鶴岡政男 リズム 1935(1954)
今年で開館30周年を迎える東京都現代美術館で、「開館30周年記念 MOTコレクション 9つのプロフィール 1935→2025」が開催中。会期は4月29日から7月21日まで。
同館は1995年の開館以来、前身の東京都美術館から引き継いだ作品を含め、約6000点にのぼるコレクションを築いてきた。当初の常設展示では、戦後日本の前衛美術を起点に、国際的な文脈のなかで現代美術の流れを提示することが重視されていた。その後、展示の視点はさらに多様化し、2005年以降は「MOTコレクション」として、個々の作家や時代、テーマに着目した多角的なキュレーションを展開してきた。
本展では、1935年から2025年までの90年間を10年ごとに区切り、全9章構成で美術の変遷をたどる。
参加作家には青山悟、淺井裕介、荒川修作、O JUN、岡本信治郎、片岡純也+岩竹理恵、小泉明郎、開発好明、桂ゆき、風間サチコ、菊畑茂久馬、草間彌生、久保田成子、工藤哲巳、合田佐和子、小林正人、篠原有司男、新海覚雄、杉本博司、菅井汲、高松次郎、辰野登恵子、立石紘一(タイガー立石)、鶴岡政男、照屋勇賢、冨井大裕、豊嶋康子、利根山光人、中村宏、向井潤吉、山下菊二、横尾忠則、横山裕一、和田三造、李禹煥、サイモン・フジワラ、ウェンデリン・ファン・オルデンボルフらが名を連ねている。
本展は戦前から戦中へと揺れ動いた昭和初期、1935年から1944年にかけての10年間から幕を開ける。大衆文化が花開いたいっぽうで、1937年の盧溝橋事件を機に日中戦争が勃発、やがて第二次世界大戦へと突入する。最初の展示室では、そんな激動の時代を体験した都市の風景、人々の暮らしや表情にフォーカスする。
鶴岡政男(1907〜79)による《リズム》(1935/1954)は、渋谷の喫茶店「南欧」のために描かれた作品。関東大震災によって壊滅した東京が、喫茶店や映画館、百貨店といったモダン文化とともに再生していった。本作には、そうした都市の再生力や高揚感が息づいているように感じられる。
いっぽう、都市の表情を独自の視点で描いたのが、長谷川利行(1891〜1940)と松本竣介(1912〜48)だ。アトリエを持たず、街を歩きながら湧き上がる感情を即興的にキャンバスへと刻んだ長谷川。対照的に、幼少期に聴覚を失った松本は、都市の人や風景の「かたち」に静かなまなざしを向け、誠実に描き続けた。
この時代を語るうえで、戦争画の存在も見過ごせない。靉光(1907〜46)の《静物(雉)》(1941)は、太平洋戦争が始まった年に制作された。戦時下で物資が乏しくなるなか、キジは本来なら貴重な食糧であったにもかかわらず、靉光はそれを描くために天井から吊るし、腐らせたという。
終戦を迎えた日本では、空襲の恐怖からは解放されたものの、焼け野原となった都市には飢餓と混乱が深く影を落としていた。第2章では、戦後の混沌を背景に、それぞれの立場で「敗戦」を経験した作家たちが描いた「人間の姿/顔」に光を当てる。
鶴岡政男、桂ゆき(1913〜91)、新海覚雄(1904〜68)など、戦前から活動を続けてきた作家たちに加え、戦後に登場した新たな世代の表現も、このセクションの見どころだ。無審査・無賞・自由出品を原則とする「日本アンデパンダン展」、福島秀子(1927〜97)らが参加した実験的な芸術集団「実験工房」、そして若手作家の個展を積極的に開催したタケミヤ画廊など、既成の枠を越えた活動が美術表現の地平を広げていく。
1955年からの10年間、日本は主権回復から3年を経て、政治的安定と経済成長の兆しが広がるいっぽう、基地拡張や再軍備をめぐる社会運動も激化。60年には日米新安保条約が発効し、不安と希望が交錯する時代となった。こうした社会状況のなか、作家たちは自主的にグループを結成し、表現の新たな可能性を模索していった。中村宏(1932〜)や石井茂雄(1939〜2005)による社会的な視点に基づく作品、そして田中敦子(1932〜2005)の《作品(ベル)》に代表される鑑賞者参加型のインタラクティヴな表現など、前衛の潮流はこの時期に大きく多様化していく。
高度経済成長が頂点に達した1970年前後、日本社会は様々なひずみを露呈し始めた。環境汚染や公害問題が顕在化し、大阪万博が掲げた「人類の進歩と調和」というテーマに対する疑念や、国家権力および情報化社会への不信感が各地で反対運動として噴出した。こうした社会的背景のもとで、美術の在り方そのものを問い直す動きも広がっていった。
高松次郎(1936〜98)の《扉の影》(1968)は、開かれた扉と反復する男女の影を描き、実体のない存在の曖昧さを提示する。高松は作品を額縁の中に閉じ込めることなく、開かれた可能性のままに表現した。こうした反復の技法は、立石紘一(タイガー立石、1941〜98)のコマ割り絵画や、横尾忠則(1936〜)の版画における制作過程を主題にした作品にも見られ、直線的な時間観からの脱却を促す試みとして浮かび上がる。
1975年以降の展示室では、海外移住や国際的な発表を通じて、個の表現を追求した作家に焦点を当てる。1960年代半ばの渡航自由化により、日本は世界市場での存在感を高め、作家たちも海外での活動を本格化させた。たとえば、2021年に同館で個展を開催した久保田成子(1937〜2015)は、1964年に渡米し、フルクサス活動に参加。その後、1970年頃からヴィデオ彫刻の制作を開始した。今回は、《デュシャンピアナ:マルセル・デュシャンの墓》(1972〜75/2019)が収蔵後初公開される。
平成が幕を開けた1985年から1994年。戦後の高度経済成長はピークに達し、バブル経済は崩壊へと向かった。情報と資本が過剰に膨張し、広告やイメージが氾濫するなか、美術はどのように変容していったのか。3階の展示では、絵画というメディアを通じて、そうした時代の表現を読み解く。
辰野登恵子(1950〜2014)は、ミニマルな版画から出発し、1980年代には大胆な色彩を用いた有機的な抽象絵画へと展開した。《UNTITLED 90-14》(1990)は、生き物のように膨らむフォルムによって、画面に不思議な生命感を宿している。「人間ではないのに、人間の匂いがするかたち」を求めた辰野は、見る者に実体なき存在の気配を印象づける。
いっぽう、小林正人(1957〜)は、絵の具を手で直接キャンバスに塗り込み、画布を枠に張ることで作品を立ち上げていく。平面を超えて広がるその絵画には、「存在」と向き合い続けるまなざしが宿っている。
バブル崩壊後の経済低迷が続くなか、東京都現代美術館は1995年に開館。同年は、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件が発生した激動の年であり、同時にインターネット時代の幕開けを告げる転換点でもあった。
同館は1999年に「MOTアニュアル」の第1回の企画展として「ひそやかなラディカリズム」展を開催。高柳恵里(1962〜)、小沢剛(1965〜)、杉戸洋(1970〜)ら9作家を取り上げ、1980年代のスペクタクル的表現への反動として現れた、視覚的ヴォリュームの抑制や日常性に根ざした表現に注目した。
東日本大震災後の日本社会は、アートにも深い影を落とした。社会の傷を受け止めるかのように、作家たちは「再生」「ケア」「共生」といったテーマに向き合い、参加型・協働型の作品も増える。
風間サチコ(1972〜)の《臆!怒涛の閉塞艦》(2012)は、津波に襲われる原発を傾く軍艦に重ね、日本社会の閉塞感と「安全神話」の崩壊を描く。本作は「核と原子力をめぐる記録画」として、作家自身によって位置づけられている。
いっぽう、淺井裕介(1981〜)は各地の土を用いて、生命の循環を描く。汚れた土でさえ再生の場になり得るという想像力が、未来への希望を示している。
パンデミック、気候変動、AI、ジェンダーなど、複雑な課題が交錯する現在。2025年に向けた最終章では、「いま」という地点に立ちながら、美術がどのように未来を想像し、世界と向き合っているかを探る。
青山悟(1973〜)による《News From Nowhere》(2016)は、19世紀のユートピア思想を手がかりに、過去と未来を刺繍で結び直すシリーズ。社会の在り方を静かに問うその視線は、現在を批評的に見つめる手段となっている。
新たに収蔵されたウェンデリン・ファン・オルデンボルフ(1962〜)の《彼女たちの》(2022)では、宮本百合子と林芙美子の言葉が交差し、世代や背景の異なる人々の対話が編み上げられる。映像に映る日本家屋の障子のように、重なり合う声が静かながらも深く響き合い、鑑賞者に思考の扉を開かせる。
現代美術の90年を振り返る本展は、過去を映し出す鏡であると同時に、これからの表現を照らす灯でもある。貴重な作品が一堂に会するこの機会を、ぜひ足を運んで体験してほしい。
灰咲光那(編集部)
灰咲光那(編集部)