公開日:2025年7月29日

伊藤慶二インタビュー。かたちと空間をめぐる思索、人や生活へのまなざし──90歳を迎える作家の現在地(聞き手:保坂健二朗)

伊藤慶二(1935〜)の大規模個展「伊藤慶二 祈・これから」が岐阜県現代陶芸美術館で9月28日まで開催中。「HIROSHIMA」「いのり」といった代表的なシリーズから「できたてほやほや」な新作まで、今年90歳を迎える作家が展示作品を語る(構成・撮影:中島良平 [*]を除く)

伊藤慶二

岐阜県現代陶芸美術館で開催中の「伊藤慶二 祈・これから」展。以前、作家のスタジオを訪問したことがあり、その制作に高い関心をもつ滋賀県立美術館ディレクター(館長)の保坂健二朗が会場を訪れ、作家に話を聞いた。

*展覧会レポートはこちら

展示室に立ち上がる「祈り」

保坂健二朗(以下、保坂) 昨年の夏に、窯のあるスタジオとご自宅の中にある絵を描くためのアトリエ、そしてたくさんの作品を保管されている倉庫に伺ったのですが、陶器や陶彫だけではなく、絵も描かれているようにいろいろなタイプの作品があって、今回の展示が磯崎新さんが設計された美術館の中でどのような内容になるのか、とても楽しみにしていました。最初から最後まで、全体的に幸せなトーンが通底していると感じましたが、途中に「HIROSHIMA」のシリーズが展示されているなど、静かに感情に訴えかけてくるパートもあり、抑揚も含めてとても素晴らしい展覧会だと感じました。

伊藤慶二(以下、伊藤) どうもありがとう。この美術館は展示室が細かく区切られているので、「祈り」や「HIROSHIMA」などのこれまでに作ってきたシリーズのタイトルごとに、空間を分けて展示できると考えて、このような構成になりました。

保坂 多様なタイプの作品を手がける伊藤さんがどのようなアーティストなのか、少しわかった気がすると感じたのですが、歴史を見つめながら、楽しんで制作をされている。そして、人や、人が生きている空間や時間を大事にしながら制作されていることが、展示全体を通してすごく伝わってきました。最初の展示室に入った瞬間から「やられた!」と感じたのですが、左右対称に作品が展示されていて、個別の作品としてはもちろんのこと、インスタレーションとしてもすごく魅力的な展示になっていました。あちらに展示されていたのは、異なるシリーズの作品ですよね。

伊藤慶二 いのり 2025
伊藤慶二 地蔵 2025

伊藤 そうですね。左右に同じタイトルの素描を展示したり、まったく違う作品を組み合わせたり、全体を通して「祈り」が見えてくるだろうと考えて展示しました。たとえば中央にリングがありますが、あれは、円相(注:一筆で円を描いた禅における書画の一種)からヒントを得た作品です。それが祈りのための道具のひとつとして象徴されていて、その奥に白い長方形が並んでいるのは、死者を納める棺を表している。そういうものが組み合わさって「祈り」が連想できるでしょう。

手前:伊藤慶二 いのり 2025 壁側:伊藤慶二 修道院の庭 1952-2012

保坂 なるほど。いま「棺」とおっしゃいましたが、「むろ」(=室)というシリーズも手がけられていますし、今回は何点かの硯も展示されています。硯からも、部屋や建物を連想し、空間性を感じました。地形も連想させるような。これまで中国の古い時代の硯などを見ても、そのようなことを感じたことはありませんでした。

手前:伊藤慶二 文具一式 2012 樂翠亭美術館蔵 奥:伊藤慶二 絵巻(硯、水滴など) 2011 
伊藤慶二 陶硯 1990年代~2010年代
伊藤慶二 沈黙-むろ 1990 岐阜県美術館蔵

伊藤 あの硯はごく単純に、墨を磨る平面があって、液体を入れる窪みがあるという、硯が持つ用途を託してあのようなかたちになっています。中心を鏡に見立て、蓋が屋根となって、動物のようなかたちのつまみがくっついている。すごくシンプルに考えています。

10歳で経験した終戦と「HIROSHIMA」シリーズ

保坂 硯のそばには、お膳のシリーズも展示されていますね。こちらは1973年の作品ですが、同じ時期に《HIROSHIMA—骨》のような、用途のないオブジェ作品も手がけられています。どういう思いで用途のあるものとオブジェを制作されていたのでしょう。

伊藤慶二 膳シリーズ 1973 [*]

伊藤 どうなんでしょうね。うつわに関しては、当時、仕事として食器を作っていたんです。食器を作るにしてもいろいろ種類があるので、選択したのが、飯碗と湯呑みでした。5人家族であれば、5つの飯碗と5つの湯呑みがあるでしょう。では、その2種類に絞って作ろうと。そういうなかで、配膳というのかな、食卓における食器のあり方にとても興味をもちました。それでお膳のシリーズを作ったのです。同じ時期に鉄板の上に三宝を並べた作品も作りましたが、鉄と焼き物と、というように、異素材を組み合わせて空間を作る。僕の癖のようなものなのかな。かたちができたときに、組み合わさって空間がどう見えるか。作るプロセスにおいて、そういうイメージは重要な要素になっているのかもしれません。

保坂 お膳にしても硯にしても、ものを作るだけではなく、使う人との関係も含め、そこに生まれる空間というのが重要なのですね。インスタレーションを拝見して、それがすごくよくわかりました。

伊藤慶二 HIROSHIMA - 骨 1973頃(左)

保坂 《HIROSHIMA—骨》は骨壷を連想させるオブジェですが、通常の骨壷は、硬い磁器製のものが多く、それを風呂敷で包んで運ぶイメージがあります。そうしたイメージそのものが作品になっているように思ったのですが、何かを入れて粘土で造形し、それを焼いて中が空洞になってあのようなかたちができあがったのでしょうか。

伊藤 そうです。紙で塊を作って、それを粘土で包んで焼きました。素材を薄く伸ばすためにはどうしたらいいか、いろいろと試しながら制作していた時期のことです。もっと大きな30cm角のものも試しましたが、それだとうまくかたちにならなかった。それであのサイズのあの作品になったのだと思います。

保坂 この展示室には、「HIROSHIMA」と「NAGASAKI」のシリーズが集められています。原爆が投下されて終戦を迎えてから今年で80年です。

伊藤 終戦は僕が10歳のときです。それまでは父の仕事で転居を繰り返していましたが、住まいがいま住んでいる岐阜県土岐市に移ったのがちょうどそのころです。親は食べものに苦労したと思いますが、僕は幼かったから、まだ戦争の辛さを感じる年齢でもなかった。ただ、広島の原爆については、ひとつの爆弾で街が崩れてしまったという話を父親から聞いて、想像もできないことが起こったのだと子供なりに感じました。被爆直後に父親から聞いた話が衝撃的だったから、それがずっと自分のなかのどこかに引っかかっていて、表現を行うようになってテーマとして出てきたのだと思います。

会場風景
伊藤慶二 HIROSHIMA―土 1970年代~2017
左から、伊藤慶二《HIROSHIMA》(2014)、《HIROSHIMA》(2017)、《広島 昭和20年8月6日 黒雨》(2017)
左から、伊藤慶二《NAGASAKI 8. 9. 1945》(2015)、《NAGASAKI, 11:02 AUGUST, 9, 1945》(2015)、《NAGASAKI(長崎の鐘)》(2022)

保坂 こちらの展示も、異なる素材や技法の作品が一堂に会し、インスタレーションが形成されています。空間の中央の床を占める「HIROSHIMA—土」のシリーズ(一瞬にして焦土と化した広島の大地をイメージしたという作品)はどのような技法で制作されたのでしょうか。

伊藤 これは日干しレンガを製造する方法で作りました。木枠に土を詰めて、天日に干す。そういう焼き物のテクニックを知って、これは薪窯で焼きたいと思って制作しました。初めて薪窯で作ったのが50歳近くになってからですが、「HIROSHIMA」のシリーズのほとんどが薪窯で焼いた作品です。

保坂 薪窯で作りたいと思ったのはどうしてですか。

伊藤 薪窯が持っている魅力というのかな。自然灰をかぶり、それが溶けていって出てくる色があるのですが、それは薪窯にしかない魅力だといえます。「HIROSHIMA」の陶板で薪窯を使うようになって、それから薪窯で作る作品も広がっています。「沈黙—むろ」の一部も薪窯ですね。

保坂 戦後80年の今年、こうした作品が一堂に並ぶ展示を行うことができて、どのように感じられますか。

伊藤 戦後80年というのは、社会には情報として流れていますが、僕にとって80年というのはテーマにはなりません。どうなんだろう。うまく説明できないですね。

会場風景
伊藤慶二 HIROSHIMA—雲 2010年代

埴輪、人体、ジャコメッティ

保坂 埴輪を思わせる作品など、いろいろな顔が並んでいる部屋もあります。表情も様式も多様です。もともとスケッチを描いてから制作されているともおっしゃっていましたが、スケッチの段階でこれだけ表情や様式が出てくるのですか。

伊藤 いや、スケッチは全体のかたちを描くだけです。胸像だったら全体がどういうかたちで、首をどういうふうにしようかと、その程度のみ描きます。だから、顔を作るときに目・鼻・口をつけるか、のっぺらぼうでもいいか、そういうのも作りだしてから決めます。あと、埴輪ですね。埴輪は東京国立博物館で「はにわ」展がありましたね。展示には行けなかったのですが、友だちに図録を買って送ってもらいました。埴輪はいろいろな表現がなされていますが、もっと表情を出してしまおうと思って、あの作品を作りました。埴輪のテーマはもう少し続けたいと思います。

伊藤慶二 土の人 2024-25
会場風景

保坂 この展示室でも、やはり人のかたちの作品と、家や建物のような作品が一緒に展示されているなど、その並びがとても興味深いです。伊藤さんはいろいろな主題で作品を手がけていますが、人間が造形を繰り返していくと、造形としては抽象的でも、バランスというかプロポーションがだんだん人体に近づいていくという話を聞いたことがあるのですが、そのように感じられることはありますか。

伊藤 どうかなあ。ジャコメッティとかもそんなところがあったのかな。削ってくっつけてを繰り返して。

保坂 そのような部分もあるように思います。どんなに細くしようとしても人のかたちが出てきてしまうというか、そこが着地点だと思えてしまうところがあって、そこに抗おうとしていたのかなと想像します。ジャコメッティはお好きなんですか。

伊藤 どう説明したらいいのかわからないけど、処理の仕方がすごく好きです。ここが頭で、ここが胴で、という説明がなくて、土を捏ねてかたちにして、作っていくときのジャコメッティの動きが見えてくる。そういうところが好きですね。

奥:伊藤慶二 足 2010 パラミタミュージアム蔵 手前:伊藤慶二 足 1998

大きな展示空間で、いままでやったことのないようなことができた

保坂 ギャラリー1の最後の空間では、仏足石を思わせる作品も展示されていますが、仏像には興味をお持ちですか。

伊藤慶二 足 2010 パラミタミュージアム蔵

伊藤 飛鳥時代の仏像には興味がありますね。運慶とかが出てきてからのものにはあまり惹かれませんが。

保坂 細長いフォルムで、表現に走っていないような仏像ですね。

伊藤 飛鳥の石像などは、仏像はこういうかたちですよと大陸から伝わって教わる以前だから、ああいうかたちができあがったのではないかと思うんです。法隆寺だかにある百済観音などは、朽ち果ててボロボロになっていますが、そういうなかに良い仏像がありますね。

会場風景

保坂 こちらでギャラリー1の展示が終わり、ギャラリー2へと続きますが、吹き抜けに布を用いた作品などの気持ち良い空間が広がっていて、焼き物を描いた軸装の新しい絵があったり、古道具をあわせて展示していたり、本当に楽しみながら新しい表現に取り組まれていることが伝わってきました。

伊藤 ギャラリー1とは違う感じになったんじゃないかな。とても大きな空間を与えられましたから、リラックスして、いままでやったことのないようなことができました。

会場風景
伊藤慶二 鍋島色絵三瓢文皿 2024(手前)
伊藤慶二 見立て3 2025
伊藤慶二 見立て2 2025(手前)

保坂 今回の個展では、新作の自画像も展示されていますね。

伊藤 できたてのほやほやの新作です。どうでしたか。

伊藤慶二 自画像 2025(手前)

保坂 自分を見つめて、外観を超えて本質をとらえようとするのはこういうことなのだなあと改めて感じました。エネルギッシュにいろいろなものを作られていることがわかるこの展覧会から思い描くアーティスト像と、あの、年齢を超越した自画像はぴったりだと感じました。最後に、この展覧会を通して来場者にどんなことを感じてほしいですか?

伊藤 それは僕が具体的に言わなくてもいいんじゃないかな。こう見なさいと言う必要はない。見る人が自由な眼で、自由に見て受け止めてもらえたら。

伊藤慶二

いとう・けいじ 1935年岐阜県土岐市出身・在住。1958年武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)卒業。岐阜県陶磁器試験場に勤め、日根野作三に出会い、師事。1975年に独立。クラフト(手仕事で生産される日用品)の制作から始まり、早くから陶による立体造形の制作に取りむようになる。現在は陶の造形に加え、油彩、ドローイング、布の作品など多様な素材による自由な表現を展開。「伊藤慶二 こころの尺度」(岐阜県美術館、パラミタミュージアム/2011)、「伊藤慶二 ペインティング・クラフト・フォルム」(岐阜県現代陶芸美術館/2013)他、国内外での展示およびグループ展多数。主な受賞歴に、第39回ファエンツア国際陶芸展買上賞(1981)、岐阜県芸術文化顕彰(2006)、第4回円空大賞展円空賞(2007)、地域文化芸術功労表彰(2013)、平成28年度日本陶磁協会賞金賞(2017)など。

中島良平

中島良平

なかじま・りょうへい ライター。大学ではフランス文学を専攻し、美学校で写真工房を受講。アートやデザインをはじめ、会社経営から地方創生まであらゆる分野のクリエイションの取材に携わる。