展示風景
展覧会「ジャン=リュック・ゴダール《感情、表徴、情念 ゴダールの『イメージの本』について》」が、東京・新宿歌舞伎町の王城ビルで開幕した。会期は7月4日〜8月31日。
本展は『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』などで知られる映画監督、ジャン=リュック・ゴダールの最後の長編作品『イメージの本』(2018年公開)を映像インスタレーションとして再構成したもの。20〜21世紀にかけての戦争、宗教、芸術の変遷を過去の様々な映画や音楽小説、アートの引用によってコラージュした同作品を通じて、鑑賞者は映画の見方そのものを揺るがされるような体験をすることとなる。
インスタレーションの制作/キュレーションを担当したのは、ゴダール後期の作品において彼の右腕として活躍したスイスの映画作家ファブリス・アラーニョ。スイスのニヨンではじめて開催された本展は、ベルリンへと巡回したのち、ようやく日本での開催へと漕ぎつけた。
ここからは、7月3日に行われたプレス向け内覧会の様子を、ファブリス・アラーニョのコメントとともにお届けする。
鑑賞者はまず1階でイントロダクションとなる映像を見たあと、第1章「リメイク」が展示される2階へと誘導される。本展は、ビルの内部に張り巡らされた布、そしてディスプレイに映し出される映像の間を来場者が回遊しながら見ていくような構成となっていた。このような展示形式について、アーティスト/キュレーターのアラーニョは次のようにコメントする。
「映画を作っているときは(編集前の)様々なイメージが頭の中に浮かんでは消え、昼に考えていたことが夜になったら変わったりもする。鑑賞者のみなさんには、ぜひこの映画を作っているときのゴダールの頭の中に入り、この作品を自身の頭の中で再構築してみるような体験をしてほしいのです。」
同じフロアを奥へと進んでいくと、次は戦争をテーマとした第2章「サン・ペテルスブルグの夜話」へと物語がシフトしていく。ゴダールが同作品で表現したかったもののひとつは、現代の暴力、戦争、不和などに満ちた世界に対する”怒り”であり、そのようなテーマ性がとくに強く示されるフロアとも言えるだろう。墓石に見立てられた4つのモニターは、複雑で多層的な思索の森へと私たちを誘う。
3階に上がると広がるのは第3章「線路の間の花々は旅の迷い風に揺れて」と、第4章「法の精神」だ。熱心な映画ファンの中には、3章のタイトルを聞いて映画の父リュミエール兄弟の初期作品『ラ・シオタ駅への列車の到着』を想起する方もいるかもしれない。
そして、展覧会の最後を締めくくる最終章「中央地帯」では”幸せなアラビア”をテーマとした映像が流れている。展示の最後に流れるジャン・ギャバンとダニエル・ダリューの映画シーンは、別れやゴダールへのオマージュを表現しており、映画のエンドロールのような雰囲気をも感じさせる。
本展の映像インスタレーションにループする映像はなく、その瞬間ごとに流れる映像の組み合わせはつねに変化するようにデザインされている。2021年秋に展覧会を見たゴダールは、インスタレーションでも展示でもない”生きた上映”という言葉をこの作品の評価として残したそうだ。
第3章でとくに象徴的な、スクリーンに映る映像の即興性に注目してみると、ランダムに出力される映像がもたらす印象は、きっと訪れたタイミングによって異なることだろう。引用元や背景をひも解く映画批評的な見方をせずとも、展示室に備え付けられたソファにゆったりと腰掛け、自分の頭に浮かぶ素朴な感情や気づきを手がかりとして本作を考えてみると、何か思わぬ発見があるかもしれない。
ゴダールと長きにわたって時間を過ごしたアラーニョは内覧会でこのようなことも語っていた。
「『イメージの本』は長さにして1時間30分という短い映画だが、同作品の制作には4年間もの歳月がかかっている。我々は非常に多くの時間をイメージ、本、音について考えることに使っていた。また、ジャン=リュックは(晩年の作品において)3D、デジタルなどの最新技術を取り入れ、映画の様々な可能性を模索してきた人物であり、50〜60のスクリーンを駆使した本展は、映画とは何か、スクリーンの上に何かを映すとはどういうことかと問いかけるものである。」
巨匠・ゴダールが現代の私たちに問いかけたメッセージ、そしてその思考の痕跡と蓄積を自身の身体でもって辿る本展。映画を見るという枠組みを超えた、感覚的な鑑賞体験をぜひあなたも味わってみて欲しい。