ジャコモ・ザガネッリ Kyojima Ping Pong Platz 2025- Photo:Marie Hasegawa Courtesy of the Artist
5月某日、心地よい気候の昼下がり。アーティストのジャコモ・ザガネッリ(Giacomo Zaganelli)に誘われて、彼らが実施しているアートプロジェクト「PING PONG PLATZ(PPP)」の様子を見に、墨田区の曳舟を訪れた。東京スカイツリーから約1kmほどの近さにある「京島エリア」。ここに位置する東武鉄道の曳舟駅東口を出ると、目の前にイトーヨーカドーがあり、中高層マンションもちらほら。しかしほんの少し歩けば、レトロな風情が残る人懐っこい下町の雰囲気が、ふんわりとこの街に漂っているのが感じられる。
「この地域で、土地の所有者たちからも許可を得て、約3年前から社会実験的なアートプロジェクトを始めました。でも、最初は地元の友人たちから、もしかしたらクレームがきたり、批判されたりするかもって心配されたんです。でもそれは杞憂で、実際には地元の人たちからとても好意的に受け入れられました」
2022年、ジャコモはパートナーのシルヴィア・ピアンティーニ(Silvia Piantini)、灰谷歩とともに墨田区で「PING PONG PLATZ(PPP)」というアートプロジェクトを立ち上げた。その内容は至ってシンプル。この地域にある空き地を利用して屋外卓球台を設置し、そこに誰もが集い、交流し、リラックスしながら遊んで楽しめる場所を生み出すというもの。
PPPはこれまで京島エリアでポップアップイベントとしていくつもの屋外卓球台を設置してきた。2023年、24年には、すみだ北斎美術館の開設を機に2016年から同地で開催されているアートプロジェクト「隅田川 森羅万象 墨に夢」(通称:すみゆめ)にも参加している。
こうして地元に少しずつ輪を広げたPPPはこの春、常設の卓球台の設置に漕ぎ着けた。
ひとつは「下町人情キラキラ橘商店街」内にある、UR都市機構が所有する「AKICHI+」というスペースにある。URが同地区の防災性向上、不燃化促進に取り組む一環で取得していたこの土地の使い方を、地域の人々と一緒に考え、試みていくことを目指して開放している。その“使い方”の第一弾として、コラボレーションしたのがPPPだ。ただの空き地だったところを安全性の面から地面をコンクリートで整え、そこにジャコモが卓球台とベンチを無償で貸与した。
「公共空間を使ったPPPは、日常に対する新しい視点を、アートを通じて提案することができるのではないかと考えスタートしました。人々のつながりが自然発生的に生み出されるのがこのプロジェクトの魅力です。そして人々が、自分たちがどうアクティブになれるかを考えるきっかけになります」
そうジャコモは語るが、空き地に卓球台を置いても、本当にそこに日常的な「にぎわい」が生まれるのだろうか。誰の目にも留まらない公共彫刻と化したり、よくわからない異物として警戒されスルーされたり……なんてこともありえると思った。でも、実際に商店街を訪れると、来るわ来るわ、本当に次々といろんな人たちがこの卓球台に集まってくる!
最初は小学校から下校した小学生グループ。AKICHI+に着くなり早々にラケットを取り出して卓球を始めた。夕方に再訪すると今度はまた違う子供たちと成人男性がプレイしている。子供が「普段なんの仕事してんの?」と男性に聞いていて、彼らがもともと知り合いではない、ここで出会った人たちなのだとわかった。彼らが対戦している卓球台の周りにはベンチが置かれていて、そこではジャコモの顔馴染みを含む外国人が数名集まりまったりと過ごしていた。人々が遊んでいる姿をジャコモと見ていると、通りすがりの人に「これは何?」と話しかけられたり、また別の通行人のおじさんが、一緒に歩いている人に「これは空き地を使ったプロジェクトで〜」と説明している声も耳に入ってくる。
面白かったのは、近隣にキャンパスを持つ千葉大学の学生3人組。何やら大きな手作りの装置を持って来た。ひとりがおもむろに、プレイしている小学生の前で、その装置を卓球台のネットに装着し始めた。どうやらそれは大きな木琴のように、ピンポン球があたることで音を奏でる仕組みらしい。大学の授業での作品発表のリハーサルをしているとのことだった。ジャコモも当然知らなかったので驚いていたが、PPPというアートプロジェクトが、いつのまにか思いがけないかたちで別の人の作品に二次利用されている。PPPが、この街で過ごす人々のクリエイティビティを刺激したということだろう。
ところでラケットと球はどう管理しているのかと聞くと、商店街のお店をPPPのプロジェクトメンバーがまわって、置いてくれるよう頼んだという。卓球で遊びたい人は、商店でピンポンセットを無料で借りて遊ぶことができる。こうした方法でも、PPPはこの商店街に集う人と人との新たな交流を生み出しているのだ。ジャコモは商店街を歩いていても、焼き鳥屋をはじめ様々な店の軒先にいる人々と笑顔で挨拶を交わす。「下町人情キラキラ橘商店街」というネーミングがいまも色褪せない、ハートウォーミングでフレンドリーな雰囲気に、この地域に住んでいたら楽しそうだなあと思わされる。
「PPP Collective」としてジャコモやシルヴィアとともに活動する灰谷歩も、この商店街でコーヒーとけん玉のお店「muumuu coffee」を営んでいるひとり。お店の窓には大小様々なけん玉が並ぶとともに、貸し出し用のピンポンセットも吊られている。おしゃれで居心地のいいカフェでありながら、国内外からけん玉プレーヤー、愛好家が集うという面白い店で、多様な人々の交流の場になっている。私が訪れたときもすでに数人が日本語と英語でおしゃべりしており、オランダから来たというけん玉プレーヤーもいた。
2013年にコーヒーのお店を開き、翌年からけん玉の世界にのめり込むようになったという灰谷は、ジャコモとシルヴィアの長年の友人。もとはふたりが休暇でこのエリアを訪れたときから親しくしているという。PPPが生まれるきっかけは2022年5月、灰谷がジャコモとシルヴィアに会いにドイツ・ベルリンを訪ねたこと。「ピンポンしよう!」とジャコモに誘われて足を運んだ公園には卓球台があり、人々がそこで自由に遊んだり、ピクニックやバレーボールに興じている解放感のある雰囲気に幸福感を感じたという。
ジャコモはそれまでも世界各地で空き地や放棄されたスペースを活かすアートプロジェクトを実施しており、墨田区の地域コミュニティとも一緒にアートプロジェクトを作りたいという強い思いを抱いていた。こうして彼らは、墨田区の空き地を人々が集まる空間へと変えるというアイデアをかたちにしていくことになった。
その後、ふたりが参加する芸術祭「森の芸術祭 晴れの国・岡山」(芸術監督:長谷川祐子)のリサーチのため来日するタイミングに合わせ、京島でのプロジェクトの準備を進めていった。地域の友人とのミーティングや、土地の所有者、プロジェクト進行・管理を担える人々への声がけなど、地道なネットワークづくりを経て企画が練られ、2022年12月、1日限りのポップアップイベントとしてPPPは幕を開けた。
ジャコモは言う。
「公共空間におけるアートプロジェクトを長年続けているので、各地にある公共空間がどう使われているのか、そこで人々がどんな体験をしているのかについて、かねてより批評的な視点を持っていました。そこで、日本には誰もが気軽に立ち寄って遊べる場所が少ないということに気がついたんです。そういうインフラがない。子供向けの遊び場はあっても、大人のための空間がない。日々ハードワークしている人々がリラックスしたり、集まって遊んだりできる場所が必要だと思いました。
PPPには、実際に子供や若い人々だけでなく、サラリーマンやおじいちゃん、おばあちゃんも集まってきます。卓球をするだけではなく、ベンチに座ってランチをしたり、夜にはお酒を飲んだりできます。そこに集まる人々が、PPPを自分たちのための場所だと感じるようになったんです。他者と楽しい時間を分かち合って、知らない人と何気ない関わりを持つきっかけになる。私たちの作品はこの卓球台自体ではなくて、これをきっかけに人々が集まるコミュニティであり、そこで生まれるコミュニケーションです。大切なのは社会に小さな変化を起こすことです」
京島エリアにはもう1ヶ所、常設型の卓球台が設置された。千葉大学墨田サテライトキャンパスとiU情報経営イノベーション専門職大学の間にある地域と大学の交流広場「キャンパスコモン」の敷地内だ。私が訪れた昼下がりは、大学生数名がプレイしていた。この「Campus Common Ping Pong Platz」は、東京都墨田区を中心に、公・民・学が連携してまちづくりを推進する組織「UDCすみだ」と墨田区、そしてPPP Collectiveが実施主体。5月18日のオープニングイベントには墨田区長も訪れたという。
ジャコモは2024年に開催された「森の芸術祭 晴れの国・岡山」にも参加し、同地でも「Tsuyama Ping Pong Platz」を実施した。約2年をかけて地元の人々と交流しながら、最終的に設置された卓球台は、会期終了後も津山市に残っている。いまでも卓球台の周りにはいろんな人がマイラケットを持って集まってくるという(Xで検索したら、地元の卓球チームがここでプレイしている様子も見られた)。楽しい憩いの広場として、地域に根を下ろしているようだ。
またこの春、東京の日比谷公園で開催されたアートイベント「Hibiya Art Park 2025」(キュレーター:山峰潤也)にも参加し、「Hibiya Ping Pong Platz」を展開。5月25日からは、東京・広尾にあるコートヤードHIROOでも卓球台を設置した「Hiroo Ping Pong Platz」がスタートした。
PPPのプロセスは「ゆっくり、ゆっくり」だと日本語で説明してくれたジャコモ。たとえば国際芸術祭に出品された作品が、会期終了後に巨大なゴミになってしまうようなあり方は、彼らの望むところではない。プロジェクトがサステナブルであることが大事で、ゆっくりでいいから長期的に取り組んでいきたいと言う。そして今後PPPを墨田区だけでなく、ほかのエリアでも展開していきたいと抱負を語る。
ジャコモのアート実践は、つねに公共空間に対する批評的な挑戦だった。そのキャリアを振り返ると、フィレンツェでの初期の大規模なプロジェクト「Non A Tutti Piace L'Erba」(2008)は、地下に駐車場を備えたコンクリートの広がる殺風景なギベルティ広場を、一晩で芝が広がる美しい広場へと変容させるものだった。2000平方メートル、60トンにも及ぶ芝は、ジャコモが直電したヨーロッパ最大規模の芝生を扱う会社に提供を受け、約40名に及ぶコレクティブメンバーや通行人らとともに敷き詰められた。その結果、そこでは人々がピクニックを楽しんだり、遊んだり、思い思いに過ごすことができる空間になったという。
公共空間に独自の方法で介入し、地域社会を巻き込みながらコミュニティを活性化していく。そんな実践について、地域社会の多くの人々は「アート」だとは認識しないかもしれないが、それでいいとジャコモは言う。世界中をコロナ禍が覆い、日本でも改めて人と人との“集まり”や“交流”が見直されるようになった。また世代間格差や排外主義の広がりなどが問題視されている。そんななか、PPPは楽しくフレンドリーなやり方で、これからの社会と公共性についての新しい可能性を示している。
ジャコモ・ザガネッリ Giacomo Zaganelli
1983年イタリア生まれ。フィレンツェとベルリンを拠点に活動。地域コミュニティを対象とした芸術文化プロジェクトのアーティスト、キュレーター、および活動家。人々を巻き込んだプロジェクトを数多く手がけ、「公共」や「社会」という概念を「空間」というテーマを通じて問い直し、挑戦している。この20年間でヨーロッパやアジアを舞台に、様々な団体、財団、文化施設、公園、地域コミュニティ、行政機関などと協力しながら、多くのプロジェクトを立ち上げ、推進してきた。
主なプロジェクトには、コレクティブ :esibisco. (イタリア、2005〜15)、フィレンツェにおける巨大インスタレーション《Non A Tutti Piace L’Erba》(イタリア、2008)、空き物件の調査と再活用戦略に関する研究《La mappa dell’abbandono》(イタリア、2010年より継続中)など。主な個展に、台北当代芸術館「Superficially」(台湾、2017)、ウフィツィ美術館「Grand Tourismo」(フィレンツェ、イタリア、2018〜19)などがある。また、「瀬戸内国際芸術祭」(日本、2019)、 「タイランド・ビエンナーレ」(2021〜22)、「森の芸術祭 晴れの国・岡山」(日本、2024)に参加。
https://www.giacomozaganelli.com/
Ping Pong Platz
2022年、ジャコモ・ザガネッリ、灰谷歩、シルヴィア・ピアンティーニが東京・墨田区で卓球台を設置することで公共空間の新しい使い方を提案することを目的に始動した長期プロジェクト。
会場:
AKICHI+
住所:東京都墨田区京島3-52-2
交流広場「キャンパスコモン」
住所:東京都墨田区文花1-19-1 (あずま百樹園内)
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福島夏子(編集部)
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