公開日:2025年6月24日

宮﨑駿・高畑勲の理念は、Z世代に刺さるのか? ジブリと日本の戦後80年を考える【後編】|『 ジブリの戦後』渡邉大輔インタビュー

スタジオジブリは今年設立40年。宮﨑駿、高畑勲、そして後続世代の監督たちへとつながるスタジオの歩みを、「戦後」という枠組みを通して描き出した『ジブリの戦後』の著者に聞く、これからのジブリ論。

『君たちはどう生きるか』

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スタジオジブリの名作アニメーション映画『火垂るの墓』(監督:高畑勲、1988)が、終戦から80年を迎える今年、改めて話題となっている。Netflixでの昨年9月からの海外配信を経て、今年7月15日から日本初の配信が決定。さらに8月15日の「金曜ロードショー」(日本テレビ系、午後9時)で、7年ぶりに地上波で放送されることが決まった。また、東京の麻布台ヒルズ ギャラリーで、「高畑勲展―日本のアニメーションを作った男。」が6月27日から開催される。

スタジオジブリは高畑勲・宮﨑駿両監督の劇場用アニメーション映画を中心に製作してきた、世界的にも極めて稀有なアニメーション・スタジオだ。設立は1985年、『風の谷のナウシカ』(監督:宮﨑駿、1984)の成功を受け、同監督による『天空の城ラピュタ』(1986)製作時に徳間書店が中心となって立ち上げられた。そしてこの1985年というのが、1945年の敗戦から今年までの80年間における中間地点にあたり、「ジブリと日本の戦後は、両者を互いに重ねあわせることで、その歴史の内実への理解がより深まる、そのような関係になっている」と論じるのが、『ジブリの戦後──国民的スタジオの軌跡と想像力』(中央公論新社)の著者、渡邉大輔さんだ。

 高畑・宮﨑というふたりの巨匠の作品に見られる、「平和」や「環境保護」へと向かう思想はこれまで度々注目され、ジブリ作品とともに育った世代にも深く影響を与えてきた。いっぽうで渡邉さんは、令和世代・Z世代の「ジブリ離れ」が始まっているとも指摘する。

戦後80年という節目の年に、スタジオジブリの作品や、その「運動体」としてのあり方が投げかけるものとは。渡邉さんに話を聞いた。【Tokyo Art Beat】

渡邉大輔 『ジブリの戦後ーー国民的スタジオの軌跡と想像力』(中央公論新社)

「教育劇」としての高畑勲作品

──本書では、高畑監督の作家性を表すキーワードとして、「リアリズム」とともに「教育」が挙げられています。

渡邉 高畑のリアリズムの本質をひとことで表すと、「教育」というテーマがあるというのが本書の主張です。高畑の実父は岡山県における戦後教育の先駆者であり、監督自身も後年は大学で教えていた教育者という面もありました。ただ、リアリズムと同様に、教育についてもその思想は独特のものでした。

もしかすると、『火垂るの墓』をはじめとする高畑作品にはどこか説教くさいイメージを持っている人もいるかもしれません。しかし、高畑にとっての教育とは、偉い人が子供や劣っている人に物事を教えるような一方的なあり方ではなく、教える側と学ぶ側が相互に反転し合いながら、一緒に学んでいくあり方を理想としていたと思います。ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトが1930年代に試みた戯曲を「教育劇」と呼びますが、これは演者と鑑賞者がともに参加して完成させる舞台を指します。同様に、高畑の作品も「教育劇」と呼べるのではないかと私は考えています。実際高畑は、自身の作品について「異化効果」という言葉をよく使っていて、これもブレヒトの言葉です。

『君が戦争を欲しないならば』という本の中で、高畑は「民主主義に関しては、先生と私たちは対等だと思っていました。先生も私らも民主主義を知らないんですから」と語っています。

『火垂るの墓』をはじめとする作品で、主人公たちは主体的に考え、現実をとらえ直しながら、より良い有り様を目指して成長していく。それこそが高畑が描く「学び」の実践でした。 

宮﨑駿と版画教育運動

 ──宮﨑駿監督についても、教育と関わる切り口で論じられています。第五章「『君たちはどう生きるか』と「手」の想像力―宮﨑アニメに見る「模型」の系譜」では、宮﨑監督の義父である版画家の大田耕士との関係が興味深いです。

『君たちはどう生きるか』

渡邉 じつは、子供と教育と映像メディアの関係というのは私自身の以前からの研究テーマです。博士論文では、日本映画史における「子供の映画観客」の成立過程を調べたのですが、そこでは1920年代頃から始まる「映画教育運動」が大きく関わっていました。この映画教育運動は、当時の文部省や大阪毎日新聞社が推進していた教育映画を用いた児童への教育運動ですが、これは山本鼎が提唱し、映画教育運動と同じく明治末期から大正時代にかけて広がった「自由画教育運動」とも、大正自由主義教育などを介して結びついていました。したがって、戦後に全国で行われた「版画教育運動」にも、ラジオやテレビによる「放送教育運動」などとともに、ジブリとはまた別の文脈で以前から関心があったわけです。この版画教育運動の中心人物が大田耕士であり、娘の大田朱美は宮﨑監督と結婚しています。

ジブリではアニメーションは子供のものだという大きな理念を持っていますが、日本では子供の特殊性に注目したまなざしが生まれたのが近代であり、大正時代に起こったいくつもの新しい教育運動を経て、アメリカのジョン・デューイなどの新教育の影響を受けながら、子供が主体的に学ぶ場や方法が模索されてきました。そうした流れのなかで、版画教育運動とスタジオジブリは、子供を主体とした教育の問題として結び付いているのではないかと思いました。

──版画教育運動については、「彫刻刀が刻む戦後日本―2つの民衆版画運動」(町田市立国際版画美術館、2022年)という展覧会が開催されるなど、美術の世界でも近年注目が高まっています。『魔女の宅急便』でウルスラが描いた絵のモデルが、版画教育運動の動きのなかで、八戸市立湊中学校の養護学級の生徒たちが制作した版画作品であることはよく知られていますが、ご著書ではそうした直接的で単純なつながりにとどまらない、より本質的な触覚性と想像力のはなしが展開されていて、面白かったです。

青森県八戸市立湊中学校養護学級生徒(指導:坂本小九郎)  『虹の上をとぶ船・総集編(2)』より《天馬と牛と鳥が夜空をかけていく》 1976 木版 五所川原市教育委員会蔵
『魔女の宅急便』

渡邉 『君たちはどう生きるか』では眞人が弓矢を作るシーンがありますが、それが体現するものとは何か。それは、宮﨑駿における、手=触覚の親密さと結びついた、「兵器模型」に象徴される「工作的」な想像力だ、ということを書きました。宮﨑がプラモデルや模型といった玩具に並々ならぬ情熱を持っていることはよく知られています。

いっぽうで版画は、一般的には絵画の一形態とみなされながら、「彫る」という行為から工作的な要素を合わせ持っています。そして大田は、この工作的特性が、子供の教育において、のびのびとして豊かな人間の育成に結びついていると考えていました。

また日本創作版画の父とも呼ばれる恩地孝四郎は、大田を中心に設立された「日本教育版画協会」にも顧問格として関わっています。岡﨑乾二郎さんが『抽象の力』(亜紀書房、2018)で書かれていましたが、恩地が創作版画を確立するうえで、ドイツの教育思想家フレーベルが発明した積み木のような教育玩具「恩物」が影響を及ぼしていたそうです。『君たちはどう生きるか』にも、大伯父の積み木が象徴的に登場します。

『君たちはどう生きるか』

──工作性、触覚性という点で私が思い出したのが、監督も足を運んでいた、国立ハンセン病資料館での「生活のデザイン ハンセン病療養所における自助具、義肢、補装具とその使い手たち」(2022)という展覧会です。監督が国立ハンセン病療養所の多磨全生園を最初に訪れた際にも、「生活雑器の展示に衝撃を受けた」(参照)そうですが、ハンセン病療養所の患者、回復者は、それぞれにあった様々な道具を作ったり、活用したりしていたそうです。『もののけ姫』でもハンセン病患者たちが石火矢を作っているシーンがありました。

渡邉 何かをいじったり、触ったり、ものを作ることと、生きるということとが密着しているという、宮﨑監督の思想に切実に関わっていると思います。監督自身も左翼運動のコミューンがお互いに助け合いながら、何かを生産していくというイメージや思想を大事にしてきました。またドキュメンタリー『「もののけ姫」はこうして生まれた。』やインタビュー集『風の帰る場所』の中で、宮﨑監督はアシタカがタタリ神の呪いを受けて腕に負った傷について、現代におけるアトピー性皮膚炎や、小児喘息、エイズの患者の症状を重ねて語ってもいました。とくに90年代以降、社会的スティグマを受けた人々に、自身や現代人を重ね合わせることで、困難な時代をいかに生きていくべきかという思想を練り上げていったのだと思います。

『もののけ姫』

ジブリとジェンダー

──取材するにあたり、渡邉さんから事前にジブリ作品におけるジェンダーといった視点についても何かお話できれば、とご提案をいただきました。

渡邉 今回の本では、残念ながらジブリにおけるジェンダーの問題には踏み込めなかったと思っています。先月、私が教えている大学で行った刊行記念イベントでも質疑の時間に、会場に来ていたメディア研究者の永田大輔さんから指摘を受けました。またそのときに、前述の第五章「『君たちはどう生きるか』と「手」の想像力」について、同僚の西原麻里先生からも興味深い問題提起をいただきました。

『君たちはどう生きるか』

この章には私がかねてから関心を持っている「オブジェクト指向」や、人とものとの関わり、といった問題の延長上にあるテーマが含まれています。宮﨑作品に見られるこうした「工作」的要素を象徴する具体的なガジェットが、模型やプラモデル、積み木といったものですが、西原先生からは、それらは極めて「男の子」的なモチーフに偏っているのではないか、と指摘されました。だとすると、たとえばリカちゃん人形やシルバニアファミリーといった女児向けのおもちゃはその場合、どのように解釈できるでしょうと返したところ、プラモデルをはじめ、一般的に「男の子」向けとされる玩具は「メイキング」、モノを作ったり組み立てたりする方向へと向かう傾向が強い、いっぽうで「女の子」向けとされるおもちゃは、何かを繕ったり、整えたりする「トリートメント」や「ケア」の方向へと向かう想像力を発揮させるのかもしれない、とおっしゃったんですね。このご指摘には、とても考えさせられました。これを私なりに敷衍すると、その点で、高畑の『火垂るの墓』の清太と節子が防空壕の中で料理や洗濯をする場面は、生活していくうえで欠かせない「トリートメント」の想像力が描かれているようで、改めて興味深いと感じました。

──高畑監督の作品はジェンダー、フェミニズム視点でも様々に論じられてきましたよね。とくに『かぐや姫の物語』は決定的で、公開当時いろんな女性たちが感情移入しながら語っていましたし、いま見ても現代的です。高畑監督はもちろん「フェミニズム映画を作る」というつもりではなかったでしょうが、彼が描く「人間」という枠組みに、当然のこととして女性も入っていたことで、結果的にフェミニズムとも接続されたと感じます。いまだにアニメや映画には、人間=男性視点から他者化、客体化されて描かれる女性像があふれていますから。

『かぐや姫の物語』

渡邉 私も高畑監督作品が大好きですが、この本を担当してくれた編集者や私の妻など、何人かの女性読者から、高畑監督を取り上げた第二章がいちばん面白かったという感想をいただいたのが印象的でした。

2013年に宮﨑監督の『風立ちぬ』と高畑監督の『かぐや姫の物語』が公開されたことは象徴的でした。それまでファンタジーを作ってきた宮﨑駿が、堀越二郎という実在した人物を題材に、初めて伝記映画のような作品を作りました。いっぽうで、それまでファンタジーを批判してきた高畑勲は、日本最古のファンタジーとも言える『竹取物語』を題材にした。表面的に見れば、それまで自分たちがやってきたことと真反対の作品を作ったわけです。しかし、ふたを開けて見れば、『風立ちぬ』は伝記映画などではなく宮﨑の妄想が大爆発したファンタジーになっていましたし(笑)、『かぐや姫の物語』は、かぐや姫というひとりの女性がまるで実在したかのように、その半生が丹念に描かれていた。それぞれの作家性が大いに発揮されていました。

『かぐや姫の物語』

──宮﨑監督作品は、暴力への熱狂と平和主義的な思想が同時に存在するなど、つねに矛盾を抱えていますが、ジェンダー観においてもその矛盾が顕著だと感じます。

渡邉 そうですね。宮﨑監督には、彼なりのフェミニズムのようなものもあるとは思います。鈴木敏夫によれば、宮﨑監督もかつてはその世代相応に男尊女卑的な価値観を持っていたそうですが、東映動画時代に出会ったアニメーターの奥山玲子さんのような主体的に働く女性たちの影響を受け、若い頃から徐々に女性に対する見方が変化していったのではないかといいます。

『紅の豚』の制作時に自ら設計したスタジオジブリの現在の東小金井のスタジオでは、女子トイレを男子トイレの2倍の広さにするなど、「女性が働きやすい環境づくり」を理想としていた有名なエピソードもあります。『紅の豚』の劇中に登場するピッコロ社や『もののけ姫』のタタラ場なども、女性たちが活躍する集団として描かれていますし、その原点には、東映動画時代に見た「女性が生き生きと働く姿」があるのかもしれません。

『紅の豚』

また、宮﨑作品に登場する少女像も特徴的です。彼はディズニー映画を「入口と出口が同じで、主人公が成長しない」と批判し、少女が王子様を待ち続けるだけの物語に違和感を表明していました。代わりに、自ら行動し、成長していくヒロイン像を描こうとしたのです。

その源泉のひとつが、ロシアのアニメーション『雪の女王』(1957)。主人公の少女ゲルダが、自らの意志で親友カイを助けに行く姿に衝撃を受けたといいます。こうした影響が、『魔女の宅急便』でトンボを助けるキキ、『千と千尋の神隠し』でハクを救う千尋といった、能動的な少女キャラクターにつながっていると考えられます。

『雪の女王』
『千と千尋の神隠し』

しかし興味深いのが、宮﨑監督と小説家の吉本ばななさんの対談でのやり取りです(「世界を体で感じよう」、NHK教育テレビ、2001)。吉本さんは、「10歳頃から宮﨑作品を夢中で見ていた」と切り出しつつ、「いま大人の目で見ると、ラナちゃん(『未来少年コナン』、1978)もナウシカももののけ姫も、嫌な女なんですよ。女の友達がいなさそう」「男から見た女の魅力に溢れているけど、女の子から見た女の子(の理想)としては違うかもしれない」と語ります。宮﨑さんは少し苦笑いしながらも、「日本の通俗文化における女性像というのはじつにいい加減」と語り、描ける女性像には限界があると認めています。

『風の谷のナウシカ』

つまり、宮﨑監督にはフェミニズム的な視点があったいっぽうで、アニメーションという枠組みの中での制約、そして昭和に人格形成をした男性としての側面も残っていた。

また、『君たちはどう生きるか』などに見られる、母親へのオブセッションも大きく影響していると思います。

『君たちはどう生きるか』

来るべき新しい「ジブリ」像に向けて

渡邉 終章でも触れましたが、「アニメーションは子供のもの」という考え方自体が、もはや20世紀的な価値観になりつつあります。日本の国民的アニメ作家が、宮﨑監督から新海誠監督へとシフトしていることは象徴的です。新海作品の主人公は子供ではなく高校生や20代カップルで、主な観客として若者が想定されています。社会や人間のあるべき姿はこうだという強固な思想や教育的な要素は希薄で、作中で災害や気候変動が起きても、主人公たちは「現状肯定」の姿勢を貫きます。私は新海作品も好きですが、ジブリ世代としては「それでいいのかな」と思う部分も少なからずあります。

──少子化や若い世代のジブリ離れといった状況もあるなかで、これからのスタジオジブリにはどのような展望があると思われますか?

渡邉 過去の名作の版権管理と、ジブリパーク運営会社としてのみ存続するという道筋もあり得ますが、私個人はそうなってしまうとつまらないかなと(笑)。今後の展望を予測するのは難しいですが、ジブリ作品の新しい受容のされ方という可能性はあると思います。ジブリ作品はあまりにも知られ過ぎているからこそ、村上春樹や岡本太郎がそうであるように、過去の作品を新しく読み直せるということがあると思います。

また、ジブリと比肩し得る国内外の有名スタジオであるディズニー・スタジオ円谷プロダクションにしても、これまでの長い歴史の中で何度も浮沈を繰り返してきました。今後、ジブリにも仮に同じく低迷期のような時期が来るとしても、長期的なスパンで、時代の変化に合わせながら、新作の製作を含め新陳代謝を続けていってもらいたいです。 

愛知県にある「ジブリパーク」にて、トトロ・バー 撮影:編集部

またジブリは数年前から、Netflixなど日本国外での配信を始めていることから、これまで以上に海外で広がっています。私は去年10月にジブリパークに行ってきて、あくまで印象ではありますが、外国の方々がたくさんいたことから、国外での人気の高まりを感じました。今後も配信が進めば、これまでとは比較にならない規模で、海外でジブリを見る人口が増えていくと思います。“アイルランドのスタジオジブリ”とも呼ばれる「カートゥーン・サルーン」のようにジブリに影響を受けたスタジオもありますし、世界的な影響力も見過ごせません。海外での受容のされ方が日本にもフィードバックされ、国内でも新しい見方で活性化するような状況になると、面白くなると思っています。

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渡邉大輔
わたなべ・だいすけ 1982年生まれ。映画史研究者・批評家。跡見学園女子大学文学部准教授。専門は日本映画史・映像文化論・メディア論。映画評論、映像メディア論を中心に、文芸評論、ミステリ評論などの分野で活動を展開。著書に『イメージの進行形――ソーシャル時代の映画と映像文化』(人文書院、2012)、『明るい映画、暗い映画――21世紀のスクリーン革命』(blueprint、2021)、『新映画論 ポストシネマ』(ゲンロン、2022)、『謎解きはどこにあるーー現代日本ミステリの思想』(南雲堂、2023)、『ジブリの戦後ーー国民的スタジオの軌跡と想像力』(中央公論新社、2025)。共著に『アニメ制作者たちの方法』(フィルムアート社、2019)『スクリーン・スタディーズ』(東京大学出版会、2019)、『本格ミステリの本流』(南雲堂、2020)ほか。


福島夏子(編集部)

福島夏子(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集長。『ROCKIN'ON JAPAN』や『美術手帖』編集部を経て、2021年10月より「Tokyo Art Beat」編集部で勤務。2024年5月より現職。