(左から)思文閣・山内徳太郎、細尾真孝、山下有佳子、伊住禮次朗
京都に本社をおき、古文書・古典籍、近世・近代から現代に至るまでの絵画や工芸作品を取り扱う美術商である思文閣。
開催中の石川九楊(いしかわ・きゅうよう、1945年福井県生まれ)の個展において、会期中に前期(4月18日〜5月15日)と後期(5月17日〜6月14日)の作品が入れ替わるタイミングで、全展示作品を一度に見ることができる貴重な機会が設けられた。この「掛け替え」の様子を取材し、ギャラリーとしても初の試みとなる現場をレポートする。各界のクリエイターたちから寄せられたコメントとともにお届けする。【Tokyo Art Beat】
書家・石川九楊の展覧会が、京都の思文閣で開催中だ。戦後から現在まで、最前線で活躍し続け、2000点を超える作品を制作。2024年に上野の森美術館で「石川九楊大全」展を開催、2025年NHK大河ドラマ『べらぼう』の題字を揮毫するなど、80歳のいまもなお、旺盛に創作を続けている。
「書はアートとジャンルが違う。見方がわからない」と感じている人は多いだろう。なかでも石川九楊の作品は、一見抽象画のようで、観客が抱きがちな「書とはこんなもの」という既成概念に、真っ向から挑戦してくるようだ。
石川九楊は文化評論や歴史、宗教論も織り交ぜた創造の哲学を、膨大な量のエッセイや論文に記してきた。書という場から、戦後日本の表現、現代のアートの問題にも言及し、書かれて時間の経ったテキストからも、多くの気づきを得られる。
石川は、白黒の情緒的な様式美を否定して画面を灰色に染め、戦後の前衛書道の、典型的なスタイル——抽象絵画的な文字の表現を批判した。日本の近代以降の書論を西洋の美術思想に偏っていると指摘したが、それは西洋の価値観から脱却できない日本の現代アートにも当てはまる。
石川は書く行為の本質を「筆蝕」と言う。身体性を帯びた「書きぶり」が、書を時間性を帯びた「筆蝕の芸術」にする。そして、書く人、読む人との間に身体的なリアリティを結ぶ。これは、極めてコンテンポラリーなコンセプトだ。
ギャラリーでの展覧会としては最大規模となる今展は二期に分けて開催。時代によって大きく変遷を遂げてきた石川九楊の書を網羅する。
展示替えの日、各界で活躍するクリエイターが集まった。前後期の作品すべてを鑑賞できる日に、それぞれの視点から石川九楊の多様な解読を試みる。
山下有佳子さんは、欧米での書の評価の高さについて「サザビーズに勤めていた際、フランス、アメリカの抽象表現主義とともに日本の前衛的な書が現代アートの文脈で紹介されるという機会がありました。東アジアからとらえられた書の概念を超えて、ユニバーサルな目線でとらえたときにも、十分な強さがあることの表れであると思います」と語る。
「石川九楊さんの作品は、初めて観た方でしたら抽象絵画なのかと思われるかもしれません。構図から興味を持たれる方も多いでしょう。構図だけでも強さがあり、もちろん読んでいけば内容も理解できます。そういうことも、書の面白さですね」。
目を留めた作品のタイトルは《言葉がすべる》。「昨今の現代アートの世界では、言葉が先行してしまうことがよくあります。そんな風潮を評しているようにも捉えられる興味深い作品です」。現代アートの世界で活躍する山下さんの心に触れた、石川九楊の言葉だ。
70年代、あえて紙を灰色にして、黒と白の書的情緒からの脱却を試みた作品《白夜の日記》の前で、細尾真孝さんは「やっぱりかっこいいですね。既成のものを壊して、またフリースタイルで作り変えていくようなあり方が、まるでラップみたいです」とコメント。「石川先生が、著作で他の書家への批評を展開されてきたことは、ラップの世界でいう、まさに“ビーフ”笑)」と、アーティストとしてのスタンスにも強く共感する。
「じつは石川先生のことは昔から憧れていて、弟子入りしたい、と思ってもいたんです」。
「お茶に関係する、一行書などに接することは多いですが、石川九楊先生の作品は、そういうものとはまた、まったくコンセプト、表現の幅も違いますね」と、茶人の伊住禮次朗さん。風炉先屏風に仕立てられた珍しい作品、とくにそのタイトル《呵凍(かとう)》に注目した。水が冷え凍って、徐々に溶けて艶めいてゆく美しさを表している。
「お茶は“冬の美学”と言われています。やせ細っていく中で輝く生命力というか。冷凍寂枯と言われますが、それを連想しました。さかのぼっていくと歌人の美学、文学に通じる。前衛的な表現に、言葉の意味が拡がって面白い」。
もしこの作品を茶会で使ってみたら? 「風炉先屏風は語ることの少ない道具なので、これほどの表現的な強さを持った作品と調和する道具組みは、ちょっと悩みますね(笑)」。
桑村祐子さんは『和久傳』の和の空間に現代アートを取り合わせることも多く、アートには造詣が深い。
「拝見して印象的だったのは、ごく細い線をたくさん使って描かれた作品もあれば、こんなにダイナミックな作品もある。そのどの作品にも同じものがあること」。
桑村さんも、運営するそれぞれの店舗を異なるスタイルで展開しながら、すべての店で共通した価値を表現している。共感を覚える部分だろう。
「私は、作品はもちろん、やっぱり先生自身に興味があるんですね。人は感情や情熱を覆ってしまうものだけれど、先生の作品には、その“覆い”を作る前の世界が現れていると思います」。
桑村さんが「ダイナミック」と感じて見入る作品のタイトルは、その名も《生きぬくんや》(前期展示)。
スタッフによって一点一点、眼と手で確かめながら作品が掛けられてゆく様子を見守った。余白をたっぷりとることで、作品の緊張感が和らぎ、同時代の作品を隣り合わせることで、制作当時の石川の思いが増幅されて伝わる。「展示のストーリーを考えるのが一番面白い」と、思文閣の山内徳太郎さん。
観る人が違えば、違った論点や示唆が浮かびあがる。そんな石川九楊の世界の壮大さに、ぜひ会場で向き合ってほしい。
石川九楊
いしかわ・きゅうよう
1945年福井県生まれ。京都大学法学部卒業。京都精華大学教授、文字文明研究所所長を経て、現在、同大名誉教授。「書は筆蝕の芸術である」ことを解き明かし、書の構造と歴史を読み解く。評論家としても活躍し、日本語論、日本文化論は各界にも大きな影響を与える