島智子は、「若い頃はどこか反発のような気持ちもあったが、今回の展覧会は田部さんがこういうことをやりたかったんだと感じられる良い機会になった」と語る。

自身の日々の生活と制作行為を重ねた新作インスタレーション《ひとりデモタイ 箒*筆*ろうそく》は、和紙とコンニャク糊で作られた緑の「フィールド」の上に家が建ち、屋根の上には箒を持った家婦が座っている。福岡県八女市に拠点とする牛島は、同地で400年以上続く産業であり戦時中は風船爆弾製造にも用いられたという複雑な背景を持つ八女和紙に惹かれ、作品に用いてきた。天井から吊るされた「変形和紙文字」には、過去に発表してきた詩や言葉が記されている。

牛島智子 ひとりデモタイ 箒*筆*ろうそく 2025

「ひとりデモタイ」は牛島による造語で、ひとりで社会に抵抗する態度と、ひとりでも「隊」「共同体」になりうる自律したあり方を含意しているという。家婦が手にした箒は、女性を家に結びつけるもののようでもあり、空を飛ぶ道具のようでもある。蝋燭は室内を照らす灯りであり、デモの象徴にもなる。家から出て外を見つめるその姿は、世界を変える小さな力の可能性を信じる「たった一枚のプラカード」に重なる。

左から、牛島智子 トライアングル 1993、牛島智子 フェミニズム 1994-96

谷澤紗和子:切り絵で表す、時と場所を超えた女性作家たちとの対話

田部の作品群と向かいあうように展示されているのは、谷澤紗和子による切り絵を用いた作品。美術制度の外に置かれてきた素材や技法で制作する谷澤は、高村光太郎の妻・智恵子にオマージュを捧げ、夫の視点を通して受容されてきた智恵子を、表現者として語り直した「はいけいちえこさま」シリーズの全点を展示。新作《目の前に開ける明るい新しい道》では智恵子、18世紀イギリスのメアリー・ディレイニー、中国の切り絵作家・庫淑蘭(クー・シューラン)、アプリケ作家・宮脇綾子という4名の女性作家との対話を試みた。

谷澤紗和子 目の前に開ける明るい新しい道 2025

さらに陶紙で作られた《ちいさいこえ》も展示。「NO」や「わたしのこえ」という言葉が表された脆く小さな「プラカード」は、歴史や権力にかき消されてきた声なき声、見えなくとも確かに刻まれた傷の存在を想起させる。

谷澤紗和子 ちいさいこえ〈わたしのこえ〉 2025

志賀理江子:震災からの「復興」を問い続ける写真と映像

志賀理江子の写真作品《ひろこ、ひろみ》とセルフポートレイト作品《血の海》は、本展のテーマを踏まえて作家が出展した新作。ふたりの女性をとらえた《ひろこ、ひろみ》は不定形にプリントされており、同じスペースに展示された牛島の変形キャンバス作品《フェミニズム》と呼応するようでもある。

宮城県を拠点に活動する志賀は、2011年の東日本大震災で被災した経験から、「復興」のあり方を問い続け、人間の精神とその根源に迫る作品を制作してきた。映像インスタレーション《風の吹くとき》(2022〜2025)は、中央主導で行われる東北の復興事業や大都市による搾取的構造、そして現地の人々の暮らしを見つめてきた志賀の思いや言葉を、防潮堤の上を歩く人の語りを通して伝える。本作の展示スペースには、作家が自ら床にテープドローイングで綴った言葉が貼られている。

志賀理江子 風の吹くとき 2022-25 © liekoshiga(*)

金川晋吾:規範化された「家族」や「信仰」のイメージを自身の身体を通してとらえ直す

もっとも身近な他者である家族を被写体とした写真作品をはじめ、文章やワークショップなどの手法を通して、個人的な経験や思考を社会に開く実践を続ける金川晋吾は、現在進行形で取り組むふたつのシリーズを展示。

2019年から百瀬文と斎藤玲児と始めた共同生活をとらえた「明るくていい部屋」は、男女ふたりによる婚姻関係や、血縁関係による共同体を標準として設計された社会のシステム、規範化された「家族」のかたちに問いを投げかける。現在は百瀬のパートナーである森山泰地も加わり、4者の関係は変容を続ける。

金川晋吾 明るくていい部屋 2019-25

「祈り/長崎」は、信仰への関心から教会に通い始め、2014年に洗礼を受けた作家が、キリスト教と深く関わる長崎の地で撮影したシリーズだ。かつて戦意高揚に携わった彫刻家の北村西望が戦後に作り上げた《平和祈念像》。金川はこの筋骨隆々とした巨大な男性像とともに写るセルフポートレイトを通して、その複雑さや力強さゆえのある種の滑稽さを浮かび上がらせる。どちらのシリーズも過去最大規模での展示となる。

金川晋吾 祈り/長崎 2015-25

飯山由貴:精神医療の歴史や制度の暴力を照射する

記録資料や聞き取りなどの調査をもとに、個人と社会や歴史の関係を考察する作品を制作してきた飯山由貴。本展では、精神に障がいを持つ妹とともに取り組んだ映像作品《あなたの本当の家を探しにいく》《海の観音さまに会いにいく》をはじめ、近代日本の精神医療史や隔離などの制度の問題にも切り込む作品の展開を紹介する。

《海の観音さまに会いにいく》は、妹の幻覚や幻聴を受け止め、「この家はわたしの本当の家じゃない」という彼女の言葉を起点に、彼女にしか見えない世界を家族とともに見ようと試みる映像作品。「現在進行形で虐殺が起きているが、私たちが生きている社会の中でも制度のなかで収容されて、見殺しにされてる人がいることを作品を通して感じてもらえたら」と飯山は語る。

飯山由貴 自分の人生を生きる 2015

本展では、戦前期に東京の精神病院に入院していたふたりの朝鮮人患者の看護日誌をもとに、在日コリアンのラッパーFUNIとともに制作した映像作品《In-Mates》も上映。本作は2022年の東京都人権プラザでの個展に際し、企画展の趣旨にそぐわないとの理由で東京都総務局⼈権部により上映不可となり、以降、大学や劇場など各地で上映会が企画されていた。美術館展示室での上映展示は今回が初めて。

笹岡由梨子:人形劇と動物の合唱で解き放たれる声

笹岡由梨子は人形劇やCG合成、自作の歌、手作業による装飾を用い、固定化された枠組や見方に揺さぶりをかける映像インスタレーションなどを制作してきた。本展では初期の映像作品《イカロスの花嫁》と、国内初公開となる《Working Animals》を展示している。

笹岡由梨子 イカロスの花嫁 2015-16

本展のための装飾によって上映される《イカロスの花嫁》は、蜜蝋の翼で空を飛び、太陽に近づきすぎて墜落したイカロスの神話と、家制度における女性の苦悩や悲しみを歌った大正時代の流行歌「花嫁人形」を掛け合わせた映像作品。作家が演じる花嫁人形ヨリコの歌が周囲に「革命」を起こしていく解放の物語だ。《Working Animals》では、目や口など作家自身のパーツを持つ、サイボーグ化されたぬいぐるみの動物たちがステージのようなセットに座っている。眠りから醒めたかれらは、観客を「お父さん」と呼び、合唱しながら労働の意味や構造を人間に問いかける。

笹岡由梨子 Working Animals 2024-25

田部が綴った「たった一枚のプラカード」による世界変革の可能性を起点とした本展には、社会の規範や不均衡、私たちの中にある固定観念を根本から問い直す多様な表現が集う。様々な素材や技法で制作された作品が内包する声やイメージがぶつかり合い、重なり合う展示空間は、苛烈な現実の中で田部が見た希望と地続きの、抵抗や怒りに根差しながらも前向きなエネルギーに満ちている。牛島の「ひとりデモタイ」という言葉のように、一人ひとりが持つ小さくとも確かな力の存在を、観客に静かに問いかけているようでもある。7名の作家たちの実践が交差する場を体感してほしい。

後藤美波(編集部)

後藤美波(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集部所属。ライター・編集者。