「総合開館30周年記念 ルイジ・ギッリ 終わらない風景」会場風景より
東京都写真美術館は、7月3日から、イタリアを代表する写真家ルイジ・ギッリ(1943〜1992)の個展「総合開館30周年記念 ルイジ・ギッリ 終わらない風景」を開催する。会期は9月28日まで。
イタリアのレッジョ・エミリア県スカンディアーノに生まれたルイジ・ギッリは、測量技師としてのキャリアを積んだのち、コンセプチュアル・アーティストたちとの出会いをきっかけに、1970年代より本格的に写真家としての活動を開始。色彩や空間、光に対する類まれな美的感覚と、ありふれたものをユーモラスに視覚化する才能によって、主にカラー写真による実験的な写真表現を探求した。日本では、著書『写真講義』をきっかけにその名が広く知られるようになり、近年も欧米での個展開催やドキュメンタリー映画の発表など国際的に注目されている。
ギッリが本格的に写真を始めたのは30歳の頃で、写真家として活動したのはわずか20年ほど。本展では、初期の代表作「コダクローム」や「静物」シリーズ、作家の故郷など欧州の風景写真、画家ジョルジョ・モランディ、建築家アルド・ロッシのアトリエを撮影したシリーズを含む約130点を展示し、そのキャリアと、ギッリの写真に対する多角的な思索をたどる。担当学芸員は東京都写真美術館の山田裕理。
展示は5章構成となり、多くはルイジ・ギッリ財団の所有作品だ。はじめに展示されているのは、ギッリが、「フォトディスモンタージュ(脱構築された写真)」と呼んだ「初期作品」や「コダクローム」シリーズの作品群。
これらのシリーズでは、風景写真が並ぶ絵葉書のラック、壁紙や広告に描かれた木、鏡に映る海など、写された風景や描かれた風景を実際の風景と等価に扱い、1枚の写真のなかでそれらを反響させている。ギッリは、3次元の世界を2次元に落とし込むにあたり、すでにある物の見方を解体し、新たな視覚経験を生み出すことを試みた。
「F11、1/125、自然光」と「静物」のシリーズでは、そのような風景を通じたイメージの思索をさらに拡張させていく。
「F11、1/125、自然光」でとらえられているのは、地図や美術作品などを見ている人の後ろ姿。「見られている」展示物、それを見ている人、その人を撮影するギッリ、そしてギッリが写したイメージを見る鑑賞者、と1枚のイメージのなかで「見る/見られる」の視線の連鎖を浮き彫りにする。
「静物」では、地図とその上に置かれた写真の束、皿に描かれた風景と双眼鏡、風景画とそこにかかる人影など複数のオブジェクトが写され、それらの関係性が見る者の記憶や想像を静かに刺激する。ギッリはこうした手法を通して、写真が過去と現在、フィクションとリアリティを結びつける媒介となることを示そうとしたのだという。
展示の後半では、「イタリアの風景」シリーズに光を当てる。前半で見た作品群では風景を見る視覚経験の脱構築を理論的に試みていたが、本シリーズでは記憶や心理のなかの風景へと焦点が移行していく。
ギッリは昔の雑誌に掲載された写真や絵葉書、美術史の中で形成されたイメージなどを参照しながら、南イタリアの風景を撮影した。そうしてとらえられたのは、鑑賞者のなかに「どこかで見たことがある」と感じるような懐かしさと初めて見る素朴な驚きが共存する、唯一無二の風景写真だ。
特定の人物がモデルとして繰り返し撮影されることは多くなかったが、本シリーズのうちカプリで撮影されたものにはある人物の姿がたびたび登場する。海を眺める白いドレスの女性、地図に乗せられた女性の足。これはいずれもギッリの妻パオラ・ボルゴンゾーニである。
グラフィックデザイナーであったパオラは、自身もアーティストとしてドローイングやインスタレーションを制作した。またギッリは写真文化の普及を専門とする出版社がほとんどなかった1970年代のイタリアにおいて、仲間たちとともに写真専門の出版社「Punto e Virgola(プント・エ・ヴィルゴラ)」(「セミコロン」の意)を立ち上げるが、パオラもそのメンバーのひとりだった。本展では、妻パオラの存在にも初めて光を当て、彼女の作品や彼女がPunto e Virgolaでデザインした書籍もあわせて展示している。
「イタリアの風景」シリーズのなかでも、ギッリの故郷であるレッジョ・エミリアやロンコチェージ、チッタノーヴァで撮影された写真には、静けさが漂っている。作品に作家の記名性ではなく、ある種の匿名性があるようなこれらの作品には、個人の記憶や想像など鑑賞者の内面にあるものを手掛かりに作品と対峙することを求めるような、中期から晩年までの作品群の特徴を表している。
またここで展示されている《ロンコチェージ、1992年1月》はギッリの遺作。1992年2月に亡くなる1ヶ月前に撮影された。
本展の最終章では、これまで見てきた屋外の写真ではなく、室内を写した作品群を紹介。
1976年から79年にかけて撮影された「アイデンティキット」シリーズは、自室にある本やレコードなどを自身の関心や想像、旅の計画などの痕跡ととらえ、それらを組み合わせることで自身不在のセルフポートレイトとして形成したもの。
その約10年後に、ギッリは建築家アルド・ロッシや画家ジョルジョ・モランディのアトリエの撮影を始める。「ジョルジョ・モランディのアトリエ」シリーズは、ギッリの著書『写真講義』や、作家・須賀敦子の全集の表紙などでもおなじみの作品だ。モランディのアトリエはモランディの没後に撮影されたものだが、ロッシのアトリエは彼が存命中に撮影されたものだという。
どちらのアトリエ写真にも作家本人は不在で、その生活や創作の痕跡だけが写し出されている。また扉や窓、鏡などの内と外をつなぐモチーフもしばしば登場し、内側と外側の境界の曖昧さを写しとることも試みられている。
ルイジ・ギッリの娘で、ルイジ・ギッリ財団の代表を務めるアデーレ・ギッリは、ルイジの写真が帯びるある種の「匿名性」について、「彼は従来のセンセーショナルな写真の撮り方に対して批判をしていた。エモーショナルでセンセーショナルな一瞬を撮るのではなくて、日常性。(ギッリが写したのは)凡庸ではない日常的な風景や日々の体験であって、スペクタクルではない。そういったものに相対する写真の撮り方を提示したのです」と述べる。
日常のなかでともすれば見過ごされてきたものに目を向け、自らの視点で新たな「風景」を作り出したルイジ・ギッリ。その思索と作品世界に浸ることのできるまたとない機会だ。
なお会期中は、撮影中のギッリの姿や、遺族、プリンターなど生前ギッリと交流の深かった関係者へのインタビューなどで構成されるドキュメンタリー映画『Infinito』を日本語字幕付きで上映。本作は2022年に公開され、日本では初公開となる。