会場風景
高知県立美術館で「浜田浄 めぐる 1975-」が2月8日〜4月13日に開催されている。企画は同館主任学芸員の塚本麻莉。
浜田浄(はまだ・きよし)は1937年高知県幡多郡黒潮町生まれ。1961年に多摩美術大学美術学部絵画科油画専攻を卒業し、その後は東京都練馬区の小学校教員として勤めながら、画家として制作を続けてきた。
アンフォルメル、反芸術、もの派といった日本の熱気あふれる戦後美術シーンの勃興と同じ時代を生きた浜田だが、その歩みは特定のグループや運動とは少し距離を置いたものだった。それもあってか“誰もが知る”作家ではないかもしれないが、2015年には練馬区立美術館で個展を開催、その後も2016年に加島美術、2020年に√K Contemporaryでの大規模個展を重ね、今回ついに出身地での過去最大規模の個展開催となった。本展では1975年から2024年の最新作含む60点を通して、浜田の制作が深化する過程を紹介する。
独自の抽象表現を開拓してきた浜田の画業とはどのようなものなのか。展覧会を進みながら辿っていきたい。
長いキャリアを誇る画家の全容を紹介する個展といえば、学生時代や20代の若手時代から展示が始まることを想像するかもしれない。しかし本展の起点は1975年、浜田が37歳を迎えた年からスタートする。
画家としての躍進に大きな影響を与えたのが、日本の抽象美術の草分け的存在であり、もの派の作家たちを指導したことで知られる斎藤義重(1904〜2001)との出会いだ。浜田は多摩美術大学での直接の教え子ではないものの、斎藤の作品に感銘を受け、22歳のときに自宅を訪ねて面識を得ている。斎藤は1960年代前半、キャンバスではなく合板を支持体に電動ドリルで描く「ドリル絵画」と呼ばれるシリーズを発表。これに感銘を受けた浜田は、1975年、37歳のときに、合板を支持体にした「合板絵画」を手がけた。浜田はここを自らの起点と位置付けているという。本展の第1章は、この1975年の合板絵画から80年代初頭までの作品を紹介するものだ。
冒頭に展示された《work 75-7》は、合板絵画の代表的な作品。アクリル絵具による艶やかな黒地に朱色の線が際立つソリッドな印象だ。
合板絵画での試みはその後、版画へと引き継がれる。1977年の現代版画コンクール展では佳作賞を受賞し一躍注目を集めた。この時期から浜田は、刷る、塗る、彫る、削る、組むといった行為の反復による抽象絵画を多様な方法で追求し、そこに時間の蓄積を感じさせる独自の表現を模索していく。
画面に繰り返される線は、黒潮町の入野海岸から見える水平線のイメージに基づくもの。企画を担当した学芸員の塚本は「浜田の特徴として、すべての作品の基本に故郷である高知の黒潮町の風景がある」という。「黒潮町は小さな町で、長さ約4kmにわたる入野海岸が広がっています。子供のときは周囲にあまりものもなく、ずっとそこで遊んでいた記憶があるそうです。だから抽象絵画ではあっても、そこには黒潮町の風景がリフレインされているんです」(塚本)
浜田は8歳で終戦を迎え、徴兵された父が帰ってくることはなかった。翌年には昭和南海地震で自宅が全壊。戦前生まれである作家の子供時代には並々ならぬ苦労があったのではないかと思われる。それでも幼少期の原風景が、その後長きわたって作品に命を宿し続けているというのが興味深い。
1980年以降の作品を紹介する章は、本展のハイライトのひとつと言えるだろう。この時期に浜田が手がけた「DRAWING」シリーズは、鉛筆による一方向のストロークのみを厚い紙の上に引き続けることで生まれた作品群だ。
1970年代後半に版画制作に打ち込んだ浜田だったが、工程の一部を職人に委ねる制作に飽き足らなくなり、その反動から徹底的に“手を動かす”このシリーズが誕生した。
4Bなどの濃く柔らかい鉛筆を用いてストロークを重ねた面はメタリックな光沢を放ち、紙の質感を超越した異様な存在感を放つ。そして、この線を引き続ける行為にかけられた膨大な時間を想像すると、素朴に圧倒されてしまう。
なぜ鉛筆だったのか。それは当時の作家の置かれた状況とも関係する。当時、練馬区の小学校教員として働いていた浜田は、限られたすきま時間を制作に充てていた。安価で、油彩のように乾燥時間を待つ必要もない鉛筆は、そんな環境で扱いやすい画材だったのだ。必要に迫られたある種の制限が、名作を生み出した。「DRAWING」シリーズは東京都現代美術館や東京国立近代美術館の収蔵品になっており、近現代美術の文脈においても学術的に高い評価を受けていることがうかがえる。
会場の解説によると、大学卒業後の浜田は前衛美術運動やもの派の登場を横目に、「周辺をいつもぐるぐる回っているにすぎなかった」と、当時を振り返る。若くして専業作家になるのではなく、小学校の先生をしながらも制作を続けるその熱意と根気はいかほどのものであったか。画家に限らず、若い頃から取り組み続けてきた仕事が、40歳前後で開花するのは、並大抵のことではないだろう。
「小学生の先生をやりながらこうした表現に辿り着き、現在に至るまで一貫して制作のペースを落としていません。浜田の作家としての継続の仕方は、美大生をはじめ、いろんな方に見ていただきたいと思います。自分の身体ひとつでここまできた、そんな強さに私も勇気づけられます」(塚本)
浜田の創作意欲は衰えることなく、ここからさらに新たな展開へと向かっていく。
鉛筆の時代から一転、1986年からはパネルやキャンバスを支持体とした絵画の制作に打ち込んだ。画面を走る線からは、外へと発散されるエネルギーが感じられる。
作品を間近に見てみると、その線の多様な表現に驚く。激しく上昇するような線から、緩やかな線まで、画面全体に豊かなバリエーションがある。線は絵具を引くだけでなく、絵具を重ねたり上を引っ掻いたり削ったりすることでも生み出されている。展覧会のメインビジュアルになっていた《98-10-24(1)》(1998)も、実物を見ると印刷物や画像とはまったく違う印象を受ける。繊細でありながら力強い、生き生きとした線の集合がもたらす緊張感。
2000年代以降も、作家は制作手法を多様化させながら、抽象表現の道を極めていく。たとえば朱、黒、乳白色の順に塗り重ねた画面をカッターナイフで削り、最下層の朱色を浮かび上がらせるなど、その手法は洗練を極める。
こうした作品にも、やはり故郷の風景が投影されている。黒や白、グレーがかった青色は海や空を連想させ、鮮烈な朱色は入野海岸の山並みに沈む夕日の色だそうだ。
手法を変化させながらも一貫する作家の姿勢を、塚本はこのように語る。
「つねに新しいものを求める現代美術のなかにあって、浜田のスタンスはやや近代作家的なところがあるかもしれません。新規性というよりも、内面性や自分のなかの水準で作品を制作していく。ただ、だからといって十分に評価できないということではありません。作品に現れる時間の蓄積や、凡庸な言い方にはなってしまうけれど、その非常なまでの真面目さ、継続的な仕事の積み重ねには特筆すべきものがあります。そうした面を、出身地の美術館としてきちんと丁寧に取り上げたいと思いました」
80歳を超えてもなお、作家は新たな造形言語を開拓に余念がない。最後の展示室には、「一所不在」を信条に50年にわたって制作を続けてきた作家の、「日々の時間」を強く感じさせる作品が並ぶ。
《あとかた》(2013)は、浜田が制作の過程で画面を彫ることで生じた削り屑をアクリルケースに収めたもの。シンプルな方法ながら、浜田が作品に刻んできた時間と行為の蓄積が可視化されている。
2010年代から2024年までの時間をかけて制作された5点の合板絵画には、墨汁の飛沫から着想を得たと言う躍動感のあるかたちが踊っている。表面が茶色がかっているが、これは作家が削った「地」の部分に愛飲するコーヒーを数年にわたって時折染み込ませることでできた色だ。コーヒーを飲むという日常生活の積み重ねが、意外なかたちで表れている。
本展初公開の《DAY by DAY imagination・365》(2023)には、カレンダーの1日ごとのますに有機的なかたちが描き込まれている。こうした日々の積み重ねを感じさせる作品群からは、作家のユーモアや遊び心が感じられる。
繰り返しのようでいて、一瞬たりとも同じものはない。そんな時間と行為の蓄積を独自の方法で具現化する浜田の作品は、見る者にもその生の感覚を喚起させるだろう。作品に刻まれた線の凄みと画面の魅力は、ぜひ多く人に実物を見て体感してほしい。
同館では、ジャンルや年齢を問わず、学芸員が推薦した高知ゆかりの作家を紹介する展覧会シリーズ「アーティスト・フォーカス」を実施。2月21日までは三嶽伊紗(みたけ・いさ)の個展「ARTIST FOCUS #05 三嶽伊紗 カゲ ヲ ウツス」が開催され、視覚をはじめとした人間の認知能力や、事物の存在の不思議への尽きせぬ関心を昇華した多様な形態の作品が紹介された。
その土地に根付く美術館として、作家のキャリアを後押しするようなこうした取り組みにも注目したい。
福島夏子(編集部)
福島夏子(編集部)