公開日:2025年3月6日

K-POPとファンダム文化のクィアネス──『K-POPはなぜマイノリティを惹きつけるのか』翻訳者インタビュー

K-POPをクィアの視点で読み解いた『クィアドロジー』の邦訳が刊行。翻訳者のひとりである、キム・ミンジョンに話を聞いた

キム・ミンジョン

いまや世界でファンを熱狂させるK-POP。その第1世代の始まりからおよそ30年のあいだ、アイドルの表現もファンダムも様々に変化してきた。ファンはオンラインで交流し、各々の解釈を交換しながら、ときに独自の共同体を形成する。

ボーイズグループ/ガールズグループと性別で分けられ、異性に向けた疑似恋愛的なイメージを売る側面のあるアイドル産業だが、アイドルを愛するファンダムはいまもこれまでも多様な人々で構成されてきた。2021年に韓国で刊行された『queer idology(クィアドロジー)』(ヨン・ヘウォン編著)は、K-POPのクィアファンダムに着目し、K-POPを性別二元論や異性愛規範にとらわれない多様な視点で読み解いた論考集だ。2024年には、『K-POPはなぜマイノリティを惹きつけるのか クィアとアイドルの交差するところ』(河出書房新社)のタイトルで邦訳が刊行。今回はその訳者のひとりで、本書の序文と6章、8章、9章の翻訳を担当したキム・ミンジョンにインタビューを行った。ヨン・ヘウォン、キムとともに翻訳を手がけたキム・セヨン、パク・キョンヒの言葉も交えながら、本書の背景や魅力、翻訳時のエピソードなどを紹介する。

始まりは、TwitterのK-POPファンダムコミュニティ

編著者のヨン・ヘウォンは、大学院で社会学を研究し、クィアやセクシュアリティをテーマに企画や執筆活動などを続けている人物。韓国のクィアアート雑誌『them』の発行も手がけている。本書は2018年にヨンが企画したテーマを発展させ、2020年にNPOの後援を受けて開催されたセミナー「2020クィアドロジー」から生まれた。以下はヨンの言葉だ。

まず、私がクィア当事者として親しい友人以外にクィアコミュニティに初めて出会った場所が2018年頃のTwitterのK-POPファンダムでした。NCTをジェンダークィアとして解釈し遊ぶクィアファンとTwitterで出会い、その人たちと「NCT QUEER」という旗を作って全国のクィアフェスに行きました。クィアフェスに広告を出して後援したことがこの本を出すきっかけになりました。

その経験を通して、多くのアイドルファンが自身のクィア当事者性を出すことでK-POP産業のなかのホモフォビア的な点を変えたかったし、そのような運動は今後も続けていかなければならないと思いました。そこで、K-POPの歴史にずっと存在してきたクィアファンを記録するためにこの本を企画しました。アイドルウェブマガジンのライターや編集者、クィア研究者や活動家などと一緒に、セミナー「クィアドロジー」を企画し、2020年にセミナーを開き、それをそのまま本にしました。

執筆陣は、アイドルメディアの編集委員から大学の研究者、ゲイYouTubeチャンネルの運営者、小説家まで幅広い。「ヨンさんが企画者ではありますが、みなさんクィアに関係するテーマで韓国ではとても知られている研究者や物書きの方々が集まっています」と、翻訳者のキム・ミンジョン。かれらの共通点はK-POPのクィアな魅力に惹きつけられ、その接点を観察してきたということだ。

原書には「転覆、撹乱、欲望のあそび」とのサブタイトルがついているが、ヨンは序章で、クィアファンダムの実践とその可視化の重要性、そしてK-POPアイドルの表象を「クィアリング」し、「あそぶ」ことを呼びかける。

「これはヨンさんがつけたタイトルです。K-POP自体が、様々な相反する感情が渦巻き、そのなかでファンが連帯したり、転覆や撹乱が起こったりしている面白い産業であるということを書きたかったので、このようなタイトルにしたそうです。読者には、ここで論じられていることを思いっきり勝手に解釈して、好きなように楽しんでほしい、と言っていました」

右が韓国で発売された原書

パク・キョンヒ、キム・セヨンとともに本書の翻訳を手がけたキムは、もともとヨンとはSNS上で交流があり、韓国での刊行当初から本書を読んでいたという。キム自身はいわゆるアイドルオタクではないというが、本書についてどのような印象を抱いたのだろう。

「本書はクィアという言葉のとらえ方がすごく広いですよね。それが良いなと思いました。私は大学院で、韓国で禁止された歌に関係するジェンダー研究をやっていたのですが、私の研究には男女という視点しか入っていませんでした。そうではない視点から、K-POPについて論じているのは面白いなというのが最初の感想でした」

「クィアドロジー 転覆、撹乱、欲望の遊び」という原書のタイトルに対し、日本語版では「K-POPはなぜマイノリティを惹きつけるのか クィアとアイドルの交差するところ」と、「クィア」ではなく「マイノリティ」という言葉を前面に出している。この邦題にした理由について、河出書房新社編集部・島田和俊は、「もちろんこの本においてクィアという言葉や概念はとても重要です。ただ、この本で論じられているクィアの幅広さを前提したときに、日本で『クィア』というカタカナ語で表現されるものが、もともとの英語や韓国におけるクィアという言葉の伝える実態と異なる印象を与えるのではないかと考えました。そのため、マイノリティという言い方をしたうえで、副題にクィアとアイドルという言葉をいれる二段構えにしました」と説明する。

「ボーイッシュ」な女性アイドル、女性が書く女性のファンフィクション

キムが訳したハン・チェユンによる第8章「典型的ではない女性アーティストの系譜:トムボーイ、ガールクラッシュ、そして女ドクのクィアリング」では、「ボーイッシュ、トムボーイな女性アーティスト」として評されてきたアーティストと、そのファンたちに向けられる視線について論じている。f(x)のエンバ、MAMAMOOのムンビョルといった「ボーイッシュ」とされるアイドルについて、「男らしい」という魅力ではなく、ほかにはない「代替不可能な魅力」として扱うべきではないかと説く。

「この章はとくに面白いなと思いながら訳しました。私はこの章に出ているイ・サンウンという歌手が本当に好きでした。彼女は映画『がんばっていきまっしょい』の主題歌を歌うなど日本でも活動しているのですが、1988年にデビューした頃からショートカットで、背も高くて。当時は韓国政府が民主化宣言をして、オリンピックで時代が変わるんだという頃で、そんなときにこれまでの女性歌手のような清純なイメージではなく、すごくかっこいい人が出てきたという衝撃が大きかったです。

この章には、かつて女性アーティストがメガネをかけることがおおげさに取り上げられたという話も出てきますよね。実際に女性アナウンサーがメガネをかけただけで話題になったりするというのは、小さな表象かもしれないけれどやはり男女で違いがあることを明らかにしていて面白かったです。ガールクラッシュという言葉についての議論もありますが、やはり自分の目で判断する前に、メディアでどう書かれているかに自分も知らないうちに染まっていってるんだなと思いました」

さらに「いちばん共感した章だった」とキムが振り返るのが、チョ・ウリによる6章「Twilight Zone:女ドル・ファンフィクにおける愛という世界観──私が魅了された物語、その眩しさを目撃した者の証言」だ。小説家である著者が、自身の経験を振り返りながらガールズグループのファンフィクションを書いて読む女性ファンについて論じている。著者は小学生の頃にモーニング娘。の飯田圭織に夢中になり、その後1997年にデビューしたS.E.S.と出会ってファンフィクションを書くようになる。

「私は同じ時代を生きているので、1998年の日本文化開放までの長いあいだ、水面下で日本文化を楽しんできた者としてものすごく共感しました。日本文化開放以前に『セーラームーン』やモーニング娘。を好きになって、小さい頃にひとりで海賊版を買いに行った話などがありますが、そういったことを私たちの世代はみんな経験していると思います。私も松田聖子と宮沢りえが好きで東京に来ましたから(笑)。

6章は本の中では軽めの章だと思うんです。でも、この章の最後に当時ライバルと言われていたふたつの人気ガールズグループのメンバー同士が仲良くするというファンフィクの話で終わっていますよね。この本でやりたかったことのひとつは、こうやってみんなが対立することなくアイドルを楽しんでくれたら良いなということなんじゃないかと思っていて。その思いが表れた章なんじゃないかなと思いながら訳しました」

ファンダムの能動性と可視化、影響力

アミルによる9章「女性─クィア・フェミニストがガールズグループを愛する方法」は、クィアでフェミニストであり、ガールズグループのLovelyzLOONAを愛する著者が、「女性アイドルが好きなのが果たしてのぞましいことなのかについて一度も悩まなかったフェミニストのファンはいないはずだ」と、アイドル産業のなかの「商品」として性的対象化され、過酷な労働環境で働く彼女たちを応援することのジレンマを綴る。ここではアイドルを商品とする生産者側の戦略になんとか反目し、産業に干渉していくファンダムの実践について追究しているが、ファンもまた商品化され、アイドルために働く労働者であり生産者だと位置付けている点も興味深い。

ほかの章でも、ただ受け手としてアイドルを愛でたり応援したりするだけでなく、ファンとして能動的に産業に影響をおよぼしていくという姿勢がうかがえるが、こういったファン心理が生まれる理由は韓国社会の成り立ちにあるとキムは言う。

「韓国では自分の言葉で意見を言える大人を育てるというのが基本です。たとえば警察にも区役所にも『民願』というものがあって意見を伝えることができ、ファンダムに限らず、どんなとき、どんな場合であっても自分の意見を言うということはとてもまっとうなことなんです。

パク・キョンヒさん(本書の翻訳者のひとり)も自身が推し活をするなかで『韓国現地のK-POPファンが能動的だなと思うことは本当によくありました』とおっしゃっていました。SNSでもハッシュタグをつけて強い意見を言ったりするし、ドラマの現場にファンが『朝貢(チョゴン、差し入れなどをすること)』するのも能動的なアクションといえますね」

パクによれば、韓国社会では「大人になってアイドルを追いかけるなんて幼稚だ」という考えが根強く、年齢を重ねたファンがアイドルの現場に赴くのは人目が憚られるとの意識もあるという。普段はアイドルのファンであることを隠し、「イルコ(一般人としてコスプレ)している」という人も少なくないそうだ。そんなかで、「各々のファンダムに所属する全員の中に『同じつらさを持っている』『同じ秘密を持っている』という暗黙の了解が前提としてはあったのでは」とパクは見る。

9章では少女時代の2007年のデビュー曲「また会った世界」が、2016年に梨花女子大学で行われたデモで歌われたことをきっかけに多くのクィアフェスや女性・マイノリティのためのデモで歌われる新たな「民衆歌謡」になったことにも言及している。そしてそれを少女時代のメンバー本人が「自分たちが伝えてきたメッセージが実現した瞬間だった」と語ったことに触れ、アイドルを商品化する資本の論理を乗り越えるようなこうした「誤用」を積極的にしていこうと呼びかける。「また会った世界」は、昨年末にあったユン・ソンニョル大統領の弾劾をめぐる抗議集会でも歌われた。

「本にも書いてありますが、クィアファンダムのみなさんが地方に好きなアイドルの応援に行くときに自分たちを象徴する旗を持って行ったりすることがあります。音楽番組だとほかのグループのファンも来るので、そのなかで存在を示すために持って行くんです。ユン・ソンニョル大統領の弾劾要求デモでそういった旗や応援棒が活用されていたのは面白い現象でした。

今回のデモは20代、30代の女性が多数を占めていたのが特徴です。女性やクィア、障害者の人などが社会をどう変えてほしいのかを主張する場にもなっていて、みんな旗を持って来るのですが、今回の集会でもファンダムの旗のように自分の意見を書いた旗を振っている参加者が目立ちました。韓国のデモに歌はつきものなのですが、今回のように若い人が集まって、デモで歌う歌がいわゆるK-POPと呼ばれるものに完全に入れ替わるとはあまり想像していなかったのではないでしょうか」とキムは語る。

キム自身も本書の翻訳を通して、K-POPやクィアなファンたちの実践について発見や考えの変化があったという。

「たとえば、男性アイドルが好きなレズビアンは『本物のレズビアン』ではないと言われる、という話が出てきますが、自由に楽しんで良いんだということをこの本は教えてくれていますよね。この社会のなかでアイドルを楽しむにあたって、いろんな警戒心や否定感などがあるかもしれないけれど、自分の好きなように見て良いんだと思いました。

また、『アイドルは痩せてないといけない』といった考えが根強いと思うのですが、そういったものに対する拒否感や葛藤はこれからも持ち続けると思います。私の友人でも摂食障害に関する啓蒙活動をしている歌手がいて、ずっと体重制限をしていたという話を聞いていました。それでもやはりアイドルを見ているとかわいいなと思ってしまう。そういったことを何度も問い直していくというのがいまのK-POP産業なんだろうと考えています」

韓国の読者はどう受け止めたのか

本書は、クィアのアイドルファンが倫理や自己検閲のものさしに厳しくさらされやすい社会に疑問を投げかけ、これまであまり可視化されてこなかったその実践に光を当てている。韓国の読者にはどのように受け止められたのだろうか。

キム・ミンジョンとパク・キョンヒとともに翻訳を手がけたキム・セヨンによれば、「なんとなく『人には言えない恥ずかしい趣味』として認識されてきたK-POPやRPS(*)が、文化として成立するまでの背景や、そのなかに存在する少数者性とジェンダーの問題について、多角的な視点から解説されているのが新鮮だった」といった声や、クィア当事者からは、「いままであまり注目されてこなかった『当事者の声』で伝えられている点が特に良かった」という感想もあったという。キム・ミンジョンによれば韓国ではここ数年K-POPやクィアに関連する本の出版が相次いでいるが、両者を関連させた作品のは本書がほぼ唯一だそうだ。

編著者のヨン・へウォンは以下のようにコメントを寄せる。

発売当時はこういう本を出してくれてありがとう、といった声が大きかったです。韓国で発売されてから4年のあいだ、韓国のクィア運動自体もとても早く進んできたと思っています。おかげで韓国では本書がより読者に知られるようになり、さらに、その必要性が注目を浴びるようになりました。また日本のクィアファンの記録も気になります。交流できる場があればいいなと思います。本書関連のイベントが日本で行われることを願っています。ぜひ参加したいです。

翻訳においては、ネット文化やファン文化特有の用語の翻訳についてとくに頭を悩ませたという。そうして日本語で届けられた本書をこれから読む読者に向けて、最後にキムは次のように述べた。

「K-POPの流れそのものがよくわかるように書かれているので、K-POPが好きな人は誰でも楽しめる本だと思います。何よりもクィアの視点から、K-POPを含むどんな文化もどんな人にも楽しむ権利があるということが書かれているので、その点をとくに楽しんでもらいたいです。あらゆる文化を楽しむための1冊にして欲しいなと思います」

*──アイドルや芸能人など、実在の人物が登場するファンフィクション

キム・ミンジョン

KBS通信員。訳書に、チェ・スンボム『私は男でフェミニストです』、ソ・ユミ『終わりの始まり』『誰もが別れる一日』、チェ・ウンスク『「ふつう」の私たちが、誰かの人権を奪うとき;声なき声に耳を傾ける30の物語』、ボソン『はじめてのヴィーガン日記;菜食と動物のはなし』など。韓国語への翻訳も手がける。

後藤美波

後藤美波

「Tokyo Art Beat」編集部所属。ライター・編集者。