展覧会エントランス
インド・ランタンボール国立公園で、野生のベンガルタイガーの生き様と家族の物語を追いかけ続ける写真家 山田耕熙が、自身初の大規模個展「Nahar — Ranthambhore(ナハール ランタンボール)」を、代官山ヒルサイドフォーラムで開催している。会期は4月26日〜5月17日。
山田耕熙(やまだ・こうき)は1979年生まれ。これまでに南極、北極、アラスカ、アフリカ、ガラパゴス諸島などで様々な生き物を撮影してきたが、2017年にインド・ランタンボール国立公園を訪れて以来、野生の虎たちに深く魅了され、現在もその姿をひたすらに追い続けている。
展覧会タイトルの“Nahar”は、現地に暮らす人々が虎をこう呼ぶことにちなんでつけられた。
自身初の大型写真集の準備と並行し、数年前から企画されてきた本展は、8年にわたり現地で撮影してきた膨大な作品群から、130点以上を厳選して展示。たくましくも儚い野生動物の表情は、わたしたち人間がどのように行動すれば、互いに持続可能な仕組みの中で共存し続けられるのか、深く多角的に問いかけてくるようだ。
全5章で構成された展覧会の幕開け、第1章「気配の先に」は、漆黒の闇からスタートする。
動物たちの足音や鳴き声、樹木に残された爪痕など、わずかな手がかりから深い森で虎たちの姿を探す様子を、フィールドレコーディングの音源とともに表現。
ガイドとサファリカーで森に入るときの緊張感、いつどこから現れるのかわからない期待と恐怖。撮影中の山田がつねに味わっている時間を、追体験するかのような空間だ。
暗闇を抜けた先は、第2章「今を生きる」。大きな窓からの自然光で照らされた空間と、新たに壁面がしつらえられ、四方めいっぱいにランタンボールで暮らす生き物の姿が広がる。
ランタンボール国立公園は、かつてインド北西部の都市・ジャイプールに暮らしたマハラジャ(王族)の狩猟地だったが、1955年に保護区に、1980年には国立公園に指定された。
広さは東京23区の2倍ほど。10世紀頃につくられたとみられる要塞遺跡を包み込むように、うっそうとした森や広大な湖が点在し、多様な野生動物が生息している。食物連鎖の頂点にいる虎と、美しく豊かな自然の情景が迫ってくるような作品の数々だ。
また、少し小さな入口を抜けた先には、茶室を想起させつつも、柔らかな日差しが差し込む空間が。表具師の井上雅博(井上光雅堂)による掛軸パネル2点と、六曲一隻の屏風に仕立てた作品が置かれていた。
山田が長年撮影を続けてきた虎たち、とくに《Nahar ━ Lightning》の写真は、取材を始めた初期、2017年に撮影して以来、初めて展示するという思い入れの強い一点だ。
「自分が見てきた虎を、最も美しく表現したいという気持ちがあった。自然界の強者ではあるものの、ひとつの生命体として見れば本当に儚い存在で、その魅力をどうしたら表現できるか考え続けてきた」という山田は、写真集の制作を進めるなかで表具師の井上と知り合い、この展示が実現したという。
ちなみに、本展の作品に登場するのは、ほとんどが雌だ。虎は基本的に単独で行動するが、とくに雄の行動範囲は非常に広く、野生下では滅多に出会えないという。また、ランタンボールに生息する80頭あまりの虎たちは、一頭一頭すべて身体の縞模様で個体の識別・管理がなされており、サファリのガイドやカメラマンらによって愛称もつけられている。
神々しさすら感じる勇壮な虎の姿、そして野生動物たち。現地に長期間滞在し、その姿を間近で見つめてきた山田は、いっぽうで矛盾や問題意識も抱き続けてきた。第3章「際に立たされた存在」と第4章「ランタンボール 虎と生きる世界」には、そのメッセージも込められた展示だ。
第3章「際に立たされた存在」では、2020年に「第8回日経ナショナル ジオグラフィック写真賞」のネイチャー部門で最優秀賞に輝いた《野生の虎 ―際に立たされた存在―》を、プリント作品として初展示。6枚の写真と文章で構成された本作は、生きていくため、人間が暮らすエリアに近づかざるを得ない彼らの現実を、強く静かに訴えかける。
続く第4章「ランタンボール 虎と生きる世界」は、約25分の映像作品を通して、ランタンボールという場所の歴史や、野生動物と人間がともに暮らしていくための取り組みを、山田自身の語りによって紹介。会期中、毎時00分・30分にスタートする。
ランタンボールでは、野生に生きる虎を“観光資源の中心”と位置づけ、世界中から観光客を呼び込んでいる。
一見、矛盾する取り組みのようだが、虎たちを保護するための環境や法律の整備が進み、地域の産業が潤って雇用がうまれ、次世代への教育の充実にも波及している。また山田自身は、撮影で長期滞在する際、食材や家畜を自ら育てていたり、太陽光発電を利用したり、と、持続可能な取り組みをしている宿泊施設をつねに選ぶという。
いっぽうで、営利目的に走る事業者や、テーマパーク感覚で訪れてしまう観光客の増加など課題も少なくない。そんな現状も含めて、まずは“人間の世界”と“動物の世界”が、別次元ではなく密接に繋がっていることを、映像から改めて実感し考えることが大切だろう。
最後の第5章「100年先まで残す景色」は、山田がもっとも関心を寄せ、伝えたかったという、母子4世代の虎の物語をじっくりと紹介する。
主役は、第2章で六曲一隻の屏風作品めいっぱいに、堂々たる姿が表現されていた虎、Riddhi。彼女が出産した3頭の子どもが独り立ちするまでの2年を、80点近い作品でたどる。
世界的にも非常に貴重な瞬間の数々を撮影してきた山田だが、とくに、わずか1分も満たない間に、2度も獲物を仕留めたRiddhiの姿は、野生の厳しい現実と生命の儚さを圧倒的に体現していた。
加えて、息をのむ美しさと迫力を持った彼女たちの生き様を、胸にせまる描写の文章としても綴ることができるのは、Riddhiの祖母にあたるKrishnaから見守ってきた、山田だからこそ、だろう。
本展で展示されている貴重な作品群はもちろん、多数の未公開カットが収録される予定の大型写真集は、現在も絶賛編集中、とのことだった。
本展を見れば、その完成がより一層待ち遠しくなるだろう。会場では、豪華な装丁の見本や、色校正なども実際に手に取ることができる。
なお会期中は、写真集の制作に関わるアートディレクターや編集者らのトークイベントや、山田が在廊する日は不定期でギャラリーツアーも開催予定だ。
また、写真集の装丁と同じデザインのフォトスタンドに入ったオリジナルプリントやTシャツ、オリジナルステッカーなどのグッズも販売。売上の一部は、ランタンボールのNGO団体を通じて、現地の教育や保全活動に寄付されるという。
充実した展示を締めくくるのは、山田の活動テーマでもある「人と野生動物たち、一緒に未来へ」と題したメッセージだった。
2017年に初めてランタンボールで撮影してから8年。訪れるだけでも大変な場所に、年間100日以上も滞在するのは、決してたやすいことではない。野生の虎はほかにも世界各国に生息しているが、それでも山田は、「家族の物語を追えるランタンボールで、これからも虎たちの姿を撮り続けたい」と語っていた。
気高くも儚い、野生の虎たちの姿から、わたしたち人間はいま何をすべきなのか。展覧会を通して、ほんの少しでも“自分事”として考えるきっかけにしていきたい。
Naomi
Naomi