会場風景より、イサム・ノグチ《広島の原爆死没者慰霊碑》(1/5 模型、1952/1991、広島市現代美術館)
6月21日、広島市現代美術館で「被爆80周年記念 記憶と物 ― モニュメント・ミュージアム・アーカイブ」展が開幕した。会期は9月15日まで。本展は、戦争や原爆の「記憶」とアート作品をはじめとする「物」との関係に焦点をあてた意欲的な企画だ。都市空間における記憶の象徴たるモニュメントや、同時代のドキュメントや歴史の継承において美術館が果たす役割、アーカイブのあり方などを探るものであり、「平和都市」ヒロシマに位置する同館のあり方を改めて問う内容となっている。
担当学芸員の松岡剛は、本展を主に3つの視点から構成したという。ひとつ目は「かつてあった銅像」、ふたつ目は「美術館のコレクション」、そして「現代アーティストの視点」だ。会場をたどりながら、それぞれを見ていこう。
展示室入口に来ると、まず巨大な写真が目の前に立ち塞がるように視界を覆う。本展の起点となる、《加藤友三郎元帥銅像》(1935)の写真複製だ。
じつはこの彫刻、かつて広島市現代美術館の敷地のすぐ隣にあったものだ。しかし、現在は銅像はなくなり、ひっそりと台座だけが残されている。普段からその存在に気を留める人は決して多くないという。
美術館が位置する比治山は小高い丘であり、緑豊かな公園として整備されているが、戦前は軍の駐屯地でもあった。ここに、広島生まれの海軍軍人で内閣総理大臣を務めた加藤友三郎(1861〜1923)の銅像が立っていた。高さ3.6m、台座を合わせると約9.3mに及び、展示室に登場した写真はほぼ実物大。目の前にするとその大きさに圧倒されると同時に、この巨大な像が体現したであろう権威とはいかほどだっただろうと想像させられる。
軍人や政治家として名を成した加藤友三郎だったが、太平洋戦争末期には金属回収令によってこのブロンズ像と加藤の功績を綴った碑はともに撤去されてしまった。こうして、いまではひっそりと、比治山に台座だけが残されることになったのだ。
現在は、広島市民のなかでも加藤の知名度はそれほど高くないという。彫刻の撤去とともに、その存在も忘却に向かっているのだろうか。しかしじつはそれだけではない。加藤の銅像を復元したいという人々の熱意によって、2008年には広島市内の中央公園に加藤像が再び建てられた。しかしその姿は、元帥海軍大将の正装姿で表現された比治山の銅像とは違い、生前にワシントン軍縮会議に参加した際のフロックコート姿になっている。
大物軍人から、軍縮政策を断行した政治家へ。この変化は、戦前の「軍都」から、戦後の「平和都市」へという広島/ヒロシマの都市像の転換と重ねて見ることができるだろう。ひとりの「偉人」であっても、その人物のどの側面を顕彰するのか、人々がモニュメントに寄託したいイメージや、残したい歴史、あるいは残したくない歴史とはなんなのか。モニュメントと継承をめぐる様々な問いを考えるうえで、「加藤像」はとても興味深い。
「最初の展示室にはふたりの主人公がいます」と松岡学芸員。ひとりはこの加藤であり、もうひとりは比治山の加藤像を手がけた彫刻家、上田直次だ。上田は広島県呉市出身。太平洋戦争時にはほかの軍人の彫刻も手がけたが、いっぽうで愛らしいヤギの姿を模った彫刻を得意としていたという。ヤギの彫刻は戦後、「愛」を表していると受け止められるなど、上田の芸術家像にも、軍国主義に関わった側面と平和を愛した側面とがアンビバレントに共存する。
続いて同館コレクション作品であるイサム・ノグチ《広島の原爆死没者慰霊碑(1/5 模型)》(1952/1991)が登場。この慰霊碑は戦後、ノグチが構想しながらも、最終的には国籍がアメリカであることなどを理由に設置が却下されたとも言われる経緯がある。
また戦後を代表する建築家、丹下健三の《広島平和記念公園》(1/300 模型、1950/2015)には、原爆ドームと平和記念資料館を結ぶ軸線上に、象徴的な巨大アーチが据えられているのを確認することができる。このアーチも予算や類似作品の存在などが問題視され実現せず、最終的にはノグチによる幻の慰霊碑案を引き継いだ、丹下による「広島平和都市記念碑」が建てられ、現在に至る。
これらの模型からは、戦後の広島の都市計画をめぐる、記憶と追悼、継承のストーリーが浮かび上がってくるだろう。
本展の重要な構成要素のひとつが、現代アーティストたちによる視点だ。黒田大スケ、毒山凡太朗、蔦谷楽、フィオナ・アムンゼン、小森はるか+瀬尾夏美が本展に招聘されている。
戦後、広島城の跡地に、平和の象徴として実寸大の「自由の女神像」を建ててはどうかという計画があったことをご存じだろうか。いまでこそ「トンデモ」とも思えるアイデアだが、そんなエピソードに取材したのが広島を拠点に活動する黒田大スケだ。黒田は彫刻を学んだ経歴を持ちながらも、彫刻への批判的・批評的視点に立脚し、過去の彫刻家を独自にリサーチした作品で知られる。彫刻家の人格をイタコのように降ろし、自分自身と混在したキャラクターとして演じる《自由の女神について》(2022)では、ヤギの姿をした上田直次と、ハエの姿をしたイサム・ノグチが対話をしたり、「自由の女神像」建設計画の可否について、彫刻家たちが議論したりする。現代作家の視点から、広島と芸術の歴史を再解釈する試みだ。
毒山凡太朗は、1936年に日本統治下のサハリン(樺太)に建てられた石碑や、「慰安婦像」として知られる「平和の少女像」を3Dスキャンすることで、こうしたモノが持つ意味や影響に迫る作品や、小早川秋聲による著名な戦争画《國之楯》に題材を取った《令和之桜》を展示。
ニューヨークを拠点に、核の歴史に迫る作品を制作する蔦谷楽は、核兵器をめぐる47ポイントを1日1枚描いて公開した「Daily Drawings: Spider’s Thread」シリーズのほか、エノラ・ゲイや原爆ドームをめぐる歴史を扱った作品を出品。「Daily Drawings: Spider’s Thread」は会期中に展示がえを行うほか、美術館の公式Xで定期的に1枚ずつ投稿もされるので、会期中ぜひチェックしてほしい。
フィオナ・アムンゼンは、ニュージーランド在住で長崎出身の家族を持つ落語家・鹿鳴家英志と協働した映像作品《An Ordinary Life》(2021)を展示。鹿鳴家の祖父の原爆体験や日常への思いを扱い、新たな歴史の語りを編み出す。
小森はるか+瀬尾夏美は《11歳だったわたしは 広島編》(2023〜)を発表。現在の広島を生きる人々の記憶を継承する試みである本作は、ワークショップ参加者と協働で取り組むプロジェクトだ。「11歳前後に体験した出来事が、その後の人生に大きな影響を与えることがある」という仮説に基づき、広島に暮らす10〜90代の約40名にインタビューを実施し、11歳の頃の記憶を語ってもらう。こうして語られた言葉は、テキストや映像に編集され、会場で触れることができる。
「美術館」が外側の世界へと開かれ、アートを媒介に市民との相互的なコミュニケーションから記憶・記録の新しいあり方を模索する。そんな美術館の姿勢が感じられる、開放的な展覧会の終わり方が印象深かった。
美術館のコレクションから、丸木位里+丸木俊、曺徳鉉、島州一、ヘンリー・ムーア、殿敷侃といった作家たちの作品も展示されている。戦後、広島の歴史や記憶の継承に向き合ってきた、同館の歩みの一端も、こうした作品から垣間見ることができるだろう。
2017年に同館で回顧展が開催された広島出身のアーティスト殿敷侃は、被爆した両親を早くに亡くし、自身も原爆症に苦しみ50歳で亡くなった。本展では両親の被爆体験と向き合った絵画や、消費社会や環境破壊への問題意識から、浜辺でごみを集め、協働者たちとともに焼き固めた《山口―日本海―二位ノ浜 お好み焼き》関連資料が展示されている。
展示室は一見静かながら、そこには多層的な語りが交錯する。被爆80年という節目において、「記憶と物」をテーマに据えた本展は、私たちがこれから未来に向けて記憶とどう向き合い、継承していくのかを考えるきっかけとなるだろう。
福島夏子(編集部)
福島夏子(編集部)